良性腫瘍でも顔面神経麻痺が約20%の患者に起き、うち深葉腫瘍では約38%まで跳ね上がります。
歯科情報
耳下腺摘出術における最大の術後合併症は、顔面神経麻痺です。顔面神経は耳下腺の内部を中央から貫通し、扇状に分枝しながら顔面各部の表情筋へ至ります。腫瘍の直径が2cmを超えると、この神経と腫瘍が接触していると考えなければならないとされています。
顔面神経の太さは1〜2mm程度で、MRIやエコーなどの術前画像で描出することは難しいです。つまり、「手術前に神経との位置関係を画像で確かめる」という対応には限界があるということですね。
発生率を具体的な数字で見ると、文献によって幅があります。日本耳鼻咽喉科学会の報告では、術後顔面神経麻痺の全体割合は19.5%であり、腫瘍の局在別では浅葉腫瘍が15.0%、深葉腫瘍が37.9%、下極腫瘍が14.6%と示されています(深葉腫瘍は浅葉腫瘍の約2.5倍)。北里大学の50例検討では、術後合併症全体が34%で、そのうち顔面神経麻痺が20%を占めています。
| 腫瘍の局在 | 術後顔面神経麻痺の割合 |
|---|---|
| 浅葉腫瘍 | 約15~20% |
| 深葉腫瘍 | 約30~40% |
| 下極腫瘍 | 約15%前後 |
ただし、神経を温存した場合の永続的な麻痺はまれです。多くの麻痺は一時的であり、半年以内に改善するケースが大半です。麻痺が起きても改善することが多い、という認識は重要です。
一方、悪性腫瘍では事情が異なります。腫瘍が神経に浸潤している場合は神経切除が必要となり、術後永続的な麻痺が生じることもあります。歯科従事者が対面する患者が悪性腫瘍術後であれば、顔面の動き・口唇閉鎖力・口腔機能への影響を含めた観察が必要です。
術中に顔面神経モニタリングを行うことで麻痺リスクが有意に低下するという報告もあります。術前からどのような施設体制で手術が行われたかを把握することも、術後ケアの判断に役立ちます。
顔面神経麻痺が合併症として残った場合、眼輪筋の麻痺による閉眼困難、口唇閉鎖困難、口腔内での咀嚼機能低下などが起こりえます。これらは歯科治療の際に直接影響するため、状況を丁寧に確認することが基本です。
参考:日本耳鼻咽喉科学会「耳下腺腫瘍の臨床」での顔面神経麻痺の割合データ(専門医向け資料)
日本耳鼻咽喉科学会 – 耳下腺腫瘍の臨床(体系的な診断・治療と新知見)PDF
耳下腺摘出術後の合併症の中で、顔面神経麻痺の次に臨床的に問題となるのがFrey症候群(フライ症候群)です。術後20~30%に発症するとされ、頻度の点では決して無視できない合併症です。
発症の機序を整理しましょう。耳下腺には、唾液分泌を指示する耳介側頭神経が分布しています。腫瘍を切除した後、この神経の再生過程で神経線維が皮膚の汗腺に迷入することがあります。その結果、食事をして唾液分泌が促されると、同時に汗腺にも刺激が伝わり、耳前部の皮膚に局所的な発汗や紅潮が現れます。これがFrey症候群です。
患者にとっては「食事のたびに耳の前が汗ばむ・赤くなる」という愁訴として現れます。重症度は比較的低いとされますが、食事のたびに症状が出るため、患者のQOL(生活の質)に影響します。難治性になりやすいことも特徴です。
発症時期は術後1年前後が多く、切除術を受けた患者が歯科を来院する時期と重なります。口腔ケアや定期健診で来院した患者が「食事中に顔が赤くなる・汗が出る」と訴えた場合、Frey症候群の可能性を考慮することが大切です。
予防策として、手術時に切離面を耳下腺被膜や胸鎖乳突筋弁で被覆する方法が有効とされています。北里大学の報告では、この予防操作を行った結果、術後12か月を超えた症例を含む全50例でFrey症候群の発症が確認されなかったという成果も報告されています。
歯科従事者はFrey症候群を「自分たちには関係のない合併症」と考えがちです。しかし術後患者を長期的に診る立場だからこそ、初期段階での気づきが連携診療につながります。つまり観察眼が介入機会を生む、ということです。
唾液瘻(だえきろう)は、耳下腺摘出術後に比較的高頻度で起こる合併症のひとつです。一般的な報告では2~8%の頻度とされますが、施設によっては14%と高い発症率を示した報告(北里大学、2023年)もあります。
唾液瘻の発生機序は、腫瘍切除後に耳下腺組織の切離断端が完全に閉鎖されないことで、唾液が皮下組織へと漏出・貯留するものです。術後8〜24日頃に発症することが多く、創部が膨隆したり、自壊して唾液が滲み出ることがあります。
患者側から見ると、傷口付近のじわじわした腫れや、特に食事後の腫脹感として気づかれることがあります。食事と連動して症状が変動する点がポイントです。
治療は、局所のドレナージ・圧迫処置が第一選択となります。酸味の強い食事を避けることで唾液分泌量を抑制することも有効とされています。多くの症例では禁食なしで保存的に軽快しますが、一部では漏出部の結紮や硬化療法(5%ピオクタニン注入)、抗コリン剤投与、放射線療法が選択されることもあります。最近の報告では、褥瘡皮膚潰瘍治療剤として使われるトレチノイントコフェリル軟膏の局所塗布が有効であった事例も出ています。
歯科的な観点から見ると、唾液瘻を持つ患者では食事制限を伴う場合があり、口腔内の自浄作用の低下や、口腔乾燥の悪化リスクがあります。術後の口腔衛生管理が通常以上に重要になるということです。
耳下腺切除後の長期的な口腔乾燥(ドライマウス)についても留意が必要です。耳下腺は全唾液分泌量の約25〜35%を担うとされ、これが切除されることで、特に安静時の唾液分泌が減少する可能性があります。
参考:北里大学「当科の耳下腺良性腫瘍に対する手術症例50例の検討」(唾液瘻の発生率・治療に関するデータ)
北里大学 – 耳下腺良性腫瘍50例の手術検討 PDF(北里医学2023)
耳下腺摘出術の合併症として広く知られているのは顔面神経麻痺とFrey症候群ですが、それ以外にも大耳介神経麻痺と創部感染が一定の頻度で発生します。この2つは軽視されがちですが、患者の日常生活に影響を与えます。
大耳介神経は耳垂(耳たぶ)やその周囲、下顎角部の皮膚感覚を担う神経です。耳下腺手術ではこの神経の保存が難しく、従来は切断されることが多かったです。切断後は耳垂・耳介周囲のしびれや感覚鈍麻が残ります。
近年の海外報告により、大耳介神経の枝のうち「耳垂枝(後浅枝)」については温存が可能であることが示されました。関西医科大学の報告では耳垂枝を温存する独自の手技が確立されており、術後の感覚麻痺を大幅に軽減できるとしています。温存した場合でも術後半年ほどで感覚が回復してくる傾向があります。
歯科治療の観点から重要なのは、下顎角部の感覚麻痺です。義歯の装着感や、印象採得・口腔診査の際に患者が感覚の違和感を訴えることがあります。術後患者の「下顎付近のしびれ・感覚鈍麻」は、耳下腺手術の影響として理解しておくべき情報です。
創部感染については、北里大学の報告では50例中4例(8%)に発症しています。うち2例は唾液瘻が直接の原因であり、残る2例は原因不明でした。4例はいずれも抗菌薬の内服により外来管理で軽快しています。感染が起きたとしても外来で対処可能なケースが多い、ということですね。
創部感染の予防策として、周術期の口腔ケアが重要な位置を占めます。口腔内細菌を術前から丁寧に減少させておくことで、術後肺炎や術後感染リスクが有意に低下するとする報告が複数あります。これは歯科従事者が直接貢献できる領域です。
参考:関西医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科「耳下腺腫瘍の診断・治療・合併症」(大耳介神経温存手技の詳細)
関西医科大学 – 耳下腺腫瘍の診断法・治療法・合併症・類似疾患 PDF
耳下腺摘出術は、歯科とは無関係に見えるかもしれません。しかし周術期口腔機能管理の観点から、歯科従事者の関与は術前・術後の双方で大きな意味を持ちます。これが原則です。
術前の口腔管理では、口腔内細菌の総量を減らすことが最優先です。耳下腺摘出術を含む頭頸部手術後には、口腔内細菌が原因となる術後肺炎・創部感染が起きるリスクがあります。術前にPMTC(プロフェッショナル・メカニカル・トゥース・クリーニング)や歯周治療を実施することで、このリスクを有意に下げることができます。がん医療における医科歯科連携が推進される現在、頭頸部外科の手術が予定されている患者への歯科介入は積極的に行うべき対応です。
術後管理でもやることは明確にあります。
歯科的リスクで特に重要なのが口腔乾燥への対応です。耳下腺は安静時・刺激時ともに唾液分泌に関与しており、切除後は特に食塊形成能の低下や口腔粘膜の乾燥感として現れることがあります。術後患者に口腔保湿剤やう蝕リスク管理(フッ化物応用など)を推奨しておくことで、二次的な歯科トラブルを予防できます。これは使えそうです。
悪性腫瘍(耳下腺癌)の手術後の患者では、術後放射線療法が行われるケースがあります。放射線照射野に唾液腺が含まれる場合、顕著な口腔乾燥や放射線性骨壊死のリスクが高まります。この場合は、抜歯時期の調整や感染管理が特に重要になります。放射線治療前の要抜歯の処置は、治療開始2週間前までの完了が目安です。期限があることを念頭に置いておきましょう。
歯科従事者がこれらの合併症の知識を持つことで、患者との問診の質が上がり、耳鼻咽喉科・頭頸部外科との連携がより円滑になります。
参考:がん情報サービス「全国共通がん医科歯科連携講習会テキスト」(術後合併症予防と周術期口腔管理の解説)
国立がん研究センター がん情報サービス – 全国共通がん医科歯科連携講習会テキスト PDF