「チタンインプラントを入れた患者が電磁波の不安を訴えた際、説明できずにクレームに発展した」という事例が、歯科医院で実際に起きています。
近年、歯科医院のウェブサイトや患者向け情報サイトで「チタンインプラントは電磁波を集積するアンテナになる」という内容が散見されます。この言説が広まっている背景には、チタンがスマートフォンのアンテナ材料にも使われているという事実があります。確かにチタンを含む金属は、物理的にアンテナとして機能する可能性があります。これは本当のことです。
しかしここで重要なのは「アンテナになり得る」と「電磁波を体内に集積・蓄積する」は、まったく別の話だということです。電磁波はエネルギーの波であり、基本的に「溜まる」ものではありません。受信されたエネルギーは熱や電気に変換されるか、そのまま通過するだけです。電気エネルギーを蓄えるにはリチウム電池が必要であり、磁気エネルギーを蓄えるには磁性体が必要です。チタンは非磁性体であるため、電気も磁気も体内に留めておく仕組みがそもそも存在しません。
つまり「集積する」という表現は誤りです。
さらに確認しておきたいのが、現代社会での電磁波環境です。可視光線や赤外線、紫外線はすべて電磁波の一種であり、私たちは毎日大量の電磁波を浴びながら生活しています。口腔内のチタンが受信し得る微弱な電波エネルギーは、太陽光の持つエネルギーと比較しても無視できるほど小さなものです。論文レベルでも「インプラントが電磁波を受信・集積し、人体に悪影響を与えた」という査読付き研究は現時点で確認されていません。
歯科従事者がこの点を正確に理解しておくことで、患者からの質問にも根拠ある回答ができます。科学的事実に基づいた説明が、信頼性の高い医療機関としての評価につながります。
「チタンと電磁波」の話題で、実際に歯科臨床上の問題となり得るのはMRI検査です。MRIは非常に強力な磁場(1.5〜3テスラ以上)を利用して画像を取得する装置であり、磁性体を含む金属が体内にあると発熱・移動・画像乱れ(アーチファクト)のリスクが生じます。
チタン製インプラントはこの点において、優れた安全性を持ちます。チタン・チタン合金は「非磁性体」または「常磁性体」に分類されるため、MRIの強磁場にさらされても発熱したり、磁場に引き寄せられたりするリスクはほぼゼロです。画像への影響も極めて小さく、現在の標準的なチタン製歯科インプラントでMRI検査ができないケースは、ほとんどないとされています。これが基本です。
問題になりやすいのは「コバルトクロム合金」を含むインプラントです。コバルトクロム合金は磁性を持つため、MRI検査時に画像が大きく乱れる磁化率アーチファクトが発生し、場合によっては発熱リスクもあります。インプラント体が頭部・頸部近くに埋入されている場合、脳や頸椎の重要な部位が見えにくくなり、診断精度に影響を与える可能性があります。
| 素材 | 磁性 | MRI時の主なリスク | 現在の使用状況 |
|---|---|---|---|
| チタン・チタン合金 | 非磁性〜常磁性 | ほぼなし | 主流(広く使用) |
| コバルトクロム合金 | 磁性あり | 画像アーチファクト・発熱リスク | 一部で使用(減少傾向) |
| ジルコニア | 非金属 | なし | 増加傾向 |
患者が過去に行った治療でどの素材が使われたかを把握することは、歯科医院の責任でもあります。術前のカルテや使用インプラントの記録を正確に管理しておくことが、こうしたリスクを未然に防ぐことにつながります。MRI検査前に患者が医療機関から「体内の金属は?」と問われる場面を想定して、患者への事前説明を行っておくことが重要です。
参考:インプラント後のMRI検査に関する安全性・注意点(歯科医師監修)
インプラント治療後のMRI検査は安全?知っておくべき注意点と対処法(dent1422)
「電磁波過敏症(EHS:Electromagnetic Hypersensitivity)」という概念があります。頭痛・めまい・疲労感・皮膚症状・集中力低下など、多岐にわたる不調を電磁波との関連で説明しようとするものです。WHOも電磁波過敏症という言葉自体は認識しており、訴えを持つ人々が一定数いることも確認されています。
ただし重要なのは、WHOは「電磁波過敏症の症状が電磁波への暴露によって引き起こされるという科学的証拠は確認されていない」と明示している点です。症状は実在しており患者は本当に苦しんでいますが、その原因が電磁波にあるとする客観的根拠は現時点で存在しないということです。ここが基本です。
チタンインプラントと電磁波過敏症の関係について言えば、「チタンインプラントを除去したら電磁波過敏症の症状が改善した」という事例を紹介する歯科医院のウェブサイトが存在します。しかし、このような改善事例は「プラセボ効果」や「自然経過」、「他の生活習慣の変化」によって説明できる可能性が高く、チタンインプラントそのものが電磁波過敏症を引き起こしたと断定できる証拠にはなりません。
歯科従事者として留意しておきたいのは次の点です。
科学的な立場を保ちながら、患者の不安に寄り添う姿勢が信頼される歯科従事者の条件といえるでしょう。
参考:電磁波とチタンインプラントの関係を詳しく解説しているサイト(歯科医師による科学的考察)
チタンインプラントが電磁波を受信する?(koo-dent 歯科医師ブログ)
チタンインプラントの電磁波集積リスクを強調するウェブサイトの多くは、ジルコニアインプラント(セラミックインプラント)を推奨するクリニックによるものです。これは完全に商業的な意図がないとは言えません。実際、ジルコニアインプラントは非金属であるため、電磁波に関して言えばチタンよりさらにリスクが低いのは事実です。ただし、それはチタンに重大なリスクがあるという証拠とは異なります。
2025年1月時点では、ジルコニアインプラントは日本国内での薬事承認が一部の製品に限られており、保険外診療かつ高額(1本あたり40〜60万円以上)となるケースが多い状況です。チタンインプラントと比較して費用が20〜30万円程度高くなることもあります。意外ですね。
ジルコニアには審美性や金属アレルギー回避という正当なメリットがあります。しかし「電磁波集積リスクを避けるためにジルコニアを選ぶ」という理由の根拠は薄く、科学的に確認された事実ではありません。歯科従事者がこれを正確に理解せずに患者へ情報を提供すると、インフォームドコンセントの不備という問題が生じます。
日本口腔インプラント学会の『口腔インプラント治療指針2024』でも、インフォームドコンセントを書面で行い、患者の理解を確認することが求められています。説明が不十分でトラブルが生じた場合、その責任は歯科医師側にあるとも明記されています。
情報を正確に取捨選択するためのポイントをまとめると以下の通りです。
参考:日本口腔インプラント学会 口腔インプラント治療指針2024(PDF)
口腔インプラント治療指針2024 公益社団法人 日本口腔インプラント学会(PDF)
インターネットで「チタンインプラント 電磁波」と検索すると、不安を煽るコンテンツが多数ヒットします。治療後に患者がそれらを見て不安を感じ、歯科医院に問い合わせるケースは実際に起きています。こうした状況に対して、歯科従事者として準備しておくべき対応があります。
まず患者が持ち込む情報の多くは「電磁波を集積するリスク」「アンテナ効果で電磁波過敏症になる」という内容です。これは患者の立場からすると、脳に近い口腔内に「電波を集めるアンテナ」を埋め込んだという認識であり、非常に強い不安を生みます。いきなり否定するのではなく、まずその不安を受け止めることが最初のステップです。
次に科学的事実を段階的に説明します。「チタンがアンテナになり得るのは事実です。ただし、電磁波のエネルギーを体内に蓄積・集積する物理的な仕組みはありません」と説明します。非磁性体であることを平易な言葉で伝え、1,500名を対象にした臨床研究でチタンインプラント埋入後のアレルギー発症率が約0.6%と極めて低いというデータも活用できます。チタンアレルギーが実在しないわけではありませんが、リスクが非常に限定的であることを数字で示すことが重要です。
また、「電磁波過敏症」を訴える患者に対しては、症状を否定せずに寄り添いながら、他科との連携も検討します。
患者への説明例を参考に示すと、次のような流れが有効です。
こうした一連の流れを準備しておくことで、患者の不安を軽減しながら信頼関係を維持できます。対応マニュアルをスタッフ間で共有しておくことも、クレームリスクの低減につながります。
電磁波とチタンインプラントの問題を語るとき、見落とされがちな視点があります。それは「歯科医院が発信する電磁波関連の情報の質が、医院の信頼性そのものに影響を与える」という点です。
現在、SNSやGoogle口コミには、「インプラント後に体調が悪くなった」「歯科医師に電磁波リスクを説明されずに後悔している」という投稿が散見されます。このような口コミが拡散すると、1件の説明不備が医院の評判に大きな影響を与えます。逆に「先生が電磁波についてきちんと科学的に説明してくれた」という口コミは、高い信頼性の証明となります。
一方、過剰な電磁波リスクの強調も別のリスクを生みます。「電磁波が危険だからジルコニアにすべき」という訴求は、チタンを入れた患者に不必要な不安を与えます。その結果「自分は危険なものを入れられた」という認識が生まれ、信頼低下やクレームにつながる場合もあります。これは使えそうです。
科学的に不確かな情報を「リスクがある可能性がある」というトーンで発信することは、患者への不利益となり得ます。歯科医療は科学的根拠に基づく実践(EBM)を原則とします。日本口腔インプラント学会も「不確かな情報を説明しないでトラブルが生じた場合の責任は歯科医師にある」と明記しています。電磁波情報の発信に際しては、情報の正確性が医師・医院としての責任につながるという認識が不可欠です。
発信する情報の精度を高めるために、実践できることを具体的に挙げると次の通りです。
歯科医院が正確な情報を発信し続けることは、患者保護と医院経営の両面において重要な役割を果たします。医療従事者としての誠実な情報発信が、長期的な信頼形成の礎となります。
参考:電磁波過敏症の症状と歯科金属との関係を詳しく解説

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