口腔内触診で外側翼突筋を押さえても、約43%の患者では筋に届いていません。
外側翼突筋(lateral pterygoid muscle)は、4つの咀嚼筋(咬筋・側頭筋・内側翼突筋・外側翼突筋)のうち、唯一の開口筋として知られています。しかし、その構造は「1本の筋肉」として語るには複雑すぎます。
この筋は上頭(superior head)と下頭(inferior head)という、機能的にまったく異なる2つの筋束から構成されています。
起始部は以下の通りです。
- 上頭:蝶形骨大翼の側頭下面(側頭下稜付近)
- 下頭:蝶形骨翼状突起外側板の外面
停止部については、上頭と下頭で大きく異なります。上頭の筋束は関節包・関節円板・下顎頭頸部に停止し、下頭は主に下顎頭頸部の翼突筋窩に停止します。この停止の違いが、後述する「正反対の機能」の解剖学的根拠となっています。
走行の特徴として、筋全体がほぼ水平に後外側方向へ向かって走ることが挙げられます。頭蓋底のかなり深い部位に位置し、口を大きく開けても体表から直接触れることはできません。深さで言えば、皮膚から数センチ以上の奥、頬骨弓よりも内側に隠れた構造です。
つまり、深部の筋肉です。
この解剖学的な位置の深さが、後述する「触診の信頼性問題」にも直結します。歯科臨床家としては、この筋が「見えない・触りにくい・筋電図も取りにくい」という三重の難しさを持つ筋であることを、まず認識しておく必要があります。
起始・停止の詳細な解剖については、以下の資料が参考になります。
外側翼突筋の解剖学的詳細(Wikipedia 外側翼突筋ページ):起始・停止・神経支配の基礎情報が整理されています。
外側翼突筋の「作用」を一言で言うと「開口・前方運動・側方運動」となりますが、これは主に下頭の作用です。上頭は実はまったく別の働きをしており、ここを混同したまま臨床に臨むと診断精度が下がります。
下頭の作用は比較的わかりやすく、以下のとおりです。
- 両側収縮→下顎を前方に移動(前突)
- 片側収縮→同側の下顎頭を内側に回転させ、対側の下顎を側方に移動(側方運動)
- 舌骨上筋群と協調して作用→開口運動
下頭は「開口時に活動する」という理解は正しいです。しかし問題は上頭の動きです。
1990年前後に発表された日比野らの筋電図研究(補綴誌, 36:314, 1992)によれば、上頭と下頭は相反性の活動をすることが明らかになっています。具体的には、下頭が前進時(開口時)に活動するのに対し、上頭は閉口位から前進するときには活動を消失し、後方に戻るときに活動が発現するという逆のパターンを示します。
つまり逆です。
上頭が活動するのは、関節頭(下顎頭)が後退する際に関節円板を元の位置に戻す動作のときです。上頭は「関節円板のコントローラー」としての役割を担っており、閉口挙上筋(咬筋・側頭筋・内側翼突筋)と連動して収縮します。
Wikipediaにも「外側翼突筋上頭は、下顎挙上筋と連動するときにのみ活動する。すなわち、上下の歯が接触しているときに活動する」と明示されています。
これは使えそうです。
この事実は、臨床上非常に重要です。たとえばブラキシズム(食いしばり・歯ぎしり)のある患者では、閉口筋の緊張が強くなるため、上頭も同時に過剰収縮を繰り返すことになります。その結果、関節円板を前方に引っ張りすぎてしまい、関節円板前方転位の引き金になり得ます。
外側翼突筋の機能についての詳細な記述は、東京科学大学(旧東京医科歯科大学)の次の学術コラムが参考になります。
東京医科歯科大学による外側翼突筋の詳細な機能考察:上頭・下頭の相反性活動や機能亢進のメカニズムが、症例を交えて論じられています。
第13回 外側翼突筋の話|Science Tokyo(旧・東京医科歯科大学)
外側翼突筋、特に上頭の問題が顎関節症の発症に深くかかわっていることは、1934年から62年にかけてVaughanが行った長期臨床研究でもすでに示されていました。Vaughanは「外側翼突筋、関節円板、下顎頭は一つの機能ユニット(External pterygoid mechanism)」と提唱し、この三者の調和が失われると関節雑音・顎の偏位・顔面痛・頭痛が生じると結論づけています。
関節円板の前方転位(いわゆる「円板ズレ」)は、顎関節症III型(顎関節円板障害)に分類されます。この病態の多くは、外側翼突筋上頭が関節円板を前内方に過剰に引き続けた結果として起こると考えられています。
具体的な病態の流れは以下のように整理できます。
| 段階 | 何が起きているか |
|------|-----------------|
| 初期 | 閉口筋(咬筋・側頭筋等)の緊張亢進→関節空隙が狭くなる |
| 中期 | 外側翼突筋が円板・下顎頭を前方に引くための収縮が増大 |
| 進行期 | 外側翼突筋上頭の機能亢進が持続→円板を前内方に引き続ける |
| 障害期 | 関節円板の前方転位・変形→開口時クリック音・開口障害 |
関節円板の前方転位が「復位性(クリック音あり)」か「非復位性(開口障害)」かによって治療戦略は変わりますが、いずれの場合も外側翼突筋のコントロールが回復の鍵となります。
厳しいところですね。
外側翼突筋の機能亢進が生じると、その筋自体には自己受容機構(プロプリオセプション)が不完全であるという見解もあり、ひとたび機能亢進に陥ると筋が自力で緊張を解除しにくい状態が続く可能性があります。これは他の咀嚼筋とは異なる外側翼突筋の重要な特性です。
治療戦略として、まず「外側翼突筋の亢進を直接止めようとする」のではなく、閉口筋(咬筋・側頭筋・内側翼突筋)の緊張を先に緩和することが有効なアプローチとされています。スプリント療法やTCH(歯列接触癖)是正指導、セルフケアとしての筋弛緩療法がその実践的手段となります。
顎関節症のステージと円板転位に関する詳細は以下のリンクが参考になります。
関節円板転位の段階的変化を解説しているページ:外側翼突筋のゆるみが関節円板の前外方移動へつながるプロセスが解説されています。
歯科臨床で外側翼突筋を評価する際、最も一般的に行われるのが口腔内触診です。上顎最後臼歯の遠心内側の粘膜を奥に向かって加圧する方法で、圧痛の有無を確認します。
しかし、この方法の信頼性には大きな問題があります。
旧・東京医科歯科大学での解剖学的計測研究(解剖体44例)によれば、外側翼突筋下頭の前面は全例で内側翼突筋の外側部の一部に覆われていたことが確認されています。外側翼突筋に直接圧が届く(覆われていない部位まで10mm以内)個体は44例中25例、つまり57%でした。
約43%の個体では、この触診法で外側翼突筋に圧が届いていません。
言い換えると、圧痛があっても「それが外側翼突筋由来なのか、内側翼突筋由来なのか、あるいは別の原因なのか」を区別することが難しいということです。触診で圧痛が出たとしても、外側翼突筋の異常と断定できる根拠にはなりません。これが基本です。
ではどうするか。現時点でのより信頼性の高い評価法としては、以下の組み合わせが推奨されます。
- 問診・運動時の症状確認(前方運動・側方運動時の痛みの有無)
- 下顎運動の評価(偏位・制限・クリック音の確認)
- 画像診断(MRIによる関節円板の位置確認が最も確実)
- 触診は「あくまで補助情報として限界を認識した上で利用する」
DC/TMD(顎関節症の国際診断基準)でも、外側翼突筋部への圧痛検査は「前方運動中の痛み誘発テスト」と組み合わせて評価することが推奨されています。触診単独では不十分という認識が、世界標準の診断プロトコルにもすでに反映されているのです。
DC/TMD(顎関節症診断基準の国際標準)日本語版:外側翼突筋部の触診手順と評価方法が詳細に記載されています。
外側翼突筋に関するアプローチとして、教科書的に語られるのは「スプリント療法」や「筋弛緩指導」が中心です。しかし、実際の臨床では「外側翼突筋そのものにアプローチする前段階」を整えることが、治療成功率を大きく左右します。
これは意外ですね。
まず、外側翼突筋の機能亢進は上流の問題(閉口筋の過緊張)が解決されないと収まりにくいという点を再確認してください。東京医科歯科大学のコラムでも述べられているとおり、「挙上筋(閉口筋)の緊張緩和を図ることによって外側翼突筋の機能亢進が減少できた症例は少なくない」とされています。
具体的なアプローチの流れとしては、次の順番が基本です。
① 患者への行動指導
TCH(歯列接触癖)是正が第一歩となります。「安静時に上下の歯を接触させない」ことを意識させるだけで、閉口筋全体の過緊張が緩和され、その結果として外側翼突筋への負荷も軽減されます。「歯を離すこと」を1日何度もリマインドする自己モニタリング法は、費用ゼロで始められる介入です。
② スプリント療法の適切な使用
スプリント(咬合床)を就寝時に使用することで、就寝中のブラキシズムによる閉口筋の過緊張を緩和し、外側翼突筋への二次的負荷を軽減できます。保険適用での製作は5,000円程度(材料費等含む)が目安です。ただし、昼夜を問わず常時使用すると咬合変化をきたすリスクがあるため、使用タイミングの指導が重要です。
③ 口腔内からのアプローチ(深部筋へのアクセス)
外側翼突筋は体表から直接触れないため、口腔内からのアプローチが唯一の手技的選択肢となります。ただし、前述のとおり内側翼突筋に覆われているケースが約43%存在するため、「触れているつもりで触れていない」ことを常に念頭に置く必要があります。鍼灸との連携により、深部刺鍼で直接アクセスするケースも報告されており、他職種連携の選択肢として知っておく価値があります。
④ 画像診断との連携
外側翼突筋の状態を客観的に評価する最も確実な方法はMRIです。関節円板の位置・形状の変化を確認し、前方転位の有無・程度を把握することで、外側翼突筋の機能亢進がどの段階まで影響を与えているかを判断できます。特に「開口障害が出ている」「クリック音が消えた(非復位性に移行した疑い)」ケースでは、MRI検査を積極的に検討することが推奨されます。
外側翼突筋の機能亢進を「外側翼突筋の問題」として局所的に見るのではなく、咀嚼筋系全体のバランスの崩れとして捉える視点が、臨床精度を上げるための鍵です。上野正先生が「外側翼突筋を制する者は顎関節症を制する」と語ったとされるエピソードは、この筋の臨床的重要性を端的に表しています。
外側翼突筋が正常に機能するには「閉口筋の適切な緊張」「関節円板の正常位置」「下顎頭の安定した位置」という三者のバランスが前提です。この三者が一つの機能ユニットとして機能していることを、Vaughanが提唱した「External pterygoid mechanism」という概念が示しています。日々の臨床でこの視点を持つことが、診断と治療の質を高める一歩になります。
日本補綴歯科学会による顎機能障害診療ガイドライン:外側翼突筋を含む咀嚼筋の評価・治療方針が体系的に記載されており、臨床判断の根拠として活用できます。