3日間の抗菌薬投与でも耐性菌リスクは存在する
歯科医療で使用する薬剤は、局所麻酔薬、抗菌薬、消炎鎮痛薬、根管治療薬など多岐にわたります。これらの薬剤の薬理作用を正しく理解することは、安全で効果的な歯科治療を行う上で欠かせません。薬理作用とは、薬物が生体に及ぼす作用のことで、興奮作用、抑制作用、補充作用、刺激作用、殺菌作用の5つの基本形式に分類されます。
歯科診療における薬剤選択では、単に治療効果だけでなく、患者の全身状態や服用中の薬剤との相互作用を考慮する必要があります。例えば、高血圧や糖尿病などの全身疾患を持つ患者に対しては、局所麻酔薬に含まれる血管収縮薬(アドレナリン)の使用量に注意が必要です。また、骨粗鬆症治療薬のビスホスホネート製剤を服用している患者では、抜歯後に顎骨壊死のリスクが高まることが知られています。
つまり薬理知識が必須です。
薬剤の作用機序を理解することで、副作用の発現メカニズムや薬物相互作用のリスクを予測できるようになります。特に高齢患者では複数の薬剤を服用していることが多く、ポリファーマシー(多剤併用による有害事象)のリスクが高まります。歯科医療従事者は、処方する薬剤だけでなく、患者が日常的に服用している薬剤についても把握し、総合的な薬物療法管理を行う責任があります。
薬剤の適正使用は、患者の安全確保とともに、薬剤耐性菌(AMR)対策の観点からも重要です。不必要な抗菌薬の投与や投与期間の不適切な設定は、耐性菌の出現を促進し、将来的に治療困難な感染症を引き起こす可能性があります。2050年には薬剤耐性菌による死亡者数が年間1000万人に達するという予測もあり、歯科領域でも抗菌薬の適正使用が強く求められています。
厚生労働省「抗微生物薬適正使用の手引き 第四版 歯科編」では、歯科診療における抗菌薬の適正使用に関する詳細なガイドラインが示されています。
歯科診療で最も頻繁に使用される薬剤が局所麻酔薬です。現在日本で使用されている主な歯科用局所麻酔薬は、キシロカイン(リドカイン)、オーラ注(リドカイン)、シタネスト(プリロカイン)、スキャンドネスト(メピバカイン)の4製品です。これらは麻酔薬本体と血管収縮薬の配合によって特性が異なります。
キシロカインは塩酸リドカインに血管収縮薬のアドレナリンが混合されており、最もポピュラーに使用されています。アドレナリンの血管収縮作用により局所麻酔薬の吸収が遅延し、麻酔効果の持続時間が延長されるとともに、全身への吸収による副作用リスクが軽減されます。ただし、アドレナリンを含有する麻酔薬は、特定の薬剤との相互作用に注意が必要です。
危険性が高いのは薬物相互作用です。
三環系抗うつ薬や非選択性β遮断薬とアドレナリン含有麻酔薬を併用すると、血圧上昇や徐脈などの循環器系の副作用が起こる可能性があります。三環系抗うつ薬はアドレナリン作動性神経終末でのカテコールアミンの再取り込みを阻害するため、アドレナリンの作用が増強されます。β遮断薬との併用では、α受容体刺激作用が優位となり血管収縮が増強され、血圧上昇のリスクが高まります。
一方で、抗精神病薬(フェノチアジン系など)との併用では逆に血圧低下が起こることがあります。これらの薬剤はα受容体を遮断するため、アドレナリンのβ2受容体刺激作用が優位となり、血管拡張による血圧低下を引き起こします。このため、抗精神病薬の添付文書にはアドレナリンとの併用が禁忌と記載されている場合があります。
シタネストやスキャンドネストは血管収縮薬を含まない、またはフェリプレシンという異なる血管収縮薬を含有する製剤で、アドレナリンによる相互作用のリスクが懸念される患者に使用されます。高血圧、動脈硬化、心不全、甲状腺機能亢進症、糖尿病のある患者では、アドレナリン含有量の少ない製剤や含有しない製剤の選択が推奨されます。
局所麻酔薬の選択にあたっては、患者の服用薬を必ず確認し、相互作用のリスクを評価する必要があります。特に循環器系疾患の治療薬や精神科領域の薬剤を服用している患者では、バイタルサインのモニタリングを行いながら慎重に投与することが重要です。
JR札幌病院「実例から考える!歯科用局所麻酔薬の選択・使い分け」では、臨床現場での具体的な使い分け方法が詳しく解説されています。
歯科領域における抗菌薬の適正使用は、薬剤耐性菌(AMR)対策の観点から非常に重要です。歯科での抗菌薬処方は全診療科での抗菌薬処方の約10%を占めており、不適切な使用は耐性菌出現のリスクを高めます。厚生労働省の「抗微生物薬適正使用の手引き 第四版 歯科編」では、歯科診療における抗菌薬の適正使用に関する具体的な指針が示されています。
軽度から中等度の歯性感染症では、起炎菌をレンサ球菌と想定してアモキシシリン(ペニシリン系)が第一選択薬とされます。投与期間は効果判定を3日で行い、治療期間は8日程度が目安です。3日間で症状の改善が見られない場合は、細菌検査の実施や薬剤の変更を検討する必要があります。
短期間で効果を確認することが重要です。
抜歯などの外科処置後の感染予防では、予防的抗菌薬の投与期間は2日以内が推奨されています。手術部位感染(SSI)予防の観点から、術前1時間前の投与が効果的とされ、術後の長期投与は耐性菌出現のリスクを高めるため避けるべきです。高度な汚染を認めた場合でも、術後24~48時間までの追加投与にとどめることが推奨されます。
歯周病治療における抗菌療法では、投与期間は一般的に3日から7日を目安とします。テトラサイクリン系、ペニシリン系、セフェム系抗菌薬が使用されますが、細菌検査の結果を参考にして選択することが望ましいとされています。歯周ポケット内への局所投与(塩酸ミノサイクリン歯科用軟膏)も選択肢の一つですが、長期使用による耐性菌のリスクには注意が必要です。
経口第3世代セフェム系抗菌薬は、スペクトラムが広く耐性菌出現のリスクが高いため、歯科領域では推奨されていません。バイオアベイラビリティが低く、期待される抗菌効果が得られにくいという問題もあります。必要な場合でも、より狭域のスペクトラムを持つ抗菌薬から選択することが原則です。
抗菌薬の適正使用には、「不必要使用の回避」「適切な薬剤選択」「適切な投与期間の設定」の3つが重要です。抗菌薬が必要でない病態での投与や、必要以上の長期投与は、患者個人の耐性菌出現リスクだけでなく、地域全体の耐性菌蔓延にもつながります。歯科医療従事者は、AMR対策の一翼を担っているという認識を持つことが求められます。
日本歯周病学会「歯周病患者における抗菌薬適正使用のガイドライン2020」では、歯周病治療における具体的な抗菌薬使用方法が示されています。
骨粗鬆症治療薬として広く使用されているビスホスホネート製剤(BP製剤)は、歯科治療において特別な注意が必要な薬剤です。BP製剤は破骨細胞の機能を抑制することで骨吸収を防ぎますが、その作用機序により顎骨壊死という重篤な副作用を引き起こすリスクがあります。抜歯やインプラント埋入などの侵襲的歯科処置が引き金となることが報告されています。
BP製剤による顎骨壊死は、骨露出や骨壊死が8週間以上持続している状態と定義されます。発症機序としては、BP製剤が顎骨に蓄積しやすく、骨硬化とともに血管新生が抑制されることが関係しています。歯周病などの口腔内感染が存在すると、感染を起こした骨を破骨細胞が排除できず、骨壊死に至ると考えられています。
4年以上の服用でリスクが上昇します。
経口BP製剤の長期服用では、4年以上でリスクが上昇し始めるという報告があります。一方、悪性腫瘍の骨転移治療に使用される注射用BP製剤では、経口薬よりもはるかに高用量が投与されるため、顎骨壊死のリスクは著しく高くなります。デノスマブ(抗RANKLモノクローナル抗体)も同様のリスクを持つ薬剤として知られています。
以前は抜歯前にBP製剤を休薬することが推奨されていましたが、現在では休薬による顎骨壊死リスク低減のエビデンスは不十分とされています。2023年の添付文書改訂により、経口BP製剤では原則的に休薬は不要となりました。ただし、注射用BP製剤では、手術部位が治癒するまで投与を延期することが推奨されています。
BP製剤服用患者の歯科治療では、まず口腔内の衛生状態を改善し、感染リスクを低減することが重要です。抜歯が必要な場合は、できるだけ低侵襲な方法を選択し、術後の感染予防を徹底します。縫合による一次閉鎖、抗菌薬の投与、定期的な経過観察などが推奨されます。術創が再生粘膜上皮で完全に覆われる2~3週間後、または十分な骨性治癒が期待できる2~3ヶ月後に注射用BP製剤の投与を再開することが望ましいとされています。
患者には必ず骨粗鬆症薬の服用歴を確認する必要があります。多くの患者は自分が服用している薬剤の名前や作用を正確に把握していないため、お薬手帳の持参を促し、処方医との連携を図ることが重要です。BP製剤服用者であることが判明した場合は、リスクについて十分に説明し、インフォームドコンセントを得た上で治療を進めます。
日本口腔外科学会「ビスホスホネート系薬剤と顎骨壊死」には、BP製剤使用患者の歯科治療に関する詳細な情報が掲載されています。
歯科診療における疼痛管理で中心的な役割を果たすのがNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)です。NSAIDsはプロスタグランジンの合成を阻害することで、鎮痛作用、抗炎症作用、解熱作用を発揮します。歯科領域ではロキソプロフェン、ジクロフェナク、イブプロフェンなどが頻用されますが、副作用や禁忌事項を理解した上で使用する必要があります。
NSAIDsの主な副作用は消化器系障害です。胃粘膜保護作用を持つプロスタグランジンの産生を抑制するため、胃痛、吐き気、食欲不振、消化性潰瘍などが起こる可能性があります。副作用の発現頻度は用量と投与期間に依存し、長期投与ほどリスクが高まります。空腹時の投与を避け、必要に応じて胃粘膜保護剤や胃酸分泌抑制薬を併用することで、消化器系副作用のリスクを低減できます。
腎機能障害もNSAIDsの重要な副作用です。プロスタグランジンは腎血流の維持に関与しており、その産生が抑制されると急性腎障害を引き起こす可能性があります。特に高齢者、脱水状態の患者、既存の腎機能低下がある患者では注意が必要です。がん化学療法でシスプラチンなど強い腎毒性がある抗がん剤を使用している患者では、NSAIDsは使用禁忌とされています。
妊婦への投与には特別な注意が必要です。妊娠後期(28週以降)では、胎児の動脈管閉鎖や羊水過少のリスクがあるため、NSAIDsの多くが禁忌とされています。妊娠初期から中期にかけても催奇形性の報告はないものの、慎重投与が原則です。妊婦に鎮痛薬が必要な場合は、アセトアミノフェンが第一選択薬となります。
NSAIDsと抗凝固薬の併用にも注意が必要です。
ワルファリンなどの抗凝固薬を服用している患者では、NSAIDsとの併用により抗凝固作用が増強され、出血リスクが高まります。NSAIDsは血小板機能を抑制する作用もあるため、抗血小板作用との相乗効果で出血傾向がさらに強まる可能性があります。抗凝固薬服用患者に消炎鎮痛剤を処方する場合は、アセトアミノフェンを選択するか、NSAIDsを使用する場合は出血リスクについて十分に説明し、慎重に経過観察を行います。
喘息患者では、アスピリン喘息のリスクに注意が必要です。頻度は非常に稀ですが、NSAIDs投与により気管支攣縮が誘発され、重篤な喘息発作を起こすことがあります。喘息の既往がある患者では、必ずNSAIDsに対するアレルギー歴を確認し、リスクが高い場合はアセトアミノフェンなど別の鎮痛薬を選択します。
歯科領域の鎮痛薬処方では、7日分程度を目安とし、長期投与は避けます。痛みが持続する場合は、原因疾患の治療が不十分である可能性を考え、鎮痛薬の追加処方ではなく根本的な治療の見直しを優先すべきです。
日本歯科医師会「薬剤」では、歯科で使用される各種薬剤の副作用や注意点が詳しく解説されています。
高齢化が進む現代社会において、歯科医療でも高齢患者の割合が増加しています。高齢者は複数の全身疾患を抱えていることが多く、それに伴い多数の薬剤を服用しているケースが一般的です。このような多剤服用の中でも、特に有害事象を引き起こすものを「ポリファーマシー」と呼びます。単に服用する薬剤数が多いことではなく、薬物相互作用や副作用のリスク増加、服薬アドヒアランスの低下などを伴う状態を指します。
ポリファーマシーの目安として、6剤以上で薬物有害事象の発現頻度が上昇するという報告や、5剤以上の服用者は転倒リスクが高まるという報告があります。高齢者では肝臓や腎臓の機能低下により薬物代謝・排泄能力が低下しているため、同じ用量でも若年者より血中濃度が高くなり、副作用が出やすくなります。また、体内の水分量減少や体脂肪率の増加により、薬物の分布容積も変化します。
注意深い薬物療法管理が求められます。
歯科治療で薬剤を処方する際は、患者の服用薬を必ず確認し、相互作用のリスクを評価する必要があります。特にCYP(チトクロームP450)を介した薬物代謝酵素による相互作用は重要で、一方の薬剤が他方の代謝を阻害または促進することで、予期せぬ副作用や効果減弱が起こる可能性があります。
抗凝固薬のワルファリンは相互作用が特に問題となる薬剤です。歯科で処方されるペニシリン系やセフェム系の抗菌薬、アセトアミノフェンやメフェナム酸などの消炎鎮痛薬との併用により、ワルファリンの血中濃度が上昇し、出血リスクが増大することがあります。ワルファリン服用患者に抗菌薬や消炎鎮痛薬を処方する場合は、処方医と連携し、必要に応じてワルファリンの投与量調整や血液凝固能のモニタリングを行います。
直接経口抗凝固薬(DOAC)はワルファリンに比べて薬物相互作用が少ないとされていますが、腎排泄の寄与があるため腎機能低下患者では注意が必要です。また、一部の抗菌薬や抗真菌薬との相互作用も報告されています。高齢者では腎機能が低下していることが多いため、DOACの血中濃度上昇による出血リスクを考慮する必要があります。
ポリファーマシー対策として、歯科医療従事者にできることは、必要最小限の薬剤処方を心がけることです。症状が軽度であれば、必ずしも薬剤処方は必要ありません。また、処方する場合でも、投与期間を最小限にとどめ、漫然とした長期処方を避けます。お薬手帳の活用を促し、他科との情報共有を図ることも重要です。
高齢者への薬剤投与では、「少量から開始し、慎重に増量する(start low, go slow)」という原則があります。通常の成人用量でも副作用が出る可能性があるため、必要に応じて減量を検討します。また、服薬管理が困難な患者では、一包化や服薬カレンダーの利用など、アドヒアランス向上のための工夫も必要です。
厚生労働省「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)」では、高齢者医療における薬物療法の注意点が詳しく解説されています。