保険診療でシリコン印象材を使うと年間22万円の赤字になります
精密印象材の選択は、補綴物の適合精度を決定する重要な要素です。現在の歯科臨床では、シリコーン印象材、ポリエーテル印象材、寒天印象材など複数の種類が使用されており、それぞれ異なる特性を持っています。
適切な印象材を選ぶためには、各材料の硬化機構、寸法安定性、流動性、親水性などの物性を理解する必要があります。どういうことでしょうか?
印象材の種類によって、硬化後の寸法変化率は大きく異なります。付加型シリコーンの寸法変化率は0.1%以下と極めて小さいのに対し、縮合型シリコーンは硬化時にアルコールを放出するため約0.5%の収縮が生じます。アルジネート印象材に至っては、時間経過とともに乾燥や吸湿で変形が進むため、印象採得後すぐに石膏を注入しなければなりません。
つまり寸法精度が必要ということですね。
臨床現場では、クラウンやブリッジなどの精密印象にはシリコーン印象材が主流となっています。一方で保険診療では、材料費の問題から寒天・アルジネート連合印象が使用されることが多いのが現状です。シリコン印象材は1回の使用で約2,000円から3,000円のコストがかかり、保険点数との差額が医院経営に影響を与えます。
シリコーン印象材には縮合型と付加型の2種類があり、硬化機構と寸法安定性が大きく異なります。縮合型シリコーンは、硬化時にエチルアルコールなどの副産物を放出しながら架橋構造を形成します。この副産物が揮発することで、印象体は時間とともに収縮していきます。
縮合型は放置すると1日で自由収縮が0.5%程度に達するため、印象採得後は速やかに石膏を注入する必要があります。一方、付加型シリコーンは硬化時に副産物を生成しない付加重合反応によって硬化するため、寸法安定性が極めて優れています。
この差が臨床結果に直結します。
付加型シリコーンは印象採得後2~3日経過しても精度を保つことができ、技工所への郵送や複数の模型作製にも対応可能です。現在の歯科臨床では、精密印象用として付加型シリコーンが第一選択となっています。特に親水性を付与した付加型シリコーンは、マージン部の歯肉縁下まで鮮明に印象採得できるため、補綴物の適合精度が向上します。
材料メーカー各社は、フロー特性の異なる複数のタイプを展開しています。パテタイプ、ヘビーボディ、モノフェイズ、ウォッシュ、エクストラウォッシュなど、粘度の違いで使い分けることで、症例に応じた最適な印象法が選択できます。インレーやクラウンには流動性の高いインジェクションタイプとレギュラータイプの組み合わせが、全顎印象にはパテタイプとウォッシュタイプの二段階印象法が適しています。
ただし付加型シリコーンには硬化阻害の問題があります。ラテックス製グローブ、縮合型シリコーンのキャタリスト、ユージノール系材料、未硬化の常温重合レジン、局所表面麻酔剤などに接触すると、硬化遅延や面あれが発生します。硬化阻害は模型の精度低下に直結するため、接触を避けます。
歯科材料メーカーGCの印象材ハンドブックには、縮合型と付加型の硬化機構の違いや臨床での使い分けが詳しく解説されています
ポリエーテル印象材は、シリコーン印象材とは異なる硬化機構を持つ精密印象材です。ポリエーテル系ポリマーを基材とし、イオン重合によって硬化する仕組みで、硬化後の寸法安定性が非常に優れています。永久ひずみが小さく、硬化後の弾性回復も良好なため、アンダーカットの大きい症例でも精密な印象が得られます。
最大の特徴は流動性の高さです。硬化前の流動性が付加型シリコーンよりも優れているため、マージン部や歯肉縁下などの細部に自然に流れ込み、圧接圧を最小限に抑えながら精密な印象採得が可能になります。この特性により、支台歯の印象や咬合採得に最適とされています。
結論は親水性も高いです。
ポリエーテル印象材は本来的に親水性を持つため、歯肉溝滲出液や唾液の影響を受けにくく、湿潤環境下でも安定した印象採得ができます。シリコーン印象材が親水性を付与するために界面活性剤を添加しているのに対し、ポリエーテル印象材は材料そのものが親水性を示す点が異なります。
一方でデメリットも存在します。吸水により膨張する性質があるため、印象採得後は水分との接触を避ける必要があります。また硬化後の硬度が高く、撤去時にかなりの力が必要になるため、動揺歯がある症例では注意が求められます。撤去力が強いため、仮封中の支台歯が脱離するリスクもあります。
トレーアドヒーシブもポリエーテル専用のものを使用しなければなりません。シリコーン印象材用のアドヒーシブでは接着力が不足し、印象撤去時にトレーから剥離する可能性があります。材料特性に応じた適切なアドヒーシブを選択することで、印象精度を確保します。
寒天印象材とアルジネート印象材を組み合わせた連合印象法は、保険診療で広く使用されている精密印象法です。寒天印象材は海藻から抽出された寒天を主成分とし、加熱によりゾル化、冷却によりゲル化する可逆性印象材です。寒天成分は15%以下で、残りの85%は水分が占めています。
連合印象法では、まず寒天印象材を支台歯周辺に注入し、その上からアルジネート印象材を盛り上げたトレーで圧接します。寒天印象材の優れた流動性により細部の再現性が高く、アルジネート印象材の弾性により撤去が容易になるという、両材料の長所を活かした印象法です。
基本は速やかな石膏注入です。
寒天もアルジネートも水分を多く含むコロイド質のため、硬化後の寸法安定性が低いという共通の欠点があります。印象採得後、時間が経過すると乾燥による収縮や吸水による膨張が起こり、精度が急速に低下します。そのため印象採得後は直ちに石膏を注入することが原則となります。保管が必要な場合は、湿らせたガーゼで包み湿度100%の密閉容器に入れますが、それでも変形は避けられません。
注入のタイミングも重要です。1歯の場合はアルジネート印象材をトレーに盛り始めるとき、2~3歯の場合は練り始めるときに寒天印象材を注入します。このタイミングが遅れると、寒天とアルジネートの接着が不良になり、印象撤去時に剥離する原因となります。
寒天印象材は繰り返し加熱することで再利用できますが、軟化の繰り返しにより弾力性が失われていきます。また水分が蒸発して痩せた寒天を水に漬けて戻すと、アルジネート印象材との接着性が悪化するため、使用を避けるべきです。材料の劣化は印象精度に直結するため、適切な管理が必要です。
石膏の選択にも注意が必要です。アルジネート印象材に最も適しているのは硬石膏で、一部の超硬石膏を使用すると面あれの原因となります。連合印象法は材料費が安価で操作が比較的容易なため保険診療の主流ですが、シリコーン印象材と比較すると精度は劣ります。
印象材の練和方法は、印象精度に直接影響を与える重要な操作です。特にアルジネート印象材では、粉と水の比率(混水比)が最も重要で、手練和では混水比にバラつきが生じやすく、結果として硬化時間や硬化後の寸法精度に影響します。自動練和器を使用することで、常に一定した練和泥が得られ、再印象のリスクを低減できます。
自動練和器の導入により、硬化時間の短縮と弾性ひずみの減少が認められています。手練和では練和時に気泡が混入しやすく、練和ムラも発生しやすいのに対し、自動練和器は真空練和により気泡のない均一なペーストを作り出します。
つまり品質が安定します。
シリコーン印象材の自動練和にも同様のメリットがあります。カートリッジタイプの印象材は、専用のディスペンサーとミキシングチップを使用することで、ベースとキャタリストが適正比率で混合され、練和ムラによる硬化不良を防ぎます。特に大容量タイプの印象材では、トレーへの盛り上げに時間がかかるため、自動練和によるスピードアップが治療効率の向上につながります。
ただし自動練和器の導入には初期投資が必要です。機器本体の価格は数十万円から百万円程度で、カートリッジタイプの印象材はチューブタイプより単価が高くなります。月間の印象採得数が少ない医院では、コストパフォーマンスが合わない場合もあります。導入判断は、月間印象数と新人教育の負荷、再印象率などを総合的に評価して行います。
手練和で精度を確保するには、正確な計量と適切な練和操作が必須です。アルジネート印象材では、粉末をよくほぐしてからフワフワの状態で計量し、すり切る際も押し付けずに軽く垂直に行います。水温による硬化時間の調整も重要で、夏場の水温が高い時期にはスロータイプを選択するなど、環境に応じた製品選択が必要です。
渡辺歯科医院の導入事例では、シリコン印象材自動練和機により練和時間の短縮と印象精度の向上を実現したと報告されています
印象材の選択ミスは、補綴物の不適合や再製作という大きな時間的・経済的損失につながります。最も多い失敗パターンは、症例の特性を考慮せずに印象材を選択することです。動揺歯を含む全顎印象でシリコーン印象材を使用すると、撤去時の強い力で動揺歯が抜ける可能性があります。この場合は撤去力の弱いアルジネート印象材の方が適しています。
縮合型と付加型の選択を誤るケースも見られます。縮合型シリコーンは材料費が安価なため選択されることがありますが、印象採得から技工所での模型製作までに時間がかかる場合、寸法収縮により補綴物の適合不良が発生します。郵送が必要な遠方の技工所を使用する場合は、必ず付加型シリコーンを選択する必要があります。
個歯トレーと既製トレーの使い分けも重要です。既製トレーでは印象材の厚みが不均一になり、厚い部分ほど重合収縮や硬化時の応力による変形が大きくなります。個歯トレーを使用すれば印象材の厚みを約1mm前後に均等にでき、寸法精度が格段に向上します。精密印象が要求されるケースでは、個歯トレーの製作が推奨されます。
トレーアドヒーシブの選択ミスも頻繁に起こります。印象材の種類によってアドヒーシブの組成が異なるため、必ず使用する印象材に応じたものを選択しなければなりません。不適切なアドヒーシブでは、印象撤去時にトレーから印象体が剥離し、再印象が必要になります。アドヒーシブはトレーの内面だけでなく外縁5mm程度まで塗布し、剥がれ防止効果を確実にします。
硬化阻害物質への接触も深刻な失敗例です。ラテックス製グローブでパテタイプを練和すると、グローブの成分が硬化を阻害し、印象面に面あれや硬化不良が発生します。素手で練和する場合も、石けんで十分に手指を洗い乾燥させる必要があります。ハンドクリームをつけた手での練和も同様の不具合を起こします。
保険診療でシリコーン印象材を使用するという経営判断の失敗もあります。シリコン印象材は1回の使用で約40gのパテと20gのライトボディを使用し、材料費は約2,000円から3,000円かかります。保険診療の印象点数では材料費を回収できず、年間で約22万円の赤字になるという試算があります。経営的な視点からも、印象材の選択は慎重に行う必要があります。
宮ノ下歯科クリニックのブログでは、保険診療でシリコン印象材を使用した場合の具体的な赤字額が詳細に計算されています