顎下腺は大唾液腺の一つであり、口腔内の健康維持に重要な役割を果たしています。解剖学的には顎舌骨筋の下に位置し、顎骨と顎二腹筋の間の三角形状の窩に収まっています。外部からは浅頸筋膜で覆われており、比較的保護された位置にあります。
顎下腺の大きさは楕円形で長さ2.5〜3.5cm、厚さ約1.5cmとなっており、耳下腺に次ぐ大きさを持つ唾液腺です。顎下腺管(ワルトン管)は腺の後端から出て、約5〜6cmの長さを持ち、舌下腺の内側を通過して舌下小丘に開口します。
組織学的には、顎下腺は大部分が漿液性であり、一部が混合性という特徴を持ちます。漿液性の部分には介在および線条導管がよく発達しており、漿液細胞が豊富に存在します。混合性の部分では漿液細胞と粘液細胞が共存し、漿液細胞が終末部の一隅に押され、半月を形成する特徴があります。
顎下腺の解剖学的位置を理解することは、臨床的に非常に重要です。顎下腺は顎舌骨筋の下方に位置し、顎二腹筋と顎骨の間の三角形の窩に収まっています。この位置関係を把握することで、顎下部の腫脹の鑑別診断や外科的アプローチの計画に役立ちます。
特に注意すべき点として、顎下腺管(ワルトン管)の走行があります。ワルトン管は顎下腺深部の前端から顎下腺外に出て、顎舌骨筋の後縁を上方に向かい、顎舌骨筋、舌骨舌筋とオトガイ舌筋の間を通ります。その後、舌下線の内側を前方へ向かい、大舌下線管とともに舌下小丘に開口します。
この走行経路上には重要な神経や血管が存在します。特にワルトン管後方の第2大臼歯レベルでは、後外方からワルトン管の下をくぐって、前内方(舌)へ並走する舌神経があります。外科的処置を行う際には、これらの解剖学的構造を十分に理解し、損傷を避ける必要があります。
顎下腺は口腔内における唾液分泌の約65〜70%を担っており、その機能は口腔内の健康維持に不可欠です。顎下腺から分泌される唾液は、粘り気が強く、主に食物の咀嚼や嚥下を助ける役割を果たしています。
顎下腺の唾液分泌は自律神経系によって制御されています。交感神経と副交感神経の二重支配を受けており、特に副交感神経の刺激により唾液分泌が促進されます。食事時には視覚や嗅覚、味覚などの刺激により反射的に唾液分泌が増加します。
顎下腺から分泌される唾液には、アミラーゼなどの消化酵素やムチンなどの糖タンパク質、リゾチームやラクトフェリンなどの抗菌物質が含まれています。これらの成分により、唾液は以下のような重要な機能を果たしています。
顎下腺の機能障害は、口腔乾燥症(ドライマウス)や唾液の質的変化をもたらし、う蝕や歯周病のリスク増加、嚥下困難、味覚障害など様々な口腔内の問題を引き起こす可能性があります。
顎下腺に関連する疾患は多岐にわたりますが、大きく分けると以下のように分類できます。
これらの疾患の中で、臨床的に最も頻度が高いのは唾石症です。唾石症は唾液腺導管内に結石を生じる疾患で、顎下腺に最も多く(約80%)発生します。その理由として、顎下腺の唾液がカルシウムやリン酸塩を多く含み粘稠度が高いこと、ワルトン管が長く複雑な走行をしていること、重力に逆らって唾液が上行することなどが挙げられます。
顎下腺唾石症の診断において、適切な画像検査は非常に重要です。唾石症の典型的な症状は、食事時に唾液腺が腫脹・疼痛(唾仙痛)を生じ、数分から数十分で症状が消退するというパターンを繰り返すことです。しかし、無症状のまま経過することもあり、画像検査による確定診断が必要となります。
顎下腺唾石症の画像診断には以下の検査法が用いられます。
画像検査では、唾石の位置(舌下小丘の近傍、腺管内、腺体内)および数の同定を行うことが重要です。特に治療方針の決定には、唾石が顎舌骨筋の前方にあるか後方にあるかの判断が重要となります。前方にある場合は口腔内からのアプローチが可能ですが、後方にある場合は顎下腺摘出を含めた口腔外からのアプローチが必要となることが多いためです。
顎下腺唾石症の治療は、従来は外科的摘出が主流でしたが、近年では低侵襲な内視鏡的アプローチが注目されています。内視鏡を用いた唾石摘出術は、患者の負担軽減と唾液腺機能の温存を目的としています。
内視鏡的治療の適応は、主に唾液腺導管内の唾石で、特に直径5mm以下の小さな唾石に対して有効です。導管内視鏡(シアロエンドスコープ)を用いることで、直接的な視覚化のもとで唾石を摘出することが可能となります。
内視鏡的唾石摘出術の手順は以下の通りです。
この方法の利点は、皮膚切開や唾液腺摘出を行わずに唾石を除去できることで、術後の合併症リスクが低く、唾液腺機能を温存できる点にあります。特に複数回再発する症例や、高齢者など侵襲的な手術のリスクが高い患者に適しています。
最新のアプローチとしては、体外衝撃波結石破砕術(ESWL)と内視鏡的治療を組み合わせた方法も報告されています。大きな唾石をESWLで細かく砕いた後、内視鏡的に残存破片を除去するという方法です。これにより、より大きな唾石にも低侵襲な治療が可能となっています。
日本口腔外科学会の報告によると、内視鏡的唾石摘出術の成功率は約85〜90%と高く、再発率も従来の外科的摘出と比較して低いとされています。ただし、内視鏡的アプローチが困難な症例(腺体内深部の唾石、非常に大きな唾石、強い癒着がある場合など)では、従来の外科的摘出術が選択されることもあります。
内視鏡的治療の詳細については、日本口腔外科学会のガイドラインが参考になります。
日本口腔外科学会 診療ガイドライン
顎下腺唾石症の治療選択においては、唾石の位置・大きさ・数、患者の全身状態、施設の設備状況などを総合的に判断し、最適な方法を選択することが重要です。歯科医師として、これらの最新治療法についての知識を持ち、適切に患者に情報提供できることが求められています。
顎下腺疾患、特に唾石症の予防と早期発見において、歯科医師の役割は非常に重要です。日常の歯科診療の中で、顎下腺疾患のリスク因子を持つ患者を識別し、適切な指導を行うことが求められます。
唾石症の予防のための患者指導ポイント
早期発見のためのスクリーニングポイント
歯科診療において、以下のような症状がある場合は顎下腺疾患を疑い、精査を検討すべきです。
これらの症状を認めた場合は、詳細な問診と触診、必要に応じて画像検査を行い、早期診断・早期治療につなげることが重要です。
歯科医師の役割と多職種連携
顎下腺疾患の管理においては、歯科医師だけでなく、耳鼻咽喉科医や口腔外科医との連携が重要です。特に以下のような場合は専門医への紹介を検討すべきです。
歯科医師は、口腔内の健康管理の専門家として、唾液腺疾患の予防と早期発見に重要な役割を果たしています。日常の診療の中で、患者の唾液腺の状態にも注意を払い、適切な指導と必要に応じた専門医紹介を行うことで、患者のQOL向上に貢献することができます。
予防と早期発見の重要性について詳しくは、日本口腔検査学会の資料が参考になります。
日本口腔検査学会