苦味は必ず最後に検査しないと正確な結果が得られません。
ろ紙ディスク法は、味覚障害の診断において中心的な役割を果たす検査方法です。この検査法は冨田らによって開発され、直径6mmの円形濾紙に味質液を浸透させ、舌の特定部位に置いて味覚の認知閾値を測定するものです。
検査に用いられる基本味質は4種類に分類されます。甘味にはブドウ糖液(蔗糖)、塩味には食塩水(塩化ナトリウム)、酸味には酒石酸、苦味には塩酸キニーネが使用されます。これらの味質液はそれぞれ5段階の濃度(No.1からNo.5)に調製され、薄い濃度から順に検査を実施していきます。
つまり4×5=20種類の組み合わせで評価するということですね。
検査の測定部位は味覚を支配する神経領域に基づいて設定されています。舌の前方3分の2を支配する鼓索神経領域(左右)、舌の後方3分の1を支配する舌咽神経領域(左右)、そして軟口蓋を支配する大錐体神経領域の計6箇所で測定を行います。この神経領域別の測定により、どの神経にどの程度の障害があるかを特定できる点が大きな特徴です。
歯科治療後の味覚異常、特に舌神経障害が疑われる症例では、この検査が診断の決め手となります。抜歯や口腔外科手術後に患者から「味がわからない」という訴えがあった場合、ろ紙ディスク法による詳細な評価が必要です。舌神経は鼓索神経を含むため、鼓索神経領域での閾値上昇が確認されれば、神経損傷の可能性を客観的に示すことができます。
日本口腔咽頭科学会の味覚障害診断ガイドラインでは、検査法の詳細な使い分けが解説されています
ろ紙ディスク法における濃度段階の設定は、味覚障害の重症度を客観的に評価するための基準となります。各味質について、No.1(最も薄い)からNo.5(最も濃い)までの5段階濃度が用意されており、被験者が正しく認知できる最低濃度を記録します。
正常範囲の基準値はNo.1からNo.3とされています。No.4以上で初めて味を認知できる場合は異常と判定されます。例えば、健康な20代の成人であれば、甘味も塩味も酸味も苦味も、ほとんどの場合No.1またはNo.2の薄い濃度で正確に答えられるはずです。はがきの横幅ほどの大きさの舌の上に、わずか直径6mmの濾紙を置くだけで、これほど精密な評価ができるのです。
No.4以上が異常ということですね。
重症度の判定には、酒井らが提唱した総平均値による分類が広く用いられています。測定した全ての値の平均を算出し、総平均値が3.5未満であれば正常、3.5以上4.5未満であれば軽症、4.5以上5.5未満であれば中等症、5.5以上であれば重症と分類されます。この判定基準により、治療の必要性や緊急性を判断することが可能になります。
治療効果の判定においても、この数値が重要な指標となります。治療前と治療後の総平均値を比較し、総平均値が3.5未満になれば「治癒」、鼓索神経または舌咽神経領域のいずれかで1以上の平均値改善があれば「改善」と判定されます。亜鉛欠乏性味覚障害の患者では、亜鉛製剤の投与開始から3〜6ヶ月の経過観察が必要ですが、この間定期的にろ紙ディスク法で評価することで、治療効果を数値で追跡できるのです。
臨床検査技師による実施も可能です。2019年の法改正により、臨床検査技師は医師または歯科医師の具体的な指示のもとで、診療の補助として「電気味覚検査及びろ紙ディスク法による味覚定量検査」を実施できるようになりました。歯科医院でこの検査を導入する場合、臨床検査技師と連携する体制を整えれば、歯科医師の診療負担を軽減しながら、質の高い味覚評価が実現できます。
ろ紙ディスク法を正確に実施するためには、標準化された手順を守ることが不可欠です。検査開始前に、被験者に味質指示表を持たせるか、目の前に置きます。この指示表には、甘味・塩味・酸味・苦味・無味の5つの選択肢が記載されており、被験者は舌に置かれた濾紙の味を指差しで答えます。
検査の実施手順は厳密に定められています。まず耳用ピンセットで濾紙ディスクを1枚つまみ、S-1(甘味の最も薄い濃度)の味質溶液をディスクに滴下し、湿らせる程度にします。この時、ピンセットを溶液の中に浸してはいけません。湿らせたディスクを所定の測定部位へ静かに置き、被験者には口を開けたまま2〜3秒で味質指示表のうち1つの答えを指示させます。
同一味質での測定の間は含嗽の必要はありません。
ピンセットが舌面に触れないよう細心の注意を払う必要があります。舌に直接触れると三叉神経刺激による触覚や圧覚が生じ、純粋な味覚評価が困難になるからです。また、濾紙ディスクは被験者に吐き出させるのではなく、必ず検者が除去します。
これは誤嚥のリスクを防ぐためです。
味質の測定順序には重要なルールがあります。甘味、塩味、酸味のどの味質から開始してもよいですが、苦味は必ず最後にすることが定められています。苦味、特に塩酸キニーネは後味が非常に強く残り、軟口蓋などの測定部位に長時間影響を及ぼすためです。この順序を守らないと、前の検査の残存刺激が次の検査結果に干渉し、正確な閾値測定ができなくなります。
同一被験者に2回以上検査を実施する場合は、被験者の推量による誤った結果を防ぐため、甘味・塩味・酸味の順序を検査毎に変更することが推奨されています。1回目は甘味→塩味→酸味→苦味の順、2回目は塩味→酸味→甘味→苦味の順といった具合です。ただし苦味は常に最後という原則は変わりません。
医薬品医療機器総合機構の添付文書には、検査実施上の詳細な注意事項が記載されています
味覚検査には大きく分けてろ紙ディスク法と電気味覚検査の2種類があり、それぞれ適した診断場面が異なります。両者の違いを理解し、症例に応じて適切に使い分けることが、正確な診断につながります。
電気味覚検査は、微弱な電流を舌に流して金属味を感じる閾値を測定する方法です。21段階の電流強度で評価でき、鼓索神経領域では8dB以下が正常、舌咽神経領域では14dB以下が正常とされます。この検査の最大の利点は、短時間で定量的な測定が可能な点です。検査時間は両側の鼓索神経・舌咽神経領域を測定しても10〜15分程度で完了し、スクリーニング検査として優れています。
結論は時間効率の違いです。
一方、ろ紙ディスク法は1箇所の測定に数分を要し、6箇所全ての神経領域を測定すると30〜40分かかることもあります。患者の負担という観点では、電気味覚検査のほうが軽いと言えます。ただし、電気味覚検査は人工内耳やペースメーカーを装着している患者には実施できないという制約があります。
診断目的による使い分けが重要です。電気味覚検査は味覚伝導路障害の評価に適しています。顔面神経麻痺、脳血管障害、頭部外傷など、神経経路そのものに障害がある場合の診断や予後判定に有効です。例えば、顔面神経麻痺患者で鼓索神経領域の電気味覚閾値が著しく上昇していれば、神経障害の程度を客観的に示すことができます。
対照的に、ろ紙ディスク法は受容器型味覚障害の診断と経過観察に適しています。受容器型とは、味蕾や味細胞といった味覚受容器そのものに問題がある障害で、亜鉛欠乏や薬剤性味覚障害の多くがこれに該当します。研究によれば、中等症以上の受容器型味覚障害患者の29%が電気味覚検査では正常値を示し、66%の症例で電気味覚検査値の経過が濾紙ディスクスコアの経過と並行しませんでした。
どういうことでしょうか?
これは電気味覚検査が神経刺激の要素を含み、受容器レベルの微細な障害を検出しにくいためです。したがって、亜鉛欠乏性味覚障害の患者に亜鉛製剤を投与した場合の治療効果判定には、ろ紙ディスク法を用いるべきです。電気味覚検査では改善を検出できないケースでも、ろ紙ディスク法では明確な改善傾向を捉えられるのです。
もう一つの重要な違いは、味質別の評価ができるかどうかです。電気味覚検査は金属味という独特の味しか測定できず、甘味・塩味・酸味・苦味のどの味質に障害があるのかを特定できません。一方、ろ紙ディスク法では4つの基本味質それぞれについて評価できるため、解離性味覚障害(特定の味だけがわからない障害)の診断が可能です。例えば、「甘いものの味だけがわからない」という訴えの患者で、実際に甘味のみ閾値が上昇していることを客観的に証明できます。
保険点数は両検査とも同じD254「電気味覚検査」300点で算定されます。濾紙ディスク法は「濾紙ディスク法による味覚定量検査は、電気味覚検査により算定する」と通知されているため、実施した検査法にかかわらず同じ点数です。検査の対象とする支配神経領域に関係なく、所定点数を一連につき1回算定します。
2022年、ろ紙ディスク法の実施に大きな転換点が訪れました。従来使用されてきた薬事承認済みの味覚検査用試薬「テーストディスク」(三和化学製)が製造販売を中止し、市場での供給が停止したのです。この事態を受けて、厚生労働省と日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会は緊急対応を実施しました。
供給停止への対応として、院内製剤による代替法が臨時特例的に認められることになりました。2022年12月8日付けの厚生労働省医政局医薬安全対策課長通知により、「濾紙ディスク法による味覚定量検査における味質液の標準的な調製方法」が公表されました。これにより、医療機関が独自に味質液を調製し、検査を継続できる道が開かれたのです。
院内製剤の調製方法は詳細に規定されています。
甘味液には蔗糖、塩味液には塩化ナトリウム、酸味液には酒石酸、苦味液には塩酸キニーネ二水和物を用い、それぞれ5段階の濃度液を精製水で調製します。例えば、甘味のS-5液は蔗糖20gを100mlの精製水に溶解し、S-4液はS-5液を5倍希釈、S-3液はS-4液を2倍希釈といった具合に段階的に調製します。調製した溶液は遮光して冷蔵保存し、1容器5mlずつ分注します。1容器の実施回数の目安は10回分(6領域測定×1回+予備)です。
保険診療上の取り扱いも明確化されました。疑義解釈資料(令和4年12月9日)では、「薬事承認を得た味覚検査用試薬が安定的に供給されるまでの時限的・特例的な取扱い」として、院内製剤を用いた検査でもD254「電気味覚検査」300点の算定が認められています。ただし、これはあくまで暫定措置であり、市販試薬が供給再開となれば院内製剤の使用は取り止めることとされています。
この状況は歯科医療機関にとって重要な意味を持ちます。味覚障害を訴える患者の診療を行う際、市販試薬が入手できないからといって検査を諦める必要はありません。院内で味質液を調製する体制を整えれば、保険診療として適切に検査を実施し、診断と治療に必要な客観的データを得ることができます。
ただし実務上の課題もあります。
院内製剤の調製には薬剤師の協力が不可欠であり、調製の手間と品質管理の負担が生じます。特に小規模な歯科医院では、頻繁に味覚検査を実施するのでなければ、院内製剤の維持管理コストが検査収入を上回る可能性もあります。このような場合、味覚検査を実施できる耳鼻咽喉科や口腔外科への紹介連携を検討することも現実的な選択肢です。
労災保険制度における味覚脱失等の障害認定に際しても、この代替法による検査結果が認められています。交通事故や労働災害で味覚障害が生じた患者の後遺障害等級認定では、ろ紙ディスク法の最高濃度液(No.5)でも味を認識できないことを証明する必要がありますが、院内製剤で実施した検査結果も有効とされています。
厚生労働省の通知文書には、味質液の標準的な調製方法の詳細が記載されています
ろ紙ディスク法の検査結果から、味覚障害の原因を推定し、適切な治療方針を立てることができます。味覚障害の原因は多岐にわたりますが、その中で最も頻度が高いのが亜鉛欠乏性味覚障害です。実際、味覚障害患者の50〜70%に亜鉛欠乏が関与していると報告されています。
亜鉛は味蕾の味細胞の再生に不可欠なミネラルです。味細胞の寿命は約10日間と短く、常に新しい細胞に入れ替わっていますが、この細胞分裂に亜鉛を含む酵素が必要とされます。亜鉛が不足すると味細胞の代謝回転が遅くなり、味を感じる力が低下するのです。血清亜鉛値が70μg/dl未満の場合、亜鉛欠乏症と診断されます。
ろ紙ディスク法の特徴的なパターンから原因を推定できます。
亜鉛欠乏性味覚障害では、通常4つの基本味質すべてで閾値が上昇し、左右対称的なパターンを示すことが多いです。総平均値が4.5以上の中等症から重症のレベルになりやすく、特に苦味の閾値上昇が顕著に現れる傾向があります。一方、鼓索神経領域のみに閾値上昇が限局している場合は、神経損傷による味覚障害が疑われます。
薬剤性味覚障害も重要な原因の一つです。降圧薬、抗うつ薬、抗リウマチ薬、抗パーキンソン病薬など、多くの薬剤が味覚障害を引き起こす可能性があります。これらの薬剤の中には、亜鉛とキレート結合して亜鉛の吸収を阻害するものや、唾液分泌を減少させて味物質の伝達を妨げるものがあります。薬剤性が疑われる場合、原因薬剤の中止または変更と同時に、亜鉛製剤の補充療法を行います。
血液検査との組み合わせが診断精度を高めます。ろ紙ディスク法で中等症以上の味覚障害が確認された場合、血清亜鉛値、血清鉄値、血清銅値を測定します。亜鉛が低値であれば亜鉛欠乏性と診断できますが、血清亜鉛値が正常範囲内でも潜在性亜鉛欠乏の可能性があります。血清亜鉛値は全身に分布する亜鉛総量のわずか0.1%以下を反映するに過ぎないため、組織レベルでの亜鉛不足を見逃す可能性があるのです。
近年注目されているのが血清アンギオテンシン変換酵素(ACE)活性比です。
この指標は亜鉛栄養状態のより敏感な評価方法として報告されており、血清亜鉛値が正常でもACE活性比が低下していれば潜在性亜鉛欠乏と判断できます。ただし、ACE活性比の測定は保険適用外であり、実施できる医療機関が限られているのが現状です。
治療方針の決定にもろ紙ディスク法の結果が重要です。軽症(総平均値3.5以上4.5未満)の場合は、食事指導による亜鉛摂取量の増加を試みます。牡蠣、牛肉、レバー、チーズ、ナッツ類など亜鉛を多く含む食品の摂取を勧めます。中等症以上(総平均値4.5以上)では、亜鉛製剤の内服治療が必要です。ポラプレジンク(プロマック)やグルコン酸亜鉛が処方され、通常3〜6ヶ月の治療期間を要します。
治療効果の判定には定期的なろ紙ディスク法の実施が欠かせません。治療開始後1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月の時点で検査を行い、総平均値の改善度を追跡します。総平均値が1以上改善していれば治療効果ありと判定し、治療を継続します。6ヶ月経過しても改善が見られない場合は、他の原因(口腔乾燥症、心因性など)を再検討する必要があります。
歯科医師として重要な場面があります。
それは歯科治療後の味覚異常です。
下顎埋伏智歯の抜歯、下顎骨骨折の手術、インプラント手術などで舌神経を損傷すると、鼓索神経領域の味覚障害が生じる可能性があります。このような症例では、ろ紙ディスク法で鼓索神経領域の片側性の閾値上昇を客観的に記録することが、医療訴訟への対応としても極めて重要です。術前と術後の両方でろ紙ディスク法を実施し、神経損傷の有無と程度を証明できる体制を整えておくことが望ましいでしょう。

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