虫歯がないのに奥歯の治療を繰り返すと、患者が自費補綴を失うリスクがあります。
副鼻腔炎で歯が痛む理由は、上顎洞の位置関係にあります。上顎洞は副鼻腔のひとつで、上顎の奥歯の根のすぐ上に存在します。人によっては上顎の小臼歯・大臼歯の歯根先端が上顎洞内に突出しているケースもあり、炎症が生じると歯の根への直接的な圧迫が起こります。この圧迫によって三叉神経が刺激され、歯が痛むように感じるのです。
これは「上顎洞性歯痛」と呼ばれる非歯原性歯痛のひとつです。つまり歯に原因はありません。日本歯科医師会の公式情報によると、非歯原性歯痛には上顎洞性歯痛のほか、筋・筋膜性、神経血管性、心臓性など8種類の分類があり、歯の治療をしても改善しない歯痛として整理されています。
ある研究では、慢性副鼻腔炎患者の約70%が歯の痛みを訴えると報告されています。これは決して少ない数字ではありません。歯科臨床の現場で「風邪っぽいのに奥歯が痛い」という訴えがあった場合、副鼻腔炎を念頭においた問診が重要になります。
上顎洞性歯痛には以下のような特徴があります。
- 複数の奥歯が同時に痛む ── 虫歯は通常1本に限定されます。副鼻腔炎の場合、上顎洞に接している上顎第二小臼歯・第一大臼歯・第二大臼歯の2〜3本が鈍く痛むことが多いです
- 上の奥歯のみに痛みが出る ── 下顎や前歯には現れにくく、上顎奥歯への集中が鑑別の手がかりになります
- 頭を下げると痛みが増す ── 前屈みになることで上顎洞内の内圧が変化し、症状が悪化します。靴ひもを結ぶだけで痛みが出る、という患者報告もあります
- 冷温刺激に反応しない ── 知覚過敏や歯髄炎と違い、冷たいもの・熱いものへの過敏反応は出にくいです
- 片側だけに症状が出る ── 両側に及ぶ通常の副鼻腔炎でも、歯の痛みは片側のみに出るケースが多いです
痛みの鑑別は基本です。「1本だけが痛い」なら虫歯の可能性が高く、「複数の奥歯が重苦しく痛い」なら副鼻腔炎を疑うべきということですね。
歯科衛生士・歯科医師を問わず、患者から「どの歯が痛いか分からない」という訴えがあった場合は、鼻の症状(鼻づまり・後鼻漏・においの変化)も同時に確認する習慣が臨床精度を大きく高めます。
参考:日本歯科医師会テーマパーク8020「非歯原性歯痛」
https://www.jda.or.jp/park/trouble/toothache-fromother.html
臨床で最も重要なのが鑑別です。副鼻腔炎由来の歯痛を虫歯として治療し続けると、健全な歯の神経を取る(抜髄する)という取り返しのつかない処置につながりかねません。これは患者にとって大きなデメリットであり、歯科医院への信頼失墜にもつながります。問診を丁寧に行うことが条件です。
以下のポイントを問診・診査の場面で確認しましょう。
| 確認項目 | 虫歯(歯髄炎)の特徴 | 副鼻腔炎由来の特徴 |
|------|-----------|-------------|
| 痛む歯の数 | 1本に限定 | 2〜3本以上が同時に痛む |
| 冷温刺激 | 強い過敏反応あり | 基本的に反応しない |
| 自発痛のタイミング | 噛むと特に痛む | 頭を下げると悪化 |
| 鼻の症状 | なし | 鼻づまり・後鼻漏を伴うことが多い |
| 痛む部位 | 上下どちらにも出る | 上顎奥歯(小臼歯〜大臼歯)に限定 |
| X線所見 | 虫歯・骨吸収が確認できる | 歯根に異常なし、上顎洞の不透過像あり |
| 全身症状 | 基本的になし | 微熱・倦怠感・頭重感を伴うこともある |
また視診・触診も組み合わせます。上顎洞の体表投影部位(頬骨下あたり)を指で押して圧痛があれば上顎洞炎を強く疑います。鑑別の視点は「痛みの範囲」と「姿勢による変化」の2点を押さえれば大丈夫です。
パノラマX線では上顎洞の粘膜肥厚が映し出されることもあります。上顎洞底が白くぼんやりと曇って見える場合は、副鼻腔炎の存在を疑うべきサインです。この際、安易に根管治療に着手せず、まず耳鼻科へ紹介するかCBCTで精査する手順が推奨されます。
また「風邪を引いたあとから奥歯が痛くなった」「季節の変わり目に歯が痛む」という患者の発言は、副鼻腔炎由来を強く示唆します。これは使えそうです。問診シートに「最近鼻の症状はありますか」という項目を追加するだけで、副鼻腔炎由来の歯痛の見落としを大幅に減らせます。
参考:副鼻腔炎(蓄膿症)で歯が痛くなるのはいつまで続く?(武田耳鼻咽喉科)
https://www.takedajibika.com/column/empyema/tooth-aches/
副鼻腔炎が歯を痛ませる話をしてきましたが、実はその逆もあります。歯が原因で副鼻腔炎が起きる「歯性上顎洞炎」です。上顎洞炎全体の10〜30%を歯性上顎洞炎が占めるとされており、一部の研究では最大50%が歯原性である可能性があると報告されています。これは意外ですね。
歯性上顎洞炎が起きる主な原因は3つです。
まず、進行した虫歯(根尖病変)です。虫歯が歯髄にまで達し、根尖に膿が溜まる「根尖性歯周炎」になると、上顎奥歯の歯根先端から細菌が上顎洞底を破って侵入します。上顎第一大臼歯・第二大臼歯の歯根は上顎洞底と非常に近く、人によっては骨を介さずに直接接している場合もあります。
次に、歯周病です。深い歯周ポケットが上顎の奥歯に形成されると、ポケット内の嫌気性菌が上顎洞に達する経路ができることがあります。根分岐部病変が進行した場合は特に注意が必要で、定期検診での精査が求められます。
そして、歯科治療後の合併症です。上顎奥歯の抜歯後に歯槽窩と上顎洞が交通した状態(口腔上顎洞瘻)が生じると、細菌侵入が起こりやすくなります。インプラントのサイナスリフト後に感染が生じるケースも報告されており、術後管理が重要です。
歯性上顎洞炎の細菌叢は口腔内の嫌気性菌(ペプトストレプトコッカス属・プレボテラ属など)が主体であり、通常の鼻性副鼻腔炎とは異なります。さらに10〜12%でMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の存在が報告されており、安易な抗菌薬選択は禁物です。
耳鼻科で抗生剤治療を受けても症状が再発する場合、原因歯が治療されていない可能性があります。歯科と耳鼻科の連携が原則です。歯性上顎洞炎は、耳鼻科単独では完治しません。
参考:「歯科」と「副鼻腔炎」との関係とは?(新橋歯科)
https://shinbashishika.com/blog/dental-sinusitis/
歯性上顎洞炎の診断において、画像診断の質が治療方針を大きく左右します。パノラマX線は上顎洞の病変を大まかに確認できますが、2次元像のため歯根先端と上顎洞底の立体的な位置関係や骨吸収の範囲を正確に把握することは難しいです。重要な点はここです。
耳鼻科でCT撮影を受けてきた患者を診る場合、そのCTデータをそのまま歯科診断に流用することはできません。耳鼻科のCTは副鼻腔の粘膜・形態評価を主目的としており、撮影規格・スライス厚・視野が歯科とは異なります。歯根の炎症所見や骨吸収の範囲を正確に把握するためには、歯科でのCBCT(コーンビームCT)による追加撮影が必要です。
CBCTを用いると、以下のことが可能になります。
- 歯根先端と上顎洞底の位置関係の三次元的確認
- 根尖病変(根尖透過像)の範囲と上顎洞粘膜肥厚との連続性の確認
- 口腔上顎洞瘻の有無の判定
- 根分岐部の骨欠損と上顎洞壁への波及の確認
スウェーデンの先進歯科医療に関する研究論文でも、口腔内画像診断しか利用できない場合は診断が複雑になり、経験豊富な臨床医でも発見が困難になるケースがあると報告されています。また、診断が難しい疾患として、副鼻腔に拡がる嚢胞・良性腫瘍・二次感染などが挙げられ、上顎第三大臼歯の埋伏がある場合は徹底的なX線検査が不可欠とされています。
CBCTが必須です。ただし、CBCTで疑いが強まった場合でも、決定的な処置(抜歯・根管治療)を行うには明確な病状と因果関係の確認が必要です。疑わしいと判断した場合には、口腔顎顔面外科クリニックへの紹介、またはCBCTによる追加精査を検討するというプロセスを組織的に導入しておくことが、臨床リスク管理の観点から重要です。
また「根管治療を繰り返しているのに治らない」という患者がいる場合、不良根管治療が歯性上顎洞炎を引き起こしている可能性があります。患者が「耳鼻科で副鼻腔炎の手術を勧められた」と言って来院するケースでは、まず歯科側の問題が解決されているかを確認するのがセオリーです。
副鼻腔炎由来の歯痛への対応では、歯科衛生士の役割が非常に重要です。歯科医師が診断・治療方針を決定する一方、患者へのセルフケア指導や問診補助は歯科衛生士が担う部分が大きいからです。ここが独自の視点です。
患者が「歯が痛い」と来院した際に、副鼻腔炎の可能性を拾い上げる問診補助ができるかどうかで、診断精度が変わります。具体的には次のような問いかけが効果的です。
- 「最近、鼻がつまっていたり、後ろから喉に鼻水が落ちる感じはありますか?」
- 「頭を下げたときに歯の痛みや顔の重さが増す感じはありますか?」
- 「風邪をひいたあとから歯の症状が出始めましたか?」
- 「痛いのは上の奥歯で、1本ではなく複数ですか?」
これら4つの問いに2つ以上当てはまる場合は、副鼻腔炎関連を強く疑うべき状況といえます。問診のポイントはシンプルです。
再発予防のセルフケア指導においては、口腔内の清潔だけでなく、副鼻腔の健康につながる生活習慣も伝えることが重要です。以下を患者へ案内しましょう。
- 室内湿度を50〜60%に保つ ── 粘膜の乾燥を防ぐことで細菌感染を予防します。加湿器の適切な使用を促しましょう
- 強い鼻かみを控える ── 強い鼻かみで鼻腔内の細菌が副鼻腔に押し込まれることがあります。片方ずつ、やさしくかむよう指導します
- 禁煙 ── 喫煙は副鼻腔粘膜の線毛運動を障害し、感染リスクを高めます。口腔内への影響と合わせて禁煙のメリットを伝えましょう
- 奥歯の清掃徹底 ── 特に上顎の第一・第二大臼歯は磨き残しが多い部位です。歯間ブラシや湾曲ヘッドのブラシを使った適切なブラッシング指導が再発予防の核心です
- 3ヶ月に1度の定期検診 ── 初期の根尖病変や歯周ポケットの進行を早期発見するうえで定期的なプロフェッショナルケアが欠かせません
口腔清潔と副鼻腔ケアは切り離せない関係です。歯科衛生士が「鼻と歯は繋がっています」という視点を患者に伝えるだけで、患者の意識が大きく変わり、再来院率・信頼度の向上にもつながります。患者に「教わった気がする」ではなく「なるほど!」と思われる説明を目指しましょう。
参考:歯が原因の副鼻腔炎(歯性上顎洞炎)とは?症状や原因と歯科治療法(ムクノキ歯科)
https://www.mukunoki-dc.com/column/teeth_sinusitis/