良性なのに手術しないと将来、顔が動かなくなるリスクがあります。
耳下腺多形腺腫(Pleomorphic Adenoma)は、耳下腺腫瘍全体の中で最も発生頻度が高い腫瘍です。良性腫瘍に分類されながら、その振る舞いはほかの良性腫瘍とは大きく異なります。
耳下腺腫瘍全体の約8割は良性腫瘍とされており、その中でも多形腺腫が約60〜62%を占めています。次いでワルチン腫瘍が約20%と続きます。つまり、耳下腺腫瘍と診断された患者のうち、過半数は多形腺腫である可能性が高いということです。
発症は女性に多く、発生部位は耳前部〜耳下部に好発します。触診上は「ゴムボールのような弾性硬の腫瘤」として触れることが特徴です。通常は片側のみに生じ、痛みや表面の発赤はほとんど伴いません。数年から10年以上かけてゆっくりと増大するため、患者自身が異変に気付くのが遅れるケースも珍しくありません。
組織学的には、腺管状構造を形成する上皮細胞と、粘液腫様・軟骨腫様の間質成分が混在する多様な組織像を呈します。この「多形」という名前はまさに多様な組織形態を持つことに由来しています。
歯科従事者との関わりで言えば、患者が定期検診や治療のために来院した際に、口腔周囲・顎顔面領域のしこりに気付く機会は少なくありません。耳下腺は耳前部から頬部にかけて広がる唾液腺であり、歯科的診察の視野に十分入ります。患者から「耳の下が腫れている」と相談を受けた場合、多形腺腫を含む耳下腺腫瘍の可能性を念頭に置いた上で、専門医(耳鼻咽喉科・頭頸部外科または口腔外科)への紹介を検討することが求められます。
つまり、多形腺腫は歯科従事者が日常診療の中で最初に疑い得る疾患の一つです。
東京女子医科大学 歯科口腔外科|唾液腺疾患(多形腺腫・ワルチン腫瘍の診断・治療方針について詳しく解説)
「良性腫瘍なら経過観察でも大丈夫では?」と考える歯科従事者は少なくないかもしれません。これは正確ではありません。
多形腺腫には、ほかの多くの良性腫瘍と異なる2つの重要な特性があります。第一に「放置すると徐々に大きくなる」こと、第二に「長期間放置すると悪性化(多形腺腫由来癌)のリスクが生じる」ことです。
悪性化のリスクについては、ある報告によれば10年間で約5%(施設によっては10%前後)のリスクがあるとされています。また、腫瘍径が10cmを超えるような大きさになると悪性化リスクはさらに高まります。長径2cmを超えると顔面神経と接触している可能性を考える必要があり、手術の難易度も上がります。多形腺腫由来癌(Carcinoma ex Pleomorphic Adenoma)は高悪性であることが多く、予後が非常に厳しいことが知られています。これが早期手術が推奨される最大の根拠です。
これが原則です。良性腫瘍であっても、多形腺腫は基本的に手術の適応となります。
例外として、高齢者で全身麻酔のリスクが高い場合や、腫瘍が小さく増大傾向がない場合は経過観察が選択されることもあります。しかしあくまでも例外的な判断です。
手術には全身麻酔が必要で、手術時間は平均約97〜120分(浅葉腫瘍の場合)です。術後の入院期間は平均約4〜7日間で、退院翌日から仕事復帰も可能とされています。費用の目安としては、3割負担で耳下腺浅葉摘出術が約81,630円程度(手術費のみ)とされており、入院費・麻酔費などを含めると全体で約20〜26万円程度(3割負担)になるケースが多いようです。
海南医療センター 耳鼻いんこう科|多形腺腫の悪性化リスクと手術適応について(約10年間で約5%の悪性化リスクに関する解説)
手術の方法を正しく理解することは、患者への説明責任を持つ歯科従事者にとって重要です。
耳下腺多形腺腫の手術術式には大きく分けて以下のものがあります。
| 術式名 | 概要 | 再発率の目安 |
|---|---|---|
| 被膜内核出術 | 腫瘍だけをくりぬく(被膜を温存) | 高率(30%前後の報告あり) |
| 被膜外核出術(ECD) | 腫瘍被膜の外側2〜3mmで摘出 | 約2〜3% |
| 浅葉部分切除術(PSP) | 腫瘍周囲1cm程度の正常組織を付けて摘出 | 約0.3% |
| 浅葉切除術(SP) | 耳下腺浅葉ごと切除 | 低い |
| 全摘術 | 耳下腺全体を切除 | 最も低い |
多形腺腫の被膜は、場所によって部分的に欠損していることがあります。さらに「pseudopod(偽足)」と呼ばれる腫瘍細胞の突起や、被膜外に飛び出した「satellite lesion(衛星病巣)」が存在することがあるため、被膜ギリギリでの切除(被膜内核出術)では取り残しが生じやすいのです。
これが基本です。現在の標準術式は浅葉部分切除術(PSP)であり、腫瘍周囲に約1cm程度の正常耳下腺組織を付けて摘出することが再発予防の観点から推奨されています。
国立病院機構福山医療センターの報告(2018年)によれば、PSPに近い術式で15例を手術した結果、平均手術時間97分・平均出血量8ml・平均術後入院期間4.1日で、再発例・顔面神経麻痺例ともにゼロだったと報告されています。
意外ですね。
一方、1940年以前に主流だった被膜内核出術では、多形腺腫の再発が高率に起きることが判明し、その後は浅葉切除術・浅葉部分切除術へと術式が変遷してきました。これは歴史的な経緯として知っておく価値があります。
耳下腺手術で最も注意すべき合併症が、術後顔面神経麻痺です。
耳下腺の中には顔面神経(表情筋を支配する神経)が走行しており、その太さはわずか1〜2mm程度です。MRIやCT等の術前画像では直接描出することが難しいため、術中に細心の注意を払いながら同定・温存する必要があります。
術後顔面神経麻痺の発生頻度は、腫瘍の部位と大きさによって異なります。浅葉腫瘍・下極腫瘍では一時的顔面神経麻痺が15〜20%、深葉腫瘍では30〜40%に発生するとされています。多くは一過性で回復しますが、まれに永久麻痺となる例もゼロではありません。
腫瘍が2cmを超えると顔面神経と接触している可能性が高まります。これは必須の知識です。
代表的な術後合併症を整理すると以下のようになります。
Frey症候群が術後20〜30%に出ることは、歯科従事者も患者から術後相談を受けた際に知識として持っておくべきです。これは、以前に耳下腺手術を受けた患者が「食事中に耳の前が汗ばむ」「赤くなる」と歯科の診療中に訴えるケースもあるためです。
厳しいところですね。
最新の知見では、顔面神経モニタリングシステム(術中に神経の位置を音でリアルタイムに知らせる装置)の使用が一般化しており、神経損傷リスクの大幅な低減に貢献しています。大阪医科薬科大学の報告では、902例の耳下腺良性腫瘍手術で術中神経モニタリングを使用した20年分のデータが集積されており、その有効性が示されています。
洛和会音羽病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科|耳下腺腫瘍の術後顔面神経麻痺の詳細な発症頻度とFrey症候群の説明
多形腺腫の手術後、再発は起こり得ます。これを知らないまま患者に関わることは避けるべきです。
2026年1月に報告された研究(1990〜2023年の301例対象)によれば、多形腺腫の再発率は9.3%(28例)で、初回手術から再発までの平均期間はなんと約119.5か月(約10年)でした。再発のほとんどは、術後5〜15年という長期経過の後に発見されています。
これは重要です。
再発の主な原因には以下のものがあります。
再発した多形腺腫は、初発時と異なり、多発性の小結節が残存唾液腺内や周囲組織に散在するという特徴があります。そのため再手術は非常に難しくなり、顔面神経麻痺のリスクも大幅に高まります。ある報告では、再発例の再手術では顔面神経温存が困難になるケースが増えることが示されています。
また、再手術において顔面神経を温存した群では温存しなかった群と比較して再発頻度が有意に低いことが2026年の報告で明らかになっています(carenet academia)。逆に言えば、再発例であっても顔面神経の温存を丁寧に行うことが、その後の再々発リスク低減にもつながるということです。
多形腺腫の再発には約10年の時間がかかることが多いことを知っておくべきです。これが条件です。
歯科従事者の立場では、「以前に耳下腺の手術を受けた」という患者に対して、定期的なフォローアップが行われているかを確認し、異常を感じた際には専門医受診を促すことが適切な対応となります。なお、術後の再発の約90%は患者自身が自覚(しこりに触れる)して発見されており、定期画像検査よりも自己チェックの習慣が実際には重要とされています。
日本口腔・咽頭科学会|耳下腺腫瘍(核出術による再発リスク・浅葉切除術の重要性について解説)
ここまで、多形腺腫の基礎から手術・再発リスクまでを解説してきました。では、歯科従事者として日常の現場でどのように活かすかを整理します。
歯科従事者が多形腺腫に最初に関わるシーンは、主に2つです。一つは、患者が口腔周囲のしこり・腫脹に気付いて相談してくるケース。もう一つは、口腔内診察・顎顔面の触診の際に偶然気付くケースです。
患者から「耳の下が硬く腫れている」「ずっとここにしこりがある」という訴えがあった場合、以下の観察ポイントを押さえた上で専門医紹介を検討してください。
「痛みがないから大丈夫」は禁物です。多形腺腫は無痛性が特徴であり、無症状であるがゆえに受診が遅れやすい腫瘍です。
専門医紹介先としては、耳鼻咽喉科・頭頸部外科(大学病院や頭頸部専門施設)が主体となります。ただし、顎下腺や小唾液腺(口蓋など)に発生した多形腺腫は口腔外科が診療を担う場合もあります。
これなら問題ありません。
また、すでに手術を受けた患者が来院した際には、以下のことを把握しておくことが役立ちます。
歯科従事者は直接手術には関わらないものの、患者との接触頻度が高い職種です。多形腺腫の知識を持っておくことで、早期発見・早期紹介の入り口になれる可能性があります。これが歯科従事者としての大切な役割の一つです。
笹木歯科医院 歯科口腔外科|唾液腺腫瘍の歯科口腔外科における診断・専門医連携の具体的な解説