放射線治療は、がん細胞に放射線を照射してがん細胞を死滅させる、あるいは細胞増殖を抑制する治療法です。頭頸部がんの治療において重要な役割を果たしていますが、口腔内に様々な副作用をもたらします。
放射線治療による主な口腔内の副作用には以下のようなものがあります。
これらの副作用は患者さんのQOL(生活の質)を著しく低下させるため、適切な予防策と対応が不可欠です。
放射線治療を開始する前に歯科を受診し、口腔内の状態を評価することは非常に重要です。治療前の適切な準備により、治療中・治療後の口腔内合併症のリスクを大幅に軽減することができます。
治療前の歯科受診で行うこと:
放射線治療前の歯科処置で特に重要なのは、保存困難な歯の抜歯です。放射線治療後は顎骨への血流が減少し、骨の修復能力が低下するため、抜歯を行うと顎骨壊死のリスクが高まります。そのため、治療前に抜歯が必要な歯を評価し、適切に処置しておくことが重要です。
また、放射線治療前に患者さん自身が行うセルフケア方法を習得しておくことも大切です。治療中は口腔内の痛みなどにより、通常のケアが難しくなることがあるため、あらかじめ適切なケア方法を習得し、習慣化しておくことが推奨されます。
放射線治療中は、口腔内の副作用が徐々に現れ始め、治療が進むにつれて症状が悪化していきます。この時期の適切な口腔ケアは、副作用の重症化を防ぎ、患者さんのQOLを維持するために非常に重要です。
治療開始~1週間目(約10Gy照射時):
この時期はまだ口腔内の変化はほとんど見られません。治療前に指導された口腔ケア方法を継続して行うことが重要です。
治療2~3週間目(20~30Gy照射時):
口腔乾燥や口腔粘膜炎が徐々に現れ始める時期です。
治療4~6週間目(40~60Gy照射時):
口腔粘膜炎による痛みが最も強くなる時期です。
放射線治療中の歯科医療の役割:
放射線治療中は、特に口腔粘膜炎による痛みが食事摂取を困難にすることがあります。そのため、近年では胃瘻を造設し、口からの食物摂取をなるべく避ける方法が一般的になっています。これにより、治療中の栄養摂取を確保しつつ、口腔内への刺激を最小限に抑えることができます。
放射線治療が終了しても、口腔内の副作用は長期間にわたって持続することがあります。特に唾液腺が照射野に含まれていた場合、唾液分泌機能の回復は限定的であり、口腔乾燥は永続的な問題となる可能性があります。
放射線治療後の主な口腔内問題:
放射線治療後の唾液減少により、唾液の持つ歯の再石灰化作用が低下し、短期間に急激に歯の脱灰が進みます。「放射線齲蝕」と呼ばれるこの状態は、通常のむし歯と比較して進行が非常に速く、特徴的な部位(前歯の表側など)に発生します。
放射線治療後は、顎骨の血流が減少し、骨の修復能力が低下します。特に下顎臼歯部で65Gy以上照射された後に抜歯を行うと、顎骨壊死の発生率が高くなります。一度発症すると治療が難しく、重症化すると皮膚から膿が出たり、顎の骨が折れたりする可能性があります。
放射線性齲蝕の予防策:
放射線性顎骨壊死の予防策:
放射線治療後は、3~6ヶ月ごとの定期的な歯科受診が推奨されます。これにより、早期のむし歯発見や適切な予防処置が可能となり、抜歯などの侵襲的な処置を避けることができます。
放射線治療の現場では、歯科医師だけでなく、歯科技工士も重要な役割を担っています。特に頭頸部がんの放射線治療において、歯科技工士が製作するスペーサーは治療の精度と安全性を高める上で不可欠な装置となっています。
スペーサーの役割と重要性:
放射線治療は通常、必要量の放射線を複数回に分けて照射します。毎回の照射で同じ位置に正確に放射線を当てることが重要ですが、口を開けた状態で同じ位置をキープすることは困難です。スペーサーは上下一体型のマウスピースとして機能し、シェル(固定具)と組み合わせることで、毎回の照射における位置の再現性を確保します。
放射線治療では、腫瘍に必要な線量を照射しつつ、周囲の正常組織への被ばくを最小限に抑えることが重要です。スペーサーは放射線を当てたくない組織(舌など)を避ける役割も果たします。例えば、上顎に放射線を照射する場合は舌を下方に圧排する形態、右側に照射する場合は舌を左側に避ける形態など、患者さんごとに最適な設計がなされます。
スペーサー製作のプロセス:
正確なスペーサーを製作するために、まず患者さんの口腔内の印象を採取します。
腫瘍の位置や照射計画に基づき、どの組織を保護する必要があるかを考慮して設計します。
一般的なマウスピースとは異なる形態のため、患者さんの快適性と機能性を両立させるために、試行錯誤しながら調整を行います。
製作したスペーサーを装着した状態で、放射線科においてシェル(お面のような固定具)が製作されます。
歯科技工士が製作するスペーサーは、単なる固定具以上の意味を持つことがあります。治療を終えた患者さんの中には「一緒に治療を頑張った証だから」とスペーサーを記念として持ち帰りたいと希望する方もいます。このような患者さんの思いは、スペーサー製作に携わる歯科技工士にとって大きなやりがいとなっています。
放射線治療における歯科技工士の役割は、治療の精度向上だけでなく、患者さんの安全と快適さを確保する上でも重要です。歯科技工の技術が、このような形で最先端のがん治療に活かされていることは、歯科医療の多様な可能性を示しています。
放射線治療に伴う口腔内合併症の予防と管理は、患者のQOL向上のために重要な研究分野となっています。近年の研究では、より効果的な予防法や新たな治療アプローチが模索されています。
口腔粘膜炎に関する最新研究:
低出力レーザー療法(LLLT)が口腔粘膜炎の予防と治療に効果的であるという研究結果が報告されています。LLLTは細胞の修復を促進し、炎症を軽減する効果があり、放射線治療中の患者の口腔粘膜炎の重症度を低減することが示されています。
また、特定のプロバイオティクスの摂取が口腔粘膜炎の発症リスクを低減する可能性も研究されています。腸内細菌叢の改善が全身の炎症反応に影響を与え、口腔粘膜炎の症状緩和につながるという仮説が検証されています。
放射線性齲蝕の予防に関する新たなアプローチ:
バイオアクティブガラスを含む歯科材料が、放射線性齲蝕の予防に有効である可能性が研究されています。これらの材料はカルシウムとリン酸イオンを放出し、歯の再石灰化を促進する効果があります。
また、ナノハイドロキシアパタイトを含む歯磨き剤が、従来のフッ素製品と併用することで、放射線治療後の歯の脱灰を効果的に防ぐことができるという研究結果も報告されています。
唾液腺機能の保護と回復:
放射線治療による唾液腺障害を軽減するために、強度変調放射線治療(IMRT)や陽子線治療などの高精度放射線治療技術の活用が進んでいます。これらの技術により、唾液腺への放射線量を低減しつつ、腫瘍に十分な線量を照射することが可能になります。
また、幹細胞治療や遺伝子治療による唾液腺機能の回復に関する研究も進められています。動物実験では、放射線障害を受けた唾液腺に幹細胞を移植することで、唾液分泌機能が部分的に回復することが示されています。
顎骨壊死の予防と治療:
高気圧酸素療法(HBO)が放射線性顎骨壊死の予防と治療に有効であるという研究結果が蓄積されています。HBOは組織の酸素化を改善し、血管新生を促進することで、放射線障害を受けた骨組織の治癒を助ける効果があります。
また、骨形成タンパク質(BMP)やその他の成長因子を用いた再生医療アプローチも研究されています。これらの生理活性物質は骨の修復と再生を促進する効果があり、顎骨壊死の治療に応用できる可能性があります。
これらの最新研究は、放射線治療を受ける患者さんの口腔内合併症を軽減し、QOLを向上させるための新たな選択肢を提供する可能性を秘めています。今後の臨床応用に向けて、さらなる研究の進展が期待されています。