濾紙ディスク法は、味覚障害の診断において重要な役割を果たす検査方法です。この検査法は冨田らによって開発され、各味覚神経支配領域別の定量的検査として広く臨床で使用されています。円形の濾紙に味液(蔗糖、食塩、酒石酸、塩酸キニーネ)を浸して測定部位(鼓索・舌咽・大錐体神経領域)に置き、被験者が感じた味を答えてもらう方法です。
この検査方法は、味覚障害の診断だけでなく、治療経過の評価や予後判定にも活用されています。特に受容器型味覚障害の診断や治癒過程の評価には、電気味覚検査よりも濾紙ディスク法による評価が適していることが報告されています。
濾紙ディスク法は、以下の手順で実施されます。
濾紙ディスク法による味覚障害重症度の判定基準として、酒井らは以下の基準を提唱しています:
この判定基準は臨床現場で広く使用されており、治療効果の判定にも活用されています。
濾紙ディスク法には以下のような利点があります:
甘味、塩味、酸味、苦味の各味質について個別に評価できるため、解離性味覚障害や異味症の判定に有用です。電気味覚検査では味質の区別ができないため、この点は濾紙ディスク法の大きな利点といえます。
電気味覚検査のような特殊な装置を必要とせず、比較的簡便に実施できます。味質液と濾紙があれば実施可能なため、設備の整っていない医療機関でも実施できます。
北郷らの研究によると、受容器型味覚障害患者の29%は電気味覚検査では正常値を示し、66%の症例で電気味覚検査値の経過が濾紙ディスクスコアの経過と並行しませんでした。このことから、受容器型味覚障害の診断や治癒過程の評価には濾紙ディスク法が適していると考えられています。
5段階の濃度による定量的な評価が可能なため、治療経過の客観的な評価に役立ちます。総平均値の変化を追うことで、治療効果を数値化して評価できます。
鼓索神経、舌咽神経、大錐体神経の各支配領域別に評価できるため、障害部位の特定に役立ちます。これにより、より詳細な診断が可能となります。
一方で、濾紙ディスク法にはいくつかの欠点や注意点も存在します:
検査ごとにディスクを交換して判定する必要があるため、操作が煩雑です。これは検査者にとっても被検者にとっても負担となります。特に多数の患者を短時間で検査する必要がある場合には効率が悪くなります。
4種類の味質について各5段階の濃度を測定するため、検査に時間がかかります。また、各味質の検査の間に口腔内を洗浄する時間も必要となります。
味質液の調製には専門知識が必要であり、また適切な保存方法を守らないと味質液の劣化により検査結果に影響が出る可能性があります。特に薬事承認されている味覚検査用試薬の供給停止に伴い、自施設での調製が必要となる場合もあります。
被検者の主観的な回答に基づく検査であるため、被検者の理解力や協力度によって結果が左右される可能性があります。特に高齢者や認知機能に問題がある患者では正確な評価が難しい場合があります。
最高濃度でも味を感じない症例が存在するため、そのような場合には評価が困難となります。根本らの研究によると、濾紙ディスク法で閾値測定不能あるいは高度閾値上昇であった症例の中には、全口腔法による味覚検査では測定可能であった症例も存在することが報告されています。
濾紙ディスク法と電気味覚検査はそれぞれ異なる特徴を持ち、互いに補完し合う関係にあります。両者の比較と併用の意義について考えてみましょう。
特徴 | 濾紙ディスク法 | 電気味覚検査 |
---|---|---|
味質の区別 | 可能(4種類の基本味) | 不可能 |
検査時間 | 長い | 短い |
操作の複雑さ | 煩雑 | 比較的簡便 |
特殊装置の必要性 | 不要 | 必要 |
受容器型障害の評価 | 適している | 適していない |
伝導路障害の評価 | やや不向き | 適している |
定量性 | あり(5段階) | あり(電流値) |
実際の臨床では、電気味覚検査と濾紙ディスク法を併用することによってそれぞれの欠点を補い、より正確な診断を行うことが推奨されています。電気味覚検査は神経刺激の要素も含んでおり、刺激に定量性を持ち合わせているため、鼓索神経、舌咽神経などの味覚伝導路の障害の評価、経過観察、予後判定に適しています。一方、濾紙ディスク法は味質ごとの評価が可能であり、受容器型味覚障害の診断や治癒過程の評価に適しています。
両検査を併用することで、より詳細な味覚障害の病態把握が可能となり、適切な治療方針の決定に役立ちます。
濾紙ディスク法による味覚検査結果は、年齢、性別、喫煙習慣などの要因によって影響を受ける可能性があります。これらの要因が評価にどのように影響するかを理解し、適切に配慮することが重要です。
年齢の影響:
加齢による味覚の変化については多くの研究が行われています。一般的に加齢とともに味覚閾値は上昇する傾向にありますが、その程度は味質によって異なります。特に塩味と苦味の低下が顕著であるとの報告が多いです。
濾紙ディスク検査における年齢の影響については、池田の研究によると鼓索神経領域は40歳台から、舌咽神経領域は60歳代から年齢上昇に一致してスコアが上昇し、中央値は平均4前後でplateauになるとされています。一方で、別の研究では12歳〜59歳の平均スコアと60歳〜79歳の平均スコアに有意差が認められなかったという報告もあります。
このように、濾紙ディスク検査における年齢の影響については一致した見解が得られていないのが現状です。しかし、臨床的には60歳以上での閾値上昇を考慮することが推奨されています。
性別の影響:
一般的に女性のほうが男性より味覚閾値は低いとの報告が多いですが、濾紙ディスク検査では男性の平均スコアと女性の平均スコアに有意差がないとの報告もあります。そのため、重症度の判定において性別による差をつける必要はないと考えられています。
喫煙の影響:
喫煙者は非喫煙者より味覚閾値が高いとする報告が多く、濾紙ディスク検査でも喫煙者と非喫煙者の平均スコアに有意差が認められています。しかし、その差は約0.3程度であり、重症度の判定を変更するほどの差異ではないと考えられています。
これらの要因を考慮した上で、臨床的な判断を行うことが重要です。特に高齢者の場合は、加齢による味覚閾値の上昇を考慮に入れた評価が必要となる場合があります。
濾紙ディスク法の欠点を補うために、いくつかの代替法や補完的な検査方法が研究・開発されています。その中でも注目されているのが「全口腔法」です。
全口腔法は、注射器を使用し口腔内に味質溶液1mlを含ませた後に嚥下させ、味があれば反応してもらう方法です。この方法は、濾紙ディスク法で閾値測定不能あるいは高度閾値上昇であった症例でも測定可能な場合があることが報告されています。
根本らの研究によると、2016年8月〜2017年3月まで、味覚低下を主訴として日本大学医学部耳鼻咽喉科味覚外来を受診した患者のうち、濾紙ディスク法で閾値測定不能あるいは高度閾値上昇であった症例の中には、全口腔法による味覚検査では測定可能であった症例が存在したとのことです。このことから、全口腔法は味覚障害の評価に有用であると考えられています。
また、薬事承認されている味覚検査用試薬(テーストディスク)の供給停止に伴い、代替法として日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が示す調製法に基づき調製した味質液を用いた検査方法も認められています。厚生労働省は2022年12月8日付で「濾紙ディスク法による味覚定量検査における試薬調製について」という事務連絡を発出し、代替法の使用を認めています。
これらの代替法や補完的な検査方法は、濾紙ディスク法の欠点を補い、より正確な味覚障害の評価を可能にするものとして期待されています。特に重度の味覚障害患者や高齢者など、従来の方法では評価が難しい患者に対して有用である可能性があります。
以上のように、濾紙ディスク法は味覚障害の診断において重要な役割を果たしていますが、その利点と欠点を理解し、必要に応じて電気味覚検査や全口腔法などの他の検査方法と併用することで、より正確な診断と適切な治療につなげることが重要です。また、年齢や性別、喫煙習慣などの要因が検査結果に与える影響についても理解し、適切に配慮することが求められます。
臨床現場では、患者の状態や検査の目的に応じて最適な検査方法を選択し、総合的な判断を行うことが大切です。濾紙ディスク法の特性を理解し、その長所を活かしつつ短所を補完する形で活用することで、味覚障害に悩む患者さんの診断・治療に貢献することができるでしょう。