ANB角が2°以上あれば骨格2級として外科矯正を選択しがちですが、その判断で患者から術後クレームが届くことがあります。

ANB角は、セファロ分析において上顎基準点A点・下顎基準点B点・頭蓋基準点Nasionを結んで得られる角度です。 上顎がより前方に位置するほどANB角は大きくなり、下顎が前方に出るほど小さくなります。 つまり、この角度1つで「上顎と下顎がどちらがどれほど前後にずれているか」を数値化できるわけです。 oned(https://oned.jp/posts/5776)
日本人成人における正常値の目安は約2°±1°(mean 2.5°、1SD範囲 1.5〜3.5°)とされ、+4.0°以上が骨格2級、+1.0°以下が骨格3級に分類されます。 これが矯正治療計画の出発点となる指標です。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
ANB角を測るためにはセファロメトリック分析が必要で、頭部X線規格写真を適切な条件で撮影したうえで、A点・B点・Nasionを正確にプロットします。 撮影時の頭部傾斜や患者の姿勢によって数値がブレるため、撮影条件の標準化が精度の鍵になります。 oned(https://oned.jp/posts/5776)
ANB角に基づく骨格分類は、そのまま矯正治療のアプローチ分岐点になります。骨格1級(1.5〜3.5°)・骨格2級(≥4.0°)・骨格3級(≤1.0°)の三区分が臨床の基準です。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
日本大学歯学部付属病院の実態調査(2021年〜2026年度の5年間、362名)では、顎変形症登録患者のうち骨格3級が71.3%で最多でした。 これはモンゴロイド系人種に下顎前突傾向が多いことと一致しています。骨格2級は21.5%、骨格1級はわずか7.2%でした。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
同調査でのANB分布の最頻値は−2.0°で、最小値は−9.0°、最大値は+13.0°という幅広い分布を示しています。 骨格3級症例への対応が歯科矯正科の主たる業務になっているといえます。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
外科矯正(顎矯正手術)の適応を判断する際、ANB角は非常に重要な指標となります。ここが重要です。
日本大学歯学部の研究によれば、ANB −4.0°以下または+6.5°以上が上下顎移動術(上顎+下顎両方を動かす術式)適応の1つのボーダーラインとなる可能性が示唆されています。 言い換えると、この数値を超えるほど骨格のズレが大きく、片顎だけの手術では十分な改善が得られないということです。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
矯正治療の指針として、骨格3級患者でANB −4.0°以下では上下顎移動術の件数が下顎移動術のみを上回ることも確認されています。 同様に骨格2級患者では+6.5°以上で上下顎移動術が増加する傾向があります。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
骨格3級患者でANB −4.0°以下という数値だけで上下顎移動術を自動的に選択するのは危険です。残存歯の状態やディコンペンセーション(歯軸のでたらめな傾斜を本来の位置に戻す処置)が十分にできない場合には、治療結果を妥協せざるを得ないこともあります。 数値はあくまで「参考基準の1つ」であり、初診時・術前検査時の状態を総合的に判断することが原則です。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
ANB角はあくまで骨格評価の一指標であり、それだけで治療計画を立てることは危険です。いくつかの注意点があります。
まず、ANB角はSNA・SNBの組み合わせで変化します。 SNAが大きくSNBが小さいためにANBが大きくなっているのか、それとも両者が標準的な範囲でANBだけが乖離しているのかを区別しなければ、顎骨移動の方向を誤ります。つまりANB単独評価はNGです。 ortho1.ojaru(https://ortho1.ojaru.jp/sindannewpage2.htm)
さらに、前歯の歯軸傾斜もANB角に影響を与えます。 骨格的な改善を行う外科矯正の手術計画では、前歯の傾斜(ディコンペンセーション)を事前に矯正で修正しておくことが術後の咬合安定の鍵であることが知られています。 骨格の数値だけ追いかけて歯軸を見落とすと、術後に予期しない咬合不整が生じることがあります。これは意外ですね。 ir.tdc.ac(https://ir.tdc.ac.jp/irucaa/bitstream/10130/6980/1/diagnostics-15-01553.pdf)
成長期の骨格3級(ANB角が小さい・マイナスの症例)に対して、上顎前方牽引装置(フェイスマスクなど)を早期に使用する治療が広く行われています。この治療でANB角はどう変化するのでしょうか?
日本矯正歯科学会の診療ガイドラインは「成長期の骨格性下顎前突に上顎前方牽引装置を弱く推奨する(弱い推奨;GRADE 2B)」という立場を示しています。 ANB角およびオーバージェット(上下前歯の水平的なずれ)の改善効果が認められる一方で、観察期間が長くなるにつれてその改善効果は小さくなるとされています。 jos.gr(https://www.jos.gr.jp/asset/guideline_mandibular_protrusion_growth.pdf)
つまり、上顎前方牽引で一時的にANB角を改善できたとしても、成長が完了した時点で骨格3級が顕在化するケースがあります。これが原則です。最終的に顎矯正手術が必要になる症例も一定数存在することを、治療開始時から患者・保護者に説明しておくことが重要です。
なお、成長期に早期介入して良好な結果が得られた症例として、ANB角が−4.0mmの重度III級不正咬合を持つ11歳女児の症例が報告されています。 この症例では、モノブロック装置と急速拡大装置を用いて28か月の治療後に良好な咬合関係を達成し、18歳時点の3年9か月後のフォローアップでも安定が確認されました。 早期介入の有効性を示す事例ですが、全ての骨格3級症例に適用できるわけではなく、症例選択が重要です。 pubmed.ncbi.nlm.nih(https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17465669/)
参考情報:成長期の骨格性下顎前突に関する診療ガイドラインについては、日本矯正歯科学会が詳細な情報を公開しています。
矯正歯科治療の診療ガイドライン 成長期の骨格性下顎前突編(日本矯正歯科学会)
参考情報:日本人成人の骨格1級標準値に関するセファロ研究(大阪歯科大学、2023年)の詳細は以下から確認できます。
参考情報:ANB角に基づく外科矯正患者の分布と術式の実態調査は以下の日本大学歯学部論文にまとめられています。
日本大学歯学部付属病院歯科矯正科における顎変形症患者実態調査(日大歯学, 2017)
外科矯正で手術術式を選択する際、ANB角の値は術式の安定性とも密接に関係しています。ここに多くの歯科従事者が見落としやすいポイントがあります。
下顎のみを大きく後退させる下顎移動術(SSRO)を単独で行った場合、下顎が術後に前方へ後戻りしやすいことが複数の研究で報告されています。 この後戻りリスクが高いのは、特に移動量が大きい症例、すなわちANBが大きくマイナスに振れている骨格3級重症例です。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
その対策として近年では、上下顎移動術(上顎をLeFort I型で前方移動させながら下顎を後退させる術式)の割合が顕著に増加しています。 日本大学歯学部の調査では、2012年度(平成24年度)以降に上下顎移動術の件数が下顎移動術を上回るようになりました。 上下顎移動術では片顎だけの大きな移動がなくなり、咽頭気道の狭窄も生じにくい利点があります。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)
これは現場で非常に使えそうです。患者説明の場でも「なぜ上下顎同時に動かす手術が必要か」を根拠を持って伝えられます。ANB角の数値と術式選択・後戻りリスクをセットで説明することで、インフォームドコンセントの質が格段に上がります。
| ANB角の範囲 | 骨格分類 | 推奨される術式の傾向 | 後戻りリスク |
|---|---|---|---|
| 1.5〜3.5° | 骨格1級 | 歯科矯正単独が基本 | 低 |
| 4.0〜6.4° | 骨格2級(中等度) | 上顎移動術または下顎移動術 | 中 |
| +6.5°以上 | 骨格2級(重度) | 上下顎移動術が推奨 | 高 |
| −1.0〜−3.9° | 骨格3級(中等度) | 下顎移動術中心 | 中〜高 |
| −4.0°以下 | 骨格3級(重度) | 上下顎移動術を強く考慮 | 高 |
上の表はあくまで傾向の目安です。 実際の術式選択は、歯軸・顔貌審美性・咽頭気道形態・残存歯の状態・患者の意思など多因子で判断されます。ANB角は「入口」であり、治療計画の「全体像」ではないということですね。 www2.dent.nihon-u.ac(https://www2.dent.nihon-u.ac.jp/nusdj/zasshi/91-1/p7-12.pdf)