歯周組織の再生に"骨を直接作る薬"を使っても、IGF-1が低下した状態では効果が半減することがある。
歯科情報
IGF-1は「Insulin-like Growth Factor-1」の略称で、日本語では「インスリン様成長因子-1」または「ソマトメジンC」とも呼ばれるペプチド性ホルモンです。インスリンと化学構造が似ているためこの名がついており、アミノ酸70個からなる単鎖のタンパク質です。
産生場所は全身の多くの組織にまたがりますが、血中に循環するIGF-1の主要な供給源は肝臓です。脳下垂体から分泌される成長ホルモン(GH)が肝臓の受容体に作用することで、IGF-1の合成・分泌が誘導されます。つまり、成長ホルモンは直接ではなく、IGF-1を「仲介役」として多くの組織増殖作用を発揮しています。
GHとIGF-1は密接に連動しています。GH-IGF軸と呼ばれるこの制御系は、身長の伸び・筋肉量・骨量・体脂肪率などに広く影響します。血中IGF-1濃度は、成長ホルモンの分泌状態を反映するバイオマーカーとしても臨床的に活用されており、成長ホルモン分泌不全症や先端巨大症の診断補助に用いられています。
血中IGF-1の基準値(日本人データ)は年齢によって大きく異なります。ファイザー社監修のIGF-I基準値一覧表(島津章先生監修)によると、成人男性(40代)では概ね92〜263 ng/mL、70代では63〜206 ng/mL程度です。成長期のピーク(10〜18歳ごろ)には最大で約540 ng/mL近くまで上昇し、その後は加齢とともに緩やかに低下していきます。つまり、年齢が進むほどIGF-1値が下がるのが原則です。
| 年齢(男性) | IGF-1基準値(-2SD〜+2SD) |
|---|---|
| 20代前半 | 135〜405 ng/mL |
| 40代前半 | 92〜259 ng/mL |
| 60代前半 | 76〜228 ng/mL |
| 70代前半 | 61〜202 ng/mL |
加齢に伴う低下は自然な経過ですが、歯科臨床においても高齢患者の再生治療の限界を考える上で、この数値感覚は重要な参考になります。
参考:IGF-1(ソマトメジンC)の基準値・臨床的意義について(SRL総合検査案内)
https://test-directory.srl.info/akiruno/test/detail/047580200
IGF-1が骨に作用するとき、その主要なターゲットは骨芽細胞です。IGF-1は骨芽細胞の分化・増殖を直接促進し、骨形成(骨基質の合成および石灰化)を加速させることが知られています。同時に、骨細胞のアポトーシス(細胞死)を抑制する働きも報告されており、骨を「維持する」方向にも働きます。骨形成と骨保護が同時に起こるのが特徴です。
歯科分野との直接的な接点は、歯根膜細胞との相互作用にあります。大阪大学歯学部の研究(科学研究費 01480440)では、ヒト歯根膜由来細胞のアルカリフォスファターゼ(ALPase)活性がIGF-1によって促進されることが確認されました。ALPaseは骨芽細胞分化の重要な指標であり、この結果はIGF-1が歯根膜細胞を「石灰化組織を作れる細胞」へと方向付けることを示しています。
さらに、コラーゲンコートした培養環境でIGF-1を作用させると、歯根膜由来細胞が石灰化物を形成することも同研究で確認されています。つまり、IGF-1は歯周組織再生の中核となる歯根膜細胞を活性化し、新しいセメント質・歯槽骨の形成を後押しする可能性があります。
大阪歯科大学生化学講座の資料(池尾隆先生)によると、骨芽細胞の分化を制御するサイトカインとして、BMP(骨形成タンパク)、FGF-2(塩基性線維芽細胞増殖因子)と並んでIGF-1が明示されています。特にIGF-1は「成長ホルモンの刺激により肝臓から分泌されるエンドクリン因子(内分泌因子)」として分類されており、全身的な内分泌制御と局所の骨形成が連動していることを示しています。
また、骨基質中にもIGF-1は豊富に蓄積されています。Nature Medicine誌(2012年)に掲載された研究では、骨基質内のIGF-1が間葉系幹細胞においてmTOR経路を活性化することで、成体期の骨量維持に関与していることが示されました。これは、骨が吸収されるたびに骨基質からIGF-1が放出され、次の骨形成を促すという「自己増幅型」のメカニズムが存在することを示唆しています。意外ですね。
参考:IGF-1が歯根膜細胞の石灰化能を増強する研究(KAKEN 01480440・大阪大学)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-01480440/
参考:骨基質のIGF-1による間葉系幹細胞活性化と骨量維持(Nature Medicine 2012)
https://www.natureasia.com/ja-jp/nm/18/7/nm.2793/
歯科従事者がIGF-1を学ぶ際に、意外と見落とされやすいのが「炎症環境におけるIGF-1の機能低下」です。多くの場合、「IGF-1は再生を促す因子」という理解で止まっています。ただ、重要なのはそこからで、歯周炎の慢性炎症環境ではIGF-1のシグナル伝達が阻害される可能性があります。
慢性の歯周炎では、TNF-α(腫瘍壊死因子)やIL-1βといった炎症性サイトカインが歯周ポケット内に大量に産生されます。これらのサイトカインはIGF-1のシグナル経路(PI3K/Akt経路など)に干渉し、骨芽細胞や歯根膜細胞でのIGF-1受容体応答を低下させることが報告されています。つまり「骨を作ろう」というIGF-1のシグナルが、炎症の現場では届きにくくなるということです。
歯周炎が重症化するほど歯槽骨の破壊が進む理由の一端には、このIGF-1シグナルの阻害が関与しているとも考えられます。感染・炎症をコントロールしない状態で骨補填材や成長因子を応用しても期待通りの再生が得られにくい理由として、現場の歯科医師が直感的に感じているこの現象を科学的に裏付ける情報の一つといえます。
また、骨粗鬆症と歯周病の合併ケースでは注意が必要です。大阪歯科大学の研究資料によると、8020達成者(80歳で20本以上の歯を持つ高齢者)は同年代の非達成者と比較して骨密度が有意に高いことが疫学的に確認されています。骨密度と歯周組織の状態(アタッチメントロス・歯槽骨頂の高さ・歯の欠損数)には密接な関連があり、全身的な骨代謝の状態が口腔内に反映されます。骨代謝が重要ということですね。
IGF-1は全身の骨代謝の中心因子ですから、骨粗鬆症で全身的にIGF-1環境が低下した高齢患者では、歯周病の進行リスクも高まる可能性があります。歯科従事者として患者の全身疾患履歴(特に骨粗鬆症治療歴・成長ホルモン分泌不全の既往など)を把握しておくことが、より精度の高いリスク評価につながります。
参考:骨密度と歯周組織状態の関連性(大阪歯科大学生化学講座・骨代謝2)
https://www.osaka-dent.ac.jp/bc/Bone2.htm
参考:歯周病と骨粗鬆症の関係(日本歯科医学会誌・明日の臨床)
http://asunorinsho.aichi-hkn.jp/wp-content/uploads/2015/08/2003_1501_031.pdf
IGF-1が注目を浴びる実践的な文脈として、PRP(多血小板血漿)やPRGF(Plasma Rich in Growth Factors)を用いた再生治療が挙げられます。これらの治療法は患者自身の血液を遠心分離し、血小板や成長因子を濃縮したものを患部に応用します。この血漿分画にはIGF-1も含まれており、それが組織再生を促す重要な一因と考えられています。
PRGFの臨床応用場面は多岐にわたります。
PRGF療法の特徴は自己血液を使用するため、アレルギーや感染リスクが極めて低い点です。成長因子が患部の治癒を加速させるため、術後の腫脹・疼痛の軽減効果も期待されています。IGF-1を含む成長因子が局所に集中することで、通常の自然治癒では得られない速度での組織修復が実現します。
一方、インプラント治療との組み合わせも注目されます。顎骨に骨量が不足しているケースでは、PRGF由来のIGF-1を含む成長因子環境がインプラントの骨結合(オッセオインテグレーション)を促進する可能性があります。これは使えそうです。
ただし、PRGFは採血が必要であり、専門的な遠心分離装置と技術を要することから、すべての歯科医院で実施できるわけではありません。また、保険適用外となるため治療費が増加する点も患者への説明が必要です。今後の研究次第では、外来的にIGF-1を活用した製剤が歯周治療に組み込まれる可能性もあり、エビデンスの蓄積が期待されています。
なお、九州大学(2023年度 医歯薬学・歯学分野)では「歯小嚢に発現するlncRNAを介したIGFシグナルを応用した新規歯周組織再生療法の樹立」という研究も進行中であり、遺伝子レベルでのIGFシグナル制御を活用した新しい歯周再生療法の開発が進んでいます。
参考:成長因子(PRP/PRGF/CGF)を活用した最新インプラント治療の概説
https://e-implant-tokyo.com/smile-implant/archives/863
参考:歯周病治療に革命を起こすPRGF療法の全貌
https://tokyo-bt.com/column/00012-2/
歯科の教科書では「糖尿病は歯周病の第6のリスクファクター」として定番の知識ですが、その双方向性を成長因子レベルで理解している歯科従事者はまだ少ないのが現状です。IGF-1はこの糖尿病─歯周病の連鎖において、見えにくい「橋渡し役」を果たしています。
糖尿病患者では、慢性高血糖状態が続くことで肝臓でのIGF-1産生が抑制されることが報告されています。加えて、TNF-αなどの炎症性サイトカインが増加することでインスリン受容体へのシグナル伝達が阻害され(インスリン抵抗性)、これがIGF-1のシグナル経路にも悪影響を及ぼします。骨芽細胞への働きが弱まり、歯槽骨の骨形成能が低下することで、歯周破壊がより進行しやすい環境が生まれます。
骨粗鬆症との関連でも重要な事実があります。骨粗鬆症患者では血中IGF-1濃度が低値を示すことが多く、骨芽細胞によるIGF-1産生量も減少します。この「産生の減少→骨形成の低下」という悪循環が、歯槽骨の菲薄化(薄くなること)と直結します。大阪歯科大学の疫学データが示す「8020達成者は骨密度が高い」という事実は、この関係性を反対側から照らしています。つまり歯を保持できた高齢者は、全身の骨代謝=IGF-1環境も良好であった可能性が高いといえます。
IGF-1の血液検査は保険適用の範囲内で実施可能です(成長ホルモン分泌異常が疑われる場合など)。歯科では直接オーダーする機会は少ないですが、患者が既往として「成長ホルモン分泌不全症の治療を受けている」「先端巨大症の既往がある」といった情報があれば、それは口腔内の骨・軟組織の状態に直結するシグナルとして捉えられます。全身状態が骨格全体に反映されるということですね。
栄養状態もIGF-1に影響します。重度の低栄養状態では、成長ホルモンが分泌されてもIGF-1の産生が低下することが知られています(GH-IGF-1の解離現象)。摂食機能の問題を抱える高齢者や、極端な食事制限をしている患者では、この観点からも口腔管理を強化する理由があります。栄養と口腔は切り離せません。
参考:糖尿病とインスリン抵抗性・骨代謝の関連(洪内科クリニック)
https://kohnaika.or.jp/diabetes/
参考:IGF-IとIGF-I基準値の臨床的活用(ファイザー/淡海医療センター・島津章先生監修)
https://www.ghw-pfizer.info/adult/information/igf-i