顎骨への腫瘍転移は患者よりも先に発見される
転移性顎骨腫瘍は顎口腔領域における悪性腫瘍のうち約1~3%を占める比較的稀な病態です。しかし、がん治療の進歩により担癌患者の生存期間が延長していることから、近年その遭遇頻度は増加傾向にあります。この数値は、口腔領域の悪性腫瘍100例のうち1~3例が転移性である計算になります。
原発巣として最も多いのは肺癌で、次いで乳癌、腎癌、甲状腺癌の順となっています。男性では肺癌が24.6%と最も多く、腎臓癌、前立腺癌、肝臓癌と続きます。一方、女性では乳癌が33.4%と最も高い割合を占め、肺癌、甲状腺癌、腎臓癌が続く傾向があります。この性別による原発巣の違いは、診断時の鑑別において重要な情報となります。
顎骨への転移は下顎骨に発生することが圧倒的に多く、上顎骨への転移は比較的稀です。下顎骨が選択的に転移を受けやすい理由として、豊富な骨髄腔と血流が関係していると考えられています。下顎臼歯部から下顎角部にかけての領域は特に好発部位となっており、この部位に原因不明の疼痛や腫脹が生じた場合には転移性腫瘍の可能性を念頭に置く必要があります。
転移性顎骨腫瘍の特筆すべき特徴として、約30%の症例で原発巣よりも顎骨の転移病変が先に発見されるという点が挙げられます。つまり、顎骨の異常が初発症状となり、全身検索の結果として原発巣が発見されるケースが3割程度存在するということです。このため歯科医療従事者は、顎骨病変の診断において常に転移性腫瘍の可能性を考慮し、必要に応じて全身精査を依頼する姿勢が求められます。
顎口腔領域の転移性腫瘍6例の臨床病理学的検討では、原発臓器の内訳や予後に関する詳細なデータが報告されています
転移性顎骨腫瘍の初期症状は非特異的であることが多く、これが早期診断を困難にする要因となっています。最も一般的な症状は局所の疼痛で、多くの患者が歯痛や顎の痛みを主訴として歯科医院を受診します。この疼痛は持続性で、通常の歯科治療では改善しないという特徴があります。
下唇やオトガイ部の知覚異常や麻痺も重要な症状です。これはNumb chin症候群として知られ、腫瘍がオトガイ神経を圧迫することで生じます。下唇の感覚鈍麻や麻痺を訴える患者に遭遇した場合、悪性腫瘍による神経圧迫の可能性を必ず検討しなければなりません。このサインは転移性腫瘍の重要な警告症状の一つです。
説明のつかない歯の動揺も特徴的な所見です。歯周病などの局所的原因が認められないにもかかわらず、複数の歯が動揺する場合には、顎骨内の病変を疑う必要があります。腫瘍による骨破壊が進行すると、歯槽骨の支持が失われ、急速に歯の動揺が進行することがあります。
顎骨の腫脹や膨隆も見られますが、初期段階では明確でないことも多いです。悪性腫瘍の場合は良性腫瘍と異なり、増大速度が速く、数週間から数ヶ月の経過で急速に進行する傾向があります。腫脹部位の触診で硬い腫瘤を触知したり、粘膜表面に潰瘍形成が認められる場合は、悪性を強く疑う所見となります。
診断においてはパノラマX線写真やCT検査が有用ですが、転移性腫瘍に特異的な画像所見は必ずしも明確ではありません。骨破壊像や不整な骨吸収像が認められることが多いですが、歯根嚢胞や歯周病による骨吸収との鑑別が必要になります。確定診断には生検による病理組織学的検査が不可欠で、腫瘍の組織型を確認することで原発巣の推定が可能になります。
患者の既往歴の聴取は極めて重要です。悪性腫瘍の治療歴がある患者では、顎骨病変が転移である可能性を常に念頭に置く必要があります。また、原因不明の体重減少、倦怠感、食欲不振などの全身症状がある場合には、悪性腫瘍の存在を疑い、全身精査を依頼することが推奨されます。
転移性顎骨腫瘍の治療方針は、原発巣の状態、全身への転移の程度、患者の全身状態、QOLを総合的に考慮して決定されます。顎骨への転移が認められた時点で、すでに他の臓器にも転移をきたしているケースが大部分を占めるため、根治的治療よりも緩和的治療が選択されることが多いです。
1年生存率は16.7%と極めて予後不良であることが報告されています。6ヶ月以内の死亡例が52.9%を占め、1年以上の生存例は21.5%程度に留まります。これは転移性顎骨腫瘍が全身性の進行癌の一部分症状であることを示しています。このため治療目標は生命予後の延長だけでなく、疼痛コントロールや摂食機能の維持といったQOLの向上に重点が置かれます。
外科的切除は限定的な適応となります。顎骨の広範囲切除は患者への侵襲が大きく、術後の機能障害も著しいため、全身状態が良好で他臓器への転移が限局的な場合にのみ検討されます。多くの症例では放射線療法が選択され、疼痛緩和や局所制御を目的とした姑息的外照射が行われます。放射線治療は比較的低侵襲で、疼痛軽減効果も期待できます。
化学療法は原発巣の治療として行われることが多く、顎骨転移に対しても一定の効果が期待されます。原発巣が肺癌や乳癌の場合、それぞれの癌種に応じた標準的化学療法が実施されます。分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬などの新規薬剤も導入されており、一部の症例では良好な反応が得られることもあります。
原発巣のコントロール状況は予後を左右する最も重要な因子です。原発巣が制御されており、顎骨への転移が単独または少数の場合は、比較的予後が良好な傾向があります。特に腎癌や甲状腺癌では、原発巣治療後10年以上経過してから骨転移が出現することもあり、長期的な経過観察が必要です。
骨転移の治療において骨吸収抑制薬(ビスホスホネート製剤やデノスマブ)が広く使用されますが、これらの薬剤は骨関連事象の発生を抑制する効果がある一方で、顎骨壊死(ARONJ)のリスクを伴います。がん治療における高用量投与では顎骨壊死の発生率が1~2%程度とされ、歯科処置前には必ず投薬歴を確認し、適切な予防措置を講じる必要があります。
長崎大学の研究では、顎骨壊死の発症率や危険因子に関する詳細な分析結果が報告されています
骨転移を有する癌患者には骨関連事象(病的骨折、骨痛、脊髄圧迫など)の予防を目的として骨吸収抑制薬が投与されることが一般的です。ビスホスホネート製剤(ゾレドロン酸、パミドロン酸など)やデノスマブは破骨細胞の機能を抑制することで骨吸収を抑え、骨転移による合併症を減少させる効果があります。
しかし、これらの薬剤使用患者において骨吸収抑制薬関連顎骨壊死(ARONJ)が問題となります。骨粗鬆症治療での経口投与では発生頻度は約0.01~0.1%と低いですが、がん治療における高用量の静脈内投与では1~2%程度まで上昇します。つまり癌の骨転移治療では、骨粗鬆症治療と比較して顎骨壊死のリスクが約100倍高くなるということです。
ARONJは抜歯などの侵襲的歯科処置をきっかけに発症することが多いですが、自然発症例も報告されています。不適合な義歯による粘膜損傷、歯周病、根尖病巣などの口腔内感染も誘因となります。骨吸収抑制薬の長期投与(3年以上)や歯周病などの局所感染が顎骨壊死の発症と有意に関連することが明らかになっています。
歯科医療従事者による適切なリスク管理が極めて重要です。骨吸収抑制薬投与前には口腔内診査を実施し、う蝕や歯周病の治療、抜歯が必要な歯の処置を完了させておくことが推奨されます。薬剤投与開始後は定期的な口腔衛生管理を継続し、侵襲的処置が必要な場合には医科主治医と連携して休薬期間の検討や抗菌薬の予防投与を考慮します。
顎骨壊死が発症した場合の治療は困難を極めます。従来は保存的治療(抗菌薬投与、含嗽)が推奨されていましたが、治癒率は低く、壊死骨の外科的切除が必要になることが多いです。がん治療で苦しんでいる患者にとって、顎骨壊死は大きな負担となり、QOLを著しく低下させる要因となります。
発症予防が最も重要な対策となります。
患者への説明も重要な要素です。骨吸収抑制薬を使用する患者には、顎骨壊死のリスクについて事前に情報提供し、口腔衛生の重要性、定期的な歯科受診の必要性、異常があれば速やかに受診することを指導します。歯科治療を受ける際には必ず骨吸収抑制薬の使用について申告するよう促すことも欠かせません。
転移性顎骨腫瘍患者の歯科管理においては、一般的な歯科治療とは異なる特別な配慮が必要となります。これらの患者は担癌状態にあり、化学療法や放射線療法などの癌治療を受けていることが多く、全身状態や免疫機能が低下している場合が少なくありません。
口腔機能の維持は患者のQOL向上において最優先事項となります。顎骨転移による疼痛や機能障害により、摂食嚥下機能が低下することがあります。柔らかい食事形態への変更、義歯の調整、疼痛コントロールなど、個々の患者の状態に応じた対応が求められます。栄養状態の悪化は癌治療の継続や予後に直接影響するため、できる限り経口摂取を維持する工夫が重要です。
化学療法による口腔粘膜炎の管理も重要な課題です。抗がん剤の副作用として口内炎が高頻度で発生し、激しい疼痛により経口摂取が困難になることがあります。予防的口腔ケアとして、化学療法開始前からの口腔衛生指導、保湿剤の使用、刺激物の回避などを指導します。粘膜炎が発症した場合には、局所麻酔薬を含む含嗽剤や疼痛緩和のための薬物療法を行います。
放射線治療を受けている患者では、照射野に顎骨が含まれる場合、放射線性顎骨壊死のリスクが生じます。頭頸部領域に60Gy以上の放射線照射を受けた場合、その後の抜歯などの侵襲的処置により顎骨壊死が発生する可能性があります。放射線治療前に必要な歯科処置を完了させ、照射後は可能な限り侵襲的処置を避ける方針が推奨されます。
感染予防も極めて重要です。化学療法による骨髄抑制で白血球数が減少している時期には、易感染状態となり、通常では問題にならない程度の口腔内細菌でも全身感染症を引き起こす可能性があります。歯科処置のタイミングは血液検査の結果を確認し、好中球数が十分に回復している時期を選択します。
処置前後の抗菌薬投与も検討します。
心理的サポートも忘れてはなりません。転移性腫瘍の診断は患者に大きな精神的負担をもたらします。予後が厳しいことを理解している患者も多く、不安や抑うつ状態にあることがあります。歯科医療従事者は医学的ケアだけでなく、患者の心理的ニーズにも配慮し、傾聴や共感的態度をもって接することが求められます。
緩和ケアチームや心理士との連携も有効です。
MSDマニュアルでは顎骨腫瘍の診断と治療に関する専門的な情報が提供されています