歯科治療でのエアロゾルは2メートル飛ぶのに口腔外バキューム設置は35%だけです
飛沫感染予防策は、標準予防策に加えて実施する感染経路別予防策の一つです。歯科医療の現場では、患者さんが咳やくしゃみ、会話をする際に発生する飛沫によって、インフルエンザや新型コロナウイルスなどの病原体が伝播するリスクに常に直面しています。
飛沫とは直径5μm以上の水分を含んだ粒子のことで、通常は発生源から1~2メートルの範囲内に落下します。
つまり畳一畳分くらいの距離ですね。
しかし歯科治療では特殊な状況があります。
歯科診療で使用する高速回転切削器具や超音波スケーラーは、血液や唾液で汚染されたエアロゾルを発生させます。これらのエアロゾルは半径2メートルほどの範囲に飛び散るため、診療室全体が感染リスクにさらされることになります。
予防の基本原則は明確です。まず患者さんを個室に隔離するか、同じ感染症患者同士で集団隔離(コホーティング)を行います。個室がない場合は、患者さん同士のベッド間隔を最低でも1メートル以上、できれば1.5メートル以上離し、カーテンで仕切ります。
医療従事者は患者さんに近づく際、必ずサージカルマスクを着用してください。N95マスクは空気感染用に設計されているため、飛沫感染予防にはサージカルマスクで十分です。ただし、正しく着用することが前提になります。
飛沫感染する病原体は、実は接触感染も起こしうることをご存知でしょうか。これは歯科医療従事者にとって非常に重要なポイントです。
患者さんの飛沫が診療台や器具、ドアノブ、スイッチなどの高頻度接触表面に付着すると、それを触った手指を介して感染が広がります。飛沫が落ちた場所は接触感染のリスクスポットになるということですね。
このため、飛沫感染予防策を実施する際には、必ず手指衛生と環境消毒を併用する必要があります。具体的には、診療後にドアノブ、ライトのスイッチ、診療台のアーム、患者さんが触れた場所を消毒薬で清拭します。
手指衛生のタイミングも重要です。患者さんに接触する前後、湿性生体物質(血液・唾液・体液など)に触れた後、患者さん周囲の環境に触れた後、清潔・無菌操作の前には必ず手指消毒を行ってください。このタイミングを「手指衛生の5つの瞬間」といいます。
流水と石鹸による手洗いは15秒で手指のウイルス数を1/100に、もみ洗い10秒とすすぎ15秒を合わせると1/10000まで減らせます。手洗い後に追加で消毒液を使う必要はありません。
むしろ手洗いを丁寧に行うことが基本です。
歯科診療室の換気は、エアロゾルによる飛沫感染リスクを大幅に減少させます。研究によると、換気が6回/時の場合、室内に飛散したエアロゾルの90%が約29分で除去されるとされています。
つまり30分弱で空気がきれいになるということですね。これを踏まえると、診療室の換気は1~2時間に1回、1回あたり5~10分程度が推奨されます。
24時間換気システムがある場合は常時稼働させてください。自然換気の場合は、対角線上の2ヶ所の窓を開けて空気の通り道を作るのが最も効率的です。空気が一方向に流れるように工夫することで、短時間でも効果的な換気ができます。
患者さんが退室した後の清掃にも注意が必要です。空気感染予防策が必要な患者さんの場合、退室後2時間(最低1時間)は窓を開放して換気した後に清掃を行います。これはエアロゾルが完全に除去されるまで待つためです。
病原体が付着したガーゼやティッシュは、病室内でビニール袋に入れ、口を縛ってから病室外へ持ち出します。そして感染性廃棄物として適切に廃棄してください。
歯科治療では治療前のうがいが飛沫感染対策として非常に有効です。患者さんに治療開始前に消毒薬(イソジンや次亜塩素酸水など)で含嗽してもらうことで、口腔内の微生物数レベルを大幅に下げることができます。
お口の中にはもともと多くの細菌やウイルスが存在しています。特にインフルエンザウイルスや病原性細菌は、口腔内の粘膜や唾液に付着していることが多いです。診療前にうがいをすることで、これらの微生物量を減らせます。
研究では、1%過酸化水素水でうがいをしてから歯石除去やインプラント治療を行うと、エアロゾルの細菌叢が大幅に減少したという報告があります。治療前うがいはエアロゾル中の病原体を減らす科学的根拠のある方法です。
口腔外バキュームの使用も極めて重要な対策になります。口腔内バキュームと口腔外バキュームを併用することで、発生する飛沫・エアロゾルが大幅に抑制されることが東北大学の研究で明らかにされています。しかし2020年の調査では、口腔外バキュームを導入している歯科医院はわずか34.8%でした。
口腔外バキュームは、治療中に発生するエアロゾルを診療室に飛散する前に吸引します。HEPAフィルタを通すことで0.3μmの粒子を99.97%以上捕集できるため、空気感染のリスクも低減します。導入コストはかかりますが、医療従事者と他の患者さんを守るために検討する価値があります。
日本歯科医師会の「新たな感染症を踏まえた歯科診療ガイドライン」では、治療前後の含嗽や口腔外バキュームの活用について詳しく解説されています
個室への収容が飛沫感染予防の理想的な方法ですが、歯科診療所では個室が十分にない場合も多いでしょう。その場合の代替策として、同一感染症患者を同じエリアに集めて管理する集団隔離(コホーティング)が有効です。
コホーティングとは、感染患者をグループとしてまとめ、同じスタッフがケアにあたることで、施設内で周囲から区別・隔離することを指します。例えばインフルエンザ患者が複数名いる場合、同じ診療エリアで時間帯を区切って対応するなどの工夫ができます。
個室もコホーティングも難しい場合は、カーテンで仕切るか、患者さん同士の距離を2メートル以上保ちます。飛沫は2メートルほど飛ぶことが知られているため、この距離を確保すれば飛沫感染の多くは防げます。
患者さんが検査や処置などで診療室外に出る際には、必ずサージカルマスクを着用させてください。移動中に他の患者さんやスタッフへ感染が広がるリスクを防ぐためです。
飛沫感染予防策を実施している患者さんのベッドサイドには、感染予防策を一目で伝達するマーク(飛沫感染予防策マーク)を掲示すると、スタッフ間での情報共有がスムーズになります。視覚的な目印があることで、誤った対応を防げるからです。
厚生労働省の「標準予防策と経路別予防策」資料では、飛沫予防策の具体的な実施方法が詳しく説明されています