市販の既製品で代用しようとすると、患者の嚥下機能がかえって低下するケースがあります。
舌接触補助床(Palatal Augmentation Prosthesis:PAP)は、口蓋の形態を変化させることで舌と口蓋の接触面積を増やし、食塊形成や嚥下機能を補助する装置です。脳血管障害後の構音・嚥下障害、口腔がん切除後の舌運動制限、神経筋疾患による嚥下障害など、幅広い疾患を背景に処方されます。
ただし、PAPは「舌を動かす力がある程度残っている患者」にのみ有効です。つまり条件が限られます。舌の随意運動がほぼ消失している患者に装着しても、装置が単なる異物になるだけで、嚥下機能の改善は期待できません。スクリーニングとして反復唾液嚥下テスト(RSST)や改訂水飲みテスト(MWST)を事前に実施し、舌圧測定器(JMS舌圧測定器など)で舌圧値20kPa以上が確認できる場合に適応を検討するのが目安の一つです。
適応の判断が肝心です。
また、PAPは補綴的アプローチであるため、言語聴覚士(ST)との連携が不可欠です。装置製作だけで完結するのではなく、STによる嚥下訓練プログラムと並行して使用することで、最大限の効果が引き出せます。歯科医師・歯科技工士・STが同じ目標を共有した上で製作フローを組むことが、治療成功の前提条件といえます。
なお、PAPは保険診療では「顎補綴」として区分されますが、算定要件を満たすための診療録記載(適応理由・機能評価記録・他職種連携の記録など)が審査上重要になります。診療報酬改定のたびに算定ルールが変わる場合があるため、最新の診療報酬点数表・通知を必ず確認してください。
PAPを精度よく製作するための第一歩は、正確な印象採得です。上顎の口蓋形態を細部まで再現することが求められるため、一般的な義歯用印象よりも精密な手技が必要になります。
印象材の選択では、精密印象材(シリコーン系付加型印象材)を使用するのが基本です。口蓋の正中部・側壁移行部など細かな凹凸を再現する必要があり、粘度が高すぎる素材では細部が流れ込まずに精度が落ちます。ミディアムボディとライトボディの2段階法を使うと、口蓋全体の形態と細部の凹凸を同時に再現しやすくなります。これは使えそうです。
トレーの選択も重要なポイントです。既製トレーでは口蓋弓の高さや形態に対応できないケースが多く、個人トレー(カスタムトレー)を製作してから本印象に臨むことが推奨されます。個人トレーの辺縁形成(ボーダーモールディング)を丁寧に行うことで、印象の辺縁精度が向上します。
印象採得後の作業模型は、超硬石膏(タイプⅣ)を使用して気泡が入らないよう振動機を使いながら注入します。口蓋部の石膏面に気泡が生じると、その凸部が完成装置の内面に干渉し、フィット不良の原因になります。石膏の水粉比を守ることが条件です。
| 印象材の種類 | 特徴 | PAP印象への適性 |
|---|---|---|
| アルジネート | 簡便・低コスト | △ 精度不足になりやすい |
| 付加型シリコーン(2段階法) | 高精度・寸法安定性良好 | ◎ 推奨 |
| ポリエーテル | 高精度・硬化後に剛性あり | ○ 使用可能だが操作時間に注意 |
作業模型が完成したら、いよいよPAP本体の製作に入ります。床部分の製作方法は、大きく分けて「熱重合レジン法」と「光重合レジン法」、そして「CAD/CAM法」の3種類があります。
熱重合レジンによる従来法では、まずワックスで口蓋隆起形態を模型上に作製します。このワックスアップの段階で、「どのくらい口蓋を膨隆させるか」という形態設計を行います。ワックスの厚みは部位によって異なりますが、正中部で1〜2mm程度(500円玉の厚みが約1.7mmなので、それと同等かやや薄い程度)が一般的な目安です。厚くすれば舌との接触が容易になりますが、同時に口腔容積が狭くなるため、舌の動きを逆に妨げるリスクがあります。形態設計は慎重に行います。
ワックスアップ後にフラスコへの埋没を行い、加熱重合によってレジンに置換します。重合後は気泡や変色がないかを確認し、研磨・調整を行います。内面適合の確認にはフィットチェッカーなどの適合試験材を使用し、強い当たりを均一に調整します。
近年注目されているCAD/CAM法では、口腔内スキャナーや模型スキャナーで取得したデジタルデータをもとに、ジルコニアやPMMAブロックを切削加工してPAPを製作する手法も試みられています。デジタルワークフローで作製した場合、内面適合精度が均一になりやすく、リライン回数の削減につながる可能性が指摘されています。意外ですね。ただし、臨床での評価はまだ発展途上の段階であり、製作後の口腔内での機能調整は従来法と同様に必要です。
PAPを患者に装着した後は、装置の安静時の違和感確認から始めます。装置が口蓋に強く当たっている箇所では粘膜に発赤・疼痛が生じるため、フィットチェッカーで接触部位を確認し、カーバイドバーやシリコンポイントで慎重に調整します。
調整は段階的に行うのが原則です。一度に大きく削ると過調整になり、口蓋形態と装置形態のギャップが生じてしまいます。初回装着から最終形態確定まで、平均3〜5回の調整セッションを想定するのが現実的です。
機能評価には、嚥下造影検査(VF)や嚥下内視鏡検査(VE)を用いることが推奨されます。装着前後で食塊の口腔内移送や咽頭通過のパターンを比較することで、PAPの有効性を客観的に評価できます。VFは放射線被曝を伴うため頻回には実施できませんが、VEは繰り返し実施しやすく、装置調整ごとの評価に適しています。VEなら繰り返し評価できます。
また、舌圧測定器を使った定量評価も有効です。装置装着前後の最大舌圧値を記録することで、補助効果の数値的な裏付けができます。診療録に数値を残しておくことは、保険算定上の根拠としても機能します。
製作後しばらく使用すると、口腔内の変化(体重変動・術後の組織変容・義歯沈下など)によって装置の適合が変化します。この時点でリラインが必要になります。多くの教科書的な情報では「製作精度の向上」に重点が置かれがちですが、現場では「長期使用時のリラインと更新判断」の方が臨床的に悩む場面が多いのが実態です。
リライン材には硬質レジンリライン材(フジリライン・リバースなど)と軟質リライン材(クリンシール・エバルなど)があります。口蓋粘膜に疼痛が生じやすい患者や、粘膜の弾性が低い高齢患者には、軟質リライン材で内面を裏装することで装着感を改善できます。ただし軟質材は変色・劣化が早く、6〜12か月ごとの交換が目安になるため、患者へのあらかじめの説明が重要です。これは患者満足度に直結する点です。
装置の変形・破折リスクにも目を向けておく必要があります。薄い部分(1mm以下)は咬合力や清掃時の力で折れやすくなります。特に前歯部口蓋側の移行部は薄くなりやすいため、設計段階から最低1.5mm以上の厚みを確保することが推奨されます。
長期メンテナンスのスケジュールとしては、装着後1か月・3か月・6か月・以後年1〜2回の定期評価が標準的です。それに加えて、患者の全身状態(脳卒中の再発、体重の大幅な変化など)があれば、臨時で評価を行う体制を整えておくことが大切です。
参考として、日本補綴歯科学会から嚥下補助装置に関するガイドラインや指針が公開されており、適応・製作・評価の根拠として活用できます。
嚥下機能評価の実施方法や評価ツールについては、日本摂食嚥下リハビリテーション学会のリソースも参考になります。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会 公式サイト(評価ツール・研修情報)