顎下腺腫瘍は、唾液を分泌する顎下腺に発生する腫瘍で、唾液腺腫瘍の中でも耳下腺腫瘍に次いで多く見られます。顎下腺は下顎の下に左右一対存在する母指頭大(親指の先ほどの大きさ)の臓器です。唾液腺腫瘍の80~90%は耳下腺と顎下腺に発生するため、顎下腺腫瘍は唾液腺腫瘍の代表的な疾患の一つと言えます。
顎下腺腫瘍には良性と悪性があり、その特徴や症状、放置した場合のリスクについて詳しく見ていきましょう。顎下腺腫瘍全体の約20~50%が悪性腫瘍とされており、その比率の高さも特徴の一つです。そのため、顎下部にしこりを感じた場合は、良性・悪性にかかわらず、早期に専門医を受診することが重要です。
顎下腺腫瘍の主な症状は、顎下部(あごの下)に現れるしこりです。このしこりは数ミリから数センチ大まで様々な大きさで現れ、触ると硬く感じられることが多いです。初期段階では痛みを伴わないことが多いですが、腫瘍が大きくなるにつれて痛みを感じるようになることもあります。
良性腫瘍の場合は、通常、ゆっくりと成長し、境界がはっきりしていることが多いです。一方、悪性腫瘍の場合は、急速に大きくなったり、周囲の組織との境界が不明瞭だったりすることがあります。また、悪性腫瘍では以下のような症状が現れることもあります:
顎下腺の周囲には舌神経、舌下神経、顔面神経下顎縁枝などの重要な神経が走行しているため、腫瘍が大きくなると、これらの神経に影響を及ぼし、様々な機能障害を引き起こす可能性があります。そのため、顎下部にしこりを感じたら、痛みがなくても早めに専門医を受診することが大切です。
顎下腺の良性腫瘍を長期間放置すると、悪性化するリスクがあります。特に多形腺腫(たけいせんしゅ)は、顎下腺の良性腫瘍の中で最も頻度が高く、約60%を占めますが、15~20年の長期にわたって放置すると5~10%の確率で悪性化することが知られています。
悪性化した多形腺腫は「多形腺腫由来癌(たけいせんしゅゆらいがん)」と呼ばれ、通常の悪性腫瘍よりも予後が悪いことがあります。これは、長期間放置されることで腫瘍内部に様々な変化が生じ、より悪性度の高い細胞が出現するためと考えられています。
また、良性腫瘍であっても、長期間放置することで以下のようなリスクが生じます:
特に、腫瘍が大きくなると、手術で摘出する際に周囲の重要な神経や血管を損傷するリスクが高まります。そのため、良性腫瘍であっても、早期に適切な治療を受けることが推奨されています。
顎下腺腫瘍を放置すると、腫瘍の増大に伴い周囲の組織に様々な影響を及ぼす可能性があります。特に悪性腫瘍の場合、周囲組織への浸潤や破壊が進行し、深刻な合併症を引き起こすことがあります。
まず、腫瘍が大きくなると、周囲の神経(特に舌神経、舌下神経、顔面神経など)を圧迫したり浸潤したりすることで、以下のような症状が現れることがあります:
また、腫瘍が周囲の筋肉や骨に浸潤すると、開口障害や顎の動きの制限が生じることがあります。さらに、腫瘍が皮膚に近づくと、皮膚の発赤や潰瘍形成を引き起こすこともあります。
悪性腫瘍の場合、頸部リンパ節への転移も重要な問題です。転移が進行すると、頸部に複数のしこりが現れ、さらには遠隔臓器(肺や骨など)への転移も生じる可能性があります。
また、腫瘍に感染が生じると、炎症症状(痛み、発熱、発赤など)が現れることがあります。このような場合、腫瘍と炎症の区別が難しくなり、一時的に消炎療法が行われることもありますが、根本的な治療は腫瘍の摘出です。
顎下腺腫瘍を放置することで生じるこれらの合併症は、患者さんのQOL(生活の質)を著しく低下させるだけでなく、治療の難易度を上げ、予後にも悪影響を及ぼします。そのため、顎下部にしこりを感じたら、早期に専門医を受診することが非常に重要です。
顎下腺腫瘍の診断は、いくつかのステップを経て行われます。早期発見が治療成功の鍵となるため、診断プロセスを理解しておくことは重要です。
まず、医師による問診と触診が行われます。触診では、しこりの大きさ、硬さ、可動性、圧痛の有無などが確認されます。悪性腫瘍は一般的に硬く、可動性に乏しいという特徴があります。
次に、画像検査が行われます:
画像検査に加えて、**穿刺吸引細胞診(FNA)**という検査も重要です。これは、細い針を腫瘍に刺して細胞を吸引し、顕微鏡で観察する検査です。良性・悪性の判断を大まかに行うことができますが、最終的な診断は手術で摘出した腫瘍の病理組織検査によって確定します。
早期発見のメリットとしては、以下のような点が挙げられます:
顎下部にしこりを感じたら、「様子を見よう」と放置せず、早めに耳鼻咽喉科や口腔外科を受診することをお勧めします。特に、しこりが急に大きくなったり、痛みや顔面の麻痺などの症状が現れたりした場合は、悪性腫瘍の可能性があるため、すぐに受診することが重要です。
顎下腺腫瘍を長期間放置した場合、治療が複雑化し、予後にも影響を及ぼすことがあります。ここでは、実際の臨床症例を基に、放置による影響と治療の複雑化について解説します。
【症例1】63歳女性の腹壁瘢痕ヘルニアに併発した症例
この症例では、約15年前から腹壁瘢痕ヘルニアを指摘されていましたが放置していました。受診の2週間前から右下腹部痛と腹壁瘢痕ヘルニア膨隆部の皮膚発赤が出現し、腹痛の増悪と発熱を認めたため病院を受診しました。検査の結果、回腸憩室穿通による腹壁膿瘍を併発した腹壁瘢痕ヘルニアと診断されました。この症例では、長期間の放置により合併症が生じ、治療が複雑化しました。
【症例2】多形腺腫の悪性転化例
ある患者さんは、10年以上前から顎下部のしこりに気づいていましたが、痛みがないため放置していました。しこりが徐々に大きくなり、最終的には皮膚の発赤と痛みが出現したため受診しました。検査の結果、多形腺腫由来癌(多形腺腫内癌)と診断されました。この症例では、もともと良性だった多形腺腫が長期間の放置により悪性化し、周囲組織への浸潤も認められたため、広範囲の切除と術後の放射線治療が必要となりました。
【症例3】周囲神経への浸潤例
別の患者さんは、数年前から顎下部のしこりに気づいていましたが、日常生活に支障がなかったため放置していました。しかし、徐々に舌のしびれと顔面の部分的な麻痺が出現したため受診しました。検査の結果、腺様嚢胞癌と診断され、すでに舌神経と顔面神経の一部に浸潤していました。この症例では、神経を含めた広範囲の切除が必要となり、術後の機能障害(舌の感覚障害と顔面の部分麻痺)が残存しました。
これらの症例から分かるように、顎下腺腫瘍を放置することで以下のような治療の複雑化が生じる可能性があります:
これらの臨床症例は、顎下腺腫瘍を早期に発見し、適切な治療を受けることの重要性を示しています。顎下部にしこりを感じたら、良性・悪性にかかわらず、早めに専門医を受診することをお勧めします。
顎下腺腫瘍の治療は、腫瘍の種類(良性か悪性か)、大きさ、進行度によって異なります。ここでは、適切な治療法と予後改善のポイントについて解説します。
良性腫瘍の治療
良性腫瘍であっても、基本的には手術による摘出が推奨されます。その理由としては:
良性腫瘍の場合、通常は顎下腺全摘出術が行われます。これは、顎下腺全体を腫瘍とともに摘出する手術です。手術は全身麻酔下で行われ、顎下部に皮膚切開を加えて行います。重要な神経(特に舌神経、舌下神経、顔面神経の下顎縁枝など)を確認・温存しながら、顎下腺全体を摘出します。
悪性腫瘍の治療
悪性腫瘍の場合も、手術が治療の中