歯ブラシだけで磨いても、歯垢は約40%も残ったままです。
口腔衛生指導(OHI:Oral Hygiene Instruction)は、歯科医院における予防の要です。しかし、現場では「TBI(Tooth Brushing Instruction)」つまり歯磨き指導と混同されることが多く、実際には歯磨き方法だけを伝えて終わっているケースも少なくありません。
OHIとTBIの違いは明確です。TBIは主に歯ブラシの使い方に特化した指導を指しますが、OHIはブラッシングにとどまらず、補助清掃用具の選択・食生活の改善・生活習慣の見直し・全身疾患との関連まで含めた総合的な指導を指します。OHIが上位概念です。
つまり、TBIはOHIの一部にすぎません。
「歯磨き方法を教えれば十分」と考えていると、患者のむし歯や歯周病を根本から改善することは難しくなります。今日の予防歯科では、OHIという広い視野で患者の口腔・全身をトータルに支援することが求められています。
OHIには大きく以下の要素が含まれます。
- ブラッシング指導:歯ブラシの角度・力加減・動かし方の正しいレクチャー
- 補助清掃用具の指導:デンタルフロス・歯間ブラシ・タフトブラシなど患者に合った用具の選択と使い方指導
- フッ化物応用の指導:フッ化物配合歯磨剤の正しい使用量・うがい方法・歯面塗布の意義の説明
- 食生活・シュガーコントロール:むし歯リスクとなる砂糖の摂取回数・種類・間食習慣の改善指導
- 全身疾患を考慮した指導:糖尿病・循環器疾患・骨粗鬆症などとの関連を踏まえた個別対応
このように、OHIは「一人ひとりの患者の生活に踏み込んだ指導」です。歯科衛生士の専門性が最も発揮される業務と言えます。
参考:OHIとTBIの概念の違いについて歯科専門メディアが解説しています。
ブラッシング指導は口腔衛生指導の入口です。ただし、現場でよく起こるのが「磨き方を教えたのに改善しない」という状況です。これは、歯ブラシ単独ではそもそも歯垢を全部落とせない構造的な問題があります。
歯ブラシのみで磨いた場合の歯垢除去率は約60%です。フロスを加えると80〜86%、歯間ブラシも使うと90%近くまで向上するとされています。ちょうど100点満点のテストで、歯ブラシだけなら60点しか取れないイメージです。
清掃率60%が基本、と覚えておきましょう。
それにもかかわらず、日本のデンタルフロス使用率は約20%にとどまっています(ライオン株式会社調べ・2014年)。アメリカでは約60%が使用していることと比較すると、日本における補助清掃用具の指導の必要性がいかに高いかがわかります。
現場では、患者に補助清掃用具を勧めても「めんどう」「どれを買えばいいかわからない」という声が出ることがあります。この課題に対応するためには、「なぜ必要か」という根拠を患者が納得できる言葉で説明することが先決です。
- デンタルフロス:隣接面の清掃に最適。歯肉が健康で歯間が狭い場合に特に有効
- 歯間ブラシ:歯肉が退縮して歯間に三角形の隙間がある患者向け。ブリッジのある患者にも推奨
- タフトブラシ:奥歯の遠心面・矯正器具周囲・清掃困難部位に対応できる
補助用具を「患者の口腔内の状態に合わせて選ぶこと」が大前提です。一律に同じものを勧めるのではなく、プロービング結果や口腔内写真を見ながら「この場所に合うのはこれです」と示すことで、患者の行動変容につながります。
参考:デンタルフロスと歯間ブラシの使い分けについての解説があります。
歯や口の清掃状況 デンタルフロスや歯間ブラシを使った清掃状況(ライオン歯科衛生研究所)
「甘いものを食べなければ虫歯にならない」と思っている患者は多いです。これは半分正解で、半分は誤解です。歯科医療従事者として正確な情報を伝えることが、効果的な食生活指導の第一歩になります。
むし歯との関係で重要なのは、砂糖の「総量」よりも「摂取回数」です。1日3回の食事の味付けに使う砂糖は虫歯リスクが低いとされていますが、1日3回以上の間食を繰り返すと、口腔内のpHが低下した状態が長く続き、脱灰が進みやすくなります。「量」ではなく「頻度」が問題です。
間食の回数が多いほどリスク増です。
具体的に言うと、夕食後にチョコレートを1粒食べることより、仕事中にずっと飴をなめ続ける習慣の方がはるかにむし歯のリスクが高くなります。患者にこのイメージを持たせることが、指導の核心です。
食生活指導の実践では、以下の点を患者に確認しながら進めるのが効果的です。
| チェック項目 | 理想的な状態 |
|---|---|
| 間食の回数 | 1日1〜2回まで(時間を決める) |
| 飲み物の種類 | 水・お茶が基本(砂糖入り飲料は避ける) |
| だらだら食べ | NG(食事時間を区切る) |
| キシリトール活用 | ガム・タブレットで代替甘味料を取り入れる |
シュガーコントロールは、「食べるな」ではなく「食べ方を変える」指導です。患者の生活習慣を否定せず、小さな変化から提案することがモチベーション維持につながります。
また、キシリトールは砂糖と同じ甘さを持ちながらむし歯菌(ミュータンス菌)が利用できない代用甘味料です。間食習慣がある患者には、砂糖不使用のキシリトールガムへの切り替えを提案することが現実的です。
参考:砂糖摂取量と虫歯リスクの関係について厚生労働省e-ヘルスネットが解説しています。
フッ化物(フッ素)応用は、口腔衛生指導の中でも見逃されやすい領域です。「フッ素入り歯磨き粉を使っている」という患者は多いですが、使い方が間違っていては十分な効果が得られません。
フッ化物の局所応用には主に3つのアプローチがあります。フッ化物配合歯磨剤(市販品)、フッ化物洗口(専用液でのうがい)、フッ化物歯面塗布(歯科医院でのプロ処置)の3種類です。この3つを組み合わせることで、単独よりも高いう蝕予防効果が得られます。
3つの組み合わせが効果的です。
患者が日常でやりがちな間違いが、歯磨き後に「しっかりうがいをする」ことです。実は、フッ化物の効果を最大限引き出すには、歯磨き後は少量の水で1回だけすすぐにとどめた方がよいとされています。日本では「磨いた後はしっかりうがい」という習慣が根付いていますが、フッ素を流し切ってしまっているのが実情です。
意外ですね。
指導のポイントは以下の通りです。
- 歯磨剤の量:年齢に合わせた量を守る(成人は歯ブラシ全体に行き渡る量、6歳以上なら1500ppm程度のフッ素濃度製品が有効)
- うがいは最小限に:磨いた後は少量の水(5〜15ml)で1回だけすすぐ
- 就寝前のブラッシング:就寝中は唾液が減少するため、就寝前にフッ化物配合歯磨剤でブラッシングすることが最も効果的
- フッ化物洗口:学校や高齢者施設での集団応用も推奨されており、週1回法と毎日法がある
歯面塗布は、高リスク患者・小児・高齢者に特に推奨されます。こうした知識を持つ歯科衛生士が患者に丁寧に伝えることで、セルフケアの質が格段に上がります。
参考:フッ化物応用の種類と使用方法について詳しい解説があります。
口腔衛生指導の最前線として今注目されているのが、全身疾患との連携を意識した指導です。「お口のことはお口だけの話」という考え方は、すでに時代遅れです。
最も典型的なのが、歯周病と糖尿病の双方向の関係です。歯周病があると血中のTNF-αという炎症性物質が増え、インスリンの効きが悪くなり血糖値が上がりやすくなります。一方で、糖尿病患者は免疫機能の低下により歯周組織が破壊されやすく、歯周病が進行しやすい状態になります。これは悪循環です。
注目すべきは、歯周治療によるHbA1c(ヘモグロビンA1c)への効果です。日本歯科医師会の資料によると、適切な歯周治療でHbA1cが平均0.4%改善するというデータがあります。これは糖尿病の薬1剤分に相当するとも言われており、口腔内のケアが全身の治療と同等の価値を持つことを示しています。
つまり、口腔衛生指導は全身医療の一部です。
歯科医療従事者が全身疾患の視点を持つことで、患者への説明が変わります。「歯周病を放置すると糖尿病が悪化するリスクがあります」という一言が、患者のセルフケアに対するモチベーションに直結します。単なる「磨き方の指導」では得られない動機づけです。
また、歯周病と関連する全身疾患は糖尿病だけにとどまりません。
- 心疾患・脳梗塞:歯周病菌が血流に乗り血栓形成に関与する可能性
- 誤嚥性肺炎:口腔内細菌が気道に入り肺炎を引き起こすリスク(特に高齢者・要介護者)
- 骨粗鬆症:骨の代謝異常が歯槽骨にも影響し歯周病と相互作用
- 認知症:歯の喪失・咀嚼機能低下と認知機能低下の関連が研究で報告されている
こうした情報を口腔衛生指導の中で患者に伝えることで、「歯科に通うことが全身の健康を守ること」という意識が生まれます。これは、患者のメインテナンス継続率を上げることにもつながります。
現場で活用したいツールとしては、唾液検査(SMT)があります。細菌数・む酸性・緩衝能・血液反応など複数の指標を一度に測定でき、OHIの動機づけ資料として活用する歯科医院も増えています。患者に「見える化」することで、行動変容が促されやすくなります。
参考:歯周病と糖尿病の相互関係について、日本歯科医師会が詳しく解説しています。