多形腺腫は唾液腺に発生する良性腫瘍の中で最も頻度が高く、全唾液腺腫瘍の約50〜70%を占めています。「多形性」という名称は、腫瘍内にさまざまな種類の細胞が混在していることに由来しています。上皮性細胞と筋上皮細胞が混在し、多彩な組織像を呈することが特徴です。
発生年齢は幅広いですが、30〜40歳代に好発し、やや女性に多い傾向があります。九州歯科大学付属病院の10年間の臨床統計によると、全唾液腺腫瘍のうち良性腫瘍は68.0%、悪性腫瘍は31.7%であり、組織型別では多形性腺腫が49.2%で最も多いことが報告されています。
多形腺腫は大唾液腺である耳下腺に最も多く発生しますが、小唾液腺では口蓋に好発します。口唇、特に上唇に発生することは比較的まれであり、日本語文献上では小唾液腺腫瘍919例のうち上唇多形性腺腫は39例(4.2%)にすぎないとの報告があります。
多形腺腫の病理組織学的特徴は、その名前が示す通り「多形性」にあります。上皮様構造と間質様構造からなり、同一腫瘍内でも多種多様な像を呈します。
上皮様構造の領域では、腺管状、充実性、篩状や索状構造を呈して増殖を示します。腺腔を形成する腺上皮細胞と、その周りを取り囲む筋上皮細胞の2相性構造が特徴的です。腺上皮細胞は腺房様の分化を示したり、オンコサイトや扁平上皮への化生を示すことがあります。
一方、腫瘍性筋上皮細胞は多角形、紡錘形、形質細胞様や明細胞など多彩な形態を示します。これらの細胞は自ら基質を産生し、上皮成分の領域から解離して、粘液腫様、硝子様や軟骨様などの間質様構造の領域に移行します。
細胞診では、上皮性成分とともに間葉系成分が認められ、後者は多染性を示す細線維状の基質を伴っています。また、筋上皮細胞の出現は多形腺腫に特徴的な所見と考えられています。
通常、多形腺腫は線維性被膜に包まれていますが、不完全な部分があったり、小唾液腺由来の症例では完全な被膜形成を欠くことがあります。この被膜の不完全さが、腫瘍の再発や悪性化に関連する可能性があります。
多形腺腫の臨床症状は、その大きさと発生部位によって異なります。一般的には無痛性で緩慢に成長する境界明瞭な腫瘤として現れます。触診では弾性硬で可動性があることが多いです。
診断には以下の方法が用いられます:
多形腺腫のMRI所見は多様性があり、悪性唾液腺腫瘍との鑑別が必要な場合があります。千葉大学の研究では、多形腺腫のMRI所見の多様性について報告されており、悪性腫瘍との鑑別点が示されています。
穿刺吸引細胞診は、その解剖学的位置から考えて、唾液腺腫瘍の診断に適した方法の一つとされています。細胞診では、上皮性成分と間葉系成分の両方が確認できれば、多形腺腫の診断の助けになります。
多形腺腫は基本的に良性腫瘍ですが、長期間放置されると悪性化するリスクがあります。多形腺腫由来癌(carcinoma ex pleomorphic adenoma)は、既存の多形腺腫内に発生した癌腫で、長期間変化のなかった唾液腺腫瘤が急速に増大したり、潰瘍形成、顔面神経麻痺、疼痛などの症状を呈することがあります。
多形腺腫由来癌の発生年齢は多形腺腫に比べて高く、50〜70歳代で、女性にやや多いとされています。全唾液腺悪性腫瘍の約10%を占めるとの報告があります。
悪性化のメカニズムについては、科学研究費助成事業の研究成果報告書によると、多形腺腫が癌化する過程でCDK4、HMGA2、MDM2を含む12q13-15染色体の遺伝子の過剰発現が関与していると示唆されています。また、同一腫瘍内で良性部位と悪性部位が確認される多形腺腫由来癌の検体を用いた研究では、筋上皮細胞と導管上皮細胞の両者が長期経過中にDNA損傷などをうけて形質転換し、癌化する可能性が示唆されています。
悪性化のリスクを予防するためには、以下の対策が重要です:
多形腺腫の発生メカニズムについては、特定の遺伝子異常が関与していることが明らかになっています。多形腺腫の発生には、PLAG1(pleomorphic adenoma gene 1)遺伝子やHMGA2(high mobility group AT-hook 2)遺伝子の再配置が関与していることが報告されています。
PLAG1遺伝子は、多形腺腫の発生に深く関与する遺伝子として注目されています。この遺伝子の異常により、細胞増殖が促進され、腫瘍形成につながると考えられています。また、多形腺腫が癌化する過程では、CDK4、HMGA2、MDM2を含む12q13-15染色体領域の遺伝子の過剰発現が関与していることが示唆されています。
多形腺腫由来癌の研究では、p53遺伝子の異常も報告されています。多形腺腫内癌の約半数の症例では、悪性部分にのみp53が陽性であったとの報告があります。また、MIB-1陽性率も悪性部分で明らかに高いことが示されています。
興味深いことに、多形腺腫内癌の研究では、H-、K-、N-ras遺伝子のcodon12、13および61のpoint mutationの検索が行われましたが、検索したいずれの症例においてもras遺伝子の異常は見出されなかったという報告もあります。
これらの遺伝子研究は、多形腺腫の発生メカニズムや悪性化のプロセスを理解する上で重要な知見を提供しています。将来的には、これらの遺伝子異常を標的とした新たな治療法の開発につながる可能性もあります。
多形腺腫の治療は、基本的に外科的切除が第一選択となります。良性腫瘍であっても、長期間放置すると悪性化するリスクがあるため、適切な時期に切除することが推奨されています。
治療法の選択肢としては:
治療における注意点としては、不完全な切除は再発のリスクを高めるため、可能な限り腫瘍を被膜ごと一塊として切除することが重要です。特に口唇に発生した多形腺腫の場合は、術後の変形や機能障害が起こることを考慮して安全域を設定する必要があります。
予後に関しては、適切に切除された多形腺腫の予後は一般的に良好です。しかし、不完全な切除や被膜の破壊が生じた場合は再発のリスクが高まります。また、長期間放置された多形腺腫や再発を繰り返した多形腺腫では、悪性化のリスクが高まることに注意が必要です。
多形腺腫由来癌の予後は、浸潤の程度によって異なります。非浸潤型の場合は比較的予後が良好ですが、浸潤型の場合は予後不良となることがあります。全悪性腫瘍の5年および10年累積生存率はともに79.2%との報告もあります。
歯科医療従事者としては、口腔内に無痛性の腫瘤を認めた場合、多形腺腫の可能性を念頭に置き、適切な診断と治療を行うことが重要です。また、患者さんに対しては、良性腫瘍であっても長期間放置することのリスクを説明し、適切な治療を勧めることが大切です。