PDGFは歯周組織の再生を助ける因子として知られていますが、実はがん細胞の増殖・転移にも深く関与しています。
歯科情報
PDGF(Platelet-Derived Growth Factor:血小板由来増殖因子)は、1979年に血小板の中から初めて精製された増殖因子です。もともとは間葉系細胞(線維芽細胞・平滑筋細胞・グリア細胞など)の遊走と増殖を調節するタンパク質として発見されました。
PDGFには現在、PDGF-A、PDGF-B、PDGF-C、PDGF-Dという4種類のサブユニットが存在します。これらが二量体を形成し、PDGF-AA、PDGF-BB、PDGF-AB、PDGF-CC、PDGF-DDという5種類のアイソフォームとして機能します。それぞれが受容体(PDGFRα・PDGFRβ)に結合することで、細胞内シグナル伝達が始まります。つまり組み合わせによって働きが変わります。
歯科の現場では、PRP(多血小板血漿)やPRGF(血漿リッチな増殖因子)に豊富に含まれる成分として知られています。骨芽細胞の分裂刺激やマクロファージのサイトカイン分泌促進を通じた骨形成促進作用があるため、顎骨再生や歯周組織再生で幅広く応用されています。これは歯科の基本です。
一方で、がんの文脈ではPDGFの「増殖促進」という性質がそのまま腫瘍の増悪に転じます。正常な細胞増殖では厳密に制御されているPDGF-PDGFRシグナルが、がん細胞においては自律的に活性化し続けることが問題になります。
受容体チロシンキナーゼであるPDGFRに異常が生じると、PDGFリガンドがなくても継続的に細胞増殖シグナルが送り続けられます。この状態が細胞の無制限な増殖を引き起こし、悪性腫瘍形成の一因となります。さらに、PDGF-BBとPDGFRのシグナル軸は、リンパ管新生を促進してリンパ性転移を助けることもNature Reviews Cancerで報告されています。
PDGFは再生の味方でもあり、がんの進展因子でもあります。この二面性こそが、歯科従事者にとって今後重要になる知識です。
口腔がんの約90%以上は扁平上皮癌(OSCC:Oral Squamous Cell Carcinoma)が占めます。国立がんセンターの2019年統計によると、1年間に口腔がんと診断された患者数は約2万2,000人、死亡者数は約8,000人にのぼります。決して予後が良い疾患ではありません。
2026年1月に発表された研究では、OSCC患者の血清中PDGF-BBが健常者と比較して有意に上昇していることが明らかになりました。そしてこの上昇が、がんの増殖・生存・血管新生を制御する重要なシグナル伝達経路である「PI3K/AKT/mTOR経路」の活性化を介して、がんの進行に寄与している可能性が示されています。
PI3K/AKT/mTOR経路とはどういうものでしょう? これは、細胞がアポトーシス(自然死)を回避して増え続けるための経路であり、さまざまながんで恒常的に活性化していることが知られています。PDGF-BBがPDGFRβに結合し受容体を活性化すると、この経路が下流でスイッチオンになり、がん細胞は死なずに増え続ける環境が作られます。これが口腔がんの進行と深く関係しています。
| 経路名 | 役割 | 活性化されると |
|---|---|---|
| PI3K(リン酸化酵素) | 細胞増殖・生存シグナルの出発点 | 細胞のアポトーシスを抑制 |
| AKT(タンパク質キナーゼB) | PI3Kからの下流シグナルを受け継ぐ | がん細胞の生存能力が向上 |
| mTOR(増殖制御酵素) | タンパク合成・代謝の調節 | 腫瘍細胞の無制限増殖を促進 |
さらに、OSCC では上皮間葉移行(EMT:Epithelial-Mesenchymal Transition)という現象が起きます。本来は細胞同士がしっかりくっついている上皮状態から、細胞がバラバラに動ける間葉状態に変わる現象で、これが浸潤・転移の引き金になります。PDGFシグナルはEMTの誘導にも関与していることが複数の研究で示されています。
つまりPDGFはOSCCにおいて、①増殖促進、②アポトーシス回避、③EMT誘導、④転移促進という多面的な役割を担っているということですね。
参考:口腔癌の発生と進展における分子メカニズムについての総説(J-STAGE、徳島大学、2022年)
がん細胞を取り囲む環境は「腫瘍微小環境(TME:Tumor Microenvironment)」と呼ばれます。TMEの中でも、がん関連線維芽細胞(CAF:Cancer-Associated Fibroblast)は腫瘍の進展において特別な役割を果たします。これは意外ですね。
つまり、PDGF→CAF活性化→免疫抑制という連鎖が形成されることで、本来がん細胞を攻撃するはずのT細胞の働きが妨げられます。PDGFが免疫療法の効果を弱めます。
スキルス胃がんや膵臓がんのような高度な線維化腫瘍では、この機序が特に顕著です。同研究では、ソラフェニブやレゴラフェニブといったPDGFR阻害剤を免疫チェックポイント阻害剤と併用することで、腫瘍内へのリンパ球浸潤を回復させ、免疫微小環境が大幅に改善されることが示されました。
新潟大学の研究でも、口腔がん細胞とCAFの共培養モデルにおいて、CAFから分泌されるTGF-βがSOX9発現を高め、がん細胞の遊走・浸潤能を促進することが確認されています。CAFとがん細胞は互いにシグナルを交換しながら悪性化を強化するということです。
これは口腔がん治療の今後に大きく関係する研究です。PDGFR阻害剤+免疫チェックポイント阻害剤の併用療法が、頭頸部がんへも応用される可能性が開かれています。
参考:高度線維化を伴う難治がんに対する免疫チェックポイント阻害剤の治療標的解明(熊本大学・JST、2022年)
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20221222-2/index.html
参考:口腔がん進展メカニズム−CAFとがん細胞のクロストーク(新潟大学、2021年)
https://www.niigata-u.ac.jp/news/2021/94583/
口腔がんは視診・触診が可能な部位にもかかわらず、早期発見が難しいという現実があります。現在の標準的な確定診断は生検という侵襲的な手技に依存しており、患者への負担も少なくありません。
ところが2025年10月にBMC Oral Health誌に発表された研究によって、血漿中のサイトカインプロファイルが非侵襲的な口腔がん早期診断マーカーとして機能する可能性が示されました。この研究は使えそうです。
研究では、口腔および中咽頭扁平上皮がん患者の血漿サイトカインを健常者と比較しました。その結果、PDGF-AA・PDGF-BBが有意に上昇しており、特にPDGF-AAとPDGF-BBの組み合わせ分析では、口腔がん診断において感度98.38%・特異度73.87%という高い成績を示しました。
| マーカー | 対象がん | 感度 | 特異度 |
|---|---|---|---|
| PDGF-AA+PDGF-BB(組み合わせ) | 口腔がん | 98.38% | 73.87% |
| PECAM-1 | 中咽頭がん | 100% | (研究中) |
感度98.38%とはどのくらいすごい数字でしょうか? 一般に、臨床で使われる多くのがん腫瘍マーカーの感度は50〜80%程度です。それを考えると、この数値は注目に値します。
ただし、特異度73.87%という点には注意が必要です。偽陽性(がんではないのに陽性と判定される)のリスクが約26%存在するため、PDGF単独での確定診断には使えません。あくまでスクリーニングの補助ツールとして位置づけるのが現時点では適切です。
現在のところ、このPDGFベースの血漿バイオマーカー検査は臨床応用の段階には至っていません。しかし、将来的に唾液や血漿を用いた簡便な検査が実用化されれば、定期検診の際に歯科医院でスクリーニングができる時代が来るかもしれません。
歯科従事者が口腔がんの一次スクリーニング担う存在になる可能性があります。今のうちからPDGFを含むバイオマーカーの動向を把握しておくことは、将来の臨床に直結する情報です。
参考:口腔・中咽頭扁平上皮がんの早期診断マーカーとなる血漿サイトカイン(CareNet Academia、2025年)
https://academia.carenet.com/share/news/c37700d2-b83e-4b5f-a14b-32444b31a750
ここからは、検索上位にはほとんど取り上げられていない視点です。PDGFをめぐるがん研究の最新知見が、歯科の日常臨床とどう結びつくかを考えてみます。
まず注目したいのは、「PDGFRαをノックアウトすると、むしろがんが大きくなり広範な肺転移が起きた」という富山大学の研究(Neoplasia誌、2025年11月掲載)の事実です。これは直感に反します。
この研究が示しているのは、間質細胞(がん細胞の周りを取り囲む細胞)においてPDGFRαは腫瘍進行に対して「保護的役割」を果たすということです。一方、がん細胞そのものにおけるPDGFRαは腫瘍を促進します。つまり、PDGFR阻害剤を使う際には「どの細胞の受容体を標的にするか」が非常に重要で、間質細胞のPDGFRαを選択的に阻害することは逆効果になりうる可能性があります。これが原則です。
歯科の観点から考えると、PRP・PRGFなどの再生療法で豊富に投与されるPDGFは、口腔がん既往患者や口腔前がん病変(白板症・紅板症など)が疑われる患者に対して、どのような影響をもたらすのかという問いに繋がります。
現在、PDGFを含む再生因子ががん促進に作用するかどうかは、細胞の種類・腫瘍の有無・受容体の発現パターンによって異なります。一概に「危険」とは言えませんが、「安全が確認されていない」とも言えます。
実際の臨床では、口腔前がん病変の既往がある患者や、口腔内に不明確な白色・赤色病変がある患者に対してPRP/PRGFを用いた再生療法を行う前に、精査を優先することが求められます。疑わしい病変の放置が一番のリスクです。
さらに、もう一つの独自視点として挙げたいのは「フソバクテリウム(Fusobacterium nucleatum)とPDGFの関係」です。Fusobacterium nucleatumは歯周病原菌として知られており、口腔がん組織内でも高頻度に検出されます。徳島大学の研究では、このFusobacterium nucleatumの感染が上皮系性質を持つがん細胞を浸潤能の高い「partial-EMT(部分的EMT)」状態へ変換する可能性が示されています。
歯周病管理がそのまま口腔がん進展リスクの低減に繋がる可能性があります。PDGFとがんの関係を知ることは、歯周病管理の重要性を再確認する理由の一つにもなります。
口腔がん発見のための自己チェック項目(歯科スタッフが患者に伝える際の参考に)。
参考:PDGFRαを介した細胞シグナルが固形癌の増悪と肺転移を調整(富山大学、2025年)
https://www.u-toyama.ac.jp/news-press/124763/