銅トレーなら接着剤が不要になります。
ポリサルファイド印象材は、硫黄を含むポリマーであるポリサルファイドを主成分とし、硬化剤として二酸化鉛を使用する印象材です。この材料は1950年頃から歯科臨床で使用されており、ゴム系印象材の中では最も長い歴史を持っています。
硬化は縮合重合という化学反応によって進行します。つまり、硬化反応の過程で副生成物が生まれるということです。この点が後述する寸法安定性に大きく関わってきます。
反応は非可逆性で、一度硬化すると元の状態には戻りません。温度や湿度の影響を受けやすく、特に高温多湿環境では硬化が促進される特性があります。口腔内温度である37℃付近では、恒温槽中で約15分間の硬化時間が必要です。これはゴム系印象材の中で最も長い硬化時間となります。
混合時には基材と硬化剤を適切な比率で練和することが重要です。比率が不適切だと硬化不良や印象精度の低下を招き、せっかく時間をかけた印象採得が無駄になってしまいます。この材料を扱う際は、メーカーの指示に従った正確な計量が求められます。
ポリサルファイド印象材は、ゴム系印象材の中で最も大きな弾性ひずみを示します。弾性ひずみが大きいということは、外部からの力に対して変形しやすく、力を取り除くと元に戻ろうとする性質が強いことを意味します。
つまり柔軟性が高いということです。
この特性は、アンダーカット部位からの印象撤去時に有利に働きます。硬い印象材では撤去時に破損や変形のリスクが高まりますが、弾性ひずみが大きいポリサルファイド印象材は、多少のアンダーカットがあっても無理なく撤去できます。
印象撤去がスムーズということですね。
しかし永久ひずみも付加型シリコーンゴム印象材より大きいという欠点があります。永久ひずみとは、力を加えた後に完全には元の形に戻らず、わずかに変形が残ってしまう性質です。
これは印象精度に直接影響します。
東京歯科大学の研究では、ポリサルファイドラバー印象材の弾性ひずみは2~20%、永久ひずみは4%以下とされています
弾性ひずみの高さは撤去性の良さにつながりますが、永久ひずみの大きさは精密さを求める場面では不利になります。この特性を理解した上で、症例に応じて使い分けることが重要です。例えば、極端なアンダーカットがある部分床義歯の印象には適していますが、高精度が求められるインプラント印象には向きません。
ポリサルファイド印象材の最大の弱点は、寸法安定性の低さです。この問題の根本原因は、硬化機構が縮合反応であることにあります。縮合反応では、化学反応の過程で副生成物として水分が生成されます。
硬化後も印象材内部からこの水分が徐々に蒸発していきます。水分が抜けるということは、その分だけ印象材が収縮するということです。収縮すると、当然ながら寸法が変化してしまいます。
これに対して付加型シリコーン印象材は付加重合で硬化するため、反応生成物がありません。
だから寸法安定性が優れているのです。
対照的にポリサルファイド印象材は、時間経過とともに徐々に収縮していくため、印象採得後は速やかに石膏を注入する必要があります。
実際の臨床では、印象採得から1時間以内に石膏注入することが推奨されます。放置時間が長くなるほど収縮が進み、製作される補綴物の適合精度が低下します。適合が悪いと再製作が必要になり、患者さんにも追加の負担がかかってしまいます。
この寸法変化のリスクを避けるには、印象採得のタイミングと技工所への搬送スケジュールを事前に調整しておくことが大切です。特に遠方の技工所を利用している場合は、搬送時間も考慮に入れる必要があります。または、より寸法安定性に優れた付加型シリコーン印象材への切り替えを検討するのも一つの方法です。
ポリサルファイド印象材には、他の印象材にはない独特の特性があります。
それは銅の研磨面と自然に接着する性質です。
この特性により、銅製トレーを使用する場合には接着剤が不要になります。
通常、印象材をトレーに固定するためには接着剤の塗布が必須です。接着剤の塗布には時間がかかり、また乾燥を待つ必要もあります。しかし銅トレーとポリサルファイド印象材の組み合わせでは、この手間を省略できます。
作業効率が上がるということです。
ただし、この接着性が発揮されるのは銅の「研磨面」に限られます。酸化した表面や汚れた表面では十分な接着力が得られません。したがって銅トレーを使用する際は、使用直前にサンドペーパーなどで表面を研磨し、清浄な金属面を露出させる必要があります。
現在の臨床では、既製トレーとしてプラスチック製やステンレス製が主流となっており、銅トレーを使用する機会は減少しています。そのため、この接着性のメリットを活かせる場面は限られています。
それでも特殊な症例で銅トレーを選択する場合には、ポリサルファイド印象材との組み合わせを検討する価値があります。接着剤不要という特性は、作業時間の短縮だけでなく、接着剤由来の印象精度への影響を排除できるメリットもあります。
つまり変数が一つ減るということですね。
ポリサルファイド印象材を使用する際には、いくつかの重要な注意点があります。
最も大きな問題は、硫黄特有の悪臭です。
この臭いは患者さんに不快感を与える可能性が高く、特に臭いに敏感な方や妊婦の方には使用を避けるべきです。
硬化時間が長いことも臨床上の課題です。ゴム系印象材の中で最も硬化が遅く、患者さんは口腔内にトレーを保持したまま長時間待たなければなりません。
これは患者さんの負担になります。
嘔吐反射が強い患者さんには特に不向きです。
操作時間も長いため、手早い印象採得が求められる場合には適していません。例えば小児患者や、協力度が低い患者さんへの使用は慎重に判断すべきです。
作業時間が長いと失敗のリスクも上がります。
これらのデメリットから、現在の臨床では付加型シリコーン印象材への移行が進んでいます。付加型シリコーンは硬化時間が短く、寸法安定性に優れ、臭いもほとんどありません。価格はポリサルファイドより高めですが、精度と患者満足度を考えれば十分に正当化できます。
ただしポリサルファイド印象材にも、弾性ひずみが大きいという利点があります。極端なアンダーカットがある症例や、撤去時の破損リスクを最小限にしたい場合には、今でも選択肢の一つとなります。材料の特性を理解した上で、症例に応じて最適な印象材を選択することが大切です。
OralStudio歯科辞書では、ポリサルファイドゴム印象材の特性として、弾性ひずみが最も大きく硬化時間が最も長いことが解説されています