腫瘍マーカーとは、がん細胞が体内に存在するときに、がんに特異的なタンパクや遺伝子が生体内で生産され、血液中などに存在する物質のことです。これらを測定することで、がん細胞の存在を診断したり、治療経過や再発・転移の観察に役立てられます。
残念ながら、口腔癌においては特異度の高い腫瘍マーカーは現在のところ確立されていません。つまり、腫瘍マーカーの値だけで口腔癌の確定診断を行うことはできないのが現状です。そのため、臨床現場では画像診断や組織検査などの他の検査方法と併用して総合的に診断を行っています。
口腔癌で主に測定される代表的な腫瘍マーカーには以下のようなものがあります:
これらの腫瘍マーカーは口腔癌に特異的というわけではなく、他の臓器のがんや良性疾患でも上昇することがあるため、単独での診断的価値は限定的です。
腫瘍マーカー検査は一見便利な検査のように思えますが、口腔癌の診断においてはいくつかの重要な限界があります。
まず第一に、ほとんどの腫瘍マーカーは早期の口腔癌では上昇しないことが多いという点です。つまり、腫瘍マーカー検査だけに頼っていると、早期発見の機会を逃してしまう可能性があります。口腔癌は直視直達が可能な部位に発生するため、視診や触診による早期発見の方が有効であることが多いのです。
第二に、腫瘍マーカーの値は口腔癌以外の要因でも上昇することがあります。例えば、喫煙、加齢、慢性炎症、良性腫瘍、肝機能障害などの影響で値が上昇することがあります。このため、腫瘍マーカーの値が高いからといって、必ずしも口腔癌が存在するとは限りません。
第三に、進行した口腔癌であっても、腫瘍マーカーの値が正常範囲内にとどまることもあります。つまり、腫瘍マーカーの値が正常だからといって、口腔癌が存在しないとも言い切れないのです。
これらの理由から、多くの歯科医師や口腔外科医は、健康診断のオプションとしての腫瘍マーカー検査を口腔癌のスクリーニング目的で推奨していません。むしろ、定期的な口腔内検診や、異常を感じた場合の早期受診の方が重要視されています。
口腔癌の診断や経過観察に使用される主な腫瘍マーカーについて、それぞれの特徴を詳しく見ていきましょう。
SCC抗原(Squamous Cell Carcinoma Antigen)
口腔癌で最も一般的に使用される腫瘍マーカーの一つです。扁平上皮癌で産生されるタンパク質で、腫瘍の大きさや進行度に応じて血中濃度が上昇します。しかし、食道癌や肺癌、子宮頸癌などの他の扁平上皮癌でも上昇するため、特異性は高くありません。また、皮膚疾患や肝疾患、腎疾患でも上昇することがあります。
CEA(CarcinoEmbryonic Antigen)
胎児期に産生される糖タンパク質で、成人では微量しか存在しませんが、口腔癌を含む様々ながんで上昇します。特に大腸癌のマーカーとして知られていますが、口腔癌でも補助的に使用されることがあります。喫煙者や高齢者、慢性炎症性疾患でも上昇することがあるため、解釈には注意が必要です。
CA19-9
主に膵臓癌や胆道癌のマーカーとして知られていますが、口腔癌でも上昇することがあります。特に唾液腺由来の腫瘍で上昇することがあります。胆道疾患や膵炎、肝疾患でも上昇するため、特異性は高くありません。
CYFRA(Cytokeratin 19 Fragment)
上皮細胞の細胞骨格を構成するサイトケラチン19の断片で、肺の扁平上皮癌のマーカーとして知られていますが、口腔癌でも上昇することがあります。腎機能障害や肝疾患でも上昇することがあります。
これらの腫瘍マーカーは単独では診断的価値が限られるため、複数のマーカーを組み合わせて測定することで、診断精度を高める試みも行われています。
従来の腫瘍マーカーの限界を克服するため、新たな口腔癌特異的な腫瘍マーカーの研究が進められています。その中でも注目されているのが、CXCL13(C-X-Cケモカインリガンド13)です。
CXCL13は、SCC抗原に替わる新規口腔癌腫瘍マーカーとして同定されました。研究によると、早期癌および進行癌の担癌患者における血清CXCL13値が非担癌患者より有意に上昇することが明らかになっています。これは、従来のマーカーでは難しかった早期口腔癌の検出にも役立つ可能性を示しています。
興味深いことに、RNAレベルでは口腔扁平上皮癌組織においてCXCL13の高発現が確認されていますが、ヒト口腔癌細胞株では発現が検出されないという特徴があります。このことから、CXCL13は腫瘍細胞自体ではなく、腫瘍微小環境に発現し、口腔扁平上皮癌と何らかの相互関係を有している可能性が示唆されています。
CXCL13の研究は現在も進行中であり、口腔癌の診断や予後予測、治療効果判定における有用性が期待されています。今後、臨床応用に向けたさらなる検証が必要ですが、口腔癌の早期発見や個別化医療の実現に貢献する可能性を秘めています。
口腔癌は患者ごとに異なる特性を持つため、すべての患者に同じ腫瘍マーカーが有効とは限りません。そこで注目されているのが、腫瘍マーカーの個別化アプローチです。
従来の腫瘍マーカーは組織特異性あるいは腫瘍特異性タンパク質を検出対象としていましたが、新たなアプローチでは血液中に存在する細胞由来のmRNAから腫瘍マーカーを探索する方法が研究されています。この方法では、患者ごとに最も発現亢進が認められる遺伝子を個別腫瘍マーカーとして設定します。
研究では、口腔扁平上皮癌T1症例と唾液腺癌T2症例を対象に、術前に血液よりtotal RNAを抽出し、ヒト全遺伝子型マイクロアレイ解析を行いました。その結果、口腔扁平上皮癌症例では対照と比較して3倍以上の発現亢進を認めた遺伝子を197種類、唾液腺癌症例では152種類同定しました。
さらに興味深いことに、術前に高値を示していた個別腫瘍マーカーは、術後には対照検体レベルにまで低下し、完全に正常化していたことが確認されました。このことは、各症例の腫瘍マーカーの発現量変化が個体間の差ではなく、腫瘍の存在によるものであることを示しています。
このような個別化アプローチは、従来の腫瘍マーカーでは検出できなかった早期口腔癌の診断や、治療効果の判定、再発の早期発見に役立つ可能性があります。また、血液中に存在する癌細胞由来のmRNAや、癌細胞の直接あるいは間接的な影響により発現誘導されたmRNAを検出することで、超早期症例の診断にも応用できる可能性があります。
口腔癌の治療後の経過観察において、再発や転移の早期発見は患者の予後を大きく左右します。腫瘍マーカーは、このモニタリングプロセスにおいて重要な役割を果たす可能性があります。
口腔癌の再発・転移の検査には、腫瘍マーカー検査のほか、PET-CTや転移先の臓器のCT、レントゲン検査などが行われます。腫瘍マーカーの値は、一般に体の中にあるがんの量が増えると高くなり、減ると低くなると考えられています。このため、定期的に腫瘍マーカーの値をモニタリングすることで、画像では捉えきれない微小な再発や転移の兆候を早期に発見できる可能性があります。
しかし、先述したように腫瘍マーカーには限界があり、値の変動だけで再発や転移を判断することはできません。そのため、腫瘍マーカー検査は他の検査方法と組み合わせて総合的に判断することが重要です。
口腔癌は、その所属リンパ節である頸部のリンパ節に転移することが比較的多いため、頸部リンパ節の状態を定期的に評価することも重要です。頸部リンパ節転移が認められる場合には、頸部郭清術(頸部のリンパ節を広範囲に切除する手術)が必要になることがあります。
頸部郭清術後には、肩こりや腕が上がりにくい、首が回らない、むくみが出るなどの症状が現れることがあります。これらの症状に対しては、リハビリテーションやマッサージなどの対策が重要です。特にむくみに対しては、さすりあげるようなマッサージが効果的とされています。
腫瘍マーカーを含む定期的な検査と適切な対応により、口腔癌の再発・転移の早期発見と適切な治療介入が可能になり、患者のQOL(生活の質)と予後の改善につながることが期待されます。
腫瘍マーカーは口腔癌の診療において有用なツールとなり得ますが、その限界を理解し、適切に活用することが重要です。ここでは、歯科医療従事者が腫瘍マーカーを正しく活用するためのポイントをまとめます。
1. スクリーニング目的での使用は避ける
健康診断や定期検診のオプションとして腫瘍マーカー検査を推奨することは避けるべきです。特に症状のない患者に対するスクリーニング目的での使用は、偽陽性や偽陰性の可能性が高く、不必要な不安や追加検査を引き起こす可能性があります。口腔癌のスクリーニングには、視診や触診による口腔内検査の方が適しています。
2. 診断の補助として使用する
口腔内に異常所見がある場合、腫瘍マーカー検査は他の検査方法(組織生検、画像検査など)と併用して診断の補助として使用します。腫瘍マーカーの値だけで診断を確定することは避け、総合的に判断することが重要です。
3. 治療効果の判定に活用する
口腔癌の治療(手術、放射線治療、化学療法など)の前後で腫瘍マーカーの値を測定することで、治療効果を判定する参考にすることができます。治療前に高値を示していた腫瘍マーカーが治療後に正常化した場合、治療が効果的であった可能性が高いと考えられます。
4. 経過観察に役立てる
治療後の定期的な経過観察において、腫瘍マーカーの値をモニタリングすることで、再発や転移の早期発見に役立てることができます。ただし、腫瘍マーカーの値の変動だけで判断せず、画像検査や臨床所見と併せて総合的に評価することが重要です。
5. 複数のマーカーを組み合わせる
単一の腫瘍マーカーよりも、複数のマーカーを組み合わせて測定することで、診断精度を高めることができます。例えば、SCC抗原と