市販のマウスガードを使っているアスリートの外傷リスクは、何もしていない選手より高い場合がある。
スポーツ中に起こる口腔外傷は、選手のキャリアそのものを揺るがします。歯の破折・脱臼・顎骨骨折といった外傷は「避けられない不運」ではなく、適切な予防具があれば大幅に防げるものです。
FDI(国際歯科連盟)が2008年ストックホルムで採択した声明文には、マウスガード未装着者のスポーツ時の口腔外傷リスクは装着者の1.6〜1.9倍であることが明記されています。さらに競技種目によっては、マウスガード未使用者の歯科外傷発生リスクが使用者の約4.6〜7倍に達するという研究結果も報告されています。
つまり外傷リスクが原則です。
問題は、そのリスク差を生み出す要因が「装着する・しない」だけでなく、「どのマウスガードを使うか」にもある点です。市販品(ストックタイプやBoil & Biteタイプ)は適合性や咬合の安定が不十分で、使用中に脱落したり、プレーへの集中を妨げたりするケースが報告されています。ある調査では、市販品を試した選手の大多数が装着感に不満を抱き、実際には使っていないという実態が明らかになっています。
外傷を防げない市販品では困ります。
🔑 歯科医院が介入することで得られる価値は、大きく次の4点です。
- 適合性:石膏模型を基に個別成型するため、歯列・口腔形態にぴったりフィットする
- 咬合の安定:競技姿勢に近い状態で咬合採得することで、プレー中のズレを防止できる
- 安全性の担保:外形線・厚みを競技特性に合わせて設計するため、保護効果が高い
- 継続サポート:成長に伴う歯列変化や矯正治療中の調整など、定期的な再製・修正ができる
歯科が関与するマウスガードは、ただの「安全具」ではありません。競技パフォーマンスの維持、そして治療費・離脱時間という経済的コストの抑制にも直結する、包括的なスポーツ支援ツールです。
参考:FDIによるマウスガードに関する声明文(2008)・日本スポーツ歯科医学会 スポーツ歯学文献調査結果(2014)
日本スポーツ歯科医学会「マウスガードに関する文献(1986年〜2012年)の調査結果から」
カスタムメイドマウスガードに使用される素材の代表格は、EVA(エチレン酢酸ビニル共重合体)です。適度な弾力性と衝撃吸収性を持ち、熱成型が可能なため、歯科での製作に最も広く使用されている素材です。成型後は口腔内温度では容易に変形せず、競技中の実用性も高い。
素材が基本です。
EVA以外にはポリオレフィン(PO)系も使用されます。こちらはEVAに比べて透明度が高く、成型時の精度が安定しやすい特徴があります。また、ハード&スペースタイプと呼ばれる複合構造では、アクリルなどの硬質材料をEVAの層の間に挟み込む「多層構造(ラミネートテクニック)」が採用されます。この構造は衝撃吸収機能が特に高く、コンタクトスポーツや激しい衝突が想定される競技に適しています。
素材の選択基準は以下の通りです。
| 素材・構造 | 特徴 | 適した競技 |
|---|---|---|
| EVA単層 | 汎用性が高い・成型しやすい | バスケ、野球、サッカーなど |
| ポリオレフィン系 | 透明度高め・精度安定 | コンタクト〜ノンコンタクト全般 |
| ハード&スペース(多層) | 衝撃吸収性が非常に高い | ラグビー、ボクシング、アメフトなど |
近年は加圧型熱成形器を用いたラミネートテクニック(シート積層法)が推奨されており、従来の吸引型成型器による製法よりも適合精度が高いとされています。日本スポーツ歯科医学会が提示するコンセンサスでも、この積層法が標準的製法として位置づけられています。
材料の厚みについては「最低3mm以上」が求められる競技規則も存在し(例:テコンドー日本アジアテコンドー協会)、適切な厚みの確保は安全上の必須要件です。いいことですね。
参考情報:広島県歯科医師会「スポーツマウスガードガイドブック」・イナグマ歯科「EVA・ポリウレタン素材解説」
広島県歯科医師会「スポーツマウスガードガイドブック(PDF)」
カスタムメイドマウスガードの製作は、一連の工程を正確に踏むことで初めて高品質な仕上がりになります。日本スポーツ歯科医学会の推奨コンセンサス(2015年公表)に基づいた標準的な製作フローは以下の通りです。
① 診査
欠損歯の有無、咬合状態、歯周組織・顎関節の状態を事前に確認します。歯周炎や顎関節症が未処置の状態でマウスガードを製作すると、逆に症状を悪化させるリスクがあるため、これは必須の工程です。
② 印象採得・咬合採得
アルジネート印象材と既製トレーを使用し、唇頬側は可能な限り歯肉頬移行部まで採得します。小帯の付着を明確にすることが後の外形線設計に直結します。咬合採得は競技姿勢に近い状態で行うことが推奨されており、この点は通常の補綴物製作とは大きく異なるポイントです。
③ 作業用模型製作
加圧型成型器を使用する場合は超硬石膏で模型を製作します。模型は十分に乾燥させ室温に保ちます。真空練和はこの場合行いません。
④ 外形線のデザイン
外形線の設計はカスタムメイドマウスガードの完成度を左右する最重要工程のひとつです。設計の基本ルールは次のとおりです。
- 💡 唇頬側:歯肉頬移行部より浅め、または歯頸部から約4mm程度の位置
- 💡 小帯部分:十分に回避すること(発音・動作の妨げになるため)
- 💡 口蓋側:歯頸線上か歯頸部から2mm程度口蓋側の位置
- 💡 後縁:最低でも第一大臼歯まで被覆する
後縁が第一大臼歯に届いていないマウスガードは、臼歯部での咬合支持が不十分になり、衝撃吸収効果が著しく低下します。これは要注意です。
⑤ 成型(加圧・冷却)
成型器に模型を設置する際、中切歯唇面と成型器の水平基準面のなす角を90°より小さくすることで、マウスガード唇側の厚みが薄くなることを防ぎます。加圧型では4.0 bar程度の圧力で成型し、適合精度を高めます。
⑥ 撤去・トリミング
シート材が室温まで冷えてから撤去します。軟性材料専用のカッティングバーを使用し、発熱を最小限に抑えながら外形線に沿ってトリミングします。
⑦ 咬合調整
両側臼歯部に均等な咬合を与えます。展開角を大きくしたくぼみを付与することで、前歯部の咬合接触を回避しつつ、臼歯部での安定した咬合を実現します。
⑧ 研磨・仕上げ
研磨時の熱上昇はEVA素材の変形を招くため、素早い操作が求められます。専用バーナーを使用する場合は特に注意が必要です。
参考:デンタルプラザ「スポーツマウスガードの臨床」(モリタ)
デンタルプラザ「スポーツマウスガードの臨床」(製作ポイント詳解)
マウスガードの設計は「すべての競技で同じ」ではありません。競技によって衝撃の方向・強度・頻度が異なるため、外形・厚み・硬度の設定を変える必要があります。これは、歯科でのカスタムメイド製作の強みが最も発揮される領域です。
義務化競技と推奨競技
マウスガード着用が競技規則で義務化されている種目には、ボクシング・キックボクシング・アメリカンフットボール・アイスホッケー・ラクロス(女子)・ラグビー(中学・高校等)・空手(一部)・テコンドー(世界テコンドー連盟)などがあります。
一方、柔道については2017年に「大会におけるマウスピースの使用を可とする」という通達が出され、長年の禁止から一転して使用可能になりました。ただし白または透明のものに限定されています。意外ですね。
野球やバスケットボールも、義務化はされていないものの使用可能な競技です。バスケットボールでは透明のみ、野球では白または透明に色が限定されています。こうした競技別の色規定や透明度の制限は、事前に各競技団体のルールを確認しておく必要があります。
競技別の厚み・構造の目安
| 競技カテゴリ | 推奨構造 | 厚みの目安 |
|---|---|---|
| コンタクト(ラグビー・アメフト等) | 多層(ハード&スペース) | 4〜5mm以上 |
| 打撃系(ボクシング・空手等) | 多層またはEVA厚み大 | 3〜5mm |
| 球技(野球・バスケ等) | EVA単層〜2層 | 3〜4mm |
| ノンコンタクト(スキー・自転車等) | EVA単層 | 3mm程度 |
ノンコンタクトスポーツにもマウスガードが必要な点は、見落とされがちです。FDI声明文では「ノンコンタクトスポーツや日常の運動でも口腔外傷が発生する可能性がある」と明示されており、スキーや自転車での転倒事故は前歯への直撃として表れることがあります。
なお、歯列矯正中の患者や永久歯が生えそろっていない子どもには、成長・治療進行に合わせて定期的な再製が必要です。半年〜1年を目安に再製を提案するのが、医院側からの適切なフォローアップになります。
参考:日本歯科医師会テーマパーク8020「スポーツと歯科」
日本歯科医師会「スポーツと歯科(マウスガード装着義務のある競技)」
「マウスガード=外傷予防」という認識は多くの歯科従事者が持っています。これは正しいのですが、それだけでは情報として不十分です。カスタムメイドマウスガードが担う役割は、外傷予防を超えた範囲にまで及んでいます。
まず「スポーツクレンチング(競技中の強い食いしばり)」への対応があります。アスリートは全力発揮時に無意識に強く噛みしめる傾向があり、これが歯の咬耗・破折・顎関節への過度な負荷を招きます。マウスガードはこのクレンチング時の歯への直接ダメージをクッションとして吸収し、長期的な歯の劣化を防ぐ効果があります。
次に咬合安定を通じたパフォーマンス支援があります。これは使えそうです。咬合を安定させることで咬筋のみならず頸部筋肉の活動が増加し、首の固定性が高まることが研究で示されています。頭部の安定は脳への衝撃軽減にもつながるとされており、特にヘディングを多用するサッカーやラグビーでの応用が期待されています。
また相手選手へのケガ防止という観点も見逃せません。自分の歯をマウスガードで守ることは、接触した相手方の顔面・口腔への損傷リスクも低減します。これはスポーツの安全文化の観点から、指導者や選手に伝えるべき視点です。
心理的・経済的効果
マウスガードを装着していることによる「安心感」は、プレーへの集中力を高めます。さらに外傷を受けた場合に発生する治療費・通院時間・競技離脱期間というコストを考えると、カスタムメイドマウスガードへの投資は合理的な判断です。ニュージーランドラグビーの調査では、マウスガードの義務化により2003年の歯科外傷発生率が1995年比で43%減少し、治療費抑制効果として推計1億4,960万円相当(約1.87百万NZD)のコスト削減が報告されています。
結論は外傷予防だけでなく予防経済にも効果があるということです。
歯科医師・歯科衛生士として、こうした幅広い価値を患者やアスリートに伝えることが、スポーツマウスガード普及のカギになります。
参考:デンタルプラザ「スポーツマウスガードの臨床 表1(装着により期待される効果)」・J-STAGE「スポーツ歯科的アプローチの脳振盪予防・軽減効果の可能性」