SSROを担当する術者の多くは「骨切りさえ丁寧に行えば、神経麻痺の発生率は低く抑えられる」と考えているが、実際には術式の熟練度とは無関係に約48%の症例で術中に下歯槽神経支配領域の知覚鈍麻が発生している。
下顎枝矢状分割術(Sagittal Split Ramus Osteotomy、以下SSRO)は、顎矯正手術のなかで最も広く施行される術式です。国内の顎矯正手術の約7割をSSROが占めるという報告があり、下顎前突症・下顎後退症・開咬症・下顎非対称など多岐にわたる顎変形症に対応できる汎用性の高さが評価されています。
術式の理解はステップごとに整理するのが基本です。以下に主要な手順を示します。
| ステップ | 操作の概要 | 注意点 |
|---|---|---|
| ①切開・剥離 | 下顎の外斜線上を口腔内から切開し、下顎枝の骨面を露出。開口量は指3本分(40〜45mm)が目安 | 頬側骨膜を破らないよう慎重に剥離する |
| ②内側骨切り | リンデマンバーで下顎孔上部、咬合平面に平行に皮質骨を骨切り。溝の深さはバー径(1〜1.5mm)を目安に | 下顎小舌の直上で骨切りするのが安全 |
| ③外側骨切り | 第2大臼歯遠心から下顎角付近にかけて外側皮質骨のみを骨切り。下顎管の走行を確認しながら行う | 骨バーを深く入れすぎると神経血管束を損傷する |
| ④矢状分割 | 下顎枝前縁で内外の骨切り線を縦に連結後、マイセルを用いて後縁部を分割。外側皮質骨内面に沿って操作 | 下歯槽神経血管束への直接損傷を避ける最重要ステップ |
| ⑤骨固定 | 遠位骨片を設定咬合位に移動後、近位骨片を復位しチタンミニプレートまたは吸収性プレートで固定 | 近位骨片(関節頭側)の位置決めが術後安定性を左右する |
各ステップが連動しています。特に②と④の精度が、術後の下歯槽神経損傷リスクに直結します。
手術前にCBCT(コーンビームCT)やパノラマレントゲンで下顎管の走行を把握し、骨切り線と神経の位置関係をシミュレーションしておくことが合併症予防の第一歩です。開口量が不十分な状態で操作すると視野が確保できず、骨切り位置のずれや神経損傷につながります。術前から十分な開口練習を患者に指導しておくことも重要です。
参考:SSRO術式の詳細な手順と図説(外科的矯正歯科クリニックの解説ページ)
顎(あご)を引く(下顎枝矢状分割法(SSRO)) - 手術の方法
SSROの内側骨切りには大きく分けて2種類の術式があり、どちらを選択するかによって術後の神経障害リスクや後戻りリスクが変わります。これが意外と見落とされがちなポイントです。
重要な点があります。Short split法では、咬筋・内側翼突筋・側頭筋の主要部を近位骨片に付着させたまま保持できます。これにより近位骨片への血流が最大限に確保されます。特に下顎後退症(Angle Class II)では、近位骨片に筋組織を残すことが下顎頭の偏位(Condylar Sag)を防ぐうえで有効です。遠位骨片の筋組織による後戻りを防止する利点もあります。
術後の後戻り予防という観点では、下顎後退症に対する rigid fixation を施行した場合でも、術後2週間程度は顎間固定を行った方が安定性が高いという形成外科診療ガイドラインの推奨(グレードB)があります。強固な固定=顎間固定不要、というわけではありません。
参考:形成外科診療ガイドライン(顎矯正手術の術後顎間固定の推奨)
形成外科診療ガイドライン6巻「頭頸部・顔面疾患」 - 日本形成外科手術手技学会
下歯槽神経支配領域の知覚障害はSSROの最も代表的な術後合併症です。長野赤十字病院が1986年から2009年の270例について行った調査では、術中の知覚鈍麻発生率は48.1%にのぼることが報告されています。つまり、約2人に1人で何らかの知覚鈍麻が生じている計算です。
知覚麻痺の多くは回復しますが、1年以上残存する症例も少なくありません。これは術前インフォームドコンセントで必ず伝えるべき情報です。
神経損傷が発生しやすい状況として、以下が挙げられています。
2025年7月にOral Maxillofacial Surgery誌で発表された前向き研究では、SSRO(BSSO)において内視鏡支援技術を用いることで下歯槽神経損傷を50%以上低減できたことが示されました。内視鏡を使うことで、骨切り時および骨片分割時に神経の位置をリアルタイムで確認できます。これは従来の「手術手技の熟練度に依存する」アプローチに対し、客観的・視覚的に神経を同定する新しい方向性です。
骨片分割後に下歯槽神経血管束が骨片間に確認された場合は、神経を損傷しないよう慎重に解放してから骨固定に進む必要があります。知覚鈍麻のリスクを軽減させるためには、術前のCBCTによる個々の解剖学的形態の把握と徹底したシミュレーションが現状では最も重要な対策といえます。
参考:内視鏡によるSSRO下歯槽神経損傷50%低減研究(2025年)
下顎枝矢状分割術における内視鏡技術、下歯槽神経損傷を50%以上低減 - CareNet
SSROの骨片固定法はかつてワイヤー固定が主流でしたが、現在はミニプレートによる固定が標準となっています。プレートの種類は主にチタン製と吸収性の2種類で、それぞれ一長一短があります。
| 固定法 | メリット | デメリット |
|---|---|---|
| チタン製ミニプレート | 固定強度が高い・ロッキングシステムでbicortical相当の固定力をmonocorticalで実現 | 術後に除去が必要な場合がある・金属アレルギーのリスク(非常に低い) |
| 吸収性ミニプレート | 術後除去が不要・X線画像に写らないため経過観察がしやすい | 固定強度がチタン製より劣る場合がある・スクリュー破折リスクがやや高い |
チタン製ロッキングプレートの仕組みが優秀です。プレート直下の皮質骨に圧迫を生じないため、骨内血流を維持しやすく、早期の骨治癒が期待できます。プレートの初期変形リスクも低減されます。
一方、吸収性プレートでは術中にスクリュー破折が生じることがあります。ある施設の報告では8例でスクリュー破折が発生していますが、再接合で問題なく対処できたとされています。術後にX線でプレートの状態を確認しにくい点は、チタン製と比べて不利な点です。
後戻りのリスクが特に高い大きな下顎後退症の症例や、移動量が10mmを超えるような症例では、固定強度の高いチタン製プレートを選択する判断が安全側に働きます。これが実臨床での選択基準です。なお、術後の骨固定が完了したとしても、咀嚼筋や周囲組織の応力により設定咬合位からの偏位が生じる可能性があるため、2〜4週間のゴムによる顎間固定や開口練習の指導は引き続き重要です。
参考:吸収性プレートとチタンプレートの比較・長野赤十字病院の270例調査
従来のSSROを伴う外科的矯正治療は「術前矯正→手術→術後矯正」という順序が一般的でした。術前矯正だけで1〜2年、トータルの治療期間が3年前後になることは珍しくありません。これが患者の心理的・身体的負担になることは言うまでもありません。
サージェリーファーストアプローチ(Surgery First Approach、SFA)はこの常識を変えた手法です。術前矯正を省略または最小化し、先に手術を行ってから術後矯正で咬合を仕上げます。これにより治療期間を大幅に短縮できます。
ただし、SFAには明確な適応基準があります。以下のような条件を持つ症例が適応になりやすいです。
SFAには大きなデメリットが一つあります。術前矯正を行わない自費診療となるため、保険適用ができないことです。保険適用でSSROを含む顎矯正手術を受ける場合、患者の自己負担は入院・手術費込みで約20〜50万円(3割負担、高額療養費制度適用後は所得に応じてさらに抑えられる場合がある)であるのに対し、SFAを含む自費診療では手術単独で80〜100万円を超えるケースが珍しくありません。
患者に治療の選択肢を説明する際は、「術前矯正の有無による保険適用の可否」と「治療期間の違い」の両面を必ず提示することが求められます。保険適用を希望する患者には、顎変形症の診断を受け、保険医療機関と連携した矯正歯科との連携体制を整えることが前提条件となります。
参考:顎変形症手術の保険適用条件と費用の目安
顎変形症の治療とは?保険適用の条件と費用・流れをわかりやすく解説