「炎症なし」と判断した正中菱形舌炎が、実は口腔扁平上皮癌だった報告が2005年までに4例あります。
正中菱形舌炎(Median rhomboid glossitis)は、舌背部の後方正中1/3の位置、すなわち舌盲孔の直前に生じる境界明瞭な菱形または楕円形の赤色斑です。病変部では糸状乳頭や有郭乳頭が消失し、周囲の舌粘膜と比べてツルツルとした平滑な表面になるのが最大の特徴です。サイズのイメージとしては、名刺の短辺(約5cm)程度の範囲に収まることが多く、視診でも比較的見つけやすい病変です。
「舌炎」という病名がついているため、炎症性疾患と混同されやすいです。しかし本疾患は本質的には「非炎症性病変」であり、Wikipediaをはじめ複数の医学文献でもその点が明示されています。二次的にカンジダ感染や細菌感染が加わることで初めて炎症所見(発赤・腫脹・疼痛)が現れますが、それが「病名の舌炎」ではないということです。
原因については現在も複数の説が並立しています。古典的な説は「胎生期に退縮すべき不対結節(無対結節)が残存する発育異常」であり、長らく定説とされてきました。一方、近年では口腔カンジダ症(Candida albicans感染)が関与するという説が有力視されています。小児への発生が稀である点も、先天性発育異常説に疑問を呈する根拠のひとつです。その他、喫煙・義歯使用・ホルモン失調・糖尿病・鉄分やビタミンB不足なども誘因として挙げられることがあります。
有病率は東北大学が1989年に行った日本人対象の調査で0.2%、Harperinが1953年に行った全年齢調査では0.32%と報告されています。男性に多く(男女比3:1)、特に中高年男性に集中する傾向があります。つまり、一般の患者1000人を診れば2〜3人に見られる計算です。決して稀な疾患ではないため、日常の口腔内診査でしっかり把握しておく必要があります。
参考:正中菱形舌炎の疫学・分類・病態についての基本情報(Wikipedia)
正中菱形舌炎 - Wikipedia
治し方の大原則は「症状の有無で方針を分ける」ことです。これが基本です。
無症候性の場合、すなわち疼痛・灼熱感・腫脹などの自覚症状がまったくない場合は、加療の必要はありません。基本的に経過観察となり、生活指導や口腔清掃指導を行いながら定期的に観察を続けます。患者への説明は「治療は不要ですが、変化があればご連絡ください」という形が適切です。
一方、疼痛・ヒリヒリ感・灼熱感などの症状が出ている場合は、積極的な対応が必要です。対症療法として含嗽薬(アズレン含嗽液など)やトローチの使用があります。さらにカンジダ培養検査で陽性が確認された場合は、抗真菌薬を併用します。処方の選択肢としては以下が挙げられます。
| 薬剤名 | 一般名 | 特徴・使い方 |
|---|---|---|
| ファンギゾンシロップ | アムホテリシンB | 1回1mLを1日4回(食後+就寝前)口に含んでゆっくり飲み込む。副作用少なく使いやすい。 |
| フロリードゲル経口用 | ミコナゾール | 1回2.5〜5gを1日4回塗布。義歯床面への塗布も可能で、義歯関連カンジダにも有効。 |
| イトリゾール内用液 | イトラコナゾール | 1日1回20mLを空腹時内服。全身吸収もあり重症例に向く。下痢に注意。 |
| オラビ錠口腔用50mg | ミコナゾール | 1日1回1錠を上顎歯肉に付着。コンプライアンス良好。 |
治療の目安として「2週間改善しない場合は二次医療機関へ紹介する」ことが推奨されています。これは難治化や悪性疾患との鑑別が必要になるためです。
また、ビバ歯科・矯正小児歯科の症例報告では、ファンギゾンシロップを舌ブラシに付けて1日3回磨くという方法で赤みが消失した事例が紹介されています。単純に飲み込むだけでなく、局所への物理的な清掃を組み合わせることで効果が高まる場合があります。これは使えそうです。
参考:抗真菌薬の種類・用法・特徴が整理されている専門資料(鹿児島大学病院口腔外科)
口腔カンジダ症の診断と治療(GC Dental)
正中菱形舌炎のカンジダ関与という観点では、「kissing lesion(キッシング・レジオン)」という概念を知っておくことが重要です。意外ですね。これは、舌の菱形病変と相対する口蓋粘膜にも同様の赤い病変が対称性に現れる現象で、舌が口蓋に接触することで感染が「写る」ように広がるものです。
鹿児島大学病院の資料では「正中菱形舌炎は舌背中央部の赤い菱形の病変だが、相対する口蓋にも赤い病変が存在する」と明記されており、口蓋の観察を怠るとこの病変を見落としてしまいます。舌だけ診て「正中菱形舌炎あり」と判断した時点で終わりにしてしまうのは不十分です。
口腔内診査では、舌背の病変を確認したらセットで口蓋側も確認する習慣を持つことが必要です。
カンジダ培養検査は実施すべきかどうかという疑問が現場では生じます。培養検査は、綿棒で病巣部を数回擦過し寒天培地(クロモアガーカンジダ培地など)に塗布して行います。1集落形成には1000株以上のカンジダが必要なため、集落が形成されれば口腔常在菌であっても起因菌として差し支えないとされています。症状が曖昧なケースでも、「治療的診断法」として抗真菌薬を試投与し、奏効すれば紅斑性カンジダ症と判断するアプローチも実際には用いられています。
カンジダのリスク因子として特に注意が必要なのは、①吸入ステロイド薬を常用している患者、②義歯装着者、③ドライマウス(口腔乾燥症)の患者、④糖尿病などの全身疾患持ちの患者です。これら4つのリスク因子が重なるほどカンジダが増殖しやすくなり、正中菱形舌炎の難治化につながります。
参考:kissing lesionを含む紅斑性カンジダ症の診断・治療の詳細(一次・二次医療機関の役割分担含む)
一次医療機関での口腔粘膜疾患の見方(九州歯科大学 冨永和宏)
歯科従事者が最も留意すべき点のひとつが、扁平上皮癌との鑑別です。正中菱形舌炎の病変部位(舌背後方正中)は、Wikipediaによれば「癌がこの部分に発生することはほとんどない」とされています。しかし「ほとんどない」は「絶対ない」ではありません。
実際、臨床診断で正中菱形舌炎と判断されたにもかかわらず、病理診断で扁平上皮癌と診断された患者が2005年までに4例報告されています(吉冨ら, 2005)。また、「舌癌との鑑別に難渋した正中菱形舌炎の1例」という症例報告が耳鼻咽喉科・頭頸部外科の専門誌にも掲載されています。4例という数字は少なく見えますが、「見た目が典型的に見える病変でも癌である可能性がゼロではない」という事実として受け止める必要があります。
特に以下の所見が出た場合は、二次医療機関への紹介と病理検査を検討すべきです。
九州歯科大学の資料では「隆起型はカンジダが関与していることもあるので、抗真菌療法を行ってみる場合もある」と記されており、治療的診断法(薬への反応を確認)が鑑別の補助的手段になり得ます。抗真菌薬が奏効すればカンジダ由来、奏効しなければ白板症や扁平上皮癌の疑いとして次のステップへ進む流れです。
病変の変化を記録することも大切です。初診時の写真記録、6か月以内の定期的な再確認、変化があれば速やかに紹介という流れを、診療フローとして院内で共有しておくことが理想的です。口腔癌の早期発見に直結するからです。
参考:正中菱形舌炎と扁平上皮癌の関連報告・癌の初期像の観察ポイント(九州歯科大学シンポジウム資料)
地域の口腔がんを考えるシンポジウム参考資料(九州歯科大学 冨永和宏)
正中菱形舌炎の現場対応において、「口内炎っぽいから」という理由でステロイド軟膏(アフタゾロン・ケナログなど)を処方・塗布してしまうケースが一定数存在します。これは避けるべき対応です。
鹿児島大学病院の文献では「口内炎への副腎皮質ホルモン軟膏(ステロイド軟膏)の安易な投与と連用は、口腔粘膜局所の免疫能の低下をもたらし、日和見感染による口腔カンジダ症を惹起する」と明確に警告しています。正中菱形舌炎にカンジダ関与が疑われる場面でステロイドを使用すれば、逆にカンジダを増殖させ、病変を悪化させてしまう可能性があります。難治化するということです。
同様に、ポビドンヨードやアルコール含有洗口剤の長期連用も菌交代現象を促すため推奨されません。使用する場合は短期間に限定し、症状が消退したら速やかに休薬することが必要です。
ではどうすれば良いかというと、病変が「赤い・ヒリヒリする・カンジダが関与しているかもしれない」という状況では、アズレン系含嗽液(アズレイうがい液など)を選ぶのが安全です。アズレンは適度な消炎作用を持ちながら、日和見感染を惹起しない性質があります。「まずはアズレン含嗽で様子を見て、改善しなければカンジダ検査+抗真菌薬」という流れが現実的です。
また、喫煙患者への禁煙指導も、正中菱形舌炎の管理において見落とされがちなポイントです。日本歯科医師会の資料では、舌に生じる疾患のリスク因子として正中菱形舌炎・黒毛舌・口腔癌(舌癌)などに喫煙が関係すると明記されています。喫煙によって唾液分泌が低下し、口腔内の免疫環境が悪化することで、カンジダが増殖しやすくなるためです。禁煙支援ツールを活用して、患者への働きかけを記録として残しておくことが望ましいです。
参考:正中菱形舌炎を含む口腔疾患と喫煙の関係・禁煙支援の実践ガイド(日本歯科医師会)
日本歯科医師会禁煙宣言(禁煙支援ガイド)