「歯肉炎と同じだからプラークを落とせば治る」と思い込んでいると、患者が5年後にインプラント喪失するリスクがあります。
インプラント周囲粘膜炎とは、インプラント周囲の軟組織(粘膜)のみに炎症が限局した状態のことを指します。2017年のAAP(アメリカ歯周病学会)とEFP(ヨーロッパ歯周病連合)による新分類では、バイオフィルム感染に起因するインプラント周囲軟組織の可逆的炎症過程として明確に定義されました。
臨床的な特徴として、Bleeding on Probing(BOP)陽性かつ視診による発赤・腫脹が認められますが、骨吸収は生じていない点が重要です。この「骨吸収がない」という点が、インプラント周囲炎との決定的な違いです。
天然歯に例えると、歯肉炎に相当するポジションに当たります。つまり可逆的な段階です。しかし同列に語るのは危険で、インプラント周囲粘膜炎は歯肉炎と病理組織学的に異なる側面をもっています。Berglundhらの研究(1995年)によると、インプラント周囲組織は天然歯と比較してコラーゲン含有率が高く線維芽細胞が少ない、いわば瘢痕組織に類似した特性を持ちます。これが炎症の波及パターンを変える一因となっています。
インプラント周囲疾患の分類は以下の4段階で整理できます。
| 分類 | 状態の概要 | BOP | 骨吸収 | 可逆性 |
|---|---|---|---|---|
| 健康なインプラント | 炎症所見なし・BOP陰性 | なし | なし | — |
| インプラント周囲粘膜炎 | 軟組織のみに炎症 | あり | なし | あり(可逆性) |
| インプラント周囲炎 | 骨吸収を伴う炎症 | あり | あり | なし(不可逆) |
| 軟組織・硬組織欠落 | 感染非関与の組織欠損 | — | あり | ケースによる |
「可逆性がある」という事実は大きなメリットです。つまりインプラント周囲粘膜炎の段階で介入できれば、インプラントを守ることができる。これが基本原則です。
日本口腔インプラント学会による周囲疾患リスクと課題の総説(朝日大学・辰巳順一教授)は信頼性の高い情報源です。
現場でこの数字を知っているかどうかで、メインテナンスへの緊張感がまるで変わってきます。インプラント周囲粘膜炎の平均有病率は約43%という報告があり、インプラント周囲炎(約22%)と合わせると、インプラント患者の約6割以上が何らかの周囲疾患を抱えている計算になります。
さらに衝撃的な数字があります。メインテナンスプログラムを受けていない患者では粘膜炎への罹患率が64%に達し、そのうち約43%が5年後にインプラント周囲炎に移行すると報告されています(dental-plaza.comの文献引用より)。
つまり、定期的なメインテナンスを受けていない患者のうち、5年で4割超がインプラントを危機的状況に追い込む病態へ進行するということです。
主な発症リスク因子を整理します。
なかでも「セメント溢出」は意外と見落とされがちなリスクです。上部構造をセメント固定した際に溢出したセメントが上皮組織に刺入し、局所的な炎症を引き起こした症例が実際に報告されています。プラークコントロール良好でもBOPが改善しない場合は、このリスクを疑う視点が必要です。
日本歯周病学会による「歯周病患者における口腔インプラント治療指針およびエビデンス2018」は、リスク評価と治療方針の基礎文書として有用です。
【日本歯周病学会公式】歯周病患者における口腔インプラント治療指針およびエビデンス2018(PDF)
インプラント周囲粘膜炎の臨床所見は、発赤・腫脹・BOP陽性が中心です。天然歯の歯肉炎と似た外観ですが、大きな落とし穴があります。自覚症状がほぼゼロということです。
痛みを感じる患者は非常にまれで、多くの患者は「特に気になっていない」と答えます。これが早期発見を難しくする最大の要因です。一方で、臨床家がプロービングを定期的に行っていれば、この段階での発見は十分に可能です。
診断基準(2017年分類に基づく)は以下のとおりです。
プロービングの解釈について注意が必要です。インプラント周囲では、プローブ先端がインプラントと骨の境界部近くまで達することがあります。これは天然歯とのコラーゲン線維走行の違い(垂直方向のみ・水平性の付着線維がない)によるものです。そのためポケット深さの「絶対値」より、ベースラインからの「変化量(相対値)」で評価することが原則となります。
プロービング圧は25g程度に抑え、軽い力で行います。圧が強すぎるとインプラント周囲上皮を損傷するリスクがあります。また、インプラント周囲の上皮再生は天然歯の約2倍かかる(天然歯:約2日 vs インプラント:約5日)ため、過頻度のプロービングは逆効果になり得ることも覚えておくと良いです。
1本のインプラントに対して6か所プロービングを行い、2か所以上でBOPが認められる場合に粘膜炎と判断するのが一般的な臨床的基準です。この基準に加え、唾液検査による細菌繁殖状況のチェック、レントゲンや歯科用CTによる骨の状態確認を多角的に行うことで、見落としを防ぎやすくなります。
インプラント周囲粘膜炎は可逆性の疾患です。適切な処置を行えば、炎症を消退させて健常な状態へ戻すことができます。これが治療の大きな動機です。
ただし、治癒に要する時間は歯肉炎より長くかかる可能性があることが研究で示されています(Salvi et al., 2011)。短期間で改善しないからといって「治療が失敗」とは判断せず、継続的なアプローチが求められます。
非外科的治療の基本ステップは以下のとおりです。
チタン製インプラント表面の清掃には、金属製スケーラーを使うとチタン表面に傷がつき、かえってプラークが付着しやすくなります。プラスチック製またはカーボンファイバー製の専用スケーラーを使用するのが鉄則です。
セルフケアの再教育も重要なステップです。インプラント患者の多くは過去のセルフケアが不十分だった経緯があります。歯間ブラシを1か所ずつ使い、出血がある箇所を患者自身が「見える化」することは、モチベーション維持にも効果的です。
治療後は炎症消退を確認したうえで、3か月に1回のメインテナンスへ移行します。状態が不安定な場合は毎月のメインテナンスを検討します。「治療が終わったから終了」ではなく、継続的なモニタリングが原則です。
インプラント周囲炎治療における非外科的アプローチの実際については、日本歯科医学会のシンポジウム資料も参考になります。
【日本歯科医学会・第65回学術大会資料】インプラント周囲炎の治療:非外科的対応(PDF)
インプラント周囲粘膜炎は、発症させないことが最大の治療です。そのためのメインテナンス体制の設計は、歯科医師だけでなく歯科衛生士が中心となって担う領域です。
現在、インプラント周囲粘膜炎の平均有病率は43%ですが、自院の数値がこれより低いなら「メインテナンスが機能している証拠」です。逆に高ければ、メインテナンスプロトコルの見直しが必要です。
メインテナンスのチェックポイントを整理します。
独自の視点として、インプラント患者への「歯を失った原因の振り返り」も非常に重要です。インプラント治療に至った背景が歯周炎であれば、同じリスク因子を持ち続けている可能性が高く、インプラント周囲炎への移行リスクも標準よりも高くなります。
歯科衛生士がメインテナンス時に行うインプラント周囲評価シートの活用は、早期評価に有効とされています(日本口腔インプラント学会・関東甲信越支部学術大会報告より)。評価シートにより、炎症の有無や変化を時系列で把握し、周囲炎への移行サインを見逃さない体制が構築できます。
なお、PCR値が20%以上になるとリスクが2.61倍になるという報告を踏まえると、20%を下回る状態の維持をセルフケア指導の目標値の一つとして設定することが実践的です。感覚的な指導で終わらず、数値でフィードバックすることがモチベーションの持続につながります。
また、リスクの高い患者(喫煙者・糖尿病患者・歯周病既往者)については、3か月ごとの通常メインテナンスよりも短い間隔での来院を促すことも検討します。インプラント周囲炎への移行を1例でも防げれば、患者にとっては多大な健康上・経済上のリスク回避につながります。インプラント周囲炎の治療は外科的処置が必要になることも多く、患者負担は治療費・時間・身体的苦痛のすべての面で大幅に増加します。粘膜炎の段階で介入できるかどうかが、インプラント長期成功の分かれ目です。
歯科衛生士によるインプラント周囲メインテナンスの実際については、GCデンタル社の臨床文献資料が参考になります。
【GCデンタル・臨床資料】インプラント周囲メインテナンスへの唾液内歯周病原細菌の影響(PDF)