亜鉛と味覚の関係を正しく把握していないと、歯科を受診した患者の半数以上に「本来必要ではない亜鉛製剤だけを処方し続ける」ことになりかねません。
亜鉛が味覚に関係する理由を理解するには、まず「味蕾(みらい)」の構造から押さえる必要があります。味蕾は舌乳頭を中心に口腔・咽頭・喉頭に成人で約7,000個存在し、それぞれ30〜100個程度の味細胞で構成されています。この味細胞が食物由来の水溶性化学物質を受容し、味神経を介して大脳へ情報を送ることで、私たちは「甘い」「しょっぱい」「酸っぱい」「苦い」「うまい」という五味を感じます。
重要なのは、味細胞の寿命がおよそ10日間と非常に短いという事実です。爪の先ほどのごく小さな組織が、10日ごとに全て入れ替わっている計算になります。そのターンオーバーを支える酵素反応に亜鉛が不可欠であり、亜鉛が不足するとこの新陳代謝が遅延します。
つまり、古くなった味細胞が口腔内に居座り続けるということですね。
その結果として起こるのが、量的味覚障害(味が薄く感じる・感じない)です。さらに亜鉛欠乏状態では、舌に分布する三叉神経・鼓索神経への反応も低下することが、亜鉛欠乏ラットを用いた研究で明らかになっています。受容器レベルだけでなく、神経伝達レベルでも影響が出ることは、歯科従事者として見落とせないポイントです。
加えて、唾液中に含まれる亜鉛結合タンパク質「炭酸脱水酵素Ⅵ型(Gustin)」も味覚機能に深く関わっています。亜鉛欠乏が起こると、耳下腺唾液中のこのタンパク質濃度が低下し、味覚機能がさらに落ちることが研究で示されています。血清亜鉛値だけでなく、唾液という切り口から味覚障害を評価しようとする研究も進んでおり、歯科領域としての独自性を発揮できる分野といえます。
亜鉛が味覚に影響するのは「味蕾の代謝」と「神経伝達」の両面が条件です。
参考:亜鉛欠乏と味覚障害のメカニズム詳細(同友会メディカルニュース)
味覚障害と亜鉛 | 同友会メディカルニュース
歯科で味覚障害患者を診る際、多くの歯科従事者が「まず亜鉛値を確認して、低ければ補充療法」という流れを取りがちです。しかし、北海道大学大学院歯学研究科が2007〜2018年に北大病院口腔科を受診した322例を後ろ向き研究(2024年発表)した結果は、その前提を大きく揺さぶるものでした。
歯科を受診した味覚障害患者の主因を分析すると、心因性が35.1%と最多で、次いで特発性(原因不明)が20.5%、口腔疾患(口腔カンジダ症・口腔乾燥症など)が19.9%、そして亜鉛欠乏はわずか10.2%にとどまったのです。さらに半数以上の患者が「亜鉛製剤処方以外の処置」を必要としていました。
意外ですね。
加えて、量的味覚障害群と質的味覚障害群を比較した際、両群の血清亜鉛濃度に有意差がなかった(どちらも平均73μg/dL前後)という点も注目に値します。一般的に血清亜鉛値の下限は80μg/dLとされていますが、亜鉛値が正常範囲内でも味覚障害は起こりうるということです。
血清亜鉛値は参考値として扱うのが原則です。
歯科臨床における正しいアプローチとしては、亜鉛値の評価と並行して、うつレベルを評価するSDS(自己評価うつスケール)などの心理的スクリーニング、口腔カンジダ症の培養検査、唾液量測定も組み合わせることが推奨されています。歯科従事者だからこそ、口腔内観察から口腔疾患性の味覚障害を早期発見できる立場にあります。それを最大限に活かした診断フローを意識することが、患者満足度と治療成績の向上につながります。
参考:歯科における味覚障害の実態(CareNet HealthDay報告)
味覚異常の2割は口腔疾患が主因で半数強に亜鉛以外の治療が必要 | CareNet
亜鉛欠乏性味覚障害と診断された場合、治療の中心となるのは亜鉛補充療法です。日本で使用できる主な亜鉛製剤は2種類で、抗潰瘍薬のポラプレジンク(商品名:プロマック)と、低亜鉛血症を保険適応病名とする酢酸亜鉛製剤のノベルジンです。
ポラプレジンクは1錠75mgで亜鉛含有量が約16.9mg、ノベルジンは1錠あたり亜鉛25mgまたは50mgと含有量が多い点が特徴です。なお、ポラプレジンクは「味覚障害」そのものへの保険適応はなく、保険外使用として適応が認められているという点を改めて確認しておく必要があります。
治療期間の目安は3〜6か月です。
亜鉛補充を開始したら、1〜2か月後に血清亜鉛値を確認し、その後も1〜2か月ごとにモニタリングを続けます。このとき、亜鉛値だけでなく血清銅値・血清鉄値も同時に確認することが不可欠です。亜鉛を長期大量投与すると、腸管での銅・鉄の吸収が阻害され、銅欠乏性貧血や白血球減少などの副作用が現れることがあるためです。
また、「食事から亜鉛を補えばよい」という考え方も注意が必要です。食品中の亜鉛含有量は限られており、食事療法のみで亜鉛欠乏を改善するほどの量を摂取するのは現実的に難しいとされています。牡蠣(可食部100gあたり約13.2mg)や豚レバー(約6.9mg)は含有量が多いですが、毎日摂り続けるのは食習慣上の課題もあります。
亜鉛欠乏性味覚障害の自覚症状改善率は約73.3%で、平均治癒期間は22.7週(約5〜6か月)というデータがあります。高齢者や発症後6か月以上経過してから治療を開始したケースでは、さらに長期の治療を要する傾向があります。早期介入が効果的ということです。
なお、亜鉛補充療法で改善しない場合や、原因が特定できない特発性味覚障害に対しては、漢方薬や神経障害性疼痛治療薬(抗うつ薬の一部)が有効なこともあります。歯科が単独でフォローするか、精神科・心療内科と連携するかを柔軟に判断する姿勢が求められます。
参考:亜鉛補充療法の詳細(日本訪問歯科協会)
亜鉛欠乏と味覚障害|今日から始める口腔ケア | 日本訪問歯科協会
亜鉛欠乏が直接の原因でなくても、結果として亜鉛が失われるルートが複数存在します。それが「薬剤性」と「全身疾患性」です。歯科従事者が服薬リストを確認する際に意識しておきたい知識です。
薬剤性味覚障害は、耳鼻咽喉科の外来統計では原因の最多で21.7%を占めるというデータもあります。主なメカニズムは薬剤のキレート作用で、薬が体内の亜鉛と結合して尿中に排泄されるため、亜鉛欠乏状態が引き起こされます。原因となる薬剤には降圧利尿薬、抗生物質、抗ヒスタミン薬、抗うつ薬、消化性潰瘍治療薬などがあります。患者が複数の薬を服用している場合は特に注意が必要です。
全身疾患性のケースも同様です。糖尿病・慢性肝疾患・炎症性腸疾患・慢性腎臓病では、亜鉛の吸収障害や尿中排泄増加によって亜鉛欠乏が二次的に引き起こされます。こうした疾患背景のある患者が口腔内の問題で歯科を受診した際、味覚の変化も聴取すると包括的なケアに近づきます。
これは使えそうです。
さらに、歯科に特有の観点として「口腔カンジダ症」と「口腔乾燥症(ドライマウス)」の関係があります。北大の研究でも口腔疾患性の味覚障害が約20%を占めており、カンジダ感染や唾液量の低下が味覚受容の環境を悪化させます。唾液は味物質を味蕾まで運ぶ"媒体"であり、唾液が減ると味を感じにくくなる仕組みです。義歯装着中の高齢患者、シェーグレン症候群が疑われる患者など、ドライマウスと関連しやすい層への丁寧な問診が求められます。
服薬リストの確認と口腔内観察の両立が基本です。
薬剤性の味覚障害は、原因薬剤の中止・変更が最も有効ですが、歯科が独断で行動するのではなく処方医への情報提供という形で連携することが適切です。患者の「口が開く場」として歯科が果たす役割は大きく、適切なタイミングで問題を拾い上げられるかが鍵になります。
参考:薬剤性味覚障害の原因と代表的な薬剤(ファーマシスタ)
薬剤性味覚障害の原因と代表的な薬剤 | ファーマシスタ
既存の記事ではほとんど触れられていない視点として、唾液を使った亜鉛評価の可能性が挙げられます。これは、血液採取なしに繰り返しサンプリングできるという歯科領域ならではの強みを活かした研究領域です。
北海道大学歯学部口腔診断内科の研究グループは、唾液中の亜鉛結合タンパク質(炭酸脱水酵素Ⅵ型)を活用した味覚障害のスクリーニング法の開発に取り組んでいます。血清亜鉛値は「体内亜鉛総量のわずか0.1〜0.5%」に過ぎず、血液検査の数値が正常でも組織レベルの亜鉛欠乏が進行している可能性があるという問題意識がその背景にあります。
血清値だけが条件ではありません。
この観点から考えると、歯科従事者が行う唾液採取・検査は、将来的に亜鉛関連の味覚障害を早期発見するための有力なスクリーニングツールになりうる可能性があります。現時点では保険収載された診断法ではありませんが、研究の方向性として押さえておく価値は十分にあります。
また、亜鉛は唾液の「質」にも影響します。亜鉛が不足すると唾液緩衝能が低下し、口腔内の酸中和能力が落ちることで、むし歯や歯周病のリスクが上昇するという報告もあります。つまり亜鉛の不足は、味覚障害にとどまらず、歯科が日常的に取り組むむし歯・歯周病・口臭への波及効果として患者に伝えることができます。「亜鉛と味覚の関係」という話題から、口腔全体の健康管理へと会話を広げることができる切り口です。
亜鉛欠乏の影響は、味覚だけにとどまらないということですね。
患者への生活指導の場面でも、「味がおかしい」という訴えを入り口に、食生活・服薬・全身疾患を横断的に確認する歯科の役割を再確認できます。亜鉛を多く含む牡蠣・牛赤身肉・豚レバー・玄米・納豆などを日常的に取り入れることを勧める際も、単に「食べてください」で終わらず、「なぜその栄養素が口腔と全身をつなぐのか」を丁寧に説明できると、患者教育としての質が高まります。歯科従事者が担える「食と口腔と全身をつなぐ専門家」としての価値を、亜鉛という切り口から示せます。
参考:唾液中亜鉛研究と歯科への応用(北海道大学歯学部 口腔診断内科)
唾液を用いた亜鉛研究 | 北海道大学歯学部 口腔診断内科