頭部挙上訓練を「高齢者なら誰にでも安全に実施できる」と思っていると、頸部への過負荷で訓練中止になるリスクがあります。
頭部挙上訓練(シャキア訓練)は、仰臥位で肩を床につけたまま頭だけを持ち上げる動作を繰り返すことで、舌骨上筋群(顎二腹筋・顎舌骨筋・オトガイ舌骨筋など)を選択的に強化する訓練です。この筋群の強化こそが、訓練の最大の目的です。
嚥下のプロセスを振り返ると、食塊が咽頭を通過する際に喉頭が前上方へ挙上し、それと同時に食道入口部(上部食道括約筋)が開放されます。この一連の動きがスムーズでないと、食塊が気道に流入する「誤嚥」が起きやすくなります。つまり、喉頭挙上力の低下は、誤嚥性肺炎の直接的なリスク因子です。
舌骨上筋群が衰えると、喉頭の引き上げ力が落ちます。結論は「喉頭挙上力の維持が誤嚥防止の鍵」です。
頭部挙上訓練はその名の通り、頭を上げる動作を通じて、この筋群に集中的な負荷をかけます。仰臥位という体位が工夫されており、重力に抗って頭を持ち上げることで、日常動作では得られない強度の筋収縮を引き出せます。歯科従事者として知っておきたいのは、この訓練が「口腔機能」と「嚥下機能」をつなぐ橋渡し的なポジションにあるという点です。
実際、2000年にShaker博士らが発表した研究(Gastroenterology誌掲載)では、この訓練を6週間継続した慢性嚥下障害患者27名のうち、訓練群では上部食道括約筋の開大径が有意に増加し、誤嚥の改善が確認されています。6週間という期間は、歯科のメインテナンス間隔(通常3〜4か月)と組み合わせてモニタリングしやすい長さでもあります。これは使えそうです。
訓練の効果を正確に理解するには、どの筋肉に、どの程度の負荷がかかるかを把握することが大切です。頭部挙上訓練では、頭部重量(成人平均約5〜6kg、スイカ1玉とほぼ同じ重さ)が負荷として舌骨上筋群にかかります。この負荷は、立位や座位での嚥下訓練では再現できない強度です。
効果が期待できる対象者の条件は次のとおりです。
一方で、歯科外来でよく接する「口腔機能低下症」の患者層は、必ずしも上記の条件を満たすわけではありません。そのため、歯科でこの訓練を直接指導するというよりも、「この患者は嚥下機能の精査が必要かもしれない」という気づきを得るための知識として位置づけることが現実的です。
訓練効果の指標としては、反復唾液嚥下テスト(RSST)での回数改善、舌骨移動距離の増加、VE上での喉頭閉鎖タイミングの改善などが用いられます。これが評価の基本です。
標準的なシャキア訓練のプロトコルは、等尺性収縮(保持)と等張性収縮(反復)の2種類を組み合わせて実施します。具体的な手順を整理します。
まず準備として、患者をベッドまたはリクライニングチェアで完全仰臥位にします。膝を軽く曲げて腰への負担を減らし、腕は体の脇に沿わせます。歯科用ユニットはリクライニング角度が細かく調整できるため、ポジショニングとしては理想的な環境です。意外ですね。
【等尺性収縮(保持運動)】
【等張性収縮(反復運動)】
これを1日1セッションとして、週3〜6日、6週間継続することが標準プロトコルです。60秒保持が基準です。
初期段階では60秒の保持が困難な患者も多く、その場合は5〜10秒の保持から段階的に時間を延ばす変形プロトコルも用いられています。歯科チェアでの施術前後5分をこの訓練に充てるという活用法も、一部の歯科医院で試みられています。ただし、実施には患者への十分な説明と同意、およびスクリーニングが前提であることは言うまでもありません。
頭部挙上訓練は効果的な嚥下訓練ですが、禁忌を見落とすと患者に重大な有害事象を引き起こす可能性があります。歯科従事者として最低限押さえるべきリスク評価のポイントを整理します。
絶対禁忌(訓練を実施してはいけないケース)
相対禁忌・慎重に判断すべきケース
歯科医院では、患者の全身状態を医科の主治医ほど詳細に把握していないケースも少なくありません。そのため訓練を「指導する立場」として動く前に、問診票の整備や医科・STとの情報共有体制を整えることが安全の前提条件です。禁忌の見落としは防げます。
また、等尺性収縮中に「頭が痛い」「首が痛い」「めまいがする」という訴えが出た場合は、即座に訓練を中止し、必要に応じて医師への紹介につなげることが求められます。これが原則です。
厚生労働省:口腔機能向上マニュアル(高齢者の口腔機能向上の取り組みに関する実践的資料)
歯科従事者が頭部挙上訓練を「自分ごと」として捉える必要があるのは、口腔機能低下症と嚥下障害が切り離せない関係にあるからです。2018年に保険導入された「口腔機能低下症」の診断基準には、「舌口唇運動機能低下」「咀嚼機能低下」「嚥下機能低下」が含まれており、歯科は嚥下機能の異常を最初に発見できるポジションにあります。
実際、65歳以上の外来患者の約50%が口腔機能低下症の何らかの所見を持つという報告があり(日本歯科医師会の調査)、その中で嚥下機能低下を合わせ持つ割合は3割を超えるとされています。つまり、歯科の外来患者10人に3人程度が嚥下リハビリの恩恵を受け得る状態にある可能性があります。10人に3人は多いですね。
歯科ができることは「訓練を全て自科でやり切ること」ではありません。重要なのは、嚥下機能低下のサインを早期にキャッチし、言語聴覚士(ST)や耳鼻咽喉科・リハビリテーション科へ適切につなぐことです。頭部挙上訓練の知識を持っていることで、「この患者には喉頭挙上不全が疑われる」「シャキア訓練が適応になるかもしれない」という判断の解像度が上がります。
歯科とSTが連携するモデルとして、「嚥下スクリーニング→歯科でのMASS(改訂水飲みテスト)→異常所見があればSTへ紹介→訓練結果を歯科へフィードバック」という流れが各地の地域包括ケア推進の中で実践され始めています。連携が評価の鍵です。
嚥下機能の定期評価には、歯科でも実施可能な「EAT-10(嚥下スクリーニング質問票)」が活用できます。無料でダウンロードできるツールであり、問診票に組み込むだけで患者のセルフチェックが可能です。EAT-10は無料です。訓練の適応判断に役立てるための第一歩として、まず問診票への組み込みを検討してみてください。
日本言語聴覚士協会:嚥下リハビリテーションにおける多職種連携の指針と歯科との協働事例
一般的な嚥下リハビリの解説では触れられることが少ないテーマとして、「歯科用ユニット(チェア)を活用した頭部挙上訓練の実施可能性」があります。この視点は歯科従事者にとって独自かつ実践的な切り口です。
歯科用ユニットの最大の特徴は、背もたれ角度を0度(完全仰臥位)から90度(直立位)まで細かく調整できる点です。シャキア訓練が仰臥位を必要とすることを踏まえると、ベッドがない一般歯科医院でも、チェアを使って訓練のポジショニングを再現できるという点で、理論上は有利な環境です。
ただし、実際の応用には課題もあります。まず、歯科チェアの座面は腰椎支持を目的に設計されており、訓練中の頸部の位置保持という観点では理学療法用のベッドほど最適化されていません。また、処置室という環境での訓練は、患者の心理的緊張を高める可能性があります。気をつけたいポイントです。
現実的な活用の形としては、訓練そのものを歯科チェアで行うというよりも、訓練の姿勢確認・体験デモンストレーションに活用し、実際の訓練は自宅で行う「ホームエクササイズ」として指導するスタイルが適切です。「自宅での実施イメージをチェアで体験する→自宅で毎日行う→次回来院時に実施状況を確認する」という流れは、歯科のメインテナンス体制と相性がよく、訓練の継続率を高める工夫になります。
継続率は訓練効果に直結します。実際、シャキア訓練の脱落率は他の嚥下訓練と比較して高く、ある報告では6週間プロトコルの完遂率が約60%程度とされています。歯科のような定期受診サイクルを持つ職場が継続支援の役割を担うことで、この完遂率の改善に貢献できる可能性があります。継続支援が条件です。
患者への指導用ツールとしては、日本摂食嚥下リハビリテーション学会が公開している訓練説明資材や動画資料が参考になります。これらをそのまま患者に渡すことで、指導の標準化と時間短縮が図れます。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会:嚥下訓練の種類と実施方法に関する診療ガイドライン資料