歯科情報
『摂食嚥下リハビリテーション第3版』(医歯薬出版、2016年)は、監修を才藤栄一・植田耕一郎が担当し、出江紳一、鎌倉やよい、熊倉勇美、弘中祥司、藤島一郎、松尾浩一郎、山田好秋ら国内の第一人者に加え、Palmer・Robbins・Clavé・Martinら欧米の主要研究者も著者に名を連ねた、文字どおり"業界の定本"です。
第2版から実に9年の歳月を経て刊行されたこの改訂版は、432ページ・A4判変という大判構成になっています。前版から今日に至るまでに積み重ねられたエビデンス、知見、手技のすべてを収録することが編集の基本方針でした。
大きく変わったのは3点です。第一に、評価法の国際化・多様化への対応。第二に、脳科学・画像診断の進歩を反映した基礎編の大幅拡充。第三に、訓練手技のエビデンスレベルの明示です。
第2版までは評価の中心が国内独自の指標でしたが、第3版ではMASA(Mann Assessment of Swallowing Ability)、EAT-10(Eating Assessment Tool-10)、TOR-BSST(Toronto Bedside Swallowing Screening Test)といった国際的スクリーニングツールが網羅されました。これは使えそうです。
基礎編では、嚥下の解剖・生理の説明にCTによる三次元的理解やBrain Mappingなど最新画像技術を導入しており、従来の平面的な知識からより立体的な理解に踏み込んでいます。また、欧米著者の原著原稿は購入者向けにホームページからダウンロードできる仕組みも設けられています。
目次の大構成は「総論編」「基礎編」「臨床編Ⅰ(評価・対応の基本)」「臨床編Ⅱ(原疾患と評価・対処)」「実践編(チームアプローチの実践)」の5部構成です。歯科従事者が日常臨床で最も参照する機会が多いのは「臨床編Ⅰ」と「実践編」でしょう。臨床と基礎を往復しながら読む使い方が効果的です。
【医歯薬出版】摂食嚥下リハビリテーション第3版 公式案内ページ(目次・内容紹介・正誤表を確認できます)
嚥下のプロセスは「認知期(先行期)→準備期→口腔期→咽頭期→食道期」の5期モデルで整理されることが一般的です。この分類自体は旧版から変わりませんが、第3版では各期に関わる筋群・神経支配・画像所見が格段に詳しくなっています。
準備期・口腔期は、歯科が最も直接的に関与できるフェーズです。前歯と口唇で取り込まれた食物は舌によって臼歯部に運ばれ、舌と頬で挟まれながら咬断・臼磨・粉砕されます。頬の運動不良があると食べ物が口腔内で散らばり、食塊形成が不完全になるため誤嚥リスクが上昇します。口腔期の管理は歯科が主役です。
咽頭期では、喉頭蓋が反転して気道を保護する一連の動作が0.5秒以内に完了します。この素早い連携が乱れると「誤嚥」が起き、気管に食物や分泌物が流れ込みます。70歳以上の高齢者では、入院を伴う肺炎の約80%が誤嚥性肺炎であることが複数の報告で示されています。
CTによる三次元的理解とBrain Mappingの導入によって、嚥下に関わる大脳皮質の広範な関与が可視化されました。嚥下は「反射」ではなく「高次脳機能を含む複合運動」であるという認識が、第3版の基礎編の根幹にあります。つまり認知症や脳血管疾患では、運動機能が保たれていても「飲み込もうとする意志と実行」の段階から障害が生じうるということですね。
舌骨上筋群・喉頭挙上・食道入口部開大の連動は、嚥下の"コアメカニズム"として第3版でも詳しく解説されています。特に舌圧(舌が口蓋を押す力)は嚥下機能の重要な指標であり、日本老年歯科医学会は「30kPa未満を低舌圧」と定義しています。舌圧測定は歯科でも実施可能な検査です。
呼吸と嚥下の協調についても独立した章が設けられており、嚥下時には一時的に呼吸が止まる「嚥下性無呼吸」が正常なメカニズムであることが改めて強調されています。この知識は、慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者や呼吸器に問題を抱える患者の食支援を考える上で非常に実用的です。
【栃木県歯科医師会】摂食嚥下指導マニュアル(嚥下5期の詳細な図解と臨床対応がわかりやすくまとめられています)
臨床現場で評価を行う際にまず問題になるのが「どのツールを使うか」です。第3版はこの点について、MASA・EAT-10・TOR-BSST・CTなど複数の評価法を横断的に解説しており、それぞれの特性と適用場面を比較しながら学べる構成になっています。
EAT-10は患者自記式の10項目アンケートで、各項目を0〜4点で評価し合計が3点以上で嚥下障害のリスクありと判断します。歯科外来でも短時間で実施できるため、スクリーニング入口として活用しやすいツールです。EAT-10は使いやすいですね。
MASAは言語聴覚士や訓練を受けた医療者が28項目を評価する半定量的ツールで、「嚥下機能の全体像」をより詳細に把握できます。合計200点満点で、177点以下が嚥下障害、170点以下が誤嚥リスクありの目安です。MASAは詳細評価が必要な症例に適しています。
RSST(反復唾液嚥下テスト)は30秒間で3回未満の嚥下しか確認できない場合に嚥下障害が疑われる検査です。指腹で喉頭隆起と舌骨の動きを触知しながら確認し、比較的シンプルに実施できます。一方で、水飲みテストやフードテストは実際の食物・液体を使用するため、誤嚥の危険性がある患者では慎重な準備が必要です。
嚥下造影検査(VF)と嚥下内視鏡検査(VE)は精密評価の両輪です。VFはX線透視下で造影剤入り食物を嚥下してもらい、嚥下の動態を可視化します。VEは内視鏡で咽頭・喉頭を直視しながら嚥下を評価する方法で、被曝なしに繰り返し実施できるメリットがあります。歯科衛生士がVE・VFを単独で行うことはありませんが、検査の目的と読み方を理解しておくことがチームアプローチでは欠かせません。
藤島式嚥下グレード(嚥下Gr)は10段階で嚥下機能を評価します。Gr1〜3は経口摂取不可の重症域、Gr4〜6は補助栄養との併用域、Gr7〜9は経口のみの軽症域、Gr10は正常です。患者の嚥下Grを把握することで、食形態の適切な選択や目標設定が格段にしやすくなります。これが基本です。
【日本摂食嚥下リハビリテーション学会】摂食嚥下障害の評価2019(RSST・VF・VEなど評価法の標準的手順が記載された公式ドキュメント)
訓練法は大きく「食物を使わない間接訓練(基礎訓練)」と「食物を使う直接訓練(摂食訓練)」に二分されます。第3版ではどちらもエビデンスレベルを付記しており、「根拠があってやっている」という臨床の自信につながります。
間接訓練の中で歯科従事者が最も関わりやすいのが、口唇・舌・頬の訓練や開口訓練です。開口訓練は舌骨上筋群(あごの下にある筋肉群)を鍛える目的で実施し、最大限に開口した状態を10秒保持×5回を1セット、1日2セット行うことで食道入口部の開大改善が期待できます。4週間継続した研究では、舌骨上方挙上量と食道入口部開大量の改善が報告されています。4週間が条件です。
舌抵抗訓練は、舌を口蓋に押し付けたり舌圧子で負荷をかけたりする等尺性筋収縮運動です。脳卒中後の嚥下障害患者に適用することで舌筋力の増加と嚥下能力の改善が確認されています。健常高齢者でも舌の筋力増強効果が報告されており、予防目的での実施も有効です。
頭部挙上訓練(シャキア・エクササイズ)は仰臥位で頭だけを持ち上げ、足のつま先を見る運動です。舌骨上筋群を集中的に鍛え、喉頭挙上不全を改善する効果があります。ただし頸椎症や頸部脊柱管狭窄症がある患者への適用は慎重に行う必要があります。
直接訓練では、食形態の調整が非常に重要です。均質でまとまりやすく、べたつかない食品を選ぶことで咽頭期の負荷が大幅に下がります。Chin down(頭部前屈位)は咽頭後壁と喉頭蓋谷を広げる代償的姿勢法で、多くの症例に汎用できます。嚥下の意識化(Think Swallow)は認知機能が保たれている患者に有効で、「飲み込む」という意識を強めることで嚥下反射を改善させます。
冷圧刺激(Thermal-tactile stimulation)は、前口蓋弓を冷たく細いプローブで刺激することで嚥下反射の誘発を容易にする技法です。嚥下反射が遅延している患者に対して食前に実施することが多く、その即時効果は複数の研究で確認されています。これも有効な選択肢ですね。
【健康長寿ネット】嚥下障害の基礎訓練(嚥下体操など間接訓練の具体的手順をわかりやすく解説しています)
歯科の教科書には口腔乾燥(ドライマウス)について記載があっても、嚥下機能への直接的な影響として系統立てて学ぶ機会は多くありません。しかし『摂食嚥下リハビリテーション第3版』(および歯科衛生士版)では、薬剤と嚥下障害の関係が独立した章として扱われています。
口腔乾燥を引き起こす可能性がある薬剤は500種類以上とされています。意外ですね。利尿薬、抗コリン薬、抗ヒスタミン薬、降圧薬、向精神薬(ベンゾジアゼピン系・抗うつ薬など)が代表的で、高齢患者では複数の薬を同時に服用していることも多く、複合的に唾液分泌が低下するケースが少なくありません。
唾液は食塊形成に欠かせない潤滑剤です。唾液分泌が低下すると食物が口腔内でまとまらず、咽頭に送り込まれる前に食塊が崩れて誤嚥リスクが高まります。また味覚低下や義歯の不安定化にも直結するため、「口腔ケアだけ頑張っても、薬剤性乾燥が放置されていると嚥下機能は改善しない」という状況が生まれます。
ベンゾジアゼピン系薬や抗精神病薬は、意識レベルの低下・嚥下関連筋群の弛緩・嚥下反射の遅延を引き起こすことが明らかになっています。抗精神病薬が引き起こすパーキンソニズムは、頸部筋の硬直や嚥下タイミングのズレを招き、誤嚥リスクを大きく高めます。
歯科衛生士として実施できる対応として、まず患者の服薬情報を問診や薬手帳で把握することが出発点です。口腔乾燥が疑われる場合は保湿ジェルや人工唾液の活用、摂食前の口腔湿潤ケアが有効です。その上で必要と判断された場合は主治医・薬剤師と情報を共有し、処方の見直しを含めた多職種連携につなぐことが理想的な流れです。確認することが第一歩です。
薬剤チェックは「歯科でやることではない」という思い込みは危険です。500種類を超える嚥下関連薬の影響を知った上で口腔ケアを行うか否かで、支援の質に大きな差が生まれます。
【健康長寿ネット】高齢者の摂食嚥下機能に影響する要因(薬剤と口腔乾燥の関係が詳しく解説されています)
摂食嚥下リハビリテーションの"実践編"として第3版が最後に据えたのが「チームアプローチ」です。医師・歯科医師・看護師・言語聴覚士(ST)・理学療法士(PT)・管理栄養士・歯科衛生士が各専門性を発揮しながら協働するモデルが、現在の標準的な摂食嚥下支援の形です。
チーム内での歯科衛生士の役割は、大きく3つに整理されます。第一は「口腔の専門家としての評価と口腔衛生管理」、第二は「口腔機能訓練の実施と継続支援」、第三は「他職種への口腔情報の提供と連携の橋渡し」です。歯科衛生士にしかできない視点があります。
特に注目したいのが、姿勢調整と嚥下の関係です。歯科の領域では義歯の安定や咬合支持が重視されますが、咬合支持(奥歯でしっかり噛める状態)は全身の姿勢安定にも深く関わっています。臼歯部咬合支持が失われた高齢者では頸部の前屈・後屈バランスが崩れやすく、嚥下時の喉頭挙上がスムーズに行われない場合があります。義歯の管理が嚥下改善に直結するケースも多く、これは歯科衛生士が摂食嚥下チームに参加する強力な根拠になります。
在宅や介護施設での訪問歯科における食支援でも、多職種カンファレンスへの参加が重要です。ケアマネジャー・管理栄養士・介護職員と情報を共有し、食形態の適切な設定や誤嚥性肺炎リスクの早期察知につなげます。「口腔からみえること」を積極的に発信する姿勢が、チームでの存在感を高めます。
認定歯科衛生士(摂食嚥下)の資格取得を目指す場合は、日本歯科衛生士会の定める研修要件として「摂食嚥下リハビリテーションコース」修了・歯科衛生士業務経験3年以上(うち実務経験1年以上)が必要です。第3版はその研修・学習の基盤テキストとして広く活用されています。
多職種連携の核心は「情報共有の質」です。「飲み込みにくそうだった」という曖昧な報告より、「EAT-10が5点に上昇し、嚥下Grが8から7に低下した」という数値化された情報がチームの意思決定を加速させます。第3版の評価法を日常的に使うことが、そのまま専門家としての発言力に直結します。
【日本歯科衛生士会】認定歯科衛生士について(摂食嚥下リハビリテーション認定資格の取得要件と研修内容が確認できます)

第4分野 摂食嚥下リハビリテーションの介入 II 直接訓練・食事介助・口腔内装置・外科治療 Ver.3 (日本摂食嚥下リハビリテーション学会eラーニング対応)