喉頭挙上を「短く素早く行うほど効果的だ」と思っていると、患者の嚥下機能が改善するどころか悪化します。
mendelsohn手技(メンデルゾーン手技)の目的を一言で表すなら、「喉頭の最高位挙上を随意的に保持することで、上部食道括約筋(UES:Upper Esophageal Sphincter)の開大時間と開大幅を増大させること」です。これは1984年にPeter Mendelsohnらが報告した手技であり、現在も摂食嚥下リハビリテーションにおける代表的な間接・直接訓練法の一つに位置づけられています。
正常な嚥下では、食塊が咽頭を通過する際に喉頭が前上方へ挙上し、これが物理的なトリガーとなってUESが弛緩・開大します。喉頭挙上の時間が短かったり、挙上幅が不十分だったりすると、UESが十分に開かず、食塊が咽頭に残留したり誤嚥・喉頭侵入のリスクが高まったりします。これが根本的な問題です。
mendelsohn手技では、嚥下の瞬間に喉頭が最も高い位置に達したときに、舌骨上筋群を意識的に収縮させ続けることでその位置を2〜3秒間保持します。この「保持」という動作が、UES開大の時間的延長をもたらし、食塊の通過に必要な時間的余裕を作り出します。つまり喉頭挙上の「素早さ」ではなく「持続時間」が鍵です。
蛍光透視下嚥下造影検査(VFSS)や嚥下内視鏡検査(VE)を用いた研究では、健常者においてもmendelsohn手技の実施によってUES開大時間が有意に延長することが確認されています。歯科臨床において摂食嚥下リハビリに関わる場合、この生理学的根拠を正確に把握しておくことが、患者への適切な指導につながります。
mendelsohn手技が特に有効とされるのは、喉頭挙上不全またはUES開大不全を主たる原因とする嚥下障害です。脳卒中後の神経原性嚥下障害、頭頸部がん治療後(放射線療法・手術後)の嚥下障害、パーキンソン病に伴う嚥下障害などが代表的な適応疾患に挙げられます。
具体的には、VFSSやVEで以下のような所見が確認された場合に適応が検討されます。
一方で、適応外または注意が必要なケースも明確に存在します。認知機能の低下が著しく、随意的な筋収縮の保持という動作指示を理解・実行できない患者には本手技の実施が困難です。また頸部の筋緊張が異常に亢進している患者(頸部ジストニアなど)、著しい体力低下がある患者では、手技の遂行そのものが負担になる場合があります。これは重要な注意点です。
歯科衛生士が患者に指導を行う場面では、担当歯科医師または言語聴覚士(ST)の評価を踏まえた上で実施することが原則です。独断で手技を開始することは、患者の状態悪化につながるリスクがあります。連携体制の確認が条件です。
実際に患者へ指導する際の手順を、ステップごとに整理します。正確な手順の理解が、手技の効果を左右します。
まず前提として、患者が嚥下中に自分の喉頭の動きを感じ取れるよう、手技の前に「喉頭触診」の練習をしてもらうことが推奨されます。患者自身の手を甲状軟骨(のどぼとけ)に軽く当て、唾液嚥下を数回繰り返して「喉が上がる感覚」を意識化させます。この感覚の把握が第一歩です。
指導のコツとして、日本摂食嚥下リハビリテーション学会の資料では「喉を高いところで止める・こらえる」というイメージの言葉かけが有効とされています。抽象的な解剖学用語を使うより、患者が動作をイメージしやすい言葉を選ぶことが重要です。これは使えそうです。
なお、1回の練習セッションでの反復回数は5〜10回を目安とし、疲労が出た場合はすぐに中断します。嚥下関連筋は疲労しやすく、過度な反復は逆効果になることが報告されています。過負荷には注意が必要です。
mendelsohn手技は単独で使用されることもありますが、他の嚥下訓練法と組み合わせることで相乗効果が期待されます。歯科臨床でよく併用される手技との違いを整理しておくことは、患者への説明精度を高める上でも重要です。
シャキア法(Shaker Exercise) との比較では、目的に明確な違いがあります。シャキア法は舌骨上筋群の筋力増強そのものを目的とした体操(頭部挙上訓練)であり、筋力そのものを鍛えることが主眼です。一方mendelsohn手技は、嚥下動作中の随意的な喉頭保持による「UES開大時間の延長」が目的であり、筋力強化というよりは運動パターンの修正・調整に近い位置づけです。つまり目的が異なります。
息こらえ嚥下(supraglottic swallow) は、嚥下前に息を止めて声門を閉鎖し、誤嚥を防ぐことを目的とした手技です。声門閉鎖機能が低下している患者に適しており、mendelsohn手技とはターゲットとする障害機序が異なります。両者を混同しないことが基本です。
ただし、臨床上は複数の障害が合併することも多いため、VFSSやVEによる評価結果に基づき、これらを組み合わせたプログラムが処方されるケースも少なくありません。歯科衛生士として間接訓練・直接訓練に携わる際には、担当STまたは医師が設定したプログラム内容を正確に把握し、逸脱した指導をしないことが求められます。連携の確認を怠らないことが原則です。
参考リンク(日本摂食嚥下リハビリテーション学会による嚥下訓練法の概要)。
日本摂食嚥下リハビリテーション学会 公式サイト – 嚥下訓練に関するガイドラインや学術情報を確認できます
これはあまり語られない視点ですが、mendelsohn手技の効果は口腔内環境の状態によって大きく左右されます。口腔内の食塊形成能力が著しく低下している患者では、いかにUES開大時間を延長させても、食塊が咽頭に到達する前の段階で問題が生じており、手技の恩恵が十分に得られないケースがあります。これは意外な盲点です。
具体的には、義歯の不適合や舌圧低下(正常値の目安:舌圧計で30kPa以上)、口腔乾燥による食塊形成不全などが、mendelsohn手技の効果を減弱させる要因として挙げられます。歯科医・歯科衛生士の強みは、まさにこの「口腔機能管理」領域にあります。口腔内の問題を整えることが前提条件です。
実際に2022年に発表された国内の複数施設共同研究(Dysphagia関連)では、口腔衛生管理と嚥下リハビリを並行して行った群と、嚥下リハビリ単独群を比較した場合、前者のほうが誤嚥性肺炎の発症率が有意に低かったというデータが示されています。これは歯科従事者が嚥下リハビリに積極的に関与することの根拠となる重要な知見です。
口腔機能低下症(舌圧・咀嚼機能・嚥下機能などの複合的評価)の観点からmendelsohn手技の適応を判断する視点は、言語聴覚士や医師だけでなく、歯科サイドが独自に持てる強みです。つまり歯科視点が差別化になります。患者の全体像を口腔から評価し、必要に応じて義歯調整・舌圧訓練・口腔保湿ケアを並行させることで、mendelsohn手技の効果を最大限に引き出すことができます。
舌圧測定には「JMS舌圧測定器」などが臨床で広く用いられており、口腔機能低下症の診断基準(30kPa未満が異常値の目安)とあわせて日常的な評価に組み込むことを検討するとよいでしょう。測定結果を記録し、嚥下リハビリの効果判定指標の一つとして活用する方法は、患者・家族への説明にも説得力を持たせます。記録を残すことが大切です。
参考リンク(口腔機能低下症の診断基準と歯科での対応)。
日本歯科医師会 公式サイト – 口腔機能低下症に関する診断・管理の最新情報が掲載されています