耳下腺腫瘍は唾液腺に発生する腫瘍の中でも最も頻度が高く、その約80~90%が耳下腺に発生します。耳下腺は耳の前下方に位置する唾液腺で、顔面神経が内部を貫通しているという解剖学的特徴があります。この特徴が耳下腺腫瘍の診断や治療において重要な意味を持ちます。
耳下腺腫瘍の良性と悪性の比率は約8:1~9:1と言われており、良性腫瘍が圧倒的に多いのが特徴です。良性腫瘍の中でも特に多形腺腫は耳下腺腫瘍全体の約70%を占める最も一般的なタイプです。
多形腺腫は30~60歳の女性に多く見られ、男女比は1:2と女性に多い傾向があります。また、耳下腺浅葉に発生することが多く、無痛性の腫瘤として緩徐に増大するのが特徴です。
多形腺腫は病理組織学的に非常に多彩な像を示すことから「多形」という名前がつけられています。上皮成分と間質成分が混在し、その割合や分布パターンは症例によって大きく異なります。
上皮成分は導管上皮や筋上皮細胞から構成され、腺管構造や索状構造を形成します。一方、間質成分は粘液腫様、軟骨様、硝子様など多彩な像を呈します。この多彩な組織像が画像診断にも反映され、MRI検査ではT2強調像で高信号を示す部分(粘液腫様・軟骨間質)と等~低信号を示す部分(細胞成分、線維化)が混在する不均一な像として観察されます。
多形腺腫の特徴的な所見として、被膜構造の存在があります。多形腺腫は通常、薄い線維性被膜に覆われていますが、この被膜は完全ではなく、腫瘍細胞が被膜を超えて周囲組織に微小浸潤していることがあります。この特性が不完全な切除による再発の原因となるため、手術時には腫瘍を被膜ごと一塊として摘出することが重要です。
多形腺腫のMRI画像診断は、その特徴的な所見から比較的高い精度で行うことができます。MRI画像所見の特徴は以下のとおりです:
これらの特徴的なMRI所見は、多形腺腫の診断において非常に有用です。特に、T2強調像での高信号と被膜構造の存在、造影後の漸増型増強パターンは多形腺腫を示唆する重要な所見です。
ただし、T2強調像での信号強度は症例によって異なり、約3割の症例では等~低信号を示すことがあります。これは腫瘍内の細胞成分や線維化の程度を反映していると考えられています。
耳下腺腫瘍の鑑別診断において、多形腺腫と他の腫瘍を区別することは重要です。特に鑑別すべき腫瘍には以下のようなものがあります:
鑑別診断には画像検査だけでなく、臨床症状や経過も重要です。多形腺腫は通常、無痛性で緩徐に増大する腫瘤として現れますが、悪性腫瘍では痛み、急速な増大、顔面神経麻痺などの症状を伴うことがあります。
また、穿刺吸引細胞診(FNA)も鑑別診断に有用ですが、多形腺腫は細胞像が多彩で、時に悪性腫瘍との鑑別が困難な場合があります。そのため、画像所見と細胞診の結果を総合的に判断することが重要です。
多形腺腫を含む耳下腺腫瘍の治療は、基本的に外科的切除が第一選択となります。多形腺腫は良性腫瘍ですが、以下の理由から手術による完全切除が推奨されています:
多形腺腫に対する手術方法としては、以下のようなものがあります:
手術の際には、顔面神経の温存が最も重要な課題となります。耳下腺内を走行する顔面神経を損傷すると、顔面筋の麻痺を引き起こす可能性があります。そのため、手術中は神経刺激装置(Nerve Integrity Monitor; NIM)を用いて顔面神経を同定し、慎重に温存する必要があります。
術後の予後は一般的に良好ですが、不完全な切除を行った場合は再発のリスクがあります。再発した多形腺腫は、集簇する多発結節影として現れることが多く、再手術はより複雑になります。そのため、初回手術で適切な切除を行うことが重要です。
歯科医療従事者にとって、耳下腺腫瘍、特に多形腺腫に関する知識は臨床的に重要な意義を持ちます。以下にその理由と注意点をまとめます:
特に注目すべき点として、多形腺腫は良性腫瘍であるにもかかわらず、臨床的には悪性として扱うべき特性を持っています。不適切な処置(生検や不完全な切除)を行うと、腫瘍細胞の播種による再発リスクが高まります。そのため、疑わしい所見を認めた場合は、安易に穿刺や切開を行わず、専門医への紹介を検討することが重要です。
また、耳下腺は顎関節に近接しているため、顎関節症状と耳下腺腫瘍の症状が混同されることがあります。顎関節症と思われる症状が改善しない場合や、非典型的な経過をたどる場合は、耳下腺腫瘍の可能性も考慮する必要があります。
歯科医療従事者は、口腔内だけでなく顔面全体を観察する習慣を持ち、耳下腺部の無痛性腫脹を認めた場合は、その経過や性状に注意を払い、必要に応じて適切な画像検査や専門医への紹介を行うことが望ましいでしょう。
耳下腺腫瘍の診断と治療に関する詳細な情報(日本口腔外科学会雑誌)
多形腺腫は良性腫瘍でありながら、再発や悪性転化のリスクを持つという特異な性質があります。これらのメカニズムを理解することは、適切な治療方針の決定や患者への説明において重要です。
再発のメカニズム:
多形腺腫の再発は主に以下の要因によって引き起こされます:
再発した多形腺腫は、初発の腫瘍と比較して以下のような特徴があります: