咬合挙上を伴う義歯補綴に苦手意識を感じる先生は多いですが、じつは咬合高径が低下した患者に義歯を挙上せずに補綴すると、義歯床の破折リスクが2〜3倍以上跳ね上がります。
咬合挙上が必要かどうかを判断するのは、補綴治療の出発点です。まず押さえておきたいのは「咬合高径低下」というサインです。臼歯部の咬合支持が歯周病や抜歯によって失われると、上下顎前歯だけで咬合を支えるようになり、ディープバイト(過蓋咬合)が進行します。これを放置すると、義歯や補綴物を製作しても補綴空隙が確保できず、薄い義歯床が咬合力に耐えきれずに破折する、という問題が起きます。
臨床で見逃しやすい3つのサインがあります。
診断の基準として、前歯部のオーバージェット2mm・オーバーバイト2mmを解剖学的な目安にする考え方があります(ICD武内久幸先生・2017年論文)。また日本補綴歯科学会の有床義歯補綴診療ガイドラインでは、安静空隙を利用して垂直的顎間関係を正確に決定することが推奨されています。安静空隙が失われているケースでは、顎位の偏位も起きていることが多く、水平的な診断も同時に行うことが原則です。
パノラマX線写真と診断用模型を咬合器にマウントした上で、下顎が左右に偏位していないか、骨格的に改善の余地があるかどうかを評価することが、治療計画立案の土台になります。治療前に咬合器上で診断ワックスアップを行い、義歯や補綴物の補綴空隙を確認しておくことが大切です。
参考:有床義歯補綴診療ガイドラインの推奨事項(日本補綴歯科学会)
日本補綴歯科学会|有床義歯補綴診療のガイドライン(PDF)
挙上量の決定は、「どれだけ挙げても大丈夫か」ではなく、「その患者の生理的な咬合位をどこに設定するか」という発想で考えるのが基本です。
一般的な指針として、1回の挙上量は0.5〜2.0mm程度が適切とされています(保母、1974年)。感受性が高い患者では0.5mm以内にとどめ、段階的に増やしていく対応が求められます。急激な挙上は、咬合筋の筋紡錘に異常入力を与え、開口障害や咀嚼筋の疼痛を引き起こすリスクがあります。これは痛いですね。
臨床的な目安として「口唇位(上下口唇を軽く閉じて触れた位置)」を基準に設定する方法が提唱されています。口唇位より明らかに咬合高径が低い場合は、解剖学的平均値まで挙上する余地があります。また安静空隙(安静位と咬頭嵌合位の差)が2〜3mm設定できる位置に咬合高径を置くことが、補綴学的なスタンダードです。
義歯への具体的な応用手順を整理すると、以下のような流れになります。
重要なのは、治療用義歯はバイトプレーンとしての役割も兼ねているという点です。咬合面をフラットにすることで下顎運動の自由域が確保され、偏位した顎位を生理的な位置へ誘導する効果があります。つまり治療用義歯は「仮の入れ歯」ではなく、「咬合再構成のプロセスに欠かせない治療装置」と位置づけるのが正確です。
参考:咬合再構成における治療用義歯の意義(note版・1986年Quintessence投稿論文)
咬合再構成における治療用義歯(装置)の意義について|note
「咬合挙上は必ずすべきもの」と思い込んでいると、かえって治療が複雑になる場面があります。上下顎前歯部がしっかり咬合している場合、安易に咬合高径を上げると前歯部に過度な力がかかり、歯根破折や前歯の動揺を招くリスクがあります。これが基本です。
実際に、「上下前歯が咬合しているために咬合高径を挙げてはいけない」と判断した上で咬合挙上なしに補綴した症例が報告されています(古谷補綴症例18、2016年初診の67歳女性症例)。この症例では左側に補綴空隙が存在しないにもかかわらず、歯冠長延長術と連結固定によって補綴設計を解決し、治療終了後2年5ヵ月の経過でも良好な状態が維持されています。
では、どのような場合に挙上しない設計を選ぶのでしょうか?
「挙上すべきか否か」は、補綴空隙の確保・前歯部の咬合状態・患者の適応能力という3つの軸で判断します。この3点が条件です。挙上しない設計を選んだ場合でも、義歯床のレジン量不足による破折リスクを評価し、金属床や連結補綴によって義歯の強度を補う設計を検討することが重要です。
参考:咬合挙上しないで補綴した症例(古谷補綴クリニック)
18. 咬合挙上しないで補綴した症例|古谷補綴クリニック
咬耗が激しい患者に咬合挙上を行う場合、最大の課題は「補綴物が再び摩耗・破折しないか」という点です。挙上した咬合高径を長期間維持するためには、材料選択が補綴設計の鍵を握ります。
まず整理しておきたい事実があります。陶材(ポーセレン)は硬いために咬合面への使用で相対する歯質や補綴物に過剰な研磨性を示し、ブラキシズム患者では破折のリスクが高まります。一方でパラジウム合金などの金属は、咬合力の強い男性患者では金属であっても経時的に咬合面が摩耗します(加藤歯科医院Q&Aより)。咬耗を前提とした設計が必要ということですね。
咬耗・ブラキシズム患者への対応として、以下のような材料選択の原則があります。
また、咬耗が進行し再度補綴が必要になる可能性を患者に事前に説明しておくことも、長期的な信頼関係の構築につながります。これは使えそうです。長期的には摩耗が進行して咬合高径が再び低下し、リメイクが必要になるケースがあることを、治療計画の段階でインフォームドコンセントに含めておくことをお勧めします。
参考:咬耗患者への咬合挙上ポイント(加藤歯科医院・臨床Q&A)
咬耗の激しい患者に咬合挙上を行うときのポイント|加藤歯科医院
咬合挙上が「口の中だけの問題」と思われがちなのが最大の落とし穴です。咬合高径は全身骨格の一部を構成しており、特に頸椎・腰部への連鎖的な影響が確認されています。
ICD(国際歯科学士会)の武内久幸先生が発表した20年経過症例では、71歳男性(初診1995年)のディープバイト症例に対し、約5mm咬合高径を挙上した結果、問診票(約100項目)の全身的な不定愁訴が50%改善したことが報告されています。さらに患者は術後20年を経た94歳時点でも良好な全身状態を維持しており、咬合挙上が健康寿命に寄与した可能性が示唆されています。これは意外ですね。
咬合高径と全身のつながりを理解するために、3つのメカニズムが参考になります。
これらの研究は「咬合挙上すれば全身が治る」という主張ではありません。ただ、義歯補綴における咬合高径の設定は単なる機能回復の問題ではなく、患者の全身的なQOLに関わりうる治療判断であるという視点は、日常臨床においても持っておく価値があります。
一方で、「咬合高径は変えてはいけない」という1946年のJ.R.Thompsonに端を発する考え方も根強く存在します。実際、1976年のDawson『オクルージョンの臨床』でも「咬合高径を高くすることは間違った概念に基づき有害である」とされていました。現在はこの見解自体が再評価されており、解剖学的な指標を参考にした慎重な挙上は許容されるという認識が補綴学の潮流となっています。結論はエビデンスを踏まえた個別判断です。
参考:咬合挙上の20年経過症例と論文的背景(ICD Japan)
咬合挙上の一症例──20年経過症例から考える──|ICD Japan(PDF)
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