唾液腺腫瘍は、唾液を作る組織に発生する腫瘍の総称です。大唾液腺(耳下腺、顎下腺、舌下腺)と小唾液腺(口腔内や咽頭内に散在)のいずれにも発生する可能性があります。唾液腺腫瘍は良性と悪性に分類され、その比率はおよそ8:1~9:1と言われています。頭頸部がんの中でも3~5%程度と比較的稀な腫瘍ですが、その組織型は非常に多様で、WHO分類では20種類以上に分類されています。
唾液腺腫瘍の多くは耳下腺と顎下腺に発生し、耳下腺腫瘍が全体の60~70%、顎下腺腫瘍が20~30%を占めています。舌下腺や小唾液腺に発生するケースは比較的稀です。唾液腺腫瘍の原因については、現在も研究が進められていますが、完全には解明されていません。
唾液腺腫瘍の発症には、特定の遺伝子変異が関与していることが近年の研究で明らかになってきました。特に悪性腫瘍では、特徴的な遺伝子変異パターンが確認されています。
粘表皮がん(唾液腺がんの一種)では、CRTC1/3-MAML2という融合遺伝子が高頻度で検出されます。この遺伝子変異は粘表皮がんの約70%に認められ、診断の補助となるバイオマーカーとしても注目されています。
腺様嚢胞がんでは、MYB-NFIB遺伝子融合が特徴的です。この遺伝子変異は腺様嚢胞がんの約50%以上で確認されており、腫瘍の発生・進展に重要な役割を果たしていると考えられています。
多形腺腫(良性腫瘍の一種)では、PLAG1やHMGA2遺伝子の再構成が報告されています。これらの遺伝子変異は、多形腺腫由来がんへの悪性転化にも関与している可能性があります。
これらの遺伝子変異は、細胞の増殖シグナルを活性化させたり、腫瘍抑制遺伝子の機能を阻害したりすることで、唾液腺細胞の異常な増殖を引き起こすと考えられています。
唾液腺腫瘍の発症には、環境因子も関与していると考えられています。特に放射線被曝は、唾液腺腫瘍、特に悪性腫瘍のリスクを高めることが知られています。
頭頸部への放射線治療の既往がある患者さんでは、唾液腺がんの発症リスクが高まることが報告されています。これは、放射線によるDNA損傷が細胞の遺伝子変異を引き起こし、腫瘍化を促進するためと考えられています。
また、職業的な要因として、特定の化学物質への曝露も唾液腺腫瘍のリスク因子として指摘されています。ニッケル化合物や一部の工業用化学物質への長期曝露は、唾液腺腫瘍のリスクを高める可能性があります。
生活習慣の中では、過度の飲酒が唾液腺がんのリスクを高める可能性が指摘されています。アルコールやその代謝産物であるアセトアルデヒドには発がん性があり、唾液腺を含む頭頸部のがんリスクを上昇させることが知られています。
一方で、喫煙と唾液腺腫瘍の関連性については、明確なエビデンスは確立されていません。他の頭頸部がんとは異なり、唾液腺腫瘍の発症と喫煙の間には強い関連が認められていないのが特徴です。
唾液腺腫瘍の発症には、年齢や性別による特徴的なパターンが見られます。これらの疫学的特徴を理解することは、リスク評価や早期発見に役立ちます。
年齢については、唾液腺腫瘍全体としては中高年(50~70歳代)に多く発症する傾向がありますが、組織型によって好発年齢は異なります。例えば、多形腺腫(良性腫瘍の一種)は30~50歳代に多く、ワルチン腫瘍(良性腫瘍の一種)は60~70歳代の男性に多いという特徴があります。
性別による発症傾向も組織型によって異なります。全体としては、男女比に大きな差はないとされていますが、ワルチン腫瘍は男性に多く、多形腺腫は女性にやや多い傾向があります。悪性腫瘍では、腺様嚢胞がんは女性にやや多く、唾液腺導管がんは男性に多いという特徴があります。
また、小児の唾液腺腫瘍は比較的稀ですが、発生した場合は成人と比較して悪性腫瘍の割合が高いという特徴があります。小児の唾液腺腫瘍では、粘表皮がんが最も多い悪性腫瘍とされています。
これらの年齢・性別による発症傾向は、唾液腺腫瘍の診断において参考になる情報です。特に非典型的な年齢や性別での発症の場合は、より慎重な評価が必要となります。
唾液腺腫瘍の診断は、問診、視診、触診から始まり、画像検査、細胞診、組織診へと進みます。歯科医療従事者として、初期段階での異常の発見が重要です。
問診では、しこりに気づいてからの経過期間、大きさの変化、痛みの有無、顔面神経症状の有無などを確認します。急速な増大や痛み、顔面神経麻痺などの症状は悪性を示唆する所見です。
触診では、腫瘤の硬さ、可動性、周囲組織との癒着の有無を評価します。一般的に、悪性腫瘍は硬く、可動性に乏しい傾向があります。
画像検査としては、超音波検査(エコー)が初期評価に有用です。エコーでは、腫瘤の内部構造や血流の評価が可能です。さらに詳細な評価にはMRIやCTが用いられます。MRIは軟部組織のコントラスト分解能に優れ、腫瘍の進展範囲や周囲組織との関係を詳細に評価できます。
確定診断には穿刺吸引細胞診(FNA)が広く用いられています。FNAは外来で実施可能な低侵襲な検査ですが、唾液腺腫瘍の多様性から診断精度に限界があることも認識しておく必要があります。特に、良性・悪性の鑑別や正確な組織型の診断が難しいケースもあります。
最終的な確定診断は、手術で摘出された検体の病理組織学的検査によってなされます。唾液腺腫瘍は組織型が多様であるため、経験豊富な病理医による評価が重要です。
鑑別診断としては、リンパ節炎、唾液腺炎、唾石症、嚢胞性病変、リンパ腫などが挙げられます。これらの疾患との鑑別には、臨床所見と画像所見を総合的に評価することが重要です。
唾液腺腫瘍の治療は、腫瘍の種類(良性・悪性)、組織型、進行度、発生部位などによって異なりますが、基本的には外科的切除が第一選択となります。歯科医療従事者は、早期発見と適切な専門医への紹介、そして術後の口腔ケアにおいて重要な役割を担っています。
良性腫瘍の場合、腫瘍の完全切除が基本となります。特に多形腺腫では、腫瘍被膜を破らないように注意深く切除することが重要です。被膜が破れると腫瘍細胞が散布され、再発のリスクが高まります。
悪性腫瘍の場合は、腫瘍の完全切除に加えて、安全域を確保した拡大切除が行われます。顔面神経に浸潤している場合は、神経の切除と再建が必要になることもあります。また、リンパ節転移が疑われる場合は、頸部リンパ節郭清術が追加されます。
手術後の補助療法として、悪性度の高い腫瘍や切除断端陽性例、リンパ節転移陽性例などでは、放射線療法が追加されることがあります。化学療法の役割は限定的ですが、進行例や再発例では考慮されることがあります。
近年では、分子標的療法や免疫療法など新たな治療アプローチも研究されています。特に、特定の遺伝子変異を標的とした分子標的薬の開発が進んでおり、従来の治療法に抵抗性を示す症例に対する新たな選択肢として期待されています。
歯科医療従事者の役割としては、日常の歯科診療の中で唾液腺の異常を早期に発見し、適切な専門医へ紹介することが重要です。また、唾液腺腫瘍の治療後は、放射線療法による口腔乾燥や術後の咀嚼・嚥下機能の変化に対するケアも重要な役割となります。
さらに、唾液腺腫瘍の患者さんに対しては、定期的な口腔内検査を通じて再発や二次がんの早期発見にも貢献できます。特に放射線療法後の患者さんでは、放射線性う蝕や放射線性顎骨壊死のリスクが高まるため、適切な口腔ケアと定期的な歯科受診が重要です。
唾液腺腫瘍の診断と治療に関する日本口腔外科学会の最新ガイドライン
唾液腺腫瘍と口腔内環境の関連性については、直接的な因果関係は明確に証明されていませんが、いくつかの興味深い関連性が報告されています。歯科医療従事者として知っておくべき知見をご紹介します。
唾液は口腔内の自浄作用や抗菌作用を担っており、口腔内環境の恒常性維持に重要な役割を果たしています。唾液腺腫瘍により唾液分泌が低下すると、口腔乾燥症(ドライマウス)を引き起こし、う蝕や歯周病のリスクが高まる可能性があります。
また、慢性的な唾液腺炎や唾石症などの炎症性疾患が長期間持続すると、唾液腺組織に慢性的な刺激が加わり、稀ではありますが腫瘍化のリスク因子となる可能性が指摘されています。特に、慢性硬化性唾液腺炎(キュットナー腫瘍)と呼ばれる疾患では、長期的な経過の中で悪性リンパ腫の発生リスクが高まるという報告があります。
口腔内の不適合な補綴物や不良修復物による慢性的な機械的刺激も、小唾液腺腫瘍の発生に関連する可能性が指摘されています。特に口蓋や頬粘膜など、小唾液腺が多く分布する部位での慢性的な刺激は注意が必要です。
歯科医療従事者として、日常の診療の中で唾液腺の評価も行うことが重要です。特に、顎下腺や舌下腺の触診、口腔粘膜の視診を丁寧に行い、異常を早期に発見することが求められます。また、患者さんの訴える口腔乾燥感や唾液の性状の変化にも注意を払う必要があります。
唾液腺腫瘍の治療後は、唾液分泌量の低下により口腔内環境が変化することがあります。特に放射線療法を受けた患者さんでは、唾液腺の機能低下が顕著になることがあります。このような患者さんに対しては、人工唾液の使用や保湿剤の使用、フッ化物の応用などの対策が重要です。
また、唾液腺腫瘍の治療後の患者さんでは、定期的な口腔内検査を通じて、口腔乾燥に伴う二次的な問題(う蝕、歯周病、口腔カンジダ症など)の早期発見と対応が重要です。
唾液腺疾患と口腔内環境の関連性に関する最新の研究
唾液腺腫瘍と口腔内環境の関連性については、まだ解明されていない