顎下腺を摘出すると、口腔乾燥で術後のう蝕リスクが急増します。
顎下腺摘出術は、唾石症(唾石が顎下腺内に存在する場合)、良性腫瘍、反復性炎症などを主な適応としています。近年は美容目的(フェイスラインのたるみ改善)での需要も増えており、適応の幅が広がっています。
治療法の選択は、唾石の位置によって大きく異なります。
| 術式 | 対象 | 特徴 |
|---|---|---|
| 口内法(経口法) | 顎下腺管内・移行部の唾石 | 皮膚切開なし。舌神経麻痺のリスクあり |
| 口外法(顎下腺摘出術) | 腺体内唾石・反復性炎症・腫瘍 | 頸部切開を伴う。顔面神経下顎縁枝の損傷リスクあり |
| 唾液腺管内視鏡下摘出術 | 管内唾石(比較的小さいもの) | 低侵襲。ただし腺体内唾石には限界あり |
従来、腺体内唾石には一律に顎下腺摘出術が選択されてきました。しかし近年の唾液腺内視鏡の発展により、内視鏡補助下で腺体内唾石を摘出できるケースが増えています。つまり「腺体内=必ず摘出」は必ずしも正確ではありません。
歯科医や口腔外科医が患者に適応を説明する際は、「唾液腺内視鏡の適応可否を先に確認する」という順序が、侵襲を最小限にする上で重要です。術前に十分な画像診断(CT・エコー)を行い、唾石の位置・サイズ・個数を確認してから術式を選択することが基本です。
口外法による顎下腺摘出術の入院期間は一般的に6〜7日間程度で、3割負担の場合の費用は概算で126,000円前後となります(黒部市民病院の診療計画書より)。患者へのインフォームドコンセントの際には、費用面と入院期間の見通しを具体的に伝えることが求められます。
顎下腺が担う唾液分泌の割合を正確に理解しておくことは、術後管理において非常に重要です。
健常成人の1日の唾液分泌量はおよそ1,000〜1,500mLとされています。このうち、安静時唾液(外的刺激なしに常に分泌される唾液)の60〜75%を顎下腺が担っています。一方、食事中などの刺激時唾液は主に耳下腺が分泌します。
つまり安静時唾液に関しては、顎下腺がなくなることで大部分が失われるということです。
残りの唾液腺(耳下腺・舌下腺・小唾液腺)が補完的に働くため、すべての患者が重篤な口腔乾燥症を発症するわけではありません。しかし、唾液分泌量が通常の1/2以下になると口腔乾燥症が生じるとされており、術後の経過によっては口腔乾燥のリスクが高まります。
唾液には以下の重要な口腔保護機能があります。
これらの機能が低下すると、術後の患者はう蝕・歯周病・口臭・嚥下障害・味覚障害などのリスクが高まります。歯科医師・歯科衛生士の立場からは、術後の唾液分泌量を定期的にモニタリングし、口腔保湿剤の使用指導や食生活指導を積極的に行うことが求められます。
特に注意が必要なのが、「術後しばらくすると症状が落ち着く」と思われがちな点です。実際には時間が経つにつれ口腔乾燥が慢性化しやすく、気づかないうちにう蝕が多発するケースがあります。術後1か月・3か月・6か月の定期的な口腔内チェックが原則です。
参考:唾液腺の手術と唾液量変化の関係(医書.jp)
唾液腺の手術を受けると,唾液は減るのでしょうか?(鈴木貴博ら、耳鼻咽喉科展望2023年9月)
顎下腺摘出術の最も深刻なデメリットのひとつが、神経損傷のリスクです。これは数字で把握しておく必要があります。
2025年にAesthetic Surgery Journal誌に発表された3,379例を対象とした包括的レビューによると、顎下腺切除術に関連する神経損傷の発生率は3.97%(40例)でした。100人に4人に達する数字です。
顎下腺摘出術で損傷しやすい神経は2つあります。
特に問題なのは、顔面神経下顎縁枝は末梢での吻合枝がないため、損傷した場合には永久麻痺を起こす可能性があるという点です(大阪医科大学、2016年)。神経は非常に細く複数本存在することもあり、発見自体が困難なケースもあります。また、慢性炎症で周囲組織と癒着している場合には、さらにリスクが高まります。
舌神経に関しては、口腔外科総合研究所の相談事例として、顎下腺摘出後10年近くたっても舌の右半分のしびれが回復しないという事例が報告されています。こうした症例は「少々の損傷なら時間で回復する」という楽観的な見方を覆すものです。
神経麻痺が長引いた場合、残された選択肢として「神経縫合術」や「神経移植術」が挙げられますが、いずれも高度な専門性を要する手術であり、回復が保証されるわけではありません。厳しいところですね。
歯科従事者として患者への術前説明に関わる際は、「神経損傷が起こりうること」「永久麻痺になる場合もあること」を、具体的な数字とともに丁寧に伝えることがインフォームドコンセントの要件となります。
参考:顎下腺切除術の美容的効果と合併症に関する包括的レビュー
顎下腺切除術の美容的効果と合併症:3,379例のレビュー(CareNet Academia、2025年5月)
神経損傷や唾液減少ほど注目されていないものの、顎下腺摘出術後には複数の合併症が一定の頻度で発生します。先述の3,379例レビューのデータを整理しておきましょう。
| 合併症 | 発生率 | 主な症状・影響 |
|---|---|---|
| 頸部硬結 | 21.43%(21例) | 術後の瘢痕組織による頸部の硬さ・違和感 |
| 神経損傷 | 3.97%(40例) | 顔面・舌の麻痺・しびれ・味覚障害 |
| 唾液貯留 | 1.33%(21例) | 術後に唾液が周囲組織に貯まる状態 |
| 血腫 | 1.15%(16例) | 出血が皮下に貯留し腫脹・疼痛が生じる |
| 唾液瘻 | 0.82%(6例) | 唾液が創部から漏れる状態。感染リスクを伴う |
| 口腔乾燥症 | 0.13%(1例) | 慢性的な口腔内乾燥 |
注目すべきは、頸部硬結(瘢痕組織の形成)が21.43%と突出して高い割合を示している点です。約5人に1人に生じる計算となります。頸部硬結は開口障害や頸部の可動域制限を引き起こすことがあり、術後の生活の質(QOL)に直結します。これは使えそうな情報ですね。
唾液瘻は比較的まれですが、発症すると創部からの唾液漏出により感染リスクが高まります。美容目的で顎下腺切除を行うクリニックでは、切除断面にボトックスを注射して一時的に唾液分泌を抑制する手技(残存腺への処置)を行うケースもあります。
また、血腫は術後早期(24〜48時間以内)に生じることが多く、適切なドレーン管理と圧迫処置が重要です。歯科医療機関で術後フォローを担当する場合、頸部の腫脹や疼痛の急激な増悪がみられたら、血腫の発生を疑い速やかに外科への紹介を判断することが必要です。
美容目的での顎下腺摘出は、疾患治療目的の手術と異なり、「ゼロリスク」の患者に侵襲を加えるという点で倫理的な側面も含みます。歯科医として患者相談を受けた際には、こうした合併症の数字を提示した上で、ボトックスによる非外科的縮小や経過観察などの代替手段も提案できるようにしておくことが望ましいです。
顎下腺摘出術に際して、歯科医師・歯科衛生士が実践的に介入できる場面は複数あります。この視点は他の記事にはあまり書かれていない部分です。
術前管理(周術期口腔機能管理)として行うべき内容は以下の通りです。
周術期口腔機能管理は保険算定が可能な処置であり、術前・術後それぞれ1回ずつ専門的口腔衛生処置を算定できます。つまり歯科医療機関にとっては収益面でも意義のある関わりとなります。
術後管理においては、以下の点に注意が必要です。
術後の患者は、唾液量が低下していることを前提とした口腔管理が求められます。唾液分泌を補助するための保湿剤(ジェルタイプ・スプレータイプ)の使用を具体的に指導することが効果的です。ただし、保湿剤の重ね塗りは膜状になり誤嚥・窒息のリスクになるため、適切な使用量と塗布方法をあわせて指導してください。
また、術後にドライマウスが慢性化すると、虫歯が急増することがあります。このリスクを抑えるために、フッ化物応用(フッ素含有歯磨剤・フッ化物洗口)の積極的な導入が有効です。特にフッ化物高濃度歯磨剤(フッ素濃度1,450ppm)の使用を推奨することが、術後う蝕予防の基本です。
定期メインテナンスは術後3か月以内に初回を設定し、以後は唾液分泌量の経過をモニタリングしながら間隔を調整することが原則です。唾液量が正常範囲に戻らない場合は、口腔乾燥症として継続的な専門ケアが必要になります。
歯科従事者が顎下腺摘出術後の患者に継続して関わることで、う蝕の多発・歯周病の悪化・嚥下障害といった二次的な口腔合併症を大幅に減少させることができます。結論は「術前から始める関わりが患者の予後を左右する」ということです。
参考:周術期口腔機能管理の実務と歯科衛生士の役割
歯科衛生士が知っておきたい周術期等口腔機能管理の知識と対応(日本歯周病学会)