全部床義歯製作において最も重要な工程の一つが印象採得(型取り)です。この工程の精度が義歯の適合性や快適さを大きく左右します。印象採得は通常、以下の手順で行われます。
まず、概形印象(がいけいいんしょう)を行います。これは既製トレーを使用して口腔内の大まかな形状を採取する工程です。この段階では、患者さんの顎堤の形状や口腔内の特徴を把握することが目的となります。
次に、個人トレーを製作します。概形印象で得られた模型をもとに、患者さん専用のトレーを作成することで、より精密な印象採得が可能になります。個人トレーは患者さんの口腔内に合わせて作られるため、既製トレーよりも適合性が高く、より正確な印象を得ることができます。
最終印象では、個人トレーを使用して精密な印象を採取します。この段階では、シリコン印象材などを使用して、口腔粘膜の微細な形状まで再現します。特に注意すべき点は、粘膜に変形を与えずに型取りを行うことです。口腔内の粘膜は柔らかいため、適切な圧力で印象を採取することが、完成した義歯の使用感を大きく左右します。
高品質な全部床義歯を製作するクリニックでは、4種類ものシリコン印象材を使用し、複数回にわたって精密に型を取ることもあります。このような丁寧な印象採得が、患者さん一人ひとりの口腔内にフィットする快適な義歯につながるのです。
咬合採得(こうごうさいとく)は、患者さんの咬み合わせを正確に記録する重要な工程です。この工程で顎の位置関係や咬合高径(咬み合わせの高さ)を決定します。
咬合採得では、まず印象採得により完成した石膏模型に、咬合床(こうごうしょう)と呼ばれる咬み合わせを記録するための装置を製作します。咬合床は通常、ピンク色のレジン(プラスチック)と柔らかいパラフィン(ロウ)でできており、患者さんに咬んでいただくことで、適切な咬み合わせの位置や高さを記録します。
咬合採得の際には、以下のポイントに注意する必要があります:
咬合採得で記録した情報は、咬合器(こうごうき)と呼ばれる装置に転写されます。咬合器は患者さんの顎の動きを再現する装置で、歯科技工士はこの咬合器上で人工歯の排列や咬合面の形成を行います。
正確な咬合採得は、完成した義歯の機能性や快適性に直結するため、十分な時間をかけて慎重に行う必要があります。場合によっては、複数回にわたって咬合採得を行い、より精密な記録を得ることもあります。
試適(してき)は、完成前の義歯を患者さんに試していただき、形態や機能を確認・調整する重要な工程です。この段階では、歯科技工士によって作られた蝋義歯(ろういぎ)を患者さんの口腔内に装着し、様々な観点から評価します。
試適時のチェックポイントには以下のようなものがあります:
試適の段階では、患者さんからのフィードバックが非常に重要です。患者さんが感じる違和感や不満点を丁寧に聞き取り、必要な修正を行うことで、最終的な義歯の満足度を高めることができます。
例えば、「前歯が長すぎる」「話しづらい」「見た目が気に入らない」といった患者さんの主観的な感想も、義歯の調整において貴重な情報となります。特に審美性に関しては、患者さん自身の好みや希望を尊重することが大切です。
試適の段階では義歯の土台がまだ柔らかいワックス状態であるため、比較的容易に修正が可能です。この時点で十分な調整を行うことで、完成後の大幅な修正を避けることができます。
場合によっては複数回の試適が必要になることもあります。特に難症例や審美的要求の高い患者さんでは、段階的に調整を行いながら、理想的な義歯を目指すことが重要です。
全部床義歯が完成し患者さんに装着した後も、調整とメンテナンスは継続的に必要です。義歯装着直後は違和感や不快感を訴えることが多いため、計画的な調整が重要になります。
義歯装着後の調整スケジュールの例:
装着直後の調整では、特に以下の点に注意が必要です:
長期的なメンテナンスでは、以下のような対応が必要になります:
患者さんには、義歯の取り扱い方法や清掃方法を丁寧に説明することも重要です。就寝時の義歯の取り外しや、適切な洗浄剤の使用方法などを指導することで、義歯の寿命を延ばし、口腔内の健康を維持することができます。
全部床義歯の成功には、筋形成(きんけいせい)と粘膜面の適合性が非常に重要です。筋形成とは、口腔周囲の筋肉の動きに合わせて義歯の辺縁形態を調整する技術で、義歯の維持安定性を高める重要な工程です。
筋形成の目的は主に以下の3点です:
筋形成は通常、個人トレーを用いた最終印象時に行われます。口腔周囲の筋肉(頬筋、口輪筋、舌など)を意図的に動かしてもらいながら、義歯床縁の形態を決定していきます。
筋形成の具体的な手順:
筋形成が適切に行われると、義歯の辺縁は口腔周囲の筋肉の動きに調和し、「動的印象」が得られます。これにより、静止時だけでなく、会話や咀嚼などの動的な状況でも義歯が安定します。
粘膜面の適合性に関しては、顎堤の形態や粘膜の性状に応じた対応が必要です。特に以下のような点に注意が必要です:
近年では、筋形成による下顎総義歯の製作方法として、患者さん自身の筋力を活かした「筋形成法」が注目されています。この方法では、患者さんの口腔周囲筋の自然な動きを最大限に利用することで、より機能的な義歯を製作することが可能になります。
適切な筋形成と粘膜面の適合により、義歯の維持力が向上するだけでなく、患者さんの快適性も大幅に改善します。特に下顎総義歯は維持が難しいとされていますが、丁寧な筋形成により、その問題を大きく改善することができるのです。