手袋をしていれば手指衛生は不要と考えている歯科医療従事者が約半数もいます。
歯科医療現場において、手指衛生は感染対策の最も基本的な要素です。
日本国内の医療機関で実施されたMEMO研究によれば、日本における医療者の患者接触前の手指衛生遵守率はわずか約19%という驚くべき結果が報告されています。つまり、10人中8人以上の医療従事者が、患者に触れる前に適切な手指衛生を実施していない計算になります。
遵守率が低いことが問題です。
歯科医療現場では、唾液、血液、削片などの体液に曝露される機会が極めて多く、手指を介した交差感染のリスクが常に存在します。しかし、実際の現場では手指衛生のタイミングが徹底されていなかったり、手袋の着脱で「手洗いをしたつもり」になってしまうケースも少なくありません。このような状況を改善するために、視覚的に学べる動画教材が注目されています。
動画による教育は、文字や口頭での説明と比較して、手技の細かな動きやタイミングを正確に伝えることができます。日本環境感染学会や東京都立病院機構などの公的機関が、WHOの「手指衛生の5つの瞬間」を日本の医療現場で撮影した教育動画を公開しており、これらの教材を活用することで、スタッフ全員が統一された基準で手指衛生を実践できるようになります。
日本環境感染学会の手指衛生教育動画では、実際の医療現場での手指衛生の実践方法が詳しく解説されています。
WHOが提唱する「手指衛生の5つの瞬間」は、歯科医療現場にも適用可能な国際的な基準です。
具体的には、①患者に触れる前、②清潔・無菌操作の前、③体液に曝露された可能性のある場合、④患者に触れた後、⑤患者周辺の物品に触れた後の5つのタイミングです。歯科診療においては、これらのタイミングが一連の治療の中で何度も繰り返されることを理解する必要があります。
タイミングは診療中に複数回訪れます。
例えば、口腔ケアや歯科処置の前(タイミング②)、分泌物の吸引後(タイミング③)、損傷皮膚のケアの前後(タイミング②と③)など、歯科特有の場面が数多く含まれています。サラヤ株式会社が公開している手指衛生の5つのタイミングには、「口腔・歯科ケアの前」「口腔・歯科ケアの後」が明確に例示されており、歯科医療従事者が参照すべき重要な情報源となっています。
診療の流れを考えると、患者さんが診療チェアに座った時点から、手指衛生のタイミングは始まります。まず患者さんに触れる前(血圧測定やバイタルチェックの前)、次に口腔内に触れる清潔操作の前、治療中に唾液や血液に触れた後、患者さんから離れた後、そしてカルテやパソコンなど周辺環境に触れた後です。
これらすべてのタイミングを意識することで、患者間の交差感染を確実に防ぐことができます。特に歯科診療では、一人の患者さんの診療中にも、器具の取り扱いや材料の準備など、清潔・不潔の区別が頻繁に切り替わるため、より細やかな注意が求められます。
サラヤ株式会社の手指衛生5つのタイミング解説ページには、歯科医療現場での具体的な適用例が豊富に掲載されています。
動画教材を単に視聴するだけでは、手指衛生の遵守率向上には不十分です。
効果的な教育プログラムを構築するには、動画視聴と実技演習を組み合わせた段階的なアプローチが必要です。まず、スタッフ全員で同じ動画を視聴し、手指衛生の目的とタイミングについての共通理解を形成します。その後、実際にアルコール手指消毒剤を使用して、動画で学んだ手技を実践します。
段階的な学習が効果的です。
擦式アルコール手指消毒剤による手指消毒では、適切な量(約3ml、ポンプ1プッシュ)を手に取り、消毒剤が乾くまで20~30秒間しっかりと擦り込むことが重要です。研究によれば、アルコール手指消毒液は30秒後で手指の細菌数を約3,000分の1に減少させ、1分後には10,000~100,000分の1まで減少させることができます。
手指衛生の6つのポイント(手のひら、手の甲、指の間、指先、親指、手首)を漏れなく擦ることで、洗い残しを防ぐことができます。特に親指は洗い残しが多い部位であり、人差し指からは指を折り曲げながら丁寧に擦り込む必要があります。
動画教材を選ぶ際には、歯科衛生士パスポートWebの「正しい手指消毒」や、大阪大学医学部附属病院感染制御部が制作した「手指衛生のプロフェッショナル」など、医療機関が作成した信頼性の高いコンテンツを選択することをおすすめします。これらの動画は、実際の医療現場での撮影により、リアルな状況での手指衛生の実践方法を学ぶことができます。
継続的な教育のためには、定期的な振り返りセッションを設けることが有効です。月に1回程度、短時間でも動画を再視聴し、スタッフ間でディスカッションする機会を作ることで、手指衛生の意識を高く保つことができます。
2016年の厚生労働省の調査で、歯科医の手袋を「患者ごとに交換している」医院は52%に過ぎないことが明らかになりました。
つまり、約半数近くの歯科医院が手袋を患者ごとに交換していない可能性があるということです。しかし、より深刻な問題は、手袋を交換していても、その前後に手指衛生を実施していないケースが多いという点です。
手袋だけでは感染は防げません。
手袋は物理的なバリアとして機能しますが、完全な防御ではありません。着用中に手袋が破損する可能性があり、また手袋を外す際に手指が汚染される可能性も常に存在します。グローブを外したときの手指衛生を省略すると、次の患者さんへの交差感染のリスクが高まります。
正しい手順は、まず手指衛生を行ってから清潔な手袋を着用し、診療後は手袋を適切な方法で外してから再度手指衛生を実施することです。診療中に同一患者さんであっても、清潔・不潔の区別が変わる場面(例えば、口腔内の処置から器具の準備に移る場合など)では、手袋を交換し、その都度手指衛生を行う必要があります。
手袋の上から速乾性手指消毒薬を使用することは、手袋上の微生物を完全に除去できないため推奨されません。また、手袋も破損しやすくなるため、必ず手袋を外してから手指衛生を行い、新しい手袋を着用するという手順を守ることが重要です。
手袋着脱の適切なタイミングと手指衛生を組み合わせることで、患者さんの安全を守ると同時に、医療従事者自身の感染リスクも低減することができます。この意識を医院全体で共有し、日常的に実践することが、真の感染対策につながります。
手指衛生の遵守率が低い要因として、設備の不備(37.6%)、面倒である(27.5%)、手が荒れる(26.2%)が報告されています。
これらの障壁を取り除くためには、物理的な環境整備と、医療従事者の健康管理の両面からアプローチする必要があります。まず環境面では、ポイントオブケア、つまり診療の実施場所のすぐ近くにアルコール手指消毒剤を配置することが効果的です。
環境整備が遵守率を上げます。
歯科ユニットごとに手指消毒剤を設置し、さらに個人携帯用のボトルをスタッフ全員に配布することで、「消毒剤が遠くて面倒」という障壁を取り除くことができます。研究によれば、アルコール手指消毒剤の適用時間を15秒に減らしても30秒の手指消毒と比較して同等の効果が得られ、むしろ手指消毒行動の頻度を有意に増加させる結果となったという報告もあります。
手荒れ対策については、正しい知識を持つことが重要です。実は、アルコール手指消毒剤は石けんと流水を用いた手洗いよりも皮膚の乾燥や刺激が有意に少ないことが複数の研究で証明されています。手指衛生方法としては、アルコール手指消毒剤が最も手荒れをおこしにくいのです。
手荒れが発生する主な原因は、頻回の手洗いによる皮膚の脂質層の除去や、保湿ケアの不足です。対策としては、保湿剤を含むアルコール製剤を選択すること、アルコール消毒後にハンドクリームや保湿剤を使用すること、そして手荒れが悪化した場合には早めに皮膚科を受診することが挙げられます。
手荒れを放置すると、皮膚表面に亀裂が生じ、そこに微生物が定着しやすくなります。その結果、手指衛生の効果が低下し、さらには患者さんへの感染リスクも高まります。医療従事者の手の健康を守ることは、患者さんの安全を守ることに直結するため、組織として手荒れ予防に取り組むことが必要です。
職場で低刺激性のアルコール製剤を導入する、定期的にハンドケア製品を配布する、手荒れに関する相談窓口を設けるなどの取り組みにより、スタッフが安心して頻回の手指衛生を実践できる環境を整えることができます。手指衛生の遵守率向上と手荒れ予防は両立可能であり、適切な知識と対策により、持続可能な感染対策を実現できます。