ラップを貼るだけでは、バリアテクニックにならない場合があります。
バリアテクニックとは、歯科診療中に術者や補助者の手(グローブ)が触れる可能性の高い機器・器材の表面を、ビニール袋・ラップ・専用バリアシートなどで物理的に覆い、患者ごとに交換することで交差感染を防ぐ手法です。「バリア(barrier=障壁)」という言葉のとおり、唾液や血液などの湿性生体物質が機器表面に直接付着しないよう、物理的な壁をつくることが目的です。
この考え方の土台には「スタンダードプリコーション(標準予防策)」があります。スタンダードプリコーションとは、感染症の有無に関わらずすべての患者の血液・体液・唾液には感染性があるとみなして対応するという国際的な医療安全の概念で、CDC(米国疾病管理予防センター)が提唱しています。歯科医院は処置中に必ず口腔内に触れ、血液や唾液に接触するため、医科以上に標準予防策の徹底が求められます。
つまり標準予防策が基本です。
バリアテクニックが特に重要視される理由のひとつが、「洗浄や消毒が難しい機器」が歯科ユニット周りに多いという点にあります。ライトのハンドル・操作パネル・バキュームのグリップ部分・ヘッドレストなどは形状が複雑であったり、素材がアルコール清拭に弱い合皮製であったりするため、毎回確実に消毒するだけでは対応しきれないことがあります。このような場所にバリアを使うことで、汚染そのものを未然に防ぐことができます。
さらに、歯科用ユニットの高頻度接触部位を患者ごとにアルコール清拭するには、場合によって1患者あたり3〜5分ほどの作業時間が必要です。バリアテクニックを活用すれば、バリアを剥がして交換するだけで済むため、診療間の時間を大幅に短縮できるというコスト面の利点もあります。これは使えそうです。
参考:歯科における標準予防策の考え方と重要性(GC社・感染管理情報ページ)
https://www.gc.dental/japan/Infection_Control/prophylaxis/
バリアテクニックを実施する際に最初に理解すべきことは、「どこをバリアするか」という優先順位です。歯科ユニット全体をラップで包むわけではなく、「高頻度接触表面(=唾液・血液が付着したグローブで高頻度に触れる可能性がある部位)」を重点的にバリアします。
主な高頻度接触表面は以下の4か所です。
これらの場所は患者ごとに交換することが原則です。
また、見落とされがちな場所として「デジタルレントゲンのイメージングプレート用ホルダー」や「口腔内カメラの本体」「照射器本体」などがあります。処置中にグローブのまま触れる機会があるにもかかわらず、アルコール清拭だけで済ませているケースが少なくありません。厚生労働省の「一般歯科診療時の院内感染対策に係る指針(第2版)」でも、洗浄・消毒が難しい表面へのバリアの使用を推奨しています。
タービン使用時のエアロゾルは、患者の口腔を中心に半径5mに飛散するという報告もあります。東京ドームのグラウンド幅が約130mですから、5mというのは決して小さな範囲ではなく、処置中にいかに広範囲が汚染されうるかがわかります。意外ですね。
エアロゾルが飛散しやすい切削処置や超音波スケーラーによる除石の場面では特に、バリアテクニックを強化する意識が求められます。
参考:厚生労働省「一般歯科診療時の院内感染対策に係る指針(第2版)」(2019年)
https://www.mhlw.go.jp/content/000510471.pdf
バリアテクニックに使用できる素材は、大きく3種類に分けられます。機器専用の製品もありますが、目的を理解した上で代替品を使うことも十分に認められています。
素材を選ぶ際の注意点は2つあります。ひとつは、「バリアを外した後にも消毒清拭が必要」だという点です。バリアによって機器が直接汚染されていなくても、バリアを外す際に不潔面(外側)に触れてしまうことがあります。バリア除去後はウイルスに有効な消毒薬(0.1%次亜塩素酸ナトリウムまたは同等品)で必ず清拭することが推奨されています。
もうひとつは、「アルコール系消毒薬は歯科ユニットの合皮を劣化させる」という点です。消毒用エタノールは蛋白質を凝固させる性質があり、高頻度接触表面の清拭には不向きとされています。繰り返しアルコールを使用すると、ユニット表面の色あせや材質劣化を招くリスクがあります。
厳しいところですね。
このため、アルコール清拭を主体とする消毒体制の医院では、バリアテクニックとの組み合わせでユニットを長持ちさせながら感染対策の水準を保つことが現実的な選択肢となっています。
バリアテクニックの効果を最大限発揮するには、「貼る・外す・清拭する」の一連の流れをルーチン化(毎回決まった手順で行うこと)することが鍵です。以下に、診療前〜診療後の基本的な流れをまとめます。
| タイミング | 作業内容 | ポイント |
|---|---|---|
| 📋 患者誘導前 | 高頻度接触表面にバリアを設置 | グローブを装着する前に行う |
| 🦷 処置中 | バリアが外れていないか確認 | 処置の動作でずれやすい部位を把握 |
| 🚪 患者退室直後 | バリアを内側から外側に向けて外す | 不潔面(外側)に素手で触れない |
| 🧴 バリア除去後 | 0.1%次亜塩素酸ナトリウムまたはルビスタ®で清拭 | バリアの有無に関わらず清拭は必須 |
| ✅ 次患者誘導前 | 新しいバリアを設置して完了 | 清潔な手またはグローブで行う |
バリアを「外す」時の手順は特に重要です。使用済みのバリアは外側が不潔面になるため、外す際には内側(清潔な面)をつかんで内側に巻き込むようにして取り外し、素手が外側に触れないよう意識します。ちょうどグローブを脱ぐときの要領と同じです。
また、歯科医院でよく見られる問題として、「マウスやパソコンキーボードのバリアを忘れる」ことがあります。デジタルレントゲンのデータを患者に見せる場合、マウスやタブレット端末の操作をグローブのままで行うことがありますが、患者はその手の動きをしっかりと見ています。患者から「あのマウスは拭いているの?」と感じられることが、医院への信頼を損なうことにもつながります。
こうした見えにくい部分のバリアもシステム化しておくことが、医院全体の感染管理レベルを引き上げます。ルーチン化が基本です。
バリアテクニックは有効な手法ですが、これひとつで院内感染対策が完結するわけではありません。バリアでカバーできない領域をしっかりと補完することが、全体の感染管理の水準を保つうえで不可欠です。
まず、ハンドピース(エアタービン・コントラ・マイクロモーター)はバリアではなく、患者ごとのオートクレーブ滅菌が強く推奨されています。厚生労働省の指針でも「使用したハンドピースは患者ごとに交換し、オートクレーブ滅菌することが強く勧められる」と明記されています。ハンドピースは回転停止時にタービンヘッド内に患者由来の体液を引き込む「サックバック現象」が起こるため、アルコール清拭のみでは不十分と判断されています。これが基本です。
次に、スケーラー・バー・ファイルなどの器具類は、スポルディングの分類でいう「クリティカル」カテゴリーに該当し、使用後は洗浄・超音波洗浄・オートクレーブ滅菌のフロー全体を経る必要があります。バリアテクニックはあくまで「接触表面の環境汚染を減らす手法」であり、器具の滅菌とは別次元のことです。
さらに、手指衛生も独立した重要な対策です。診療前の流水・抗菌石鹸による手洗いと、診療中のグローブ交換(患者ごとに新品に交換)、診療後の速乾性アルコール手指消毒を組み合わせることが、CDCのガイドラインで推奨されています。
これらを組み合わせて初めて、包括的な院内感染対策になります。
バリアテクニックに加えてこれらの要素を一体として運用できている医院かどうかを確認したい場合は、院内感染管理に詳しい歯科感染管理者(資格認定制度あり)のいる医院に相談するか、所属医院のマニュアルを見直すことをおすすめします。
参考:歯科医療における感染管理のためのCDCガイドライン(日本語版・サラヤ株式会社)
https://med.saraya.com/themes/gakujutsu@medical/guideline/pdf/dentalcdc.pdf
バリアテクニックの本当の価値は、「個人の意識」に頼る感染対策から「院内システム」として機能する感染対策に昇格させる点にあります。どれだけ知識があっても、毎回の診療が多忙な中で個人の注意力だけに依存していると、抜け漏れが生じます。
一般社団法人DHマネジメント協会の資料では、「忙しいから感染対策は怠りました」は理由にならないと明記されています。これはその通りです。多忙な歯科医院でも確実に実施できるためには、以下のようなシステム化が有効です。
院内感染対策のシステム化を進める際、参考になるのが日本歯科感染管理者認定制度や、クインテッセンス出版から刊行されている専門書「歯科医師・歯科衛生士のための滅菌・消毒・洗浄・バリアテクニック」(吉川博政著)です。この書籍では、コストを抑えた現実的な院内感染対策の実践法が写真付きで解説されており、院内マニュアル整備の参考資料として多くの歯科医院で活用されています。
感染対策を「誰でも・毎回・同じレベルで」行えるシステムを作ること、それがバリアテクニックを院内に根付かせる最重要ポイントです。結論はシステム化です。
参考:クインテッセンス出版「歯科医師・歯科衛生士のための滅菌・消毒・洗浄・バリアテクニック」書籍ページ
https://www.quint-j.co.jp/products/3607