臼歯部の咬合支持がなくなると、喉頭挙上が不十分になり誤嚥リスクが急上昇します。
歯科情報
嚥下のたびに起こる「のど仏が上にグッと動く」現象、これが喉頭挙上です。この動きを実現しているのが、舌骨と下顎骨・頭蓋骨の間に張り巡らされた舌骨上筋群(ぜっこつじょうきんぐん)です。
舌骨上筋群は以下の4つの筋肉で構成されています。
| 筋肉名 | 起始 | 停止 | 主な働き |
|---|---|---|---|
| 顎舌骨筋(がくぜっこつきん) | 下顎骨・顎舌骨筋線 | 舌骨体 | 舌骨の挙上・下顎の固定 |
| オトガイ舌骨筋(おとがいぜっこつきん) | 下顎骨・オトガイ棘 | 舌骨体 | 舌骨の前方・上方挙上 |
| 顎二腹筋(がくにふくきん)前腹 | 下顎骨・二腹筋窩 | 舌骨の中間腱 | 舌骨の引き上げ・下顎の引き下げ |
| 茎突舌骨筋(けいとつぜっこつきん) | 側頭骨・茎状突起 | 舌骨 | 舌骨の後上方挙上 |
これらが協調して収縮することで、舌骨が前上方に引き上げられます。舌骨は甲状舌骨筋(こうじょうぜっこつきん)を介して喉頭と連結しており、舌骨の挙上が連鎖して喉頭が引き上げられる仕組みです。つまり「舌骨上筋群 → 舌骨 → 甲状舌骨筋 → 喉頭」という順で力が伝わります。
この連鎖が正常に動くことが原則です。
喉頭が斜め前上方へ挙上することで起こる重要な変化が2つあります。①食道入口部(輪状咽頭部)が受動的に開大して食塊が食道へスムーズに流入する、②喉頭蓋が反転して気管の入り口(喉頭口)にふたをし、誤嚥を防ぐ、の2点です。この動き全体が0.6〜1秒という短時間で完結します。硬貨1枚を机に弾く時間、と表現するとイメージしやすいかもしれません。
健常な成人の場合、嚥下時の喉頭挙上量は1.5〜2cm程度とされています。1cm以下は異常とみなされます。定規で測ると、10円玉の直径(約2.35cm)よりわずかに短い距離です。この微小な動きが食べる・飲むという行為の安全を守っているということですね。
栃木県歯科医師会「摂食嚥下指導マニュアル」- 喉頭挙上と咬合支持の関係について図解で解説
喉頭挙上が不十分になると、食塊が食道へスムーズに送り込まれなくなります。それだけではありません。喉頭蓋の反転も不完全となり、食べ物や液体が気管へ流れ込む「誤嚥」が生じやすくなります。
誤嚥は大きく2種類あります。
- 顕性誤嚥:むせを伴い、患者自身が気づくケース
- 不顕性誤嚥(サイレント・アスピレーション):むせなく静かに起こり、発見が遅れやすいケース
特に高齢者では不顕性誤嚥が起こりやすく、気づかないまま誤嚥性肺炎に進行することがあります。65歳以上の高齢者が肺炎で亡くなるケースのうち、3〜5割が誤嚥性肺炎によるものとされています(栃木県摂食嚥下指導マニュアル)。数字にすると、決して他人事ではありません。
加齢による変化も見逃せません。年齢とともに喉頭の位置そのものが低下(咽頭下垂)し、嚥下時に喉頭が動かなければならない距離が相対的に長くなります。さらに筋肉量の低下(サルコペニア)が重なることで、舌骨上筋群の収縮力が低下し、喉頭挙上の量・速度ともに落ちていきます。
喉頭挙上不全の主な要因をまとめると、脳血管疾患(脳卒中など)による神経損傷、加齢による筋力低下(サルコペニア)、廃用による筋萎縮、そして咬合支持の喪失(歯の欠損・義歯不適合)の4つが主なものとして挙げられます。
厳しいですね。特に最後の咬合支持の喪失は、歯科従事者が直接介入できる領域です。
注目したいのは、嚥下は1日に600〜2,000回行われているという事実です(IPSG包括歯科医療研究会・稲葉繁名誉教授)。これだけの回数、喉頭挙上が不十分な状態で繰り返されれば、誤嚥のリスクが蓄積することは想像に難くありません。
IPSG包括歯科医療研究会「嚥下する時に使う筋肉について」- 嚥下時の筋肉の協調メカニズムと舌癖の影響を専門家が解説
ここが歯科従事者として特に知っておきたいポイントです。喉頭挙上には、歯の噛み合わせ(咬合支持)が深く関わっています。
嚥下時、上下の臼歯がしっかり咬み合い下顎骨が固定されると、舌骨上筋群が骨をしっかり「基点」として使えるようになります。舌骨上筋群の多くは下顎骨に起始をもつため、下顎骨が固定されて初めて「引っ張り合う力」を喉頭挙上に集中できるからです。
逆に無歯顎や多数歯欠損の状態では、咀嚼筋収縮による下顎の安定が得られないため、舌骨上筋群の収縮効率が低下し、喉頭挙上が不十分になります。これが原則です。
香川県の摂食嚥下研究会の資料によれば、「多数歯の欠損や無歯顎のために顎位が不安定であると喉頭挙上不全となる」と明記されています。また鹿児島大学の研究では、人工歯列がない場合には、人工歯列がある場合と比較して嚥下時の下顎位が有意に上方(不安定な位置)に位置するという結果が報告されています。
つまり、「義歯を入れること=嚥下機能を守ること」でもあります。これは使えそうです。
歯科補綴によって臼歯部咬合支持を回復することは、準備期(咀嚼期)の改善にとどまらず、咽頭期における喉頭挙上そのものを改善する可能性があります。歯科治療が嚥下機能全体に直結しているという認識を、診療室でのインフォームドコンセントに活かす場面も増えてきています。
義歯の適合状態や咬合接触の確認は、単なる補綴の問題ではありません。患者の「安全に食べる力」を守るという視点で捉えると、日常的なチェックの意義が大きく変わります。
香川県摂食嚥下研究会「摂食・嚥下障害でお困りの方へ」- 無歯顎・多数歯欠損と喉頭挙上不全の関係を記述
舌骨上筋群の筋力低下が喉頭挙上不全の主因である場合、筋力強化訓練が有効です。代表的な間接訓練(基礎訓練)をいくつか紹介します。
🏋️ 頭部挙上訓練(シャキア訓練・Shaker Exercise)
仰臥位(あおむけ)で、両肩を床につけたまま、つま先が見えるように頭部だけを持ち上げる訓練です。具体的には「1分間頭部を挙上・保持 → 1分間休憩」を3セット繰り返す(等尺性収縮)方法と、「30回頭部の上下運動を繰り返す」方法(等張性収縮)を組み合わせて1日2回実施します。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会の訓練法まとめ(2014年版)では、舌骨上筋群など喉頭挙上に関わる筋の筋力強化を行い、喉頭の前上方運動を改善して食道入口部の開大を図ることを目的としています。頸椎症や頸部疾患がある患者への実施には注意が必要です。
🏋️ 嚥下おでこ体操(頸部等尺性収縮訓練)
額に手のひらを当て、「手で額を押す力」と「額で手を押し返す力」を拮抗させながら5〜10秒間保持します。横方向に力をかけることで前頸部筋群(舌骨上筋群を含む)が等尺性収縮を起こします。
シャキア訓練と比べて姿勢制限が少なく、座位でも実施できるため、外来・訪問ともに取り入れやすい訓練です。これは現場で使えそうです。
🏋️ 開口訓練(舌骨上筋群強化目的)
最大限に開口した状態を10秒間保持し、10秒休憩するサイクルを5回1セットとして1日2セット行います。舌骨上筋群は開口筋でもあるため、意識的に最大開口する動作が舌骨上筋群の筋力増強につながります。Wadaらの研究(Arch Phys Med Rehabil, 2012)では、嚥下障害患者に4週間実施したところ舌骨上方挙上量・食塊の咽頭通過時間・食道入口部開大量の改善が報告されています。顎関節症の患者への適用は注意が必要です。
これら訓練の効果は継続が条件です。1日2〜3回、4〜6週間続けて初めて筋肉に変化が出てきます。患者への指導の際には「最低でも4週間は続けましょう」と伝えることが大切です。
健康長寿ネット「嚥下障害のリハビリテーション(基礎訓練)」- 頭部挙上訓練・開口訓練の具体的手順と対象者の説明
ここまで解剖・訓練法と整理してきましたが、実は口腔ケアそのものが喉頭挙上筋群へのアプローチになっている場面があります。これはあまり注目されない視点です。
口腔ケア中に患者が舌を動かす、口を大きく開く、嚥下する——これら一つひとつの動作が、舌骨上筋群の「低強度トレーニング」として機能します。特に「大きく口を開けてください」「舌を出してください」「ごっくんしてください」という声かけと誘導は、意識的な筋収縮を促す働きがあります。
また、舌骨上筋群は口腔底(下顎と舌骨の間の領域)に位置しています。口腔ケアの際に口腔底を視診・触診する習慣をつけることで、筋緊張の左右差や硬結、腫脹の早期発見にもつながります。脳卒中後の患者では患側の舌骨上筋群の緊張異常や運動制限が認められることがあり、片麻痺の状態が嚥下機能に影響している場合のアセスメントに役立ちます。
さらに、舌圧トレーニング(舌で口蓋を押し付ける訓練)も舌骨上筋群への間接的な刺激として有効とされています。舌の口蓋への押し付けが舌骨上筋群の等尺性収縮を誘発することが、筋電図研究で確認されています(日本摂食嚥下リハビリテーション学会訓練法まとめ、2014年版)。舌圧トレーニングには専用の測定器具(JMS舌圧測定器など)を用いた定量評価も可能です。舌圧の低下が疑われる患者では、訓練前後の測定で効果を可視化することが患者のモチベーション維持につながります。
このように、日常の口腔ケアや口腔機能管理の中に「喉頭挙上筋群へのアプローチ」を意識的に組み込むことで、専門職として嚥下機能の維持・改善に貢献できます。「口腔の問題」と「喉の問題」を切り分けず、一連の摂食嚥下機能として捉えることが歯科従事者の強みです。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会「訓練法のまとめ(2014版)」- シャキア訓練・開口訓練・舌抵抗訓練など主要訓練法の根拠と手順を網羅