脳幹病巣よりもテント上病巣の患者の方が、バルーン拡張後の咽頭残留が約83%も改善しやすいと報告されています。
歯科情報
バルーン拡張法(バルーン法)とは、バルーンカテーテルを用いて食道入口部、すなわち上部食道括約筋(Upper Esophageal Sphincter:UES)を機械的に拡張し、食塊の咽頭通過を改善する手技です。対象は球麻痺や輪状咽頭嚥下障害など、食道入口部開大不全のある症例に限られます。
嚥下の咽頭期では、喉頭が前上方に挙上すると同時に輪状咽頭筋が弛緩して食道入口部が開大し、食塊が食道に送り込まれます。この輪状咽頭筋は、咽頭神経叢(迷走神経・舌咽神経・交感神経)の支配を受けており、通常は収縮して呑気を防いでいます。嚥下時だけ弛緩するのが正常な動きです。
中枢神経の障害、特に延髄での病変(球麻痺)では、迷走神経核や舌咽神経核の障害によって輪状咽頭筋の弛緩不全が生じます。この弛緩不全が起きると食塊が咽頭に大量に残留し、誤嚥性肺炎を引き起こすリスクが高まります。つまり嚥下の問題です。
バルーン法が有効になるのはこの状態です。カテーテルを食道内に挿入し、バルーンを膨らませて輪状咽頭筋部を物理的にストレッチすることで、通過障害を改善させます。
歯科従事者にとってバルーン拡張法は「STが行うもの」と認識されがちですが、嚥下リハビリテーション全体の流れの中で、口腔ケアや口腔内装置の調整を担う立場として、この手技の原理・適応・限界を理解することは非常に重要です。
バルーン法には主に以下の4種類があります。
| 手技の種類 | 概要 |
|---|---|
| ①引き抜き法 | バルーンを膨らませた状態で食道入口部から単純に引き抜く |
| ②嚥下同期法 | 患者の嚥下運動に合わせてバルーンを引き抜く |
| ③持続拡張法(筒状バルーン) | 筒状バルーンで食道入口部を一定時間持続的に拡張する |
| ④バルーン嚥下法 | 体外でバルーンを膨らませた状態のカテーテルを患者が飲み込む |
引き抜き法が最も古くから用いられており、日本でのバルーン訓練の基本形とされています。なお、一般的には14〜18Frの膀胱留置用カテーテルが代用として使われてきましたが、安価で入手しやすい反面、透視下でバルーン位置を確認しにくいという欠点がありました。近年では専用設計の食道拡張用バルーンカテーテル(クリエートメディック社製)も登場し、二重バルーン構造によって食道入口部の持続拡張がより精度高く実施できるようになっています。
参考リンク:バルーン拡張法の手技の種類・適応・実施方法について日本摂食嚥下リハビリテーション学会の公式訓練法まとめに詳述されています。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会 訓練法のまとめ(2014版)
バルーン拡張法の適応を正確に理解することが、安全な実施の第一歩です。
適応となる主な疾患・病態は以下のとおりです。
一方で、適応の判定には嚥下造影検査(VF)または嚥下内視鏡検査(VE)による画像評価が必須です。嚥下後に多量の咽頭残留が確認され、かつ食道入口部が開大していないことが確認されて初めて適応となります。これが基本です。
藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)の研究では、バルーン法施行前後の咽頭残留量が有意に減少し(p=0.001)、特にテント上病巣を持つ患者では拡張前後比が17.0%と、脳幹病巣例の65.4%と比べて顕著に改善することが示されています。この数字は意外ですね。脳幹病巣の方が「より適応に近い」と考えられてきた側面もありましたが、テント上病巣でも十分な即時効果が得られる可能性が示されました。
また、急性期を過ぎても自然回復しない症例においては、絶食による食塊の咽頭通過がないために輪状咽頭筋の不動化が進み、スパズム状態になると考えられています。この場合、1〜2回のバルーン拡張だけで嚥下可能になるケースも臨床報告で確認されています。訓練の開始時期が早いほど、筋の線維化・瘢痕形成を防ぐことができるため、早期介入が重要です。
歯科従事者の立場では、特に頭頸部癌術後の患者に対して、口腔ケアだけでなく「嚥下機能の問題が食道入口部開大不全に起因していないか」という視点を持つことが、適切な多職種連携へとつながります。
参考リンク:バルーン法の即時効果を嚥下造影で定量評価した研究論文。テント上病巣での有効性など重要な臨床エビデンスが記載されています。
嚥下障害に対するバルーンカテーテルによる食道入口部拡張法の即時効果(藤田医科大学 小野木ら、2014年)
実施にあたっての標準的な手順を整理します。嚥下造影(VF)透視下で行う場合を基本として説明します。
まずカテーテルを食道内まで挿入します。次に内層バルーンに空気を2〜5ml注入して膨らませ、輪状咽頭筋部付近まで引き上げ、抵抗が感じられる部位で固定します。その後、外層バルーンに10〜20mlの空気を注入して狭窄部を拡張します。拡張時間は10秒から開始し、患者が耐えられる場合は2〜3分まで延長することも可能です。
実施頻度に関しては、1日3回、1回約20分が原則とされています。食前またはIOC(間歇的口腔食道経管栄養法)による注入前に実施すると、食塊通過やチューブ挿入刺激によって嚥下反射が誘発され、効果的だとされています。訓練は週5日・8週間継続して行い、改善がなければさらに8週間延長するという報告もあります。合計で最大16週間にわたる継続が想定される場合があります。これは長期戦ですね。
姿勢調整との組み合わせも重要です。頭部回旋や体幹回旋といった姿勢調整を行っても食塊の咽頭通過が不十分な場合に初めてバルーン拡張法の適応となります。姿勢だけで改善できる症例は、バルーン拡張の対象から外れるため、評価の順番が大切です。
実施時の注意事項をまとめます。
なお、訓練効果が得られない重症例に対しては、輪状咽頭筋へのボツリヌストキシン注射や、外科的な輪状咽頭筋切離術(Cricopharyngeal myotomy)も選択肢として存在します。バルーン法はあくまでも保存的治療の一手であり、段階的な治療選択の中に位置づけることが重要です。
参考リンク:食道入口部バルーン拡張法の実施手順・適応条件・姿勢調整との関係について詳述されています。
第6章 リハビリテーション・生活療法:摂食・嚥下障害の介入(長寿科学振興財団)
歯科医師・歯科衛生士がバルーン拡張法の実施そのものを担うケースは多くありませんが、このリハビリテーションが成功するための「土台づくり」という役割は非常に大きいです。直接訓練を安全に実施するためには、口腔衛生環境が整っていることが前提条件だからです。
誤嚥性肺炎で入院する60歳以上の患者の70%以上が誤嚥性肺炎患者であり、肺炎と誤嚥性肺炎を合算すると日本人の死因の第3位に相当します。この事実は、口腔ケアが「嚥下リハビリの補助」ではなく「命に直結するケア」であることを示しています。
専門的口腔ケアでは、唾液や洗浄液が咽頭へたれ込むのを防ぐ姿勢調整、口腔内アセスメント、専用器具を用いた洗浄液を使わない手法などが含まれます。特に嚥下障害患者では誤嚥リスクが高いため、通常のうがいを使った口腔ケアが逆に誤嚥性肺炎の引き金となる場合があります。歯科衛生士はこのリスクを正確に理解し、適切な手法を選ぶことが求められます。
また、歯科が担う口腔内装置の中で、嚥下直接関連するものとして舌接触補助床(PAP:Palatal Augmentation Prosthesis)があります。これは舌・口腔底腫瘍術後の舌欠損患者や、脳血管障害による舌機能低下患者に対して使われる装置で、低下した舌機能を補い食塊の咽頭への送り込みを改善します。バルーン拡張法は咽頭期(食道入口部)に働きかける手技であり、PAPは口腔期・準備期に働きかける装置です。つまり組み合わせが重要です。
歯科従事者が担うべき嚥下リハビリ支援の主な役割をまとめます。
嚥下専門歯科医の指導のもとで歯科衛生士が中心となり、他職種と密に情報共有することで経口摂取を継続できた症例も報告されています(日本老年歯科医学会第28回学術大会)。歯科チームが積極的に嚥下リハビリに関与することは、患者の「食べる力」を取り戻す上で欠かせない視点です。
参考リンク:歯科医師・歯科衛生士の専門的口腔ケアと嚥下リハビリの連携について記述されています。
日本老年歯科医学会 第28回学術大会 抄録集(嚥下専門歯科衛生士の多職種連携事例)
歯科外来では、患者の嚥下機能低下を見落としやすい環境があります。これは歯科従事者が注意すべき独自視点の問題です。
たとえば、口腔乾燥や義歯不適合が主訴で来院した高齢患者が、実は慢性的な嚥下障害を抱えているケースがあります。「むせやすい」「食事に時間がかかる」「飲み込んだ後に痰が増える」といった訴えが問診で引き出せると、嚥下障害の早期発見につながります。
スクリーニングとして活用できる簡便な方法として、反復唾液嚥下テスト(RSST:30秒間で唾液を何回飲み込めるか)があります。3回未満の場合は嚥下障害が疑われます。水飲みテスト(30mlの水を一気に飲む)も簡便ですが、誤嚥リスクのある患者には実施を慎重に検討する必要があります。これだけ覚えておけばOKです。
専門機関への紹介基準として意識したいのは以下の点です。
上記に該当する患者は、VF・VE検査を実施できる摂食嚥下リハビリテーション専門施設(リハビリテーション科・耳鼻咽喉科・神経内科)への紹介を検討します。バルーン拡張法は必ずVFまたはVEによる適応確認ののちに行われる手技であるため、歯科側でスクリーニングし「疑いあり」と判断した患者を適切な専門家へつなぐことが、バルーン法の恩恵を患者が受けるための入口になります。
なお、嚥下リハビリテーションに関する研鑽の場として、日本摂食嚥下リハビリテーション学会が認定する「認定士」制度があります(言語聴覚士・歯科医師・歯科衛生士・栄養士・看護師など多職種対象)。歯科衛生士として摂食嚥下領域の専門性を高める選択肢として参照することができます。
参考リンク:摂食嚥下障害の評価・スクリーニング方法から多職種連携に至るまで、包括的に解説されています。
嚥下障害のリハビリテーション(基礎訓練)|健康長寿ネット(公益財団法人長寿科学振興財団)