進行口腔がんでも、手術しなければ機能は守れると思っていませんか?実は約38.8%の症例で、手術なしの動注療法のみで外科的切除に匹敵する生存率が得られています。
機能温存手術とは、がんを根治的に切除しながら、患者の生活に不可欠な身体機能を可能な限り残すことを目的とした外科的アプローチのことです。口腔領域においては特に、咀嚼(食べ物を噛み砕く)・摂食嚥下(食べ物を飲み込む)・構音(言葉を発音する)という3大機能の温存が最重要課題とされています。
口腔は、食事・会話・表情形成など、日常生活のあらゆる場面で機能する器官です。そのため外科切除の範囲が大きくなるほど、患者のQOL(生活の質)に直接的な打撃を与えます。たとえば舌の半側切除(舌半側切除術)が必要になると、術後にタ行・ダ行・カ行・ガ行などの発音が著しく不明瞭になり、社会復帰に影響が出るケースは少なくありません。
これが機能温存の原則です。
口腔がんの部位別では、舌がんが最も発生頻度が高く、次いで下顎歯肉・頬粘膜などに多く見られます(富山大学附属病院・歯科口腔外科データ)。それぞれ発生部位によって、術後に失われやすい機能が異なるため、治療計画の段階から機能を守る視点を組み込むことが求められます。
口腔がんの5年生存率はステージⅠで95.8%、ステージⅡで89.9%と高い水準が維持できる一方、ステージⅣになると67.3%まで低下します(富山大学附属病院報告)。早期に発見・治療介入できれば、機能温存と根治の両立がより高い確率で実現できるわけです。早期発見が条件です。
歯科従事者がこの概念を深く理解することは、単なる知識の習得にとどまりません。日常の口腔診察の中でがんを疑う病変を早期に発見し、適切なタイミングで口腔外科・頭頸部外科へ紹介できるかどうかが、患者の機能温存に直結します。「なかなか治らない口内炎」が実は口腔がんだったというケースは、臨床現場では決して珍しい話ではありません。
富山大学附属病院|機能温存を重視した口腔がん治療の解説(病期別5年生存率データあり)
機能温存手術の術式は、がんの発生部位・ステージ・骨浸潤の有無によって大きく変わります。歯科従事者として、それぞれの術式が「何を残し、何を犠牲にするか」を理解しておくことは非常に重要です。
まず下顎歯肉がんのケースでは、腫瘍が歯槽部にとどまっている場合は「下顎辺縁切除術」が選択されます。これは下顎骨の連続性(形の輪郭)を残したまま上縁の一部だけを削り取る術式で、術後の咬合や顎の動きへのダメージが最小限に抑えられます。骨の連続性が守られるのは大きなメリットですね。
一方、腫瘍が顎骨の深部まで浸潤している場合には「下顎区域切除術」が必要となり、顎骨の連続性が断たれます。この場合は顔の輪郭変化・咬合崩壊・摂食障害が生じるため、即時再建手術(遊離皮弁移植)が必要となるケースがほとんどです。
舌がんでは、切除量に応じて以下の3段階が基本となります。
上顎歯肉がんや口蓋がんでは、副鼻腔や鼻粘膜をできるだけ残すことで、形態と機能の温存が可能となる場合があります。ただし上顎を大きく切除すると、口腔・鼻腔・副鼻腔が交通してしまい、会話も食事も著しく困難になります。
特に上顎がんが眼窩底まで達している場合、眼球摘出が必要になるケースすらあります。このような整容的・機能的影響が患者本人のみならず家族にも強い心理的負荷をかけることは、歯科口腔外科の臨床に携わる全員が把握しておくべき現実です。術前の患者への説明と心理サポートも重要です。
日本口腔腫瘍学会の口腔癌診療ガイドラインでは、機能温存の観点から「可能な限り辺縁切除術により下顎骨の連続性を保つことが推奨される」と明記されています。エビデンスに基づいた術式選択が原則です。
日本口腔外科学会|口腔癌診療ガイドライン2019年版(PDF):下顎骨切除と機能温存に関する推奨事項を収録
「手術しなければ機能は守れない」という考え方は、もはや一面的です。近年、非外科的に機能温存を実現する手法として注目されているのが「超選択的動注化学療法」です。
この治療法は、口腔がんに栄養を供給している動脈に細いカテーテルを挿入し、シスプラチンなどの抗がん剤をがん病巣に直接流し込む方法です。同時に静脈から中和剤(チオ硫酸ナトリウムなど)を投与することで、全身への副作用を大幅に軽減しながら、局所への高濃度の薬効を実現します。副作用が少ない点が大きな特徴です。
実際の治療成績を見てみると、進行頭頸部がん(約1/3は外科切除不能症例)に対して本療法を施行した結果、原発巣再発率5.6%、頸部再発率2.6%、遠隔転移率17.9%、5年累積生存率38.8%という数値が報告されています(武内デンタルクリニック・口腔外科データ)。これは外科的切除に匹敵する成績であり、数字として見ると驚きを感じる方も多いでしょう。
さらに富山大学附属病院の報告では、悪性度が低〜中等度のがんでは動注化学療法後の効果が特に高く、低侵襲手術または手術回避によって「機能温存が可能となるケースがある」と明確に述べられています。すべての症例に適用できるわけではありませんが、組織診断でがんの悪性度を事前に把握することが、治療選択肢を増やすことにつながります。これは使えそうです。
放射線照射を併用する「超選択的動注化学放射線療法」においては、完全寛解率100%という報告もあります(東京歯科大学・局所進行口腔癌データ)。ただしこの治療は外科的切除とのランダム化比較試験が実施されておらず、現時点では標準治療にはなっていません。機能温存を強く希望する患者への「選択肢の一つ」として位置づけることが重要です。
歯科従事者として特に意識したいのは、この治療が「手術室」ではなく「血管造影室」で放射線科医によって行われるという点です。つまり治療の意思決定段階で歯科・口腔外科・放射線科・腫瘍内科の連携が不可欠であり、歯科医師がその連携の橋渡し役になれる場面が増えています。
武内デンタルクリニック|機能温存する口腔癌超選択的動注化学療法の実際と成績データ
機能温存手術は「切除の最小化」だけではありません。切除が避けられない場合、「切った後に機能を取り戻す」再建手術が機能温存の重要な柱となります。
口腔領域の再建に最もよく用いられるのが「遊離皮弁移植」です。これは体の別の部位(前腕・大腿・腹部など)から皮膚・皮下組織・筋肉・骨などをまとめて採取し、マイクロサージャリー(顕微鏡下での微小血管縫合)技術を用いて口腔内に移植する手術です。近年の技術進歩により、遊離皮弁の生着率は96〜99%と非常に高い水準に達しています(近畿大学病院報告)。ほぼ確実に生着するということですね。
舌や口底の軟組織再建には主に「前腕皮弁」や「前外側大腿皮弁(ALT皮弁)」が使われます。顎骨の硬組織再建には「遊離肩甲骨複合皮弁」や「腓骨皮弁」が選ばれることが多く、形態と機能の両面からアプローチします。
再建の質が術後の口腔機能に直結します。たとえば、舌切除後に薄くしなやかな皮弁で再建した場合のほうが、舌の可動性が高まり、会話機能・咀嚼機能がより良好に回復するという報告があります(日本癌治療学会ガイドライン)。皮弁の選択が術後QOLに直接影響するわけで、単に欠損を「埋める」だけでは不十分なのです。
歯科従事者との接点は術後にもあります。再建後の口腔では、歯列の変化・開口障害・義歯適合不良・インプラント適応可否などの問題が生じることがあります。周術期口腔機能管理の延長線上で、術後の口腔機能回復に歯科医師・歯科衛生士が継続的に関与することが、患者のQOL維持に不可欠です。
再建後の咀嚼機能評価には「デンタルプレスケール(咬合力測定)」や「山本咬度表」、構音機能評価には「田口の5段階尺度・発語明瞭度検査」が用いられ、自治医科大学など専門機関では口腔機能の経時的な評価が行われています。数値で機能を追いかけることが大切です。
東京科学大学歯学部・顎顔面外科学分野|口腔再建後の咀嚼・嚥下・構音機能評価研究の詳細
口腔がん治療の主軸は口腔外科・頭頸部外科ですが、歯科医師・歯科衛生士がそれと全く独立した「別の役割」を果たせる場面があることは、まだ十分に認識されていない側面があります。
まず最も重要なのが「早期発見」です。口腔がんは初期段階では自覚症状が乏しく、口内炎と誤認されやすい病変です。一般歯科医院で定期検診を受けている患者の中に、無症状のまま早期口腔がんが存在しているケースがあります。2週間以上治癒しない潰瘍・白板症・紅板症・不明瞭な硬結などを見つけたとき、迷わず専門機関に紹介できるかどうかが、患者の機能温存率を大きく左右します。早期発見が最大の機能温存戦略です。
次に重要なのが「周術期等口腔機能管理」です。令和6年度の診療報酬改定では周術期等口腔機能管理料の要件・評価が見直されており、がん手術前後の口腔管理における歯科の役割はさらに強化されています。術前2週間以内に口腔内清掃・感染源除去・開口訓練指導などを行うことで、術後の肺炎・皮弁壊死・創感染などの合併症リスクが低下するという報告があります。
特に頭頸部がん再建手術において、周術期口腔管理を行った群では術後合併症発症率が有意に低下することが示されており(日本歯科医師会・2014年データ)、歯科介入が外科的な機能温存の成否に間接的に貢献していることを意味します。つまり、歯科の関与が手術成功率を支えているということです。
また術後の放射線治療後には「放射線性顎骨壊死」「唾液分泌低下」「開口障害」などの晩期有害事象が現れる場合があります。これらの管理・予防も歯科の重要な役割であり、機能温存を「手術が終わったら完了」と考えてはいけません。機能温存は長期にわたる取り組みです。
さらに近年注目されているのが「口腔がん光免疫療法」です。2021年から国内で開始されたこの治療法は、がん細胞表面のたんぱく質に結合する薬剤を投与後にレーザー照射でがん細胞のみを破壊するもので、2025年時点で約550例以上の治療実績があります。周囲の正常組織への影響が最小限という特性から、機能温存との親和性が非常に高い治療法として期待されています。
機能温存手術の概念は、外科医だけが担うものではありません。歯科従事者全員が「口腔の機能を守るチームの一員」として意識的に関与することが、患者の生活の質を真に守ることにつながります。
デンタルプラザ|周術期等口腔機能管理の現場から見た歯科診療所と病院との連携の実際
厚生労働省|令和6年度診療報酬改定の概要【歯科】:周術期等口腔機能管理料の見直し内容(PDF)