やさしくなでるだけでは、唾液は十分に出てきません。
唾液は、口腔の健康を支える「見えない守り手」といえます。1日に分泌される量は1〜1.5リットルにのぼり、歯の再石灰化・口腔内の自浄作用・食塊形成・発音補助など、幅広い機能を担っています。コップ約6〜8杯分の水に相当する量が口内を常に流れている計算になり、その量が減ると口腔内環境は一気に悪化します。
歯科従事者がこのテーマに取り組む理由は明確です。加齢によって唾液分泌量は段階的に低下し、特に高齢者の35.2%が「いつも口腔乾燥感を自覚している」という研究データ(柿木ら, 2006)があります。さらに、多剤服用(ポリファーマシー)の影響で唾液分泌が抑制されるケースも急増しており、降圧剤・抗うつ剤・抗ヒスタミン剤・利尿剤・睡眠薬など8種類以上の内服薬が唾液減少に関係することが報告されています。
つまり、唾液分泌促進マッサージは「ケアのおまけ」ではありません。口腔機能低下症やオーラルフレイルの予防においても、積極的に実施・指導すべき技術です。
参考リンク(唾液腺マッサージの科学的根拠・高齢者への効果についての詳細解説)。
10年先を見据えた未来の歯科のあり方 第2回:唾液腺マッサージはどこまで効果があるのか(デンタルプラザ)
マッサージを正しく指導するには、まず解剖学的な理解が必要です。唾液は「3大唾液腺」と呼ばれる耳下腺・顎下腺・舌下腺が全体の9割以上を担います。残りは口唇・頬・口蓋などに分布する小唾液腺が補っています。
3大唾液腺の特徴をまとめると、以下のとおりです。
| 唾液腺名 | 位置 | 全唾液量の割合 | 唾液の性状 |
|---|---|---|---|
| 耳下腺 | 耳の前下方(上奥歯の頬側) | 約25〜30% | 漿液性(サラサラ) |
| 顎下腺 | 下顎骨の内側、左右の軟部 | 約60〜70% | 漿液性+粘液性(混合) |
| 舌下腺 | 舌の付け根の下顎くぼみ部分 | 約5% | 粘液性(ネバネバ) |
注目すべきは顎下腺です。全唾液量の60〜70%を占めるため、患者が「唾液が増えた実感」を最も得やすい部位です。指導の際には「この部分が一番効きやすい」と伝えると、継続率が上がります。これが基本です。
一方、小唾液腺は分泌量が微量であるため、マッサージによる唾液量増加への貢献はほとんど期待できません。あくまでも3大唾液腺を的確に刺激することが唾液分泌促進の要になります。
参考リンク(3大唾液腺の解剖学的解説・マッサージの実施ポイントについて)。
唾液腺マッサージの効果とは?マッサージのやり方・ストレッチ方法を徹底解説(リハブクラウド)
マッサージの手順は、①耳下腺→②顎下腺→③舌下腺の順で実施するのが標準的です。それぞれのやり方は次のとおりです。
① 耳下腺マッサージ
耳たぶの前(上の奥歯が当たる頬の外側)に人差し指〜薬指を当て、後ろから前へ向かって優しく円を描くようにさすります。目安は10回×2〜3セットです。
② 顎下腺マッサージ
下顎骨の内側の柔らかい部分に指の腹を当て、耳の下からあごの先端へ向けて4〜5箇所に分けて順番に押します。1箇所につき1〜2秒、5回×1〜2セットを目安にします。
③ 舌下腺マッサージ
両手の親指をそろえ、顎の真下(舌の付け根の真下)から上に向けてゆっくり押し上げます。10回×1セットが目安です。
押す強さについては「気持ちいい」と感じる程度が適切です。ポイントが1つあります。強く押すと痛みや腺の損傷につながるため、力を入れすぎないことが原則です。自己マッサージの場合も、他者が介助する場合も、この「やさしく押す」という原則は変わりません。
患者への指導タイミングとしては、食事の前・朝起きた直後・人と話す前の3つが特に有効です。唾液分泌量が最も少ないのは朝方であり、食事前に唾液腺を活性化させておくことで、誤嚥リスクを下げる準備が整います。1回のマッサージにかかる時間は約2〜3分が目安です。これは使えそうです。
参考リンク(マッサージのやり方とタイミングについての詳細)。
唾液の分泌を促すための日常生活の工夫(キッセイ薬品工業)
「唾液腺マッサージに本当に効果はあるのか?」という疑問を持つ歯科従事者も少なくありません。実はエビデンスレベルの高い論文は決して多くなく、ランダム化比較試験(RCT)はわずか1〜2報しか存在しません。意外ですね。
その中で最も注目される研究が、Jeamanukulkitら(2023年)が報告したRCTです。安静時唾液量が0.3mL/min未満の60歳以上の2型糖尿病患者を対象に、食事前に3つの唾液腺を2分間マッサージする介入を実施したところ、以下の変化が確認されました。
また、国内の前田ら(2016年)による高齢血液透析患者への口腔機能訓練(唾液腺マッサージ+舌機能訓練の組み合わせ)の研究では、週3回・12週間の継続後に安静時唾液量が約2倍に増加したと報告されています。
ただし重要な点があります。唾液腺マッサージの効果は「短期的効果」と「長期的効果」で明確に分けて考える必要があります。マッサージ直後の口渇感改善は即効性が期待できますが、安静時唾液量の恒久的な増加には4週間以上の継続的な刺激が必要です。言い換えると、1回・2回で効果を判断するのは早計であり、患者への継続指導が不可欠です。
また効果が見込める適応者として、「唾液腺に器質的変化が少なく、薬剤の影響が比較的少ない患者」が挙げられています。薬剤性口腔乾燥が強い患者には、マッサージだけでなく処方医との連携も視野に入れる必要があります。唾液腺に問題がない場合のみ効果が出やすいということです。
参考リンク(唾液腺マッサージのエビデンスとそのメカニズムの解説)。
唾液腺マッサージはどこまで効果があるのか(デンタルプラザ)
歯科現場で唾液腺マッサージを指導するうえで、絶対に見落とせないのが禁忌事項です。特に耳下腺・顎下腺のマッサージは頚動脈の近傍を刺激するため、以下の患者には実施を避ける必要があります。
特に「頚動脈の血栓リスク」は、一般患者を対象とした指導でも油断できません。脳血管疾患の既往がある患者・抗凝固薬を服用している患者を担当する際は、必ず問診・医科との情報共有を行ってからマッサージ指導に進むことが原則です。
対策として確認しておきたいのが、マッサージ前の簡易スクリーニングです。問診票に「頚動脈疾患・血栓症の既往」「脳梗塞の既往」「がん治療歴」の項目を追加するだけで、リスク患者を事前に把握できます。この一工夫がクリニックのリスク管理になります。
唾液腺周辺に「しこり」「腫れ」「熱感」「圧痛」を確認した場合は、マッサージを中止して医師への紹介を優先してください。唾石症や唾液腺腫瘍の可能性があるためです。
参考リンク(耳下腺マッサージの禁忌事項と脳梗塞リスクについて)。
耳下腺マッサージの注意点(ひぐち歯科 口腔内科)
唾液の分泌量は、自律神経のバランスに大きく左右されます。これは歯科の教科書には書かれていますが、実際の患者指導で語られることはほとんどありません。知っておくと損はないポイントです。
副交感神経(リラックス時に優位になる神経)が活性化すると、唾液腺はさらさらした漿液性の唾液を豊富に分泌します。逆に交感神経が優位になる緊張・ストレス状態では、粘りのある唾液しか出なくなり、「口が渇く感覚」を生じます。つまり、同じマッサージ手技を行っても、患者が緊張していれば効果は半減します。
ここに注目すべき事実があります。唾液腺マッサージを継続的に行うと、副交感神経に関わる何らかの生理作用が賦活化するという仮説が研究者の間で注目されています(現時点では仮説段階ですが、Jeamanukulkitら2023年の研究結果がこれを支持しています)。つまり、唾液腺マッサージは「唾液を一時的に増やすだけ」でなく、自律神経のバランス改善を通じて唾液分泌能力そのものを高めていく可能性があるということです。
患者への指導では、「リラックスした状態でマッサージすること」を必ず伝えてください。入浴中や就寝前のリラックスタイムに行うのが特に有効です。また、口呼吸から鼻呼吸への切り替え指導も同時に行うと、自律神経面からのサポートが強化されます。お口の周りの筋肉がゆるむと副交感神経が入りやすくなるという報告もあり、マッサージ前に顔周りの力を意識的に抜いてもらうだけでも効果が変わります。
ストレスが多く、緊張状態が続いている患者ほど口腔乾燥を訴えやすい傾向があります。そうした患者への唾液腺マッサージ指導は、口腔ケアの枠を超えた「全身管理のきっかけ」にもなり得ます。歯科従事者の関わりが患者の生活の質全体を底上げできる、という観点でとらえてください。
参考リンク(自律神経と唾液分泌・ドライマウスの関係についての詳細)。
ドライマウス外来(大阪歯科大学附属病院)