口腔癌は日本の癌全体の1~2%程度を占める比較的希少な癌です。発生機序は完全には解明されていませんが、飲酒や喫煙が主な危険因子とされています。60歳台に好発し、男性と女性の比率は約3:2で男性に多いという特徴があります。
口腔内の発生部位によって、①舌癌、②上顎歯肉癌、③下顎歯肉癌、④頬粘膜癌、⑤口腔底癌、⑥硬口蓋癌に分類されます。それぞれの部位によって症状や進行の仕方、治療法の選択にも違いが生じることがあります。
口腔癌の治療は、他の癌種と比較して抗がん剤や放射線治療の効果が限定的であることから、手術による外科的切除が基本となります。しかし、口腔は咀嚼、構音、嚥下など生活の質に直結する重要な機能を担っているため、治療選択においては機能温存と根治性のバランスが非常に重要になってきます。
口腔癌の標準治療は手術による切除です。早期癌(ステージⅠ・Ⅱ)では手術単独で治療が可能ですが、進行癌(ステージⅢ・Ⅳ)になると原発巣の切除に加えて、頸部リンパ節郭清術が必要になることが多くなります。
手術の範囲は癌の大きさや浸潤の程度によって決まりますが、早期であれば部分切除で済むこともあります。しかし、進行した状態では広範囲の切除が必要となり、特に舌癌などでは舌の広い範囲を切除することになるため、術後の機能障害が問題となります。
最近では低侵襲手術の技術も進歩しており、経口的ロボット支援手術(TORS)やナビゲーションシステムを用いた精密な切除なども一部の施設で導入されています。これにより、より正確な切除と機能温存の両立が目指されています。
また、センチネルリンパ節生検という技術も注目されています。これは口腔癌から最初に流れるリンパ節(センチネルリンパ節)を同定し生検することで、不必要な頸部郭清を避け、術後の機能障害を軽減する方法です。頸部リンパ節転移を伴わない口腔癌では、原発巣の切除のみで経過観察されることが多いですが、20~30%程度の確率で後に頸部リンパ節転移が生じるとされています。センチネルリンパ節生検によって、より精密な治療計画が可能になります。
放射線療法は口腔癌治療において、手術と並ぶ重要な治療法です。特に早期の口腔癌では、放射線単独療法で根治を目指すこともあります。また、手術後の補助療法としても用いられ、再発リスクの高い症例では術後放射線療法が推奨されます。
放射線治療技術も進化しており、従来の外部照射に加えて、強度変調放射線治療(IMRT)や容積強調放射線治療(VMAT)などの高精度放射線治療が普及してきています。これらの技術により、腫瘍に対して高線量を照射しながら、周囲の正常組織への影響を最小限に抑えることが可能になっています。
また、放射線治療と併用する温熱療法(ハイパーサーミア)も注目されています。この治療法は、癌細胞が正常細胞より低い温度(42.5℃以上)で死滅するという特性を利用したもので、特に頸部リンパ節転移に対して効果を発揮します。放射線治療や化学療法との併用により、治療効果を高める作用があります。
放射線治療の課題としては、口腔粘膜炎や唾液腺障害による口腔乾燥、味覚障害、顎骨壊死などの有害事象があります。これらの副作用対策として、放射線防護剤の使用や精密な照射計画、治療中の口腔ケアなどが重要です。
化学療法は口腔癌治療において、主に進行癌や再発・転移癌に対して用いられます。単独での使用よりも、放射線療法との併用(化学放射線療法)や手術前の導入療法として用いられることが多いです。
従来の化学療法では、シスプラチン(CDDP)を中心としたレジメンが用いられてきました。特に進行口腔癌に対しては、CDDP+5-FU(PF療法)が標準的でしたが、近年ではドセタキセルを加えたTPF療法(ドセタキセル+シスプラチン+5-FU)が世界標準となりつつあります。
TPF療法は高い奏効率を示す一方で、発熱性好中球減少症などの重篤な有害事象のリスクも高いため、適切な支持療法と慎重な患者選択が必要です。実際の臨床試験でも治療関連死が数%報告されており、実施には十分な注意が必要です。
近年では分子標的薬の開発も進んでいます。2012年に日本で承認されたセツキシマブ(抗EGFR抗体)は、口腔癌を含む頭頸部癌に対して使用可能となりました。口腔癌の大部分を占める扁平上皮癌ではEGFRの過剰発現が見られるため、組織型に関わらず使用できる点が特徴です。
分子標的薬は従来の細胞障害性抗がん剤と比較して、長期的な臓器障害が少ないため、治療後のQOL向上に貢献しています。今後も新たな分子標的薬の開発が期待されています。
免疫療法は口腔癌治療の新たな選択肢として注目されています。2017年に日本で承認されたニボルマブ(抗PD-1抗体)は、再発・転移頭頸部癌に対する治療薬として使用されるようになりました。
ニボルマブは、がん細胞が免疫細胞からの攻撃を回避するために利用するPD-1/PD-L1経路を阻害することで、患者自身の免疫システムががん細胞を攻撃できるようにする薬剤です。国際共同治験(CheckMate-141)では、プラチナ抵抗性の再発・転移頭頸部癌に対して、従来の治療法と比較して有意な生存期間の延長が示されました。
免疫療法の特徴として、従来の抗がん剤とは異なる副作用プロファイルがあります。間質性肺炎、大腸炎、肝炎、劇症型1型糖尿病、重症筋無力症、甲状腺機能異常、脳炎など、免疫関連有害事象(irAE)と呼ばれる特有の副作用に注意が必要です。
また、免疫療法の効果予測バイオマーカーの研究も進んでいます。PD-L1発現や腫瘍遺伝子変異量(TMB)、マイクロサテライト不安定性(MSI)などが効果予測因子として検討されていますが、口腔癌における明確な基準はまだ確立されていません。
今後は免疫チェックポイント阻害剤と従来の治療法(手術、放射線療法、化学療法)との最適な併用方法や、新たな免疫療法薬の開発が期待されています。
進行口腔癌の手術では、広範囲の組織切除が必要となるため、術後の機能障害や審美的問題が大きな課題となります。これらの問題に対処するため、再建手術が重要な役割を果たしています。
再建手術では、患者さん自身の身体の一部(前腕、腹部、大腿部、腓骨など)から組織を採取し、欠損部に移植します。特にマイクロサージェリーの発展により、遊離皮弁移植の技術が向上し、より精密な再建が可能になりました。
代表的な再建方法としては、前腕皮弁、腹直筋皮弁、大胸筋皮弁、腓骨皮弁などがあります。特に舌の再建では、前腕皮弁が柔軟性に優れているため多く用いられます。また、顎骨の再建には腓骨皮弁が適しています。
再建手術後は、機能回復のためのリハビリテーションが不可欠です。特に舌の切除範囲が大きい場合は、構音障害や嚥下障害が問題となります。言語聴覚士による構音訓練や嚥下訓練、理学療法士による顎運動訓練などが行われます。
また、口腔乾燥や味覚障害などの症状に対しては、口腔ケアや栄養指導も重要です。管理栄養士による食事指導や、歯科医師・歯科衛生士による口腔ケア指導が患者のQOL向上に貢献します。
口腔癌治療は単に癌を治すだけでなく、治療後の生活の質を維持・向上させることも重要な目標です。そのためには、耳鼻咽喉科医・頭頸部外科医を中心に、形成外科医、腫瘍内科医、放射線科医、歯科医、言語聴覚士、理学療法士、看護師、管理栄養士、ソーシャルワーカーなど多職種によるチーム医療が不可欠です。
口腔癌治療は近年急速に進化しており、手術技術の向上、放射線治療の精密化、新規薬剤の開発などにより、治療成績の向上と機能温存の両立が進んでいます。しかし、依然として進行癌の予後は厳しく、早期発見・早期治療の重要性は変わりません。歯科医療従事者は口腔癌の早期発見に重要な役割を担っており、定期的な口腔内検診と疑わしい病変の早期紹介が求められています。
また、口腔癌の予防においても、飲酒・喫煙の習慣改善や口腔衛生状態の維持など、歯科医療従事者による患者教育が重要です。口腔癌治療の進歩と並行して、予防と早期発見の取り組みを強化することが、口腔癌による死亡率低下と患者QOL向上につながるでしょう。
口腔癌治療は、単一の方法ではなく、患者の状態や癌の進行度に応じた複合的なアプローチが必要です。手術、放射線療法、化学療法、免疫療法、そして再建術とリハビリテーションを適切に組み合わせることで、最良の治療成績と生活の質を目指すことが重要です。今後も新たな治療法の開発と既存治療の最適化が進み、口腔癌患者の予後とQOLが向上することが期待されます。