術後リハビリを「安静が最優先」と考えているなら、それが肩関節拘縮を招く最大の原因になっています。
頸部郭清術(neck dissection)は、口腔がん・咽頭がん・甲状腺がんなどの頸部リンパ節転移に対して行われる外科的手術です。術式によって切除する神経・筋肉・血管の範囲が異なりますが、どの術式でも術後に一定の機能障害が生じます。
最も頻度が高いのが、副神経(第11脳神経)損傷による肩関節機能障害です。副神経は僧帽筋を支配しており、これが損傷されると肩の挙上困難・翼状肩甲・肩こりなどが発生します。臨床報告によれば、根治的頸部郭清術(RND)後の患者の約70〜80%が何らかの肩機能障害を経験するとされています。
歯科との関連で見逃せないのが、術後の嚥下・咀嚼機能の低下です。頸部の筋群・神経が広範囲に操作されるため、舌骨の安定性が崩れ、嚥下の際に喉頭挙上が不十分になるケースがあります。これは、術後の口腔ケアや補綴治療の計画を立てる上で非常に重要な情報です。
つまり歯科従事者は「口の中だけ」を見ていればよい立場ではありません。
術後の患者さんが「食べにくい」「飲み込みにくい」と訴える場合、それが義歯の問題なのか、嚥下機能自体の低下なのかを鑑別する視点が求められます。この鑑別を誤ると、適切なリハビリへの紹介が遅れ、誤嚥性肺炎のリスクを高めてしまいます。これは患者さんにとって大きなデメリットです。
| 術式 | 副神経 | 内頸静脈 | 胸鎖乳突筋 | 肩障害リスク |
|---|---|---|---|---|
| 根治的頸部郭清術(RND) | 切除 | 切除 | 切除 | 高(70〜80%) |
| 改良根治的頸部郭清術(MRND) | 温存可 | 温存可 | 温存可 | 中(30〜50%) |
| 選択的頸部郭清術(SND) | 温存 | 温存 | 温存 | 低(10〜20%) |
歯科診療録にはがん治療歴が記載されていることが多いですが、どの術式だったかまで記録されているケースは少ないです。術式の確認が条件です。
「術後はしばらく安静にしてから動かす」という考え方は、現在の標準治療では否定されています。意外ですね。
現在の推奨では、術後24〜48時間以内(ドレーン留置中でも)に頸部・肩関節の軽度な自動運動を開始することが望ましいとされています。早期離床・早期運動療法は、リンパ浮腫・瘢痕拘縮・筋萎縮の予防に効果的であることが複数の研究で示されています。
リハビリプログラムは大きく3段階で構成されます。
歯科領域では特に、嚥下リハビリとの並行が重要です。術後2週間ほどで経口摂取を再開するケースが多く、このタイミングで歯科衛生士による口腔ケア介入と嚥下スクリーニングを行うことが推奨されています。
嚥下リハビリの具体的な介入としては、舌の可動域訓練・メンデルゾーン法・頭部挙上訓練(シャキア訓練)などが用いられます。シャキア訓練は仰臥位で頭部を挙上し60秒保持する訓練で、舌骨上筋群の筋力を高め喉頭挙上を改善します。簡単そうで実際にはきつい訓練です。
早期介入が回復を早めるのが基本です。
歯科医院で術後患者を受け入れる際、「いつから食べられますか?」という質問に対して根拠ある回答ができるよう、主治医や言語聴覚士(ST)との連携フローをあらかじめ構築しておくことが実践的なメリットにつながります。
副神経損傷が確定している場合、肩関節の自然回復は非常に限られます。これは知らないと損する情報です。
副神経が術中に切除・損傷された場合、僧帽筋(特に上部・中部線維)の脱神経萎縮が起こります。放置すると3〜6ヶ月で不可逆的な筋萎縮が完成するとされており、この期間内にリハビリ介入しないと、肩の挙上が永続的に困難になるリスクがあります。
一方、副神経が温存された改良根治的頸部郭清術(MRND)の場合でも、神経への牽引や圧迫によって一時的な機能低下が生じます。この場合は術後3〜6ヶ月で自然回復が期待できますが、適切な運動療法を並行することで回復速度が有意に向上するという報告があります。
歯科従事者がセルフケア指導に関わる場面では、以下の点を患者さんに伝えることが実用的です。
こうした指導は決して理学療法士の専門領域を侵すものではなく、日常的に患者と接触する歯科衛生士・歯科医師が気づきを伝える役割として機能します。連携が条件です。
患者さんが「最近また肩が重くなった」と訴えた際に、それを「疲れですよ」と片づけず、リハビリ科や担当医への再受診を勧める判断ができるかどうかが、患者QOLに直接影響します。
頸部郭清術後に誤嚥性肺炎が発生した場合、入院期間が平均14日以上延長するというデータがあります。
術後の嚥下機能低下がある患者では、口腔内細菌叢が気道へ流入するリスクが通常の数倍に高まります。口腔内が不衛生な状態では、誤嚥した際に細菌性肺炎を起こしやすく、これが命取りになることもあります。厳しいところですね。
歯科衛生士による周術期口腔機能管理は、2012年の診療報酬改定で保険収載されており、悪性腫瘍患者に対しての適用も明確化されています。具体的には術前から介入し、術後は以下のケアを継続的に行います。
頸部郭清術後は放射線治療を併用するケースも多く、その場合は放射線性口腔粘膜炎・口腔乾燥・開口障害が追加で発生します。開口障害は術後3〜6ヶ月で顕著になるため、早期からの開口訓練が不可欠です。
開口訓練には専用のデバイス(例:開口訓練器「TheraBite」など)が使用されることもありますが、コルク栓や割り箸を応用した簡易的な方法でも一定の効果があります。患者が自宅で継続できる方法を提案することが実践的です。これは使えそうです。
また、放射線治療後に生じる放射線性骨壊死(ORN)は、抜歯などの観血的処置がトリガーになることが知られています。頸部・下顎周囲への照射歴がある患者への処置では、主治医への確認と必要に応じた高圧酸素療法(HBO)の検討が必須です。無視すると重篤な合併症につながります。
頸部郭清術後のリンパ浮腫は、患者の20〜40%に発生するとされていますが、口腔内リンパ浮腫として舌や口底に出現するケースは歯科領域でも見逃されやすいです。
頸部リンパ節を郭清することで、頸部・顔面・口腔のリンパドレナージュが障害されます。体表に現れる頸部腫脹だけでなく、口腔内の粘膜浮腫・舌腫脹・口底の浮腫として現れることがあり、これが義歯の不適合・咀嚼困難・発音障害の原因になります。
口腔内リンパ浮腫に対して歯科ができる介入としては以下があります。
リンパ浮腫専門の理学療法士(CLT認定セラピスト)と連携する体制があれば、口腔内浮腫の情報を共有することで、より包括的なリンパ浮腫管理が可能になります。
また、頸部郭清術後は頸部の瘢痕拘縮によって頸部の可動域制限が起きることがあります。歯科診療時の体位設定では、無理に頸部を後屈させるポジショニングが疼痛・不快感の原因になるため、術後経過を問診時に確認し、診療チェアの背もたれ角度を調整する配慮が求められます。
こうした「口の外」に起きていることへの気づきが、歯科従事者の専門性をより高いレベルに引き上げます。小さな配慮が大きな信頼につながります。
日本臨床腫瘍学会:頭頸部癌診療ガイドライン(リハビリテーション・周術期管理の章)
上記ガイドラインでは、頸部郭清術後の副神経損傷に対するリハビリ推奨度や、嚥下障害への介入指針が記載されており、エビデンスレベルとともに確認できます。
頭頸部癌学会誌(J-STAGE):頸部郭清術後の機能障害と嚥下リハビリに関する原著論文
術後嚥下機能の経時変化や、口腔ケア介入が誤嚥性肺炎発生率に与える影響についての研究論文を参照できます。