顔面動脈の走行と歯科治療での臨床的重要性

顔面動脈の走行は外頸動脈から始まり、顔面へと蛇行しながら複数の枝を出す複雑な構造です。歯科治療において正確に理解しておかないと、どんなリスクが生じるのでしょうか?

顔面動脈の走行と歯科治療での注意点

顔面動脈の走行は「教科書通り」だと思っていると、処置中の出血で気道閉塞を招く危険があります。


この記事でわかること
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顔面動脈の走行の基本

外頸動脈から始まり、下顎骨下縁を越えて内眼角(眼角動脈)へ至る全走行を、分岐する枝とともに整理します。

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走行の個人差・バリエーション

直走型から強屈型まで4分類の屈曲パターンが存在し、高齢者では屈曲が顕著になることが解剖学的研究で示されています。

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歯科臨床での活用ポイント

インプラント手術・抜歯・局所麻酔時に顔面動脈の走行知識がどのようなリスク回避につながるかを具体的に解説します。

歯科情報


顔面動脈の走行:外頸動脈から起始する経路の全体像


顔面動脈は外頸動脈の枝の一つで、舌動脈のわずか上方から分岐します。分岐後はすぐに顎二腹筋・茎突舌骨筋の下方を斜め上方に進み、顎下腺後面の溝に入ります。その後、咬筋の前下方角(咬筋付着部の前縁)にさしかかると、下顎体を超えて上方へ向かいます。これが「下顎骨下縁を越える」という、教科書でも繰り返し登場する重要ランドマークです。


顔面に出た後は、口角の外側から内眼角(ないがんかく)方向へと前上方に蛇行しながら進みます。最終的には鼻側部に沿って上昇し、眼の正中交連(内眼角)に到達して眼角動脈となります。眼角動脈が顔面動脈の終枝です。


重要なのは「非常に蛇行している血管」という特性です。なぜ蛇行するかといえば、顔面は表情・咀嚼・嚥下などで頻繁に形を変えるからです。蛇行することで、筋の収縮や骨の動きに追随できる「余裕」が生まれます。このため走行は個体ごとに差が大きく、「ここを走っているはずだ」という思い込みは禁物です。


顔面動脈が供血する組織は非常に多岐にわたります。筋肉だけでも頬筋・口角挙筋・上唇挙筋・口蓋帆挙筋・咬筋・オトガイ筋・顎舌骨筋・鼻筋など多数が挙げられます。顔面の軟組織をほぼカバーする血管といっても過言ではありません。供血範囲の広さがそのまま、損傷時のリスクの大きさに直結します。



顔面動脈の走行の全体像を整理します。




























走行部位 解剖学的ランドマーク
起始 頸動脈三角・外頸動脈(舌動脈のやや上方)
頸部 顎二腹筋・茎突舌骨筋の下方→顎下腺後面の溝
下顎骨下縁 咬筋前縁で下顎体を超えて顔面へ出る(触知可能)
顔面 口角外側→鼻翼→鼻側部に沿って上昇
終枝 眼角動脈として内眼角に到達


参考:顔面動脈の解剖学的走行についての基本情報はWikipedia「顔面動脈」でも確認できます。


顔面動脈 - Wikipedia(日本語版)


顔面動脈の走行で出る枝:頸部枝と顔面枝の分類

顔面動脈から分岐する枝は、大きく「頸部枝」と「顔面枝」の2グループに整理できます。この区分けは、解剖学の試験だけでなく、口腔外科インプラント・矯正外科のどの分野でも直結する知識です。


頸部枝は以下の4つです。



  • 🔹 上行口蓋動脈:軟口蓋・扁桃・咽頭の栄養。口蓋粘膜弁を用いる外科処置では損傷に注意が必要。

  • 🔹 扁桃枝:口蓋扁桃への供血。

  • 🔹 オトガイ下動脈:下顎角付近で分岐し、下顎底に沿って顎舌骨筋外面上を走行。インプラント埋入との関係で後述します。

  • 🔹 腺枝:顎下腺への供血。


顔面枝は以下の4つです。



  • 🔹 下唇動脈:下唇の血液供給。

  • 🔹 上唇動脈:上唇の血液供給。左右の上唇動脈が吻合し、口唇輪を形成します。

  • 🔹 外側鼻動脈:鼻翼・鼻側面の血液供給。

  • 🔹 眼角動脈:顔面動脈の終枝。内眼角付近で眼動脈(内頸動脈系)と吻合します。


眼角動脈が「外頸動脈系」と「内頸動脈系(眼動脈)」を結ぶ吻合点になっていることは非常に重要です。これは意外な事実ですが、口腔内の感染や止血操作が頭蓋内の血管に影響を及ぼすルートが存在することを意味します。上唇動脈と下唇動脈は口輪筋内を走行し、左右で吻合ループをつくります。これがいわゆる「口唇の動脈輪」と呼ばれる構造です。唇の切創が予想外に大量出血するのは、この動脈輪が切断されるからです。これは使えそうな知識ですね。


頸部枝は頸部の筋・腺・扁桃へ、顔面枝は顔面軟組織へが基本です。


参考:外頸動脈の枝と頭頸部の動脈系統を体系的に整理したページ。かずひろ先生の解剖学マガジンによる解説。


【2-9(1)】循環器系 - 頭頚部の脈管 解説|かずひろ先生(黒澤一弘)


顔面動脈の走行には4タイプの屈曲パターンがある:個人差と加齢変化

「顔面動脈はS字に蛇行する」とだけ覚えていると、実臨床では困ることがあります。北海道大学歯学部の解剖学研究によると、顔面動脈の走行は屈曲の程度に応じて4つのパターンに分類されています。



  • 💡 直型:顔面部の全長がほぼ真っ直ぐ

  • 💡 軽屈型:顔面部の全長がわずかに彎曲

  • 💡 屈型:顔面部の全長が強く屈曲

  • 💡 強屈型:屈曲がさらに強度なもの


重要なのは、70歳以上の高齢者では「屈型」や「強屈型」が多く観察されるという点です。加齢とともに血管の弾性が変化し、蛇行がより顕著になるのです。これは教科書の図とは大きく異なる走行を意味します。高齢患者へのインプラント手術や顎骨前部への外科的処置で「教科書通りの位置」を想定すると、実際の血管との距離感が大きくずれるリスクがあります。


また、同研究では走行経路の個体差も大きいことが示されています。左右差がある症例や、顔面部が欠如して眼角動脈が別の動脈(眼窩下動脈など)から分岐する例も報告されています。松本歯科大学の研究では、顔面動脈の顔面部が欠如した症例で眼角動脈が眼窩下動脈から分岐していたことが確認されています。こうした変異の存在が、臨床での「想定外出血」につながります。


加齢変化による屈曲増強が原因です。


さらに見落とされがちなのが、顎位(口の開閉)による走行変化です。日本歯科大学の研究(三輪容子ほか、2013年)では、オトガイ下動脈を対象にCBCTと造影剤を用いて解析した結果、「閉口時には下顎骨に近接し、開口時には離れて位置する」という顎位依存の走行変化が確認されました。診療椅子で頭部の前傾・後傾姿勢によっても、下顎底付近の血管位置が変化します。これは歯科治療時の「体位」が血管リスクに直結することを示す重要な知見です。


参考:顎位変化とオトガイ下動脈走行の関係を検討した解剖学的研究(日本歯科大学・三輪容子ほか)
歯科診療体位における下顎骨と顎顔面の脈管との位置関係に関する研究(臨床解剖研究会記録 No.13)


顔面動脈の走行とインプラント・口腔外科処置における出血リスク

歯科インプラント手術において、口腔底の血管損傷は最も警戒すべき偶発症の一つです。顔面動脈の枝であるオトガイ下動脈は、下顎角付近から分岐して下顎底に沿って走行し、顎舌骨筋と顎二腹筋の間を通りオトガイ下部に到達します。この経路中に舌骨に付着する筋への枝を出し、さらに舌動脈の枝である舌下動脈と吻合します。


インプラント埋入時に下顎の舌側皮質骨を穿孔してしまうと、オトガイ下動脈や舌下動脈を損傷するリスクが高まります。損傷が起きると、周囲の舌下隙に血液が貯留します。貯留した血腫が舌根を押し上げると、気道閉塞を引き起こす可能性があります。これは生命に関わる偶発症です。CBCT撮影による術前の骨形態把握だけでなく、血管走行の把握が術前計画に不可欠な理由がここにあります。


気道閉塞は生命に関わるリスクです。


顎骨前部へのインプラント埋入では、前述のオトガイ下動脈に加え、下顎骨の舌側小孔を通過して骨内に侵入する分枝の存在も報告されています。舌側小孔は肉眼では見えにくく、パノラマX線写真でも確認が難しい場合があります。CBCTで舌側の血管孔を確認することが、術前計画での現実的な対策となります。


また、上唇・下唇周囲への操作では上唇動脈・下唇動脈の動脈輪が関係します。唇のフレヌレクトミー(小帯切除)や前庭拡張術の際には、口輪筋内を走る上唇動脈・下唇動脈が切創に入らないよう、切開ラインと深さに注意が必要です。口唇の動脈輪は直径でおよそ口唇全体をループするほどの範囲にわたるため、深い切開では予期せぬ出血源となります。



  • 🔴 下顎前歯部インプラント:舌側皮質骨穿孔→オトガイ下動脈・舌下動脈損傷→舌下血腫・気道閉塞

  • 🔴 上顎前歯部外科操作:上唇動脈・眼角動脈領域の出血

  • 🔴 口蓋・扁桃周囲処置:上行口蓋動脈の損傷


手術直前にCBCTで血管孔の位置を確認するのが原則です。


顔面動脈の走行を歯科治療に活かす独自視点:脈拍触知と止血ポイントの把握

顔面動脈の走行知識は「出血リスクを避ける」だけでなく、積極的な臨床応用もあります。あまり注目されていない視点として、「顔面動脈の触知点を使いこなす」という観点があります。


顔面動脈は咬筋前縁で下顎骨下縁を越える際、皮膚直下に出ます。この部位では顔面動脈の拍動を体表から触知できます。顎下三角においても同様に皮下で触れることができます。これが臨床的に何の役に立つかというと、外傷・切創・抜歯後の止血操作で有用です。顔面外傷の際に下顎体前部付近の出血が止まらないケースでは、咬筋前縁での圧迫が止血点として機能します。


内眼角の眼角動脈についても同様の発想が使えます。眼窩下部への外傷や口腔外科操作後に内眼角付近の出血が持続する場合、眼角動脈への圧迫が有効です。眼角動脈は外頸動脈系(顔面動脈終枝)と内頸動脈系(眼動脈・滑車上動脈)が吻合する部位でもあるため、内眼角は血流が豊富で出血が止まりにくいことも知っておく必要があります。この部分の出血は、止まりにくいと覚えておきましょう。


口唇の上唇動脈・下唇動脈の走行も臨床に直結します。上唇動脈は上唇の粘膜と皮膚の間、具体的には口輪筋内を走行します。唇の切創縫合時に深層の口輪筋まで縫合するなら、上唇動脈・下唇動脈を縫合糸で確保(結紮)することを意識する必要があります。唇の切創は「見た目は小さいのに出血が多い」と感じることが多いですが、それはこの動脈輪が切断されているからです。


顔面動脈の走行知識は止血にも活きます。


また、超音波(エコー)を用いた術前の血管走行確認は、現在の歯科外科領域でも取り組まれつつあります。特に高齢患者や血管の屈曲が強い症例では、術前エコーによる顔面動脈・オトガイ下動脈の位置確認が「想定外出血」を防ぐ有効な手段となります。CBCT補綴計画と組み合わせることで、より安全な手術計画が立てられます。


下記の参考リンクは、顔面解剖と血管の供給域を美容皮膚科・形成外科の視点からまとめたリソースです。歯科領域との比較参考に活用できます。


顔面解剖学 V1.1(RMNW再生医療ネットワーク)|血管供給域・眼角動脈・滑車上動脈の解説あり


顔面動脈の走行と外頸動脈・隣接動脈との関係:吻合ネットワークの理解

顔面動脈を単独で覚えるだけでは、臨床での予測に限界があります。周囲の動脈との吻合ネットワークを把握することが、止血の難しさや出血源の多様性を理解する鍵です。


外頸動脈系の中で、顔面動脈は「舌動脈」「顎動脈」「浅側頭動脈」と吻合関係を持ちます。特に顔面動脈と顎動脈の枝(眼窩下動脈・後上歯槽動脈など)との吻合は歯科外科で重要です。上顎の外科処置で一方の血管を圧迫・結紮しても、吻合ルートを通じて逆行性に出血が続く可能性があります。これが「どこを押さえても血が止まらない」という状況の解剖学的背景です。


吻合ネットワークが複雑なのが顔面領域の特徴です。


さらに、顔面動脈の終枝である眼角動脈は、内頸動脈系の眼動脈(滑車上動脈・鼻背動脈)と内眼角付近で吻合します。これは系統が異なる二つの動脈系(外頸動脈系と内頸動脈系)を結ぶ唯一の吻合経路の一つです。この吻合の存在により、口腔内・顔面の感染が颅内に波及するリスクも、解剖学的には否定できません。


外頸動脈の枝の中で顔面動脈が分岐する順序を整理します。


































分岐順(外頸動脈から) 動脈名 主な供血域
上甲状腺動脈 甲状腺上部・喉頭
舌動脈 舌・舌下腺
顔面動脈 顔面・口唇・口蓋・顎下腺
後頭動脈 後頭部
⑤(終枝) 浅側頭動脈・顎動脈 側頭部・咀嚼筋・歯・上顎洞


この順番は歯科医師国家試験でも繰り返し問われる内容です。顔面動脈は外頸動脈の「前壁から出る3本目」として位置付けられます。上甲状腺動脈・舌動脈・顔面動脈の3本が前方分枝です。「じょうこうせつがんめん(上甲舌顔)」という語呂合わせでまとめて覚えると効率的です。


参考:歯科医師国家試験過去問の顔面動脈関連問題をまとめたページ(最終更新2025年12月)
顔面動脈(計1問)【歯科医師国家試験】過去問 - DENTAL YOUTH




イラスト口腔顔面解剖学