練習キットだけで本番と同じ感覚は身につかない、と思っていませんか。
口腔がんの切除後に生じる大きな組織欠損には、遊離皮弁移植による再建が選択されます。浜松医科大学や鹿児島大学病院など多くの大学病院が、マイクロサージェリーによる微小血管吻合を用いた遊離皮弁移植を口腔再建の標準術式として採用しています。これは形成外科との合同手術として行われるケースが多く、歯科口腔外科医自身がマイクロサージェリーの基礎を身につけていることが、手術の円滑な進行に直結します。
つまり、血管吻合は口腔外科医の「必須技術」です。
ここで問題になるのが、技術習得のハードルです。血管吻合は直径1〜2mm、場合によっては0.5mm以下の微小血管を対象とするため、通常の縫合とはまったく異なる手の感覚と視覚的集中力が要求されます。岡山大学形成外科のトレーニングプログラムでは「経験ゼロの状態から1.5〜2ヶ月程度で直径1mm以下の血管を吻合できるようになる」とされており、継続的な練習により着実に技術が積み重なることが示されています。
しかし、臨床現場で同じ技術を毎回磨ける機会があるとは限りません。手術件数の少ない施設では年間を通じた血管吻合の経験数が限られます。そこで活用されているのが、いつでも・どこでも・繰り返し練習できる血管吻合練習キットです。
動物実験が難しくなった今、練習キットは欠かせません。
かつてラットを使った動物実験が微小血管吻合練習の主流でしたが、倫理委員会の審査や施設の制限から、実験動物を使えない環境が増えています。PVA(ポリビニルアルコール)やシリコンなどの人工素材で作られた疑似血管モデルは、倫理的な制約なく何度でも繰り返せるというメリットがあります。手羽元などの鶏肉を使った代替練習法もありますが、衛生管理が必要で毎回用意するコストもかかります。練習キットはこれらの問題をクリアした、現代的な選択肢です。
参考:浜松医科大学歯科口腔外科が形成外科と合同で遊離皮弁再建を行っている内容が記載されています。
浜松医科大学 歯科口腔外科 診断・検査・治療について
練習キットは大きく分けて「カード型」「シャーレキット型」「シミュレータ型」の3種類があります。それぞれに特徴があり、練習の目的やレベルに合わせて選ぶことが重要です。
まずカード型の代表が、村中医療器が取り扱う**MPカード(血管吻合練習カード)**です。カードにシリコン製チューブが4方向に配置されており、端々吻合・端側吻合など様々な方向の運針練習が1枚で行えます。チューブ径は0.3mm・0.5mm・1.0mm・2.0mmの4サイズがあり、入門期には2.0mmから始め、慣れてきたら1.0mm、0.5mmと段階的に細くしていくことができます。持ち運びが容易で、机の上に置いてすぐに練習を始められるコンパクトさが特徴です。これは使えそうです。
次にシャーレキット型の代表が、ウェトラブ株式会社の**血管吻合練習キット**です。PVA(ポリビニルアルコール)製の筋肉シャーレの上に疑似血管をセットし、吻合後に疑似血液を注入して漏れがないかを確認できます。生体組織に近い弾力性を持つPVA素材は「従来は動物の生体でしか体験できなかった縫合・切断の感覚を実感できる」と同社が説明しており、よりリアルに近い練習が可能です。血管径は0.3〜0.4mmという極細サイズから30mmまで幅広いラインナップがあります。
シミュレータ型では、イービーエム株式会社の**YOUCAN**や末梢血管吻合シミュレータ**TAMATEBAKO**が代表格です。YOUCANはシリコンゴムベースの独自素材を使用しており、PVA製品と比べて乾燥や経時変化が少なく保管安定性が高いのが特長です。1個で5〜6吻合ができ、1箱10個入りで50吻合のトレーニングが可能。「1ヶ月1箱」を目安にしたペースで使うと、効率的にスキルを伸ばせます。
選び方の基本は3点が条件です。
- **練習目的**:運針の基礎練習が目的ならMPカードやコンパクトなキットで十分。疑似血液を使った漏れ確認まで行いたい場合はシャーレキット型が適しています。
- **練習する血管径**:口腔再建で多く使われる頸部動静脈・前腕皮弁の茎血管は1〜3mm程度です。まず1.0〜2.0mmの練習から始め、徐々に細径へ挑戦するのが定石です。
- **予算と保管環境**:PVA製は保湿管理が必要で長期保管に注意が必要ですが、シリコン製は比較的安定しており保管しやすいです。
参考:ウェトラブ株式会社の血管吻合練習キットの詳細、各血管モデルのラインナップが確認できます。
WetLab ウェトラブ株式会社 – 血管モデル製品一覧
練習は「太い血管 → 細い血管」の順が原則です。
いきなり細径の0.5mmや1.0mmに挑戦しても、持針器の使い方・針の運び方・結紮のテンションといった基礎動作が固まっていなければ、ただ時間を浪費するだけになります。まず2.0mmの血管モデルで「持針器の正しい持ち方」「針先の刺入角度」「一定テンションでの結紮」という3つの基礎動作を体に覚えさせることが先決です。
縫合糸のサイズも段階に合わせます。2.0mm血管なら7-0〜8-0ナイロン糸、1.0mmなら9-0、0.5mm以下では10-0が標準的です。アステック社の練習用縫合糸(ASTEC練習用縫合糸、8-0・PP製)など、臨床品と同サイズでトレーニング用に設計された縫合糸を使うことで、本番に近いフィールバックを得られます。臨床使用可の縫合糸と比べてコストが抑えられる点も実用的です。
次の段階では、吻合の方向(角度)を変える練習が有効です。MPカードは4方向にチューブが配置されているため、向きを変えながら縫合することで実際の手術環境に近い運針感覚を得られます。実際の手術では常に最適な角度で吻合できるわけではないため、縦・横・斜めなどさまざまな配置での練習が必須です。
| 練習レベル | 推奨キット | 縫合糸サイズ | 目安血管径 |
|---|---|---|---|
| 入門期 | MPカード 2.0mm / シャーレキット型 | 7-0〜8-0 | 2.0mm |
| 中級期 | MPカード 1.0mm / YOUCAN | 9-0 | 1.0mm |
| 上級期 | MPカード 0.5mm / コソ練シリーズ | 10-0 | 0.5mm以下 |
顕微鏡の設定も忘れずに確認します。卓上型の実体顕微鏡(ルーペ顕微鏡)または手術顕微鏡を使い、倍率は最初10〜16倍程度で開始し、細径練習になったら20〜25倍にするのが一般的な目安です。イービーエム社の卓上顕微鏡「HERO」など脳外科・マイクロサージェリー用に設計された製品を使うと、臨床環境に近い視野で練習できます。
参考:アステック社のコソ練シリーズは0.3mm〜28mmまで幅広いラインナップで、厚さ・強度も選べます。
株式会社アステック – 製品情報(コソ練シリーズ・練習用縫合糸)
「練習をしているのに成功率が上がらない」という状況に陥る歯科医従事者は少なくありません。厳しいところですね。その多くは、練習方法そのものに問題があります。
**落とし穴1:疑似血液での確認を省略している**
血管吻合の練習でしばしばスキップされるのが、吻合後の疑似血液によるリーク確認です。縫合自体はうまくできたつもりでも、実際に液体を通すと針穴からの漏れが判明することがあります。ウェトラブの練習キットはこの工程を再現できる設計になっています。臨床で求められる「吻合の完成度」を評価するプロセスを練習段階から習慣づけておくことが、本番での成功率向上に直結します。
**落とし穴2:練習時間が短すぎる・間隔が空きすぎる**
日本心臓血管外科学会U-40が実施しているオンラインBLCでは、YOUCANを使って「1ヶ月1箱(50吻合)」のペースでのトレーニングを推奨しています。1週間に1〜2本の血管モデルを消費するペースに相当します。週に10〜15分しか練習しない状態では、運針の感覚が定着する前に翌週に持ち越してしまい、毎回ゼロからの再学習になります。これが基本です。
**落とし穴3:剥離・外膜処理の練習を省いている**
吻合そのものだけを集中的に練習しても、実際の手術では吻合前の剥離・外膜処理が不十分だと吻合精度が落ちます。ウェトラブの2層タイプ疑似血管は外膜剥離の練習にも対応しており、鑷子でつまんで剥離する操作まで一連で練習できます。また、プラーク付疑似血管を使えばCEA(頸動脈内膜切除術)に近い内膜剥離の感覚も体験可能です。
吻合だけでは不十分、という認識が必要です。
**落とし穴4:自分の練習を客観的に評価していない**
MPカードには「メモ欄に記録ができる」設計が採用されており、練習回数・所要時間・失敗内容を記録することが推奨されています。イービーエム社も「訓練効果の確認を目的とした手術スキルの定量評価」がシミュレータ活用の意義のひとつだと説明しています。練習の質を上げるには、何回やったかだけでなく「どの動作で躓いているか」を毎回記録し、改善策を次の練習に反映させる仕組みが必要です。
参考:EBMによる血管吻合標準練習手順書(日本語・英語)が公開されており、初学者のトレーニング設計の参考になります。
イービーエム株式会社 – YOUCAN 血管吻合訓練標準モデル
歯科口腔外科の現場では、形成外科医がいない環境での血管吻合が求められる局面がゼロではありません。意外ですね。地方の中核病院などでは口腔外科医が遊離皮弁移植の血管吻合を単独あるいは主導的に行うケースがあり、そのためには高いマイクロサージェリー技術が必要です。一方、都市部の大学病院では形成外科との合同チームでの手術が多く、吻合自体は形成外科医が担当する場合もあります。
ただし、これは「吻合を練習しなくていい」という意味ではありません。
手術中に形成外科医をアシストするためにも、吻合の概念と手技の基礎を知っていることは非常に重要です。剥離・血管確保・仮クランプの手順など、吻合前後の処置は口腔外科医が担当する場面があるためです。練習キットは「吻合の手技そのもの」だけでなく、そうした前後工程の反復にも活用できます。
また、歯科口腔外科医特有の強みとして「精密な細部操作の慣れ」があります。根管治療や歯周外科で培ってきた拡大視野下での細かい手作業の経験は、マイクロサージェリーの基礎習得において有利に働くことが多いです。手羽元のような安価な代替素材を使った練習と、市販の練習キットを組み合わせることで、コストを抑えながら効率的に技術レベルを引き上げることができます。
さらに、近年は大学病院主催のマイクロサージェリーワークショップが増えており、熊本大学低侵襲医療トレーニングセンターでは「歯科口腔外科」も対象分野に含んだ顕微鏡講習会が実施されています。こうした公式トレーニングを定期的に受講しつつ、日常の自己練習をキットで補完する二本立ての戦略が、最も着実なスキルアップにつながります。
参考:熊本大学低侵襲医療トレーニングセンターでは歯科口腔外科を対象としたマイクロサージェリー顕微鏡講習会が実施されています。
熊本大学病院 低侵襲医療トレーニングセンター – 実施予定表
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