軽い虫歯の治療後に患者が4時間でICUに入ることがあります。
歯科情報
深頸部感染症(Deep Neck Infection:DNI)とは、頭頸部領域に存在する疎性結合組織で構成された多数の筋膜間隙(スペース)の内部に生じた感染症の総称です。炎症の形態はリンパ節炎、蜂窩織炎(ほうかしきえん)、膿瘍の3種類があり、それぞれ進行度や治療方針が異なります。なお記事タイトルの「ptt」は、PTT(Periodontal Tissue Treatment:歯周組織治療)とその感染波及を組み合わせた歯科特有の文脈で使われることがありますが、本稿では「深頸部感染症」そのものの全体像を、歯科医療従事者が知っておくべき視点から徹底的に解説します。
まず、頸部には実に多くの筋膜間隙が存在します。
- 顎下間隙・舌下間隙(顎下部〜口腔底)
- 傍咽頭間隙(咽頭側方)
- 咽頭後間隙・Danger Space(頸部全長にわたり縦隔まで続く)
- 咀嚼筋間隙・翼突下顎間隙(開口障害に関与)
これらの間隙は互いに隣接・連絡しており、感染が一か所に留まらず拡大しやすい解剖学的特徴があります。特に「Danger Space(危険間隙)」と呼ばれる咽頭後間隙後部は疎な組織が縦隔まで連続しており、炎症がここに到達すると一気に縦隔炎へ進展するリスクがあります。縦隔炎とは、肺と心臓の間(縦隔)に炎症が波及した状態のことです。
深頸部感染症が怖い最大の理由はここにあります。つまり、重力に従って膿が「降りていく」降下性縦隔炎という状態です。
近年5年間の全国DPC(Diagnosis Procedure Combination)データベース(約382万例)を解析した関西医科大学の研究では、深頸部膿瘍切開術を要した症例が4,949例抽出されています(日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー感染症学会誌 2022年)。抗菌薬が高度に発展した現代においても、決して珍しくない重篤疾患と認識すべきです。
参考リンク(関西医科大学・深頸部膿瘍の病態と予後に関する国内最新の解析論文)。
歯科医が深頸部感染症を「自分ごと」として捉えなければならない最大の理由は、成人例の原因として歯性感染が圧倒的多数を占めることです。関西医科大学の123例の検討では、成人群の病因を分類すると「咽喉頭炎由来」と「齲歯・歯原性疾患由来」を合わせると80例、全体の70%以上を占めていました。小児では73%がリンパ節炎由来と異なるため、大人と子どもでは成因がまったく違う点も重要です。成人が主な原因です。
歯性感染が深頸部へ波及する経路は、解剖学的に整理すると次のようになります。下顎臼歯部(特に第2・第3臼歯)の根尖病巣や歯周膿瘍が骨を越えて周囲組織へ浸潤し、顎舌骨筋(Mylohyoid muscle)の付着部の位置関係によって「舌下間隙」または「顎下間隙」のどちらに感染が流れ込むかが決まります。第1臼歯の根尖は顎舌骨筋付着部より上方にあることが多く、主に舌下間隙へ波及します。一方、第2・第3臼歯の根尖は付着部より下方に出ることが多く、顎下間隙(Submylohyoid space)へ波及しやすいとされています。
顎下間隙・舌下間隙の両側に感染が広がったものを特にLudwig's Angina(ルードヴィッヒアンギーナ:口腔底蜂窩織炎)と呼びます。口腔底に急速に広がる感染症で、気道閉塞のリスクが非常に高い緊急疾患です。適切な治療がなされない場合、半数が気道緊急に陥るとされており、これは歯科医として絶対に見逃せない状態です。
Ludwig's Anginaの起炎菌は多菌性(Polymicrobial)であることが多く、口腔内常在菌のViridans Streptococcus(40%)、Staphylococcus aureus(27%)、S. epidermidis(23%)などが報告されています。糖尿病患者では、重症化しやすいKlebsiella pneumoniaeの割合が約50%に達するという報告もあり、糖尿病合併患者への注意が特に必要です。
参考リンク(Ludwig's Anginaおよび深頸部感染症の解剖・臨床まとめ、救急医向け)。
深頸部感染症の総論的なやつ+Ludwig's Angina(ホスピタリスト総合内科ブログ)
深頸部感染症の診断で最も重要なのは、「臨床症状から可能性を疑うこと」です。発熱・頸部腫脹・頸部痛といった主症状に加え、以下のいずれかの所見があれば、深頸部への進展を積極的に疑う必要があります。
| 症状 | 示唆する間隙 | 緊急度 |
|---|---|---|
| 開口障害(トリスムス) | 傍咽頭間隙・咀嚼筋間隙 | ⚠️ 高い |
| 嚥下障害・嚥下痛 | 傍咽頭間隙・咽頭後間隙 | ⚠️ 高い |
| 呼吸苦・喘鳴(ストライダー) | 顎下間隙・傍咽頭間隙 | 🚨 最緊急 |
| 声のこもり(Hot potato voice) | 傍咽頭間隙後方 | ⚠️ 高い |
| 頸部の強い硬結・発赤 | 顎下間隙・側頸部 | ⚠️ 高い |
特に開口障害は重要なサインです。開口障害は傍咽頭間隙への炎症波及を示しており、内側翼突筋が障害されることで生じます。この状態では、「経口挿管が困難になる可能性が高い」ため、仮に緊急気道確保が必要になっても通常の手技が使えないことを念頭に置く必要があります。気管切開の準備が必要になるケースです。
診断の確定には造影CT検査が第一選択です。造影CTはLudwig's Anginaに対して感度95%・特異度80%(臨床判断と組み合わせた場合)とされており、膿瘍の進展範囲と縦隔への波及の有無を一度に確認できます。撮影範囲は頸部から横隔膜レベルまでを含めることが推奨されており、これにより降下性縦隔炎の有無を見落とさずに評価できます。ただし、仰臥位になれないほど気道が狭窄している場合には、無理にCTを撮影せず気道確保を優先します。これが基本原則です。
血液検査ではWBC(白血球数)・CRP値・プロカルシトニン(PCT)などの炎症マーカーを確認します。さらに必要に応じてファイバースコープで咽喉頭を観察し、膿瘍による圧排所見や喉頭蓋浮腫の有無を確認することが重要です。
歯科医として最も重要なのは、「う歯処置後に開口障害や頸部腫脹が出現した患者」を絶対に帰宅させないことです。二次医療機関への即時紹介が、患者の命を守ります。
治療の基本は「抗菌薬療法」「切開排膿」「全身管理(特に気道確保)」の3本柱です。これらは並行して進められます。
🔹 抗菌薬の選択
深頸部感染症の原因菌は、好気性菌(Streptococcus属など)と嫌気性菌(Prevotella属、Peptostreptococcus属など)の混合感染が多く、全体の30〜60%程度に嫌気性菌が関与します。このため、広域スペクトルで嫌気性菌もカバーできる薬剤を選ぶことが原則です。
JAID/JSC感染症治療ガイドライン2016(歯性感染症)では、以下のような選択が示されています。
- 中等症(静注):SBT/ABPC(スルバクタム/アンピシリン)1回3g、1日2〜4回
- 重症例(静注):MEPM(メロペネム)またはDRPM(ドリペネム)
- 壊死性筋膜炎など最重症:カルバペネム系+クリンダマイシン併用
注意点は、口腔内の組織や膿瘍腔内への抗菌薬移行濃度が低いという点です。これが切開排膿が必須である理由でもあります。外来での経口抗菌薬のみで様子をみるのは中等症〜重症では不適切です。効果判定の目安は3日で、改善がなければ術式の追加か薬剤の変更を考慮します。
参考リンク(歯性感染症の抗菌薬ガイドライン・公式PDF、学術的信頼性が高い)。
JAID/JSC 感染症治療ガイドライン2016 —歯性感染症—(日本感染症学会・日本化学療法学会)
🔹 切開排膿の原則
膿瘍腔には抗菌薬が届かない。これが治療の大原則です。膿瘍壁にはバイオフィルムを形成する細菌が存在し、薬物に対して抵抗性を示すため、膿瘍腔を物理的に開放する切開排膿が治療の中心となります。
切開排膿の絶対適応は以下の通りです。
- 🚨 呼吸症状がある
- 🚨 ガス産生がみられる
- 🚨 筋膜壊死がある
- 🚨 抗菌薬投与後24時間以内に改善がない
逆に、全身状態が良好で気道狭窄なく膿瘍が限局している場合は、超音波ガイド下穿刺排膿など保存的な方法で軽快する症例もあります。ただし、改善が得られない場合は躊躇なく外科的切開排膿へ移行します。
膿瘍が縦隔に波及した降下性縦隔炎では、通常は気管分岐部レベルまで頸部アプローチで開放が可能ですが、それより下方に進展した場合は胸腔鏡下ドレナージを呼吸器外科・食道外科と連携して行うことが推奨されています。連携が命を救います。
🔹 気道確保の判断
気道確保の判断は、深頸部感染症治療においてタイミングが命取りになる要素のひとつです。気道狭窄の兆候(呼吸困難、ストライダー、チアノーゼ、体位変換による悪化)がある場合は、麻酔科・耳鼻咽喉科にコンサルトし、ファイバースコープを用いた気管挿管または気管切開による確保を行います。
盲目的な強制挿管は気道閉塞を助長するため避けるべきです。開口障害のある患者では経口挿管が困難なため、最初から気管切開を計画することが多くなります。気道確保が最優先です。
糖尿病は深頸部感染症の重症化に深く関与する最大のリスク因子のひとつです。歯科診療では、糖尿病患者への対応を一段上のレベルで考える必要があります。
糖尿病患者に深頸部感染症が起きると何が違うのか。関西医科大学の系統的レビュー・メタ分析(Head Neck 2015)によると、糖尿病合併例のリスク比は以下のように有意に上昇します。
| リスク項目 | リスク比 |
|---|---|
| 頸部の複数の間隙への炎症進展 | 1.96倍 |
| 気道狭窄などの合併症発症 | 2.43倍 |
| 起炎菌がKlebsiella pneumoniaeである可能性 | 3.28倍 |
Klebsiella pneumoniaeは通常の歯性感染では主な原因菌ではありません。しかし糖尿病患者では市中感染起炎菌として代表的なこの菌が優位になることがあり、抗菌薬選択にも影響します。この知識は意外です。
糖尿病患者では、感染が進行していても「痛みを感じにくい」ことがある点も深刻です。末梢神経障害により痛みを感知する神経の機能が低下し、感染に気づくのが遅れ、その間にも病態が進行するという悪循環が生まれます。毛細血管の血流低下により白血球が感染部位に到達しにくくなるだけでなく、抗菌薬の組織移行量も低下します。
さらに感染によって高血糖状態が増強し、免疫能がさらに低下するという悪循環に陥ることも報告されています。糖尿病×感染は相互に悪化させる関係です。
歯科診療における具体的な対応としては、HbA1cが7.0%を超えている患者、または血糖コントロールが不安定な患者には、抜歯や歯周外科処置後の経過観察を通常よりも厳密に行うことが推奨されます。処置後2〜3日以内に頸部腫脹・発熱・開口障害などが出現した場合は、即日で総合病院の口腔外科または耳鼻咽喉科へ紹介する判断基準を院内で共有しておくと良いでしょう。判断基準を決めておくことが重要です。
HbA1c値の確認や基礎疾患の把握は問診票で行いますが、「糖尿病の有無」だけでなく「コントロール状態」まで把握するのが深頸部感染症リスクの観点からも理にかなっています。また、院内で「抗菌薬投与後24時間で改善がない場合は即紹介」というフローを明確にしておくことも、対応の遅れを防ぐ実践的な方法です。
深頸部感染症は、早期に適切な治療がなされれば予後良好なことが多い疾患です。しかし、治療が遅れたり、合併症が生じたりすると致死的な経過をたどります。最新の報告でも死亡率は0.3〜8.0%とされており、現代においても決して軽視できない重篤な細菌感染症です。
主な合併症として以下が挙げられます。
| 合併症 | 致死率の目安 |
|---|---|
| 降下性壊死性縦隔炎(DNM) | 20〜40% |
| 敗血症・DIC | 極めて高い |
| 内頸静脈血栓症(レミエール症候群) | 高い |
| 気道への膿瘍破裂・窒息 | 即死的 |
| 嚥下障害(急性期後) | 約20%に残存 |
特に重要な合併症が降下性壊死性縦隔炎(Descending Necrotizing Mediastinitis:DNM)です。1980〜1990年代には致死率が30〜40%に達していましたが、21世紀以降は胸腔鏡ドレナージや適切なICU管理の普及により10〜20%まで改善しています(JOHNS 2022)。それでも依然として致命的なリスクがある疾患です。
加えて、急性期を乗り越えた後でも、約20%の症例で嚥下障害が後遺症として残ることが岐阜大学の全国調査で報告されています。舌骨を越えた膿瘍進展や気管切開の施行が、嚥下機能回復遅延の有意なリスク因子(調整オッズ比がそれぞれ3.0と10.7)であることも示されており、急性期治療後に摂食嚥下リハビリテーションが必要になるケースも少なくありません。
歯科医の立場からできる最大の予防的介入は、「感染源をつくらないこと」と「感染源を早期に除去すること」の2点です。
放置された根尖性歯周炎、コントロールされていない重度歯周病、顎骨炎などは、いつ深頸部感染症の導火線になるかわかりません。特に糖尿病、ステロイド服用中、悪性腫瘍治療中などの易感染性を有する患者に対しては、定期的なレントゲン評価と感染性病巣の積極的な除去(感染根管治療・抜歯)が重要です。
また、患者への啓発も大切な役割のひとつです。「抜歯後に首が腫れてきたら、痛くなくても即日来院または救急受診してください」という一言が、患者の命を救う可能性があります。歯科のかかりつけ医として、この情報を伝えることが日常診療の延長にあります。
参考リンク(深頸部感染症の縦隔炎合併・合併症・予後に関する専門的解説)。
深頸部感染症の合併症とその対応 縦隔炎(JOHNS 38巻11号 2022)