脳卒中患者用のカットオフ値をそのまま要介護高齢者に使うと、誤嚥リスクを見落とす可能性があります。
Mann Assessment of Swallowing Ability(以下MASA)は、2002年にGiselle Mannによって開発された摂食嚥下機能のスクリーニングツールです。もともとは急性期脳卒中患者の嚥下障害を特定することを目的として作られましたが、現在では要介護高齢者や口腔癌術後患者など、多様な疾患背景をもつ患者にも応用されています。
MASAの最大の特徴は、24項目・200点満点という体系的なスコアリングにあります。意識レベル・協力性・聴覚理解・呼吸状態・失語・構音障害・唾液・口唇閉鎖・舌の動き・舌の筋力・舌の協調運動・口腔準備・絞扼反射・口蓋・食塊のクリアランス・口腔通過時間・咳反射・随意的な咳・声・気管切開の有無・咽頭相・咽頭の反応、という幅広い観察項目を通じて、嚥下の運動・感覚・認知の各側面を網羅的に評価できます。これはEFテスト(持参、と呼ばれるスクリーニング)では得られない情報量であり、歯科従事者にとっても大きな強みになります。
評価はベッドサイドで実施できるため、特別な機器や放射線設備は必要ありません。これが重要なポイントです。嚥下造影(VF)や嚥下内視鏡(VE)はゴールドスタンダードとされていますが、全患者に実施するのは現実的ではありません。MASAは「機器なしで数値化できる」という点で、多職種チームが共通の指標を持ちやすいツールです。
日本では2014年に藤島一郎先生らによる日本語版が医歯薬出版から刊行されており、付録DVD-ROMにはPCで結果を保存してチャート化できるデータ入力ファイルと、検査法・レベル例の動画も収録されています。つまり、日本語版PDF(スコアシート)を活用することで、得点の経時変化をグラフ化し、チーム全体で嚥下機能の改善・悪化を「見える化」することが可能になります。
| 評価カテゴリ | 主な項目例 | 最高点 |
|---|---|---|
| 認知・意識系 | 意識、協力性、聴覚理解、失語 | 各5〜10点 |
| 呼吸・発声系 | 呼吸状態、嚥下と呼吸の関係、声 | 各5〜10点 |
| 口腔機能系 | 唾液、口唇閉鎖、舌の動き・筋力 | 各5〜10点 |
| 嚥下機能系 | 咽頭相、咽頭の反応、食塊クリアランス | 各5〜10点 |
| 咳・保護機能 | 咳反射、随意的な咳 | 各5〜10点 |
歯科従事者が関与しやすい「口腔機能系」の項目が複数含まれている点は、特に注目に値します。口腔ケアの質と直結する唾液管理や舌筋力の評価が含まれているため、歯科衛生士・歯科医師が積極的に活用できるツールといえます。
MASAの日本語版スコアシートPDFは、医歯薬出版が刊行している「MASA日本語版 嚥下障害アセスメント」(ISBN: 978-4-263-21938-0、監訳:藤島一郎)に収録されています。書籍購入者向けに公式サイトで正誤表と併せてPDFが提供されており、臨床現場でのプリントアウト使用を想定した設計になっています。
英語版のオリジナルスコアシートPDFについては、"The Adult Speech Therapy Workbook"(theadultspeechtherapyworkbook.com)でMann Assessment of Swallowing Ability Scoring Sheetが公開されており、海外論文との照合に使用することができます。ただし、臨床での正式使用は日本語版を推奨します。
スコアシートの使い方の流れは次のとおりです。
各項目は2〜10点の段階評価になっており、「スクリーニング上異常なし」がその項目の満点に相当します。合計点が高いほど嚥下機能が良好です。重要なのは、単に合計点だけを見るのではなく、どの項目が低いかを確認することです。例えば、「咳反射」「随意的な咳」が低ければ、誤嚥しても自力で喀出できない「サイレントアスピレーション」のリスクが高いと判断できます。これは見た目だけではわからない危険サインです。
また、MASAのスコアシートには食形態の推奨欄(固体・液体それぞれ)も設けられており、評価結果に基づいて「ピューレ状」「ネクター状のとろみ液体」といった具体的な推奨が記載できます。つまり、栄養士や看護師との食形態調整の連携にも直接活用できる設計になっています。
PDFを印刷して使用する場合は、A4片面1枚に収まっているため、カルテに挟んで経時管理するのに適しています。かがわ総合リハビリテーション病院の事例では、MASAスコアをグラフ化することで「これまで主観的に捉えていた障害の程度を数値として表すことができ、食形態アップを積極的に進めることができた」と報告されています。スコアが数値化されると、チーム全体の意思決定が早くなります。
MASAの総合得点による重症度分類は、嚥下障害と誤嚥の2軸で判断します。それぞれの重症度区分は以下のとおりです。
| 重症度 | 嚥下障害(合計点) | 誤嚥リスク(合計点) |
|---|---|---|
| 異常なし | 178〜200点 | 170〜200点 |
| 軽度 | 168〜177点 | 149〜169点 |
| 中等度 | 139〜167点 | 141〜148点 |
| 重度 | 138点以下 | 140点以下 |
ここで注意しなければならないのが、カットオフ値は対象患者によって異なるという点です。これが冒頭で述べた「常識に反する」重要事実です。
MASAはもともと脳卒中患者を対象に開発されたため、原著のカットオフ値は「合計170点以下で誤嚥疑い」として設定されています。しかし東京歯科大学の大平らが2018年に発表した研究(日本補綴歯科学会誌収載)では、地域で生活する要介護高齢者50名に対してMASAと嚥下内視鏡(VE)の結果を比較した結果、誤嚥の最適カットオフ値は122点、咽頭残留は151点であることが示されました。
この数値の差は非常に大きいです。元のカットオフ(170点以下)を要介護高齢者にそのまま適用すると、実際には誤嚥していても「異常なし」や「軽度」と判定してしまう患者が出てきます。逆に言えば、要介護高齢者に脳卒中用の基準値を使い続けている施設では、誤嚥リスクの見落としが生じているリスクがあります。
さらに疾患を広げると、口腔癌領域ではMASAの改良版であるMASA-C(Cancer版)が使用されます。東京歯科大学の研究では、口腔癌術後患者における最適カットオフ値は150点(感度0.89、特異度0.80、AUC 0.85)と報告されており、これも元の基準とは異なります。疾患ごとに最適値は変わるということですね。
肺炎患者への適用については、Chojinら(2017年、PMC5524805)の前向き研究が参考になります。入院肺炎患者153名を対象にした研究では、MASAスコア≦169点の患者は30日以内の肺炎再発オッズ比が33.09(95%CI: 4.38〜249.78、p=0.001)と圧倒的に高く、多変量解析でも独立したリスク因子であることが確認されています。MASAが予後予測にも使えることが条件です。
歯科従事者として覚えておきたいのは、「適用する患者層に合ったカットオフ値を使う」という原則です。脳卒中患者・要介護高齢者・口腔癌術後患者では、それぞれ推奨値が異なります。評価の目的に合った基準値を選ぶことが、誤判定を防ぐ第一歩になります。
歯科従事者がMASAを活用できる臨床場面は、主に以下の3つです。
まず、口腔癌術後の術後管理が挙げられます。東京歯科大学口腔がんセンターの研究(口腔腫瘍 32巻1号 2020年)では、口腔癌術後1ヶ月時点でVFで誤嚥が確認された患者のMASA-C平均点は135.5点、誤嚥なし群は161.4点(p=0.003)と有意差がありました。MASA-Cを用いたベッドサイドスクリーニングは、VFを施行できないケースや術後早期の評価に有効です。歯科医師が直接評価者として関与できる場面です。
次に、口腔ケアの介入優先度の判断です。MASAのスコアが低い(特に誤嚥カテゴリが中等度〜重度)患者は、口腔内細菌の吸引リスクが高く、口腔ケアの強化が誤嚥性肺炎予防に直結します。Chojinらの研究では、MASAスコアはRevised Oral Assessment Guide(ROAG)との間に有意な相関(r=0.41、p<0.0001)があることが確認されています。これは興味深い関係です。口腔ケアの質を改善することで、MASAで評価される嚥下機能指標にも波及効果が期待できるという根拠になります。
3つ目は、回復期・維持期のモニタリングとチーム連携です。かがわ総合リハビリテーション病院のSTが報告したように、MASAの点数変化をグラフ化することで嚥下機能の改善が「可視化」され、食形態アップの判断が迅速になります。医師・看護師・栄養士・PT/OT/STなど多職種が関わる回復期病棟では、共通指標としてのMASAが非常に有用です。歯科衛生士が月1回のMASA再評価を担当し、スコアの変化を報告するという役割も十分成立します。
多職種連携でMASAを活用する際のポイントは、「点数だけを共有するのではなく、どの項目が低いかを合わせて伝える」ことです。例えば「唾液管理(唾液スコアが低い)」という情報は、歯科衛生士が口腔内清拭や保湿ケアの強化を提案する根拠になります。一方、「咽頭相スコアが低い」であれば言語聴覚士(ST)への介入依頼につながります。項目別の情報がチーム連携の起点になります。
なお、誤嚥性肺炎の予防において歯科関与の有効性は、嚥下障害診療ガイドライン2024年版(日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会)でも明記されています。MASAによるリスク評価を歯科が担うことは、単なる道具の活用を超えて、チーム医療における歯科の存在意義を高める取り組みとして意味があります。
嚥下障害診療ガイドライン2024年版(日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会):歯科関与の有効性や多職種連携の根拠として有用な公式ガイドライン
MASAには派生バージョンが存在します。それが修正版のMMASA(Modified MASA)と、がん患者向けのMASA-Cです。この違いを正確に理解することは、適切なツールを選択するうえで欠かせません。
東京歯科大学の研究(科研費報告)では、要介護高齢者50名においてMMASAと嚥下内視鏡を比較した結果、誤嚥のカットオフ値は71点(感度0.75、特異度0.81、尤度比3.28)と算出されています。ただし、元の24項目版MASAと比較すると評価できる情報量が少ないため、臨床的詳細度ではMASA(フル版)が優れています。
MASA-Cは、Carnaby GDらが頭頸部がん患者(化学放射線療法施行中)のために開発したがん特化版です。24項目構成はMASAと同じですが、放射線療法・化学療法による粘膜変性や筋組織障害を反映する項目が加えられています。前述の東京歯科大学の口腔癌術後研究では、MASA-Cのカットオフ値150点で感度0.89・特異度0.80・AUC 0.85という優れた診断精度が報告されています。これは使えそうです。
選択の基準はシンプルです。
歯科臨床で最も頻繁に接する患者層は「口腔癌術後」と「要介護高齢者」です。これらの患者にMASA元版の脳卒中用カットオフを機械的に適用するのは、正確性の点で不十分といえます。適切なバージョンを選ぶことが基本です。
また、日本摂食嚥下リハビリテーション学会の「摂食嚥下障害の評価2019」では、MASA以外の評価ツール(RSST・MWST・フードテストなど)との比較も整理されており、MASAはそれらのスクリーニング検査と組み合わせることでより精度の高い評価ができるとされています。単独で使うのではなく、他のスクリーニングとの組み合わせ運用を検討することも有効です。
摂食嚥下障害の評価2019(日本摂食嚥下リハビリテーション学会):MASA・RSST・MWSTなど各評価ツールの感度・特異度が比較整理されており、ツール選択の根拠として活用できる
誤嚥性肺炎は、日本人の死因第6位(2019年厚労省統計、年間死者4万人以上)であり、高齢者の肺炎の約7割を占めます。さらに脳卒中後の高齢者に限ると、嚥下障害を原因とした誤嚥性肺炎の割合はさらに高くなります。この現実を踏まえたとき、歯科従事者がMASAを使いこなすことの意義は非常に大きいです。
まず理解しておくべきことは、誤嚥性肺炎の発生には「嚥下機能の低下」と「口腔内細菌量の増加」という2つの要素が絡み合っている点です。MASAで嚥下リスクを数値化し、リスクが高い患者ほど口腔ケアの頻度と質を高めるという連動した介入が有効です。嚥下評価と口腔ケアのセットで介入するのが原則です。
Chojinらの研究では、MASAスコアが「mild(軽度)」に分類された患者でも、正常スコア群と比較して30日以内の肺炎再発率が有意に高い(31.0% vs 2.4%、p<0.01)ことが示されています。つまり「軽度だから大丈夫」という認識が誤嚥性肺炎の見落としにつながる可能性があります。厳しいところですね。軽度リスクの患者への継続的なモニタリングと口腔管理こそが、長期的な予後改善に寄与します。
歯科従事者が実践できる具体的なアプローチをまとめると、次のようになります。
また、地域包括ケアの観点では、訪問歯科診療においてもMASAの活用が広がっています。在宅療養中の高齢者は定期的なVF・VEを受ける機会がほぼなく、ベッドサイドで実施可能なMASAが唯一の定量的嚥下評価手段になるケースが少なくありません。訪問歯科においてMASAを習得していることは、チームへの貢献度を大幅に高めます。
誤嚥性肺炎の予防を「口腔清掃だけの問題」と捉えている歯科従事者がいるとすれば、それは機会損失です。MASAという評価の「共通言語」を持つことで、歯科チームはケアの意思決定に直接参加できる立場になります。嚥下評価と口腔ケアをつなぐ架け橋として、MASAのPDFスコアシートを今すぐ手元に用意することをお勧めします。