くちゃくちゃ噛み方でガム咀嚼訓練を続けると、咬合力がむしろ低下することがある。
近年、歯科臨床においてガムを用いた咀嚼訓練が改めて見直されている。その理由のひとつが、オーラルフレイルと口腔機能発達不全症という2つの概念が保険診療に組み込まれたことだ。2018年4月以降、口腔機能発達不全症・口腔機能低下症が保険収載され、歯科医師および歯科衛生士が機能訓練指導を担う責務を正式に負うことになった。さらに2024年度の診療報酬改定では、歯科衛生実地指導料に「口腔機能指導加算(12点)」が新設され、咀嚼訓練や嚥下訓練を行った場合の評価が手厚くなっている。
オーラルフレイルとは、残存歯数の減少・咀嚼困難感・嚥下困難感・口腔乾燥感・滑舌低下のうち2項目以上が該当する状態を指す。65歳時点で「さきいか・たくあん」を咀嚼できる群の健康寿命は17.9年である一方、それ以下の咀嚼能力群は15.1年にとどまり、実に2.8年もの差が生じることが報告されている(八千代市歯科医師会・東京医科歯科大学共同研究、老年歯学33巻2号)。これはちょうど小学校低学年の1年分の学年をまるまる差し引くほどの年数差だ。つまり咀嚼能力が健康寿命に与える影響は、想像以上に大きい。
一方、子どもの領域では柔らかい食物中心の食環境が広がる中で、噛む力が育ちにくい子が急増している。ある報告では日本の子どもの3人に1人に口腔機能発達不全症の所見が認められるとされており、ガムを使った咀嚼訓練(ガムトレーニング)は、こうした子どもの噛む機能獲得に向けた取り組みやすいアプローチとして注目を集めている。
歯科訓練ツールとしてのガムは「嗜好品」という印象を持たれることがある。しかし、正しい負荷のかけ方と継続指導があれば、筋力アップという明確な目的に応えるリハビリツールとして十分機能する。これが現在の歯科現場での共通認識だ。
日本歯科医師会のオーラルフレイル対策ページでは、ガムを使った咀嚼訓練の具体的な手順が公開されている。
参考:日本歯科医師会「オーラルフレイル対策のための口腔体操(咀嚼訓練)」
ガムを使った訓練では、目的に合ったガムを選ぶことが指導効果を大きく左右する。これが基本です。
まず成分面では、訓練中に糖分を摂取し続けることは口腔環境にとってリスクになるため、キシリトール100%のシュガーレスガムを使用することが前提となる。市販の板ガムには糖分が含まれているものも多く、それらをそのまま訓練に使うと虫歯リスクが高まる。歯科専用に流通しているキシリトールガム(例:オーラルケア社 XYLITOL 90粒入り)は、市販品より噛み応えがあり、長時間の咀嚼に適した弾力性を持つ。
次に硬さだが、目的によって使い分けが必要だ。
- 咬合力の向上を目的とする場合は「やや硬めのガム」を臼歯部でゆっくり噛み締める
- 口唇閉鎖や開咬の改善を目的とする場合は「やわらかめのガム」を小臼歯部で軽くリズミカルに噛む
- 唾液分泌の促進を目的とする場合は硬さより「口を閉じて噛めること」が優先される
よく起こるのが、「訓練と称して市販のやわらかいガムを漫然と噛ませてしまう」というケースだ。噛み応えのないガムを片側だけでのんびり噛んでいても、咬合力の改善にはほとんどつながらない。そのため指導時には「どんな目的で」「どんな硬さのガムを」「どのように噛むか」を患者さんに明確に伝えることが大切になる。
また、長崎県の有田光太郎先生の報告(デンタルプラザ 178号)によると、子どもを対象としたガムトレーニングでは「1日20〜30分噛めること」と「味が長続きすること」が継続のカギとなり、「ポスカF」のような味持ちの良い製品が使われている事例もある。口腔機能訓練は継続性が命だ。患者が楽しみながら続けられるガムの選定も、歯科従事者の重要な仕事のひとつといえる。
参考:デンタルプラザ178号「楽しみながら行うガムトレーニングで口腔機能発達不全症の改善に期待」(有田光太郎先生)
「くちゃくちゃ噛み」はダメです。この一点は、ガム咀嚼訓練の指導において最初に必ず確認しなければならない事項だ。
GC(ジーシー)の臨床報告によると、咬合力増加を目的とした訓練では「意識的に口を開いて、1回ごとに噛み締める咀嚼」を指示することが前提となっており、くちゃくちゃと流れるように噛む動作では訓練の目的を達成できない。噛む部位は第一小臼歯を中心とし、咬合バランスが第二大臼歯にある場合は大臼歯での訓練は禁止されるほど、部位の指定も重要だ。
デンタルプラザ(165号)で提示されているプロトコルでは、咬合力向上を目的としたガム咀嚼訓練は以下のような段階的な設計になっている。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 開始時 | 1日2回、各5分からスタート |
| 延長サイクル | 2週間ごとに1分延長 |
| 休息日 | 週に1日、訓練をオフにする |
| 訓練期間の目安 | 3ヶ月 |
このプロトコルの背景には、体幹・四肢の筋トレと同じ原則がある。過負荷・漸増負荷・休息が揃ってはじめて筋力が向上する。無計画に毎日長時間噛ませるのは逆効果になることもあり、訓練過剰による顎関節への負担や補綴物の脱落にもつながりかねない。過ぎたるは禁物ということですね。
さらに、高齢者向けの研究(八千代市歯科医師会・老年歯学2018年)では、1日3回・1回につき「片側20回×3セット(合計120回)を朝昼晩食前に実施」という手順で30日間行ったところ、咀嚼チェックガムのスコアが有意に改善した。加えて開眼片足立ちの時間も有意に改善し、咀嚼訓練が全身バランス機能に波及する可能性まで示された点は注目に値する。
片噛み(片咀嚼)の問題も無視できない。患者がガムを受け取ったとき、最初に噛み始めた側が「利き咀嚼側」である可能性が高く、そちらばかりで訓練を続けると左右の咬合バランス差がさらに広がるリスクがある。弱い側(非利き側)を意識的に使う訓練への誘導が、正しい咀嚼パターンの再獲得につながる。
ガム咀嚼訓練の効果は、「咬合力が上がる」だけにとどまらない。これは意外です。
まず嚥下・誤嚥予防への効果として、2024年に岡山大学が世界で初めて「ガムを噛むトレーニングが食道がん術後の誤嚥・発熱予防に有用」であることをScientific Reports誌に発表した。術後の口腔機能低下が懸念される患者に対して、ガム咀嚼が舌圧の維持・向上に寄与することが確認されている。これまで術後管理の中でガムを積極的に活用するという発想は主流ではなかっただけに、この知見は周術期口腔機能管理の実践に一石を投じる内容だ。
次に免疫機能への波及効果がある。ガムを1日3回(1回10分程度)2週間継続すると、唾液中の分泌型IgA(S-IgA)濃度が高まり、感染防御力の向上が期待できることが報告されている(農畜産業振興機構、2024年)。S-IgAはウイルスや細菌の粘膜への侵入を防ぐ一次防衛ラインであり、高齢者の感染症リスク低減の観点からも注目できる。
さらに脳機能・姿勢制御との関連も見逃せない。ロッテと鹿児島ユナイテッドFCが実施した1年間のガムトレーニング実証研究(2024年)では、左右の咬合バランスが改善し、垂直跳びや静的バランス機能が向上したことが確認された。咬合と身体バランスの相互作用は従来から指摘されてきたが、それがガムトレーニングというシンプルな手段でも達成できると示した点は、スポーツ歯科や高齢者の転倒予防分野とのつながりを強く示唆している。
結論はシンプルです。ガム咀嚼訓練は、「咬む」という口腔機能を起点に、嚥下・免疫・身体バランスまで広く影響する多角的なリハビリツールとなりうる。日々の臨床で積極的に活用する根拠は、すでに十分に積み上がっている。
参考:岡山大学病院「世界初!ガムを噛むトレーニングが食道がん術後の誤嚥・発熱予防に有用」(2024年)
効果の大きいツールほど、過剰使用のリスクも大きい。これが条件です。
まず顎関節症・筋肉疲労のリスクがある。食事以外の時間に顎周囲筋を長時間使い続けると、筋肉痛に近い状態が生じ、顎関節症につながるケースがある。ガムを1日中噛み続けるような過剰訓練は厳禁であり、患者から「なんとなく習慣で噛み続けている」という申告があれば、回数・時間のコントロールを優先的に指導する必要がある。
補綴物の脱落・咬耗も注意が必要です。院内でキシリトールガムを販売・推薦している歯科医院は多いが、クラウンや補綴物が装着されている患者がガムを過剰に噛み続けると、補綴物の脱落や天然歯のエナメル質磨耗が起こる可能性がある。患者が「キシリトールガムは歯に良い」という認識のみで行動している場合、必要以上の噛み過ぎが気づかぬうちに進んでいることがある。歯科従事者側から「1日の回数・時間の上限」を明確に伝えることが、クレームや補綴トラブルの予防につながる。
キシリトールの過剰摂取による下痢も患者説明に欠かせない情報だ。キシリトールを大量または頻繁に摂取すると下痢を起こすことがあり、ガムのパッケージにも表示があるが、それを読んで理解している患者は多くない。特に高齢者や子どもでは消化器への影響が出やすいため、「1日の使用量の目安」をあわせて伝えることが安全な指導のポイントになる。
また、小臼歯・大臼歯の使い分けを無視した指導は咬合バランスの悪化を招くリスクがある。ジーシーの報告では「咬合バランスが第二大臼歯にある場合は大臼歯での訓練を禁止」としているように、訓練部位の選定は個々の咬合状態に基づいて行う必要がある。全患者に一律の訓練を当てはめることはリスクがあり、初期評価と記録が訓練効果の確認とリスク管理の両面で機能する。
こうした注意点を押さえた上で訓練を組み立てれば、ガム咀嚼訓練は安全で再現性の高い臨床ツールとなる。これだけ覚えておけばOKです。
参考:デンタルプラザ165号「デンタルガムを臨床に活かす ガムの運動療法」(ガム咀嚼訓練の注意点・プロトコル詳細)
咀嚼訓練の効果を患者に「見える化」することは、継続のモチベーション維持において非常に強力な手段だ。これは使えそうです。
その中心的なツールがキシリトール咀嚼チェックガム(ロッテ・オーラルケア社)だ。もともと1997年から東京医科歯科大学と共同開発が始まり、義歯の適合度評価を出発点として生まれたこのガムは、噛む前は緑色で、噛むことによって段階的に赤色へと変化する。噛んだ後のガムの色をカラースケール(10段階)と比較することで、咀嚼能力をおよそ5分で数値化することができる。
評価の標準手順は「1秒に1回のリズムで60回咀嚼」し、専用カラースケールで色調を判定するというシンプルなものだ。特別な機器を必要とせず、患者本人も視覚的に結果を理解できる。子どもに対しては「どのくらいオレンジになった?」と問いかけるだけで、自分の噛む力への関心を引き出す教育的な使い方もできる。
長崎県の有田先生の報告では、ガムトレーニング開始時と数ヶ月後で舌圧・口唇圧の数値を比較し、保護者に「見える化」を提示することで治療継続への理解が大きく高まったと述べている。訓練成果を数値で示すことができると、患者・保護者の協力度が変わる。
訓練プログラムの中に「評価回」を設けることで、歯科衛生士が訓練成果を定期的に記録・報告する仕組みができる。これは口腔機能指導加算(12点)の算定根拠の一部ともなるため、記録の充実は診療報酬の正確な算定にもつながる実務的なメリットがある。
咀嚼チェックガムは「評価と動機付けの両方を1本でこなせる」ツールだ。咀嚼訓練の導入と定期評価をセットで設計することで、単なる「噛む練習」から「機能管理プログラム」へと昇華させることができる。
参考:PRTimes「キシリトール咀嚼チェックガムと咀嚼チェックアプリによる咀嚼指導拡大の取り組み」(ロッテ、2023年)