スピットンクリーナーを毎日流しても、排水部分のバイオフィルムはほぼ除去できていません。
スピットン(英語:spittoon)とは、歯科診療台(ユニット)の脇に設置された洗口受け皿のことです。「spit(吐き出す)」を語源とする英単語で、日本の歯科では「湯吐器(ゆはきき)」とも呼ばれます。患者が歯の治療中に口をゆすいで、唾液・血液・削りカス・薬液などを吐き出すために使う設備で、歯科ユニットの重要な構成パーツのひとつです。
スピットンの仕組みは、給水ノズルからコップに自動で水を補充するセンサー機能を持つ機種が多く、コップを手に取って戻すだけで水位・重量の変化を検知して自動給水されます。吐き出された水は排水口から下水へと流れる構造になっており、排水部には詰まり防止のためのトラップ(フィルター)が設けられています。
日本歯科医師会が運営する「テーマパーク8020」でも、スピットンは「噴水式やコップ式の給水装置で患者がうがいをする設備」と説明されています。バキュームが口腔内の水分を直接吸引するのに対し、スピットンは患者自らが能動的にうがいして吐き出す場所という点が大きな違いです。つまり役割が全く異なります。
歯科ユニット全体の構成としては、チェア(診療台)・デリバリーシステム(器具架台)・照明・バキューム・スリーウェイシリンジ、そしてスピットンがセットで構成されています。スピットンはユニットに固定されているタイプが主流ですが、近年は独立した移動式タイプも普及が進んでいます。これは覚えておけばOKです。
日本歯科医師会「テーマパーク8020」スピットン・バキュームの役割について
スピットンの清掃を怠ると何が起きるのか。それを理解するには、「バイオフィルム」という概念を押さえる必要があります。
バイオフィルムとは、唾液・血液・食物残渣などのたんぱく質に微生物が集まり、分泌物がヌメリ状の膜を形成したものです。家庭の洗面所や台所の排水口で見かけるあのドロドロしたヌメリと本質的に同じもので、スピットンの排水部にも同様に発生します。バイオフィルムが問題なんですね。
バイオフィルムは「地層のように重なって厚くなる」性質を持ちます。また、中途半端に除菌剤と接触し続けると、表面に薬剤耐性を持つ細菌が集まるようになることも研究で確認されています。これが特に怖いポイントです。
実際、歯科医院でよく行われている「スピットンクリーナーを毎日流す」「週1回排水口洗剤を流す」という方法では、排水部のバイオフィルムはほぼ除去できていないことが現場の検査でわかっています。スピットンを外してパーツを確認すると、内部のパーツ全面にドロドロの汚れが層状に付着しているケースが多く報告されています。
バイオフィルムの除去には、①たんぱく質を分解できる洗浄剤の使用、②物理的なこすり洗い(スポンジ等)を組み合わせることが最低条件です。洗浄剤を流すだけでは不十分です。
鹿児島大学病院の歯科感染対策マニュアルでも、「スピットンは十分に水を流し、染色剤が付着している場合は洗浄剤で落とす」と明示されています。スピットン清掃は毎回の診療後に行うのが原則です。
鹿児島大学病院「歯科感染対策マニュアル」スピットン清掃の基準について
スピットンの清掃には、専用のクリーナーを使うことが基本です。ただし、クリーナーにも種類があり、目的に応じた選び方が必要になります。これは使えそうです。
クリーナーの主な種類は大きく3タイプに分かれます。
どのタイプを選ぶかは、清掃の目的次第です。「日常の消臭・除菌」なら錠剤や液体タイプ、「排水パイプの目詰まり対策」なら粉末タイプが向いています。ただし前述のとおり、いずれの洗浄剤もバイオフィルムには完全には対応できません。バイオフィルムへの対応が条件です。
バイオフィルムが蓄積した段階では、ドメストのような「たんぱく質分解と除菌を同時に行える洗浄剤」をスポンジ等と組み合わせて使用するのが現場で推奨されています。デンタルクレンリネスプロジェクトの実践例では、わずか5〜6分の作業でスピットン排水部をほぼ新品同様の状態に戻せた事例も報告されています。
A-decの公式マニュアルでは「毎回の診療時間終了後、スピットンに水を流して柔軟な排水管に詰まったゴミを除去し、毎回排水トラップを空にして清潔にすること」と明記されています。日々の水流しだけで清掃が完了しているとみなすのは誤りです。
デンタルクレンリネスブログ:スピットン排水部バイオフィルムの除去方法と実践事例
歯科診療の形態が多様化するなかで、配管工事が不要な「移動式スピットン」への注目が高まっています。固定式とは何が違うのか、詳しく見ていきます。
移動式スピットンは、給排水タンクを本体に内蔵しており、配管なしでスピットンとして機能します。キャスター付きで診療室内の任意の場所に移動でき、コンセント(100V)さえあればカップへの自動給水も可能なモデルがあります。
代表的な製品と価格帯は以下の通りです。
| 製品名 | メーカー | 価格(税込) | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 移動式スピットン ver2 | フィード株式会社 | 142,890円 | 大型ボウル・防臭性能強化・給水5Lタンク |
| モバイル オー | ビー・エス・エーサクライ | 148,000円 | 大型ボウル・ワンタップ給水・訪問診療対応 |
| ISPT-100 | チームフォーチューン | 要問い合わせ | 配管工事不要・無配管で給排水・バイオフィルム対策 |
| OS-5 往診用スピットン | チームフォーチューン | 要問い合わせ | 充電式ポンプ・500mlボトル2本・コンパクト収納 |
注目すべきは、ISPT-100のような無配管モデルです。給排水をその都度入れ替えるため、配管内部に水が長時間滞留しません。これにより、固定式ユニットの給水管内で問題となるバイオフィルムの蓄積リスクを大幅に低減できます。つまり衛生管理の面でもメリットがあります。
訪問診療に用いるコンパクトタイプ(OS-5など)は、充電式ポンプと500mlボトル2本(給水用・汚水用)をセットにした携帯設計で、車に積んで現場へ持ち込むことが可能です。高齢化社会の進展に伴い、在宅や施設での訪問歯科が拡大するなか、移動式スピットンの需要はますます高まっています。
ビー・エス・エーサクライ「モバイル オー」製品詳細:訪問診療・集団検診対応の移動式スピットン
スピットンは「患者が触れる設備」であると同時に、「複数の患者が共有する設備」でもあります。この視点から見たとき、スピットンの感染管理は単なる清掃の問題ではなく、院内感染対策の一環として捉え直す必要があります。
アジア太平洋感染管理協会(APSIC)が2022年に発行した歯科感染防止対策ガイドラインでは、「スピットンは各患者の使用後に清掃・消毒を行う必要がある」と明確に定められています。ガイドラインが基準です。
現状、多くの歯科医院では1日の終わりにまとめて洗浄する運用が一般的ですが、理想は患者ごとの交換・消毒です。特に免疫が低下している患者や感染症を持つ患者が来院するケースでは、スピットンを介したクロスコンタミネーション(交差感染)のリスクが生じます。意外ですね。
具体的なリスクを整理すると、スピットンに吐き出された血液・唾液にはB型肝炎ウイルス・C型肝炎ウイルス・インフルエンザウイルスなどが含まれている可能性があります。スピットン表面をアルコールで拭くだけでは不十分で、APSIC等のガイドラインはアルコール系または塩素系消毒薬による清拭を推奨しています。
院内感染防止を徹底するための現実的なアプローチとして、次の3点が実効性の高い管理として挙げられます。
歯科衛生士向けの現場資料(dhlife.net)では「ユニット汚染部位としてスピットン周りは高頻度接触部位に該当する」と位置付けており、他の器具と同等レベルの管理が求められています。スピットンを「ただのうがい台」として軽視していると、感染リスクを高める結果につながりかねません。厳しいところですね。
患者がうがいをするたびに飛沫が内壁に付着します。見た目がきれいなスピットンでも、排水部の内側には目に見えないバイオフィルムが蓄積している可能性が高いことを、歯科スタッフ全員が共通認識として持つことが重要です。
APSIC「歯科感染防止対策ガイドライン2022年(日本語版)」スピットンの消毒・管理に関する推奨事項

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