X線で「変形あり」と診断したその患者、実は治療の必要がないかもしれません。
変形性顎関節症は、日本顎関節学会の病態分類(2013年)においてⅣ型に分類されます。退行性病変を主徴候とし、主な病変部位は関節軟骨・関節円板・滑膜・下顎頭・下顎窩です。病理変化としては軟骨破壊、肉芽形成、骨吸収、骨添加が挙げられ、臨床症状としてはクレピタス(捻髪音)を含む関節雑音、顎運動障害、運動時痛や圧痛のうち1つ以上を認めます。
この疾患の診断には「症状がある」と「画像上の変形がある」の両方が揃って初めて成立するというのが現在の標準的な認識です。重要な点として、高齢者の顎関節を調べると膝関節と同様にさまざまな骨の形態変化がみられますが、症状を伴わない形態変化は変形性顎関節症の診断条件を満たしません。
東京医科歯科大学歯学部顎関節治療部が2008年に行った調査では、顎関節疾患の初診患者2556名のうち、顎関節症と診断された1590名の中で変形性顎関節症と診断されたのはわずか16名(全体の約1%)でした。それにもかかわらず、最新の診断基準が共有されていない一部の施設では、依然として「変形性」と付けられる診断が散見されるという問題があります。
| 分類 | 主な症状 | 主な病変部位 |
|---|---|---|
| Ⅰ型 咀嚼筋痛障害 | 筋痛・運動時痛・顎運動障害 | 咀嚼筋(局所筋痛・筋・筋膜痛) |
| Ⅱ型 顎関節痛障害 | 顎関節痛・顎運動障害 | 滑膜・円板後部組織・関節靭帯 |
| Ⅲ型 顎関節円板障害 | クリック音・開口障害 | 関節円板・滑膜 |
| Ⅳ型 変形性顎関節症 | クレピタス・顎運動障害・関節痛 | 関節軟骨・下顎頭・下顎窩 |
Ⅳ型の罹患率は加齢とともに増加する傾向があります。つまり「高齢患者のX線撮影で骨形態変化を見つけたから変形性顎関節症」という判断は、適切ではありません。これが基本です。
過剰診断が起きやすい背景としては2点あります。1点目は、パノラマX線撮影において下顎頭が左右に広がった形で描き出されるため、形態差を「変形」と誤認しやすいこと。2点目は、近年普及している歯科用CTで骨を詳細に描写できるようになった結果、正常範囲内の骨形態変化も「変形」ととらえやすくなったことです。
画像所見だけで判断せず、臨床症状との照合が条件です。
参考情報:東京医科歯科大学の顎関節症専門医によるわかりやすい解説
変形性顎関節症と診断されたらどうすべきか(kinoins.com)
変形性顎関節症の治療において、特に歯科従事者が誤りやすいのが「咬合を整えれば顎関節も改善する」という発想です。これは直感的には理にかなって聞こえますが、現在の科学的エビデンスに基づけば、そのような考え方は支持されません。
日本顎関節学会が発行した「顎関節症治療の指針2025」には、「咬合調整は不可逆的治療であり、症状を悪化させる可能性があるので、基本治療では行わない」と明記されています。さらに、「顎関節症初期治療診療ガイドライン2023改訂版」でも、「症状改善を目的とした咬合調整は行わない」という表現ではっきり記載されています。
なぜ咬合調整が避けられるのか。顎関節症は、複数の因子が累積して個体の耐性を超えた場合に発症する多因子疾患です。咬合はその「寄与因子のひとつ」にすぎず、単独の病因ではありません。不正咬合を是正しても症状が改善しないケースは多数存在し、過去の文献でも咬合が顎関節症の単独病因であるとする科学的根拠は乏しいと結論付けられています。
咬合調整は元に戻せません。
一方で「スプリント(マウスピース)療法」は可逆的治療として推奨されています。スプリントは咬合力の大きさや方向を一時的に調整できるもので、日中よりも夜間の睡眠時使用を前提としたスタビリゼーション口腔内装置(上顎型)が標準的です。ただし、適切に作製・調整されない場合は害が生じる可能性があるため注意が必要です。また、睡眠中の呼吸状態を悪化させる可能性があることも考慮しなければなりません。
国際歯科医学会も2010年に「不可逆的治療を初期治療として行うことを正当化する根拠はない」という声明を発表しており、世界的な方向性は一致しています。3ヶ月程度の保存的治療を続けても症状が改善しない場合は、早急に専門施設または専門医に紹介することが望ましいです。
参考情報:顎関節症の診断と治療に関する最新の基本コンセプト(2025年)
顎関節症の診断と治療に関する基本コンセプト(J-Stage・顎咬合誌 2025年)
変形性顎関節症(Ⅳ型)の基本治療は、まず疾患教育とセルフケア指導から始まります。患者さんが自分の状態を正確に理解し、悪習癖を修正していくことが、治療のどのフェーズよりも重要な基盤となります。「治療者が何かをしてあげる」よりも「患者が正しく行動できるように支援する」という姿勢が原則です。
運動療法は、主に「患者自身が行うセルフケアとしての開口訓練」と「術者が行う徒手療法」の2種類に分けて考えます。セルフケアとしての自己開口訓練は保険点数が算定できませんが(2023年時点)、それでも患者指導の柱として重要な位置づけにあります。具体的な開口訓練の手順は以下のとおりです。
これが最初のステップです。
スプリント療法では、日本顎関節学会が推奨するスタビリゼーション口腔内装置(上顎型)を使用します。均等な咬合接触を付与することが重要で、就寝時に使用することを基本とします。装着初期に一時的な顎の筋肉のこわばりや痛みが生じることがありますが、これは多くの場合一時的なものです。スプリント療法の目安となる治療期間は、症状の程度によって3ヶ月から1年程度です。
「よく動く関節は痛くない」という経験的事実があります。
これは理学療法士の間で長く伝えられてきた言葉で、関節を積極的に動かすことで血流が維持され、関節への栄養供給が確保されることを示しています。変形性顎関節症においても同様で、たとえ骨変形が確認されていても、顎運動を適切に維持することで症状が軽減・消失していくことがあります。骨変形=手術、という安易な判断は避けるべきです。
| 治療法 | 保険適用 | 主な目的 |
|---|---|---|
| 自己開口訓練(セルフケア) | 算定不可(指導料のみ) | 開口域の改善・関節可動域の維持 |
| スタビリゼーション口腔内装置 | 保険適用(床副子・困難なもの) | 咬合力の調整・筋緊張の緩和 |
| 薬物療法(NSAIDs等) | 保険適用 | 炎症抑制・疼痛コントロール |
| 理学療法(マッサージ・温熱等) | 一部保険適用 | 筋緊張緩和・血流改善 |
保険請求における床副子(困難なもの)の請求件数は全国で年間約84万件に及び、そのうち顎関節症関連が約7割とされています。これは、日常臨床においていかに多くのスプリント療法が行われているかを示す数字です。臨床の場で患者さんに提供できる現実的な治療の中心がここにあることを改めて確認しておきましょう。
参考情報:日本顎関節学会による最新の顎関節症治療の指針
顎関節症治療の指針 2020(日本顎関節学会・PDF)
変形性顎関節症の治療を進めるうえで、スプリントや運動療法と同じかそれ以上に重要なのが「疾患教育」です。患者さんへの病態説明を疎かにしたまま治療を始めると、悪習癖が温存されて症状が再燃・悪化するリスクが高くなります。これが条件です。
顎関節症の病因は、単一の原因ではなく「多因子が累積して個体の耐性を超えた場合に発症する」という多因子病因説が現在の主流です。具体的には以下のような因子が重なり合って発症します。
つまり、咬合を調整するだけでは不十分です。
疾患教育の内容として患者さんに伝えるべき主なポイントは、TCH(上下の歯が無意識に接触している習癖)の認識と是正、頬杖・うつ伏せ寝などの姿勢的な悪習癖の回避、硬い食べ物を避けた食事指導、そしてストレス管理です。TCHに関しては、「歯を離す」と書いた付箋を机に貼ることで意識化するような行動療法的アプローチも有効で、実際に指導に取り入れている施設も増えています。
多次元的な評価というアプローチが求められています。顎関節の痛みや関節音、開口障害だけを局所的に診るのではなく、患者さんの生活背景・心理社会的状況・睡眠の質・姿勢・習癖まで含めた包括的な評価を行うことが、変形性顎関節症の治療では特に求められます。一部の難治性症例では、心身医学・精神医学的なアプローチも視野に入れた専門機関への連携が必要です。
意外ですね。でも、これが現代の顎関節症治療の標準的な考え方です。
特にブラキシズムをリスク因子として抱えている患者さんへの対応は、インプラント治療や補綴歯科治療にも直結する問題です。補綴治療後や矯正治療中に顎関節症症状が発症するケースがあるため、力の管理という観点で顎関節症を常に念頭に置いた診療姿勢が今後ますます求められます。
参考情報:顎関節症治療の最新指針2023改訂版(日本顎関節学会・PDF)
顎関節症初期治療診療ガイドライン 2023 改訂版(日本顎関節学会)
変形性顎関節症を含む顎関節症は、「self-limiting disease(自然に制限される疾患)」とも表現されます。これは、病態がある程度まで進行した後、徐々に自然寛解していく傾向を持つという意味です。J-Stage掲載の最新論文(顎咬合誌 2025年)でも、「TMDsは時間経過とともに改善し、治癒していくことが多い疾患」と明記されており、長期経過観察の研究ではX線で骨変化の進行が確認されたにもかかわらず、臨床症状がほぼ消失したという報告もあります。
これは「治療しなくていい」という意味ではありません。
重要なのは、この自然寛解傾向があるからこそ「できる限り保存的かつ可逆的な方法を選択する」ことが合理的であり、侵襲的・不可逆的な治療への安易な移行を戒める根拠になっているということです。不可逆的治療を行い、たまたま症状が改善したとしても、それが「治療の効果」なのか「自然寛解」なのか区別がつきません。治療の効果を正当に評価するためにも、初期段階では保存療法を徹底することが重要です。
では、いつ専門医や高次医療機関に紹介すべきか。日本顎関節学会の指針では、3ヶ月程度の同じ保存的治療を継続しても症状改善が認められない場合は、早急に専門施設または専門医に紹介することが望ましいとされています。また、以下のような状態が認められる場合も紹介を検討します。
鑑別診断は必須です。
顎関節症と類似の症状を示す疾患として、歯周病・う蝕・各種神経痛・頭痛・腫瘍性疾患・心身症などが挙げられます。これらを「すべて顎関節症として一括管理してしまう」ことは、日本顎関節学会の診断基準から見ても、そして医療倫理の観点からも避けなければなりません。誤診した患者さんに顎関節症治療を行っても効果は期待できず、不可逆的治療を施した場合は医療過誤にもなり得ます。
「3ヶ月変えなければ紹介する」という明確な基準を持っておくことが重要です。
日常臨床において変形性顎関節症の患者さんと接する歯科従事者は、治療成績の指標を「症状が消えること」に置くのではなく、「患者さんが日常生活を支障なく送れるレベルに改善させること」という実践的な目標に置くことで、より適切なマネジメントができるようになります。完全な解剖学的修復を目指すのではなく、機能的な回復を目指す。これが変形性顎関節症の治療における、今最も支持されている考え方です。
参考情報:顎関節症治療の指針2025(最新版・日本顎関節学会)
顎関節症治療の指針 2025(日本顎関節学会・PDF)
必要な情報が十分に集まりました。記事を作成します。